- Amazon.co.jp ・電子書籍 (363ページ)
感想・レビュー・書評
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歩行祭。80kmもの距離をひたすら歩き続けてゴールを目指す。
そんな行事過酷すぎる!しかも高校生に!…と思ったり。
24時間マラソンを大人が走ってもヘトヘトになるのに、なんの鍛錬もしていない高校生が完走するなんてすごい世界だ。
なんとなく遠足気分で楽しそうにお喋りしてた子達も、バテて喋るのが億劫になる。
会話がままならなくなる。
それでも道が続く限り、歩き続けなければならない。
その逃げられない過酷さや、彼らの疲れが読み手にもズッシリと伝わってくるのだ。
彼らの高校生らしい恋愛話や秘密ごとには、なんとなく懐かしさを思い出す。
それぞれの青春の仕方が青臭くて、懐かしさの向こうにあるほろ苦さも感じることができた。
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クラスメイトには異母兄弟であるとこを秘密にしてきた、融と貴子。
お互いずっと触れられないように振舞ってきたのに、「どこか似ている」と言われたり、行動が裏目に出たり。
歩行祭を終えて、色々なしがらみを振り切った2人の関係が今後いい方に向かいますように。
読者が祈っても仕方ないが、今まで辛かった分、どんな形でも幸せが訪れてほしいなと思った。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
そうきたか~
第一印象とまったく違う展開。
確かに、人生にはいろいろなイベントが多い。敢えてつらいこと、厳しいことにチャレンジすることは、それだけ大きなものが返ってくる、ということなのでしょうね。とってもうまいです。こういう本を読み続ければ、もっと人間大きくなれるだろうか?そう信じたい。 -
まさに青春。
ストーリー展開的にも高校生ならではの様々な葛藤があり、年を重ねた今この作品を呼んで当時の思い出が甦る。
名作だと思います。 -
関東沿岸部の某県の進学校である北高には、全校生徒が朝八時から翌朝八時まで仮眠と休憩を挟んで80kmの距離を歩き通す年一回の恒例イベント『歩行祭』があり、本作はこの『歩行祭』の一日を通し、受験や卒業、大学進学を控える高校三年生たちにスポットを当てています。
物語は同じクラスに所属する、甲田貴子と西脇融の男女の高校生によって語られ、この二人の視点が章ごとに交互に入れ替わる構成を取っています。そしてこの二人には実はある特殊な関係性があり、この関係性を最も重要な軸として、他校の女子生徒を妊娠・中絶に追いやった生徒の存在、在籍しないはずの謎の少年の登場などを変数として浮上させながら、高校生の恋愛模様や友情関係を描くことを通して、長い一日を辿ります。
語り手となる二人を除く主要な人物としてはそれぞれ、貴子の親友の遊佐美和子と融の親友として戸田忍が挙げられます。そして、貴子と美和子の親友であり、今は海外に暮らす榊杏奈も回想のみでありながらも重要な役割を担います。このほかに十名ほどの人物が登場して脇を固めますが、貴子と融の一部の親族がやはり回想で現れることをを除けば全て高校生であり、教師を含めて名前を持つ大人が一切現れないことも特徴のひとつです。
進学校を舞台に、一部は無自覚ながらも異性から好意を持たれるような魅力と容姿を備える少年少女をメインに据えた本作は、学園の主役となりうる高校生たちを対象として描くことが主眼となっています。彼ら高校生たちの人物造形は一般的な少女漫画のそれに近く、主要人物たちにはトボけた味は出しながらも人格としては何の問題もなく理想的に描き、道化役や性格に難のある生徒などは、あくまで引き立て役としてその役割に留め置かれ、深みや人間関係の陰影を追及するような意図は特にありません。
これらから簡単にまとめれば、ささやかな悩みはありながらも基本的には順風満帆な"リア充"高校生たちの学生生活の輝ける一日を、軽くて爽やかな少女漫画寄りのタッチで『歩行祭』というイベントを使って切り取ってみせたエンタメ作品とみて良さそうです。それだけに本作を楽しめるか否かは、憧れも含め、読み手にとって学校生活がどのような意味を持つかに左右されそうです。
佐藤優さんの推薦から読みました。予想とは違う内容でした。 -
まさに、青春の一番いい時を描いてるなぁと。
自分もあの頃に戻りたい。
なんだかんだ、この時期が一番楽しいんですよね。
歩行際というイベントはメチャクチャハードでしょ。
でも実際にやってる学校あるみたいですね。 -
昔にも読んだけど改めて。多分この本にインスパイアされたイベントが通っていた大学であって、夜のピクニックみたいと思った覚えがあるので思い出深い作品です。ちなみにその時一緒に歩いたのがきっかけで交際した人が今の夫です。ただ歩いただけだけど、夜歩くととても思い出に残ります。作品は、高校生の心情を細やかに表現したもので、名作です。そのうちこどもにも読ませたいです。
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2005年本屋大賞受賞作。24時間かけて80kmを歩く高校行事「歩行祭」=夜のピクニック。淡々と歩いているだけなのに、そこでのやりとりから「青春の揺らぎ、煌めき、若さの影」を的確に描いている本。ノスタルジックな描写に、高校時代自の甘酸っぱさが加わり、何とも言えない気持ちになる。昔の自分にタイムスリップできる作品。
貴子・美和子・融・忍をはじめとする人物描写や伏線の回収の仕方がさすが。青春小説の名作と呼ばれるだけあり、読後の清涼感も高い。
高校時代に読みたかったなと思った。 -
精神的にも未熟な思春期の高校生の感情が、丁寧かつ濃やかに描写されている。
そのためか、「自分も当時同じことを感じてたなぁ」と共感できる部分も多かった。
さらに、ぼんやりと感じていて上手く表現できないことを、この小説ではそれを代弁してくれているように感じ、自分の気持ちに対する解像度が上がったように思った。(大袈裟かも 笑) -
吉川英治文学新人賞
2005年第2回本屋大賞
ひたすら話しながら歩いているだけで、大きな事件もなく、単調に進んでいくだけの小説なのに、こんなに心が満たされて青春を肌で感じられる作品なことに驚いた。
時間の流れとともに変わっていく情景と登場人物たちの気持ちの変化を描くのが天才的だと思った。
どこにも無理がなく、すごく自然にスッと入ってくる感じが心地よく、退屈にならずに一緒に歩行祭を進んでいる感覚になる。
イベントならではの独特な空気感がすごく伝わってきます。
解説の方も書かれていましたが、今ではまるで自分が歩行祭を経験したことがあるような感触を覚えています(笑)
やっと2人が話すシーンでは息を呑んで緊張を感じ、歩行祭の終盤は胸がいっぱいになり目頭が熱くなりました。 -
「みんなで、夜歩く。ただそれだけのことがどうしてこんなに特別なんだろう」
夜を進む、生徒達の足。
仲良しのテンポで進む足。
ぎこちない距離を保つ足。
想い出作りに接近する足。
駆ける足。秘密を運ぶ足…
永い永い、一瞬の夜。
並んで歩く、足と足。
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第二回本屋大賞受賞作!
…とはつゆ知らず読了。なんという素敵本。
高校生活最後のイベント「歩行祭」
一冊丸ごとひたすら歩くだけ。それだけなのに溢れて止まらぬカタルシス。青春ってつまりこういう事だな…
止まらない時の流れに燦然と輝く〈一瞬〉に想いを馳せてはその静かさに胸が詰まる傑作! -
うらやましい。
僕の中学にも似たような行事あったんですよ。一歩歩行万里とか言って、1日で40キロ歩くって行事。膝は痛むし、脚の裏はマメだらけですよ。で、進学したら高校でもあったんですよ、十里踏破遠足なるものが。十里なので、やっぱり40キロですね。
何処でも似たような行事あるんだなぁと思ったけど、物語の行事は倍の80キロを夜通し。大変だなぁ。
一年の頃、同級生の女の子達は、励ましてくれる三年生にポーッとなってたけど、ボーッとした男子高生だった僕は早く終われってこと以外何も考えず、ボーっと歩いてました。
物語の登場人物たちは、それぞれ様々な思いを抱きながら行事に参加します。男の子たちも超アクティブ。この行事を通して皆大きく成長していきますが、顧みて高校時代の僕の精神は、その入口にさえ達してなかったですね。残念。もう一度、高校生をやり直したくなる一冊です。 -
恩田陸はずっと読みたいと思っていた作家だったが何を読んだらいいか分からず、とりあえず一番定番だと思うものを読んだ。
高校生の物語なので当時自分が高校生だった時の記憶を思い出しながら読んだ。
学校のマラソン大会とかそういったものに真面目に取り組んだ記憶がないのでこういったものに対して共感はしにくかったが、よく言われるもう二度と高校生には戻れないんだとかそういった後悔とか切なさとかを考えてしまった。
高校生や大学生が社会の主役になるような世の中であれば日本はもっと良い国になるという持論を持っているがそんなことを改めて思い起こす読書だったが、そのなことを考えるくらいに自分も歳を取ったなあと思う。
読み終わってしばらく経ってじわじわと青春小説の気持ち良さのような感覚が芽生えてきた。
本の中の夏の朝のような空気感が自分の中にじわっと残り、すごく引き込まれる。
読んでしばらく経ってからこんな気持ちになる小説ってなかなかないと思う。 -
歩行祭という学校行事を通じて成長する少年少女を描いた、青春小説の傑作である。
歩行祭というのは目的地に向かって夜通し歩く行事であり、他に何も目的は無い。ゴールしたところで名誉が得られるわけでもなく、ただ「歩きました」という結果が得られるだけだ。
だが、その目的の無さが彼らの心を露わにさせる。歩き始めたときは垢ぬけなかった顔が、ゴールする時には憑き物が落ち、心のわだかまりや本心を誰かに吐露したような、すっきりとした顔に変化する。きっと、疲労が見栄を落とし、沈黙が自分の心を熟慮させ、暗闇が彼らを大胆にするのだ。
太陽が少しずつ明るさを弱め、暗闇が辺りを包んでいくに従い、彼らの心を覆う皮膜のようなものが一枚、また一枚と剥がされ、やわらかく繊細な核がむき出しになる。
その核は子どもと大人の境界にいる高校生特有の、薄くてもろい不定形なものである。その核が、歳を経るごとに形になり、固く頑固なものに変わっていく、それが成長というものだ。
そして夜道を歩く中でも、核は少しずつ形になり、彼らを大人に変えていくのだ。
「みんなで、夜歩く。たったそれだけのことなのにね。どうして、それだけのことが、こんなに特別なんだろうね。」
杏奈が言ったそのセリフの理由を、私は「一人ひとりドラマを抱えた子どもたちが、歩行を通して一つに混ざり合うから」だと解釈している。
始めのうちは会話が弾んでいた子たちも、疲労が貯まるにつれ寡黙になっていき、嫌でも自分の内面と向き合うときが来る。疲労と長時間の沈黙を紛らわすために、身の上話や赤裸々な噂をつい口にしてしまう。
きっと、西脇や甲田、戸田や遊佐以外の生徒達一人ひとりにも、それぞれの物語がある。他人に打ち明けるのも躊躇われるほど個人的で些細な物語が、歩行祭という行事を通じてごたまぜになる。そしてゴールを目指して仲間になった子どもたちの間で一つの形になり、友情を育んでいく。
彼らは歩行という行事を通じて、一人ひとりが抱える葛藤と、生徒全てが結ばれた連帯感を感じながらゴールへ進む。数々のドラマが、「歩行祭」という舞台で一つの形になる、それが杏奈の言う「特別なこと」なのかもしれない。
この小説で繰り返される主人公達の話は、どこまでも平々凡々なものである。好きな人、誰にも言えない秘密、親友とのつながり、自分との約束、それは概要にすればあまりにあっけなく味のないものであるが、却って彼らを高校生らしく引き立てる。そして読者も登場人物に引き込まれるように自分の気持ちを重ね、一緒に歩行しているような気分になる。
青春とはこんなにも素晴らしいものなのか、そう思わせてくれる作品だった。 -
2008年01月07日 17:19
読む時期を間違えたのか、何かついていけなかった。
高校生の会話に。
中学生でも通るような会話とも思えるんだけど、
やはりこれは、高校生の会話なんだろうか。
そう思っていたら、自分は“高校のときの友達”というのがいないということに気がついた。
だから分からないんじゃないか。とも思った。
“失われた3年間”
そんな言葉も浮かんできて、ややブルーに。
逆に、他では得られない得たものって何だろうと考えてみたけど、
具体的に答えが見つからなかった。
小説の内容にしても、ただ歩くだけというのがどうも読んでいて疲れる。
それは、作者の思うツボなのかもしれないけど、
案外、僕自身が高校生のときに読んでいればどういう感想を持ったのだろうかと思う。
残念ながら、僕が高校生のとき、この本は生まれていない。
しかし歩くということだけで、これだけの長編、会話パターン、エピソードを織り交ぜることができる作者はすごいと思う。 -
学生時代のキラキラした輝きが、大人になってから読むと懐かしく思える作品。
学校行事だるいなー なんて思っている中高生の若者に声を大にして伝えたい。あとからその体験できないぞ、と。今 生き生きとしてるその瞬間が青春ってやつなんだぞ、と。 -
舞台は高校の歩行祭という全校生徒が夜通し歩き続ける行事、期間は学校を出発して翌朝八時に学校に帰還するまでの二日間、登場人物はその高校の生徒とほんのプラスアルファのみ、大きな事件は特に発生しない、驚きの仕掛けも特になし。という物語なのに何だか夢中になって読み進めてしまったその理由は、登場人物数がやたら多かったり仕掛けだらけの設定の作品にいささか食傷気味だという個人の事情もあるが、全編通して描かれているストレートな瑞々しさに惹かれたからに他ならない。
物語のテーマが浮かび上がって来るのはやはり中盤以降だと思う。青春を謳歌してそうでいながらそれぞれの人格と悩みを抱える高校生たちがひと晩の学校行事を介して仲間と共に成長していく様子が清々しく、読後の後味が非常に良い作品だった。 -
高校の「歩行祭」というイベントの中で繰り広げられる、青春がぎっしり詰まった1冊。視点がコロコロ変わるのに読みやすく混乱しないのは恩田陸さんの凄いところ。
途中、この景色は永遠に忘れないんだろうな、と言っうような内容の文がずーっと心に残っている。
人生の岐路や、忘れたくない景色の時、自然にそう思ってしまうのはこの本に出会ってからかも知れません。
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真似して膝を痛めた。