「怒らない」選択法、「怒る」技術 [Kindle]

著者 :
  • コグニティブリサーチラボ株式会社
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感想・レビュー・書評

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  • 今までぼくたちが認識していた「怒り」についての定義を
    180度変えられるようになる本です。

    怒るタイミングや怒る理由があれば
    「怒ること=正しいこと」になるということがわかりました。

    正しく怒る技術を習得することによって
    怒りさえも素晴らしい「自己の表現」という価値になります。

    ・ストレスをため込んでしまう方
    ・すぐ発散しようと暴発してしまう方
    は絶対価値アリの一冊です。

  • おこっていいのは、予測不能で自分が不利益を被ったとき。

  • 目から鱗の考え方。実際に行動を変えられそう。

  • 「怒り」を感情から切り離して考え、述べられている本。
    なんとなく読み始めていったけど、↓2つが主に心に響いた。
    ①怒りそのものについて理解ができた
    ②人がきちんと価値観を持ち、ゴールを持つことの重要さ

    所々、著者の偏った意見がみられるものの、単なるハウツー本でなく、とてもためになる本だった。

    以下、本文より
    ・自分の予想していなかったこと(予想外の出来事が起きた時)に、怒り/悲しみが沸く
    ・感情が動いたら体は反応する。それは当然なので、怒りを否定するのは無意味である
    ・経験値が違う人を本気で怒る人間は恥じるべきであり、自分の無能さにこそ腹を立てるべきだ
    ・常識は疑うもの

    これは私のモットーに似ていて、とても響いた。そして改めて考えさせられました。
    「すべては言葉です。思考を続けるためのエネルギーも、勇気を振り絞るためのエネルギーもすべては言葉から生まれます。良い言葉を使えば、良い力が生まれる」

    Kindle Unlimited

  • 迷って怒るのも迷って我慢するのもストレスと述べ、正しく怒るときの条件、そして怒って勝つために考えることとある意味日常生活の戦略書のような斬新な切り口が響きました。
    特に相手に過失がありその過失が予想外のときだけ怒るという著者の考えは意識していきたいなと。

  • 「怒る」に限らず、感情が揺さぶられるのはどんな時でしょう?
    それはわたしたちの「予想」が外れて「意外」性があったときです。



    例えば
    懸命に貢献して報われるという「予想」を抱いたものの
    それが逆に疎んじられるというマイナス方向の「意外」性に
    悲しんだり腹を立てたりする。

    コーヒーだと思って(「予想」して)飲んだものの
    炭酸が抜けたコーラの味という「意外」性に目を白黒させる。

    お年玉が3千円だと「予想」して熨斗袋を開けたら
    3万円だというプラス方向の「意外」性に狂気乱舞する。



    わたしたちは「予想」するから備えられる。
    備えられるから生き残る可能性を高められる。
    予想が外れたら生存上の不利になる。
    だから、予想が外れたら根源的に情動を刺激されるし、
    予想の確度を高めるべく記憶にも刻まれやすい。

    そんなわけで、わたしたちは予想する生き物の末裔なんだと思います。

    しかし「予想」は経験則と確率的なものであって100%ではない。
    省エネや時間制限の都合、直感にしたがって素早く予想する必要性もある。
    そうなると「予想」の確度は「人類の叡智(絶対ではないがまだ誰も反証できていない)」
    よりも「個人の感想(個人的には正しい)」という領域に寄りがちになるのが必然的。

    その「予想」って、どうしても自分勝手な「期待」や「妄想」という側面がでてしまいますよね?



    ここで生じてくる残念な現象が「地雷」を踏むと呼ばれる行為。
    生き方や価値観などにより、人それぞれのに凄く快/不快に思うポイントがある。
    で、それを知らずに不快ポイントに触れると「地雷」を踏んだということで、
    踏まれた側が生理的嫌悪に我慢を強いられるか、踏んだ側が人格攻撃で反撃を受けたりする。

    この闇が深い。。。

    結局誰が攻撃されるのか?
    最終的に弱い人が我慢を強いられ、強い人が攻撃することになる。
    それは地雷を踏んだ側と踏まれた側の間にとどまらず、
    我慢た人格攻撃は、より弱い人へと連鎖的に押し出される。

    せめて地雷を予測できるようにしたら問題を回避できないか?
    と思うけれど、往々にして上手くいかない。

    人に喜ばれるよりも、人を害することが楽しくて仕方がない輩の方が少ないですよね?
    ならば、地雷を踏む人からすれば、その地雷を踏むという行為を良かれと
    思ってしている(少なくとも悪意はない)可能性の方がずっと高いことになる。
    でも、地雷を踏まれた人からすれば神経を逆撫でされ心を踏みにじられたと感じる。

    つまり、以下のような構図が発生する。

    Aさんが地雷を踏まれたと思った瞬間、
    実はBさんが心底良いことをしたなと信じている。
    だから、BさんはAさんに喜ばれると「予想」する。
    良いことだと信じているから何度でも地雷を踏む。
    Aさんが喜ばれていると信じて。。。

    ところが、Aさんとしては一方的に我慢するか、不快を表明することになる。
    我慢には限界というものがあるので、最終的には不快を表明することになる。
    でも、Aさんの不快の表明は、Bさんがこれまで良かれとしてきたことの根底を揺るがす。
    Bさんの生き方や価値観を前提とすれば、誰が考えてもBさんの行為は善行と言える。
    だからこそBさんはそうするのだし、Aさんも朧げにそれを感じるから多少の我慢をしようと思える。

    だからといって、我慢し続けるなんて無理な話である。
    Aさんが不快表明することは、Bさんの行為がAさんにとって
    望ましくないと伝えるという効果にとどまらず、どうしてもヤバイ副作用が出る。
    どうしたって、Bさんの生き様や価値観の否定を含むことにつながる。

    Aさんが真面目に不快感を表明しようと思ったら、
    Aさんの不快感の正しさを客観的に理解できる材料を整える。
    妥当な根拠があっての不快表明なんです、そう伝えることになるのではないか?

    結果的に、Bさんの人生の一部を真面目に否定することになる。
    BさんがAさんに良かれと思っていた気持ちが強いほど、
    一生懸命やってきているほどに、Aさんの不快表明はBさんの「予想」外である。
    しかも、これ以上ないくらいマイナス方向の「意外」性を持っている。

    それってさ、どう考えてもBさんの地雷を踏むことになっちゃいますよね?

    良かれと思って行動すれば、いつかは誰かの地雷を踏む。
    地雷を踏まれた側が一方的に我慢する不条理を避ければ
    地雷の踏み返しになってしまう。
    そこに悪者が一人もいなくてもそうなる。

    生き物に瞬時判断が必要だし、リソースは無限ではない。
    「個人の感想(個人的には正しい)」を「普通」「常識」「満たされるべき期待」
    と思うことは避けられず、この構造は避けがたい気がしてくる。



    本書は基本的には、怒って良い条件と、怒る技術を教えてくれる本である。

    本書では怒って良い条件があげられている。
    ・自分が害された
    ・できるだけのことをしたが予想外だった

    この2つが満たされた場合、怒り(悲しみなどの消極的な
    怒りをを含む)は生理的に反応として避けられない。
    これをなかったことにするのは、空腹や尿意をなかったことにするのと同様に無理がある。
    よって、この2点を満たす場合は、自分を害してきた相手に怒るしかないではないかね?
    さらに、怒ってもより正しい側が勝つわけではないことも踏まえると、怒る技術も大事だよ。
    という話である。



    それでもやはり、知識と想像力に富み、
    思いやりと思慮深さを兼ね備えた人は辛いんじゃないかな?

    知っている人は「わかっちゃう」けど、知らない人は「わかりようがない」。
    そこに悪意なんて一欠片もなくて、知っているから「わかっちゃう」し
    知らないから「わかりようがない」だけ。

    例えば
    車に疎い人は道路を見ても車が走っているとしか認識できない。
    車の知識が豊富なら車種や来歴に思いがいたり、
    想像力に富めばエンジン音から加速感さえリアルに感じるだろう。
    インフラに詳しければ道路の交通量や補修時期などもわかってしまう。

    つまり
    知っている人は「認識できる」けど、知らない人は「認識できない」。
    知っている人には「存在する」けど、知らない人には「存在しない」。
    だから、どうしたって結論に至るための「前提の情報量が違う」。
    当然「結論が違う」「理解は一方通行」になる。話が通じない。

    知っている人から見たら相手の言動に「正当性を見出せる」。
    でも、知らない人は相手の言動の「不当性しか見出せない」。

    思いやりと思慮深さがあると「正当性を見出せる」ことで怒るに値しなくなる。
    でも、自分が知っている判断材料を相手と共有できたなら良いのになと思う。

    この状態では終われない。
    知らない人は、その人の前提条件の範囲ではとても正当なことを言っている。
    ことさら意見表明や議論が必要なのは、何かを決めて一緒に実行しようという場面。
    知らない人が出した結論は前提が簡単である。皆が簡単に理解できる。
    皆、自分の意見が特別に好きだし、分からない難しいことは嫌いである。
    だから、知っている人ほど不本意な同意をするように圧力がかかる。

    でも、知っている人は同意できない。
    いくつか前提情報が増えると、結論が違ってくる可能性を知っているから。
    結論は皆に影響を及ぼすので出来るだけちゃんと議論しておきたいから。
    そこで、なんとか前提情報の共有を試みる。
    でも、共有しようとしてもなかなかうまくいかない。
    知らない人には、知っている人の話は「認識できない」「存在しない」のだから。

    ここから知っている人の苦しみが始まる。

    知らない人には、知っているひとが訳の分からない無駄話をしているように見える。
    であれば、必要な前提情報はそろっていて、結論も出ているのだから
    「さっさと同意しなさいよ!」みたいな気持ちになる。
    もちろん悪意なんてない。

    知っている人は困る。
    同意してしまうと長期的に皆にとってマイナスな結論だったりすると特に困る。
    それを看過するのは不誠実でもあるから安直に引き下がれない。
    だから話は長くなってしまうけれど、平易なところから丁寧に前提を共有しようとする。

    知らない人は、自分はもう十分に知っていると確信しているので、
    情報を受け入れる体制ではないし、概念拡張の扉も閉まっている。
    むしろ
    「そんなことはとっくに考えています!」
    「そんなことは言われなくてもわかってます!」
    という感じで、知っている人をある意味で見下し始める。

    知っている人は益々困る。
    知らない人はそんな反応になるだろうと予測してもいた。
    予測したからダメージゼロってことにはならない。
    最低レベルの礼儀もなく、攻撃姿勢を明確に感じ取れば、それは多少は傷つく。
    それでも根気よく誠実であろうとする。

    そうこうするうちに、知らない人が怒り始める。
    なぜって、概ね正しい自分の考えになかなか同意せず、
    グダグダと時間を浪費するなど、事実として害悪だと考えざるを得ないからである。
    知らない人の世界観から見たら、まったくその通りである。

    知っている人は困り果てる。
    知らない人が「自分は知らない何かがあるのでは?」と
    疑問を持たない限り、話をしても無駄だと知っている。
    それを伝えたところで知らない人が益々怒るだけなのも知っている。
    で、自分が怒られることが理不尽なのも知っているが、
    相手の前提の範囲内では相手が怒るのも無理はないと承知している。

    結局、知らない人が怒る。
    自分は害されているだけでなく、予想外だからである。
    合理さえ予想外になってしまうのが辛い。

    知っている人は怒らない。
    自分は害されているけれど、想定内だからである。
    不条理さえ想定内になってしまうのが辛い。

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  • ・すべての感情は、予想外の出来事によってのみ喚起される。その予想外の出来事が自分にとって好ましいものであれば喜びになるし、好ましくなければ怒りや悲しみになる。

    ・怒りはただの生理現象。「予想外の出来事」によって感情が喚起されると、身体が無意識に反応する。
    泣くのや笑うのを我慢できないように、怒りも我慢するのは本来無理。なのに、怒りだけはなぜかみんな自然な身体反応を封印しようとする

    ・結局、怒るか、怒らないかが問題ではなく、中途半端な選択をすることが問題。これは怒る場面だ。だから、しっかり怒る。ここは我慢するべきだ。だから、しっかり我慢する。あるいは謝るといった、はっきりした意思を持って行動することがなにより重要なのです。それさえできれば、私たちがストレスを溜める場面というのは激減します。

    ・怒る条件とは?一つ目は、「相手に過失があり、その過失によって自分に不利益が生じた時」。二つ目は、「その過失が予想外だった時」。
    十分に予想できることが発生して自分に損害が出たときは、それは当たり前に受け入れるのが社会人の判断。それを「悪いのはあいつだ」などといって怒るほうがおかしいのです。

    事態が予想どおりに動いたら、喜ばしい出来事のはずなのです。たとえそれが自分にとって好ましくないことであっても、それが予想どおりであれば、「やっぱりそうきたか。Aさんならそうすると思っていたけどな」で済む。堂々と怒る方法を身に付ければ余裕も生まれ、「なんて、醜いんだ、この人は。ある意味見事!」といったふうに楽しむ余裕も出る。

    ・問題はここなのです。自分は正しいのに怒ることができない、このジレンマこそが、怒りに関する最大の悩みなのです。

    ・激しい言葉を浴びせられると、どうしてもその言葉に反応しがちですが、大切なのは、その言葉を選んだ相手の思考パターンのほうです。要は相手の意図をはかることがIQを維持するためのコツです。それさえわかれば、対策を練ることも難しくないですし、もしも、その意図が自分と共有できるものであれば、一緒に改善策を考えることもできます。

    ・言語化する際には“言葉使い”も重要です。あなたが使う言葉は、できる限り丁寧にしてください。汚い言葉使いは、周りの評価も下げますし、なにより自己能力の自己評価であるエフィカシーを下げてしまいます。 ですから、怒りが高まったら、高まった分だけ、言葉も丁寧にする。それによって、前頭前野はより良い方向に活性化していき、怒りの現場であなたに勝利をもたらすでしょう。

    ・IQを下げずに怒るにはどうすればいいか? それは丁寧な言葉使いを心がける、でした。 では、言葉とはなにか? それは、あなたの思考を良くも悪くも規定するものです。言葉の使い方次第で、人は自分の生き方も、大切なものも、すべて決まってきます。 そう考えれば、怒りをコントロールするのも、“言葉”であることがわかるはずです。 そう。すべては言葉なのです。 思考を続けるためのエネルギーも、勇気を振り絞るためのパワーもすべては言葉から生まれます。良い言葉を使えば、良い力が生まれるのです。

  • ○それでは、怒る条件とはなにか? その一つ目は、「相手に過失があり、その過失によって自分に不利益が生じた時」です。 条件の二つ目は、「その過失が予想外だった時」です。,○私たちが胸に刻みつけておかねばならないことは、正しい怒りであっても負けることはある、ということです。 勝ちたかったら、勝つためのメソッドを身につけることが必要。そのやり方を理解し、稽古を積んで自分のものとしなければいけません。,○激しい言葉を浴びせられると、どうしてもその言葉に反応しがちですが、大切なのは、その言葉を選んだ相手の思考パターンのほうです。要は相手の意図をはかることがIQを維持するためのコツです。それさえわかれば、対策を練ることも難しくないですし、もしも、その意図が自分と共有できるものであれば、一緒に改善策を考えることもできます。,○怒りに全身を震わせながらも、自分に不利になる行動だけはしない。これが怒りの現場を勝ち抜く方法です。,○なぜでしょう。どこか納得しきれませんが」という穏やかな、もの言いを心がけてください。,○つまり、共有していた目的を達成した時が、怒りの現場での本当の勝利なのです。

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著者プロフィール

認知科学者(計算言語学・認知心理学・機能脳科学・離散数理科学・分析哲学)。
カーネギーメロン大学博士( Ph.D)、同 CyLab フェロー、ジョージメイソン大学C4I&サイバー研究所研究教授、公益社団法人日本ジャーナリスト協会代表理事、日本外交政策学会会長、コグニティブリサーチラボ株式会社CEO 兼基礎研究所長。マサチューセッツ大学を経て上智大学外国語学部英語学科卒業後、三菱地所へ入社、財務担当者としてロックフェラーセンター買収等を経験、三菱地所在籍のままフルブライト全額給付特待生としてイェール大学大学院計算機科学博士課程に留学、人工知能の父と呼ばれるロジャー・シャンクに学ぶ。同認知科学研究所、同人工知能研究所を経て、コンピュータ科学と人工知能の世界最高峰カーネギーメロン大学大学院博士課程に転入。計算機科学部機械翻訳研究所(現 Language Technologies Institute)等に在籍し、人工知能、自然言語処理、ニューラルネットワーク等を研究、全米で4人目、日本人として初の計算言語学の博士号を取得。帰国後、徳島大学助教授、ジャストシステム基礎研究所所長、同ピッツバーグ研究所取締役、通商産業省情報処理振興審議会専門委員、早稲田大学研究院客員教授などを歴任。また、晩年のルー・タイスの右腕として活動、ルー・タイスの指示により米国認知科学の研究成果を盛り込んだ最新の能力開発プログラム「 TPIE」、「 PX2」、「 TICE」コーチングなどの開発を担当。その後、全世界での普及にルー・タイスと共に活動。現在もルー・タイスの遺言によりコーチング普及及び後継者として全世界で活動中。一般財団法人サヴォイア王家諸騎士団日本代表、聖マウリツィオ・ラザロ騎士団大十字騎士。近年では、サヴォイア王家によるジュニアナイト養成コーチングプログラムも開発。日本でも完全無償のボランティアプログラムとして「PX2」と並行して普及活動中。

「2023年 『新・夢が勝手にかなう手帳 2023年度版』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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