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感想・レビュー・書評
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読み初めは、???という感じだったが、徐々に震災被害に遭った方の心の様子を描いている作品と分かる。はっきり書いてあるよりも、描写が散りばめられている方が想いが強く伝わってくる。
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さらりと読めて、シーンと心に悲しみが降り積もる。曲の終わりのリフレインのような小説。東日本大地震にまつわる作品に触れるのは、これがはじめてじゃなかろうか。
あの震災はまだ自分にとって生々しくて、思い出すだけで血が流れる傷口でしかないと思っていたが、考えたらもう10年以上も前で、ザラついた感触はあっても普通に読めている自分に気づく。どんな天変地異も悲しみも、身を引きちぎられるような喪失も、生きてる人間の中では少しずつ過去になってゆくことを身をもって知る。
亡くなった人たちの人生、死んだ生き物たちの命、もう人の住めなくなった土地、自分や知人に訪れた変化や喪失を思うと今でも言葉を失う。だからって、何も無かったかのように過去を消去して、ただ前向きに生きてみせることだけが「正解」ではないのだとこの作品は言っているように思う。
そんなことをしたら死んだモノたちは浮かばれないだろう。彼らの生きた軌跡がまるで使用済み物品のように片付けられてしまうのはいたましい。死者の記憶を運ぶのは生者しかいないし、生者もまた彼らと過ごした日々の記憶によって生きている。
死者と生者は抱き合いながら存在していると、作家Sは妻に向かって言う。その妻はすでに鬼籍に入り、もう作家Sの想像の中にしかいないのだった。
この世から永遠に失われた物たちを悼む時、想像の中で愛する時、私たちには死者の声が聴こえているのかもしれない。この作家Sのように。 -
死後の世界があるのか。亡くなった人の魂はどこに行くのか。それが真実かどうかはさておき、こうであったらいいと思える物語。
遺された側ではなく、遺した側の思いが描かれています。
悲しいけれど温かい。苦しいけれど優しい。そういう一冊。 -
平穏に続くと思われる日々が理不尽かつ急に奪われるなんて誰が想像しただろうか。
東日本大震災もそんな災害のひとつ。そこで当事者となった人達に与える影響はもちろん大きいが、それ以外にも、離れた地域の人にも影響を与える。
そんな震災地ではない安全な場所にいる人たちが被災地を思い悲しむのは妥当なのだろうか。
こんな思いに対して「いいんだよ」と答える本。死者を思い、その声を聞きたい。それに耳を傾けるのは非科学的だとしても、受け入れるプロセスの中でとても重要なんだろう。と思いました。 -
まあまあ
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傑作。死者と生者の関係を、植物に学んできた実感をもとに、小説にしたということだろうか。東日本大震災やコロナ、山火事など災害が続く世の中にあって、重要性を増していく論考だと思う。
同世代の先達として、いとうせいこうさんは頼りになる。 -
死者の時間は生者があってこそ存在する
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想像ラジオ
(和書)2013年07月19日 23:30
いとうせいこう 河出書房新社 2013年3月2日
いとうせいこうさんの作品を読むのは何年ぶりだろうか。
「解体屋外伝」以来です。
その本も統失の急性期のようなことをバトルとして描いていたのが印象的でした。
今回の作品も統失の幻聴・・電波系のようなもので死者との関係の虚構を超越論的仮象として描こうとしたのだろうと思います。
そして統失とは弱い者につこうとするものがその隠蔽と否定によっておこる人間の現象だろうと思います。そしてその極端な現象によって逆に哲学の根幹である弱い者につく姿勢が明確にされるものだと思います。
せいこうさんはそういったものを自分のスタイルで描こうとしたのかもしれません。 -
震災の犠牲に遭い、突然命を落とした方々。遺体がなかなか発見されず、霊魂がこのように残ったままの方が想いを発信していく。想像を働かせながら死者の声に耳をすます。生者は死者と共に生きる。重くなりがちなテーマだが、DJアークのユーモアがそれを和らげている。「亡くなった人が無言であの世に行ったと思うなよ」