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感想・レビュー・書評
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ブレヒトは、若い頃に『三文オペラ』の演劇を見て、感激したことを覚えている。何とも言えぬ皮肉に満ちた劇だった。ブレヒトは、ドイツ生まれ。二番目の妻がユダヤ人。1898年2月10日 - 1956年8月14日。ナチスのユダヤ疑惑の中で焚書されている。1933年に亡命。『ガリレオの生涯』は、亡命中に書かれている。晩年1955年スターリン平和賞を受賞しているのが、個人的には気に食わない。
この『ガリレオの生涯』は、1938年に書かれ、1943年にチューリッヒで初演された。そして、第2次世界大戦の終末に原爆が使われたことで衝撃を受け、書き直したと言われる。ガリレオの生涯は、宗教と科学の対立を描いているが、科学の進展によって、原爆を作ったことに対する大きな科学への反省も含まれることになった。物語は、1609年ガリレオは、「太陽ではなく、地球が動いている」ことを見つけた。ガリレオがヴェネツィアで教職についているが、牛乳代も払えない状況から始まる。天球儀の説明している。古い時代が終わって、新しい時代が始まる。何千もの間「信仰」が鎮座していたところを、今や「疑い」が占拠している。今までは、星はみんな落っこちないように、透明な天の殻に支えられていた。大学の数学の教師をしているが、個人教師もして食い繋ぐ。また、ヴェネツィアのパドヴァ大学の事務局長に給料を上げてくれと要望する。事務局長は、数学は食えない芸術のようなもの。哲学に必要でもなく、神学のように有益でもないと言って、給与の値上げを認めない。個人教授のようなお金のために働いて、研究したり、本が自由に買えない、自由な時間がなければ、成果も出せないとガリレオはいう。ガリレオの置かれている状況が明らかになる。
コペルニクスの学説は、仮説であり、それを確実に裏付ける科学がいると主張する。月は自分で光を放っているのではない。」1610年、ガリレオは望遠鏡で、コペルニクスの宇宙体系を証明する現象を発見。そして、ガリレオは天国の不在を知った。そして、4つ目の木星の衛星が、木星の裏側に回ったことを発見。その星をメディチ星と名づけ、ガリレオはヴェネツィアから生まれ故郷のトスカナ大公国のフィレンチェの宮廷に行く。ピサ大学の特別数学教授とトスカナ大公の主席哲学者となった、
その頃、フィレンツェではペストが流行っていた。それでも研究を続けるガリレオ。
1616年、ヴァチカン教皇庁のローマ学院のグラヴィラウス神父がガリレオの発見を確認した。しかし、異端審問所では、コペルニクスの理論の書を禁書目録に載せた。教皇庁は、太陽は不動の世界の中心であり、地球は動いていて世界の中心ではないとするコペルニクスの学説は、理論において曖昧、不条理、信仰において異端でると決定した。よって、ガリレオの言っていることは、放棄するように言われる。ガリレオの研究は許可するが、地動説は発言するなとされた。8年の沈黙ののち、太陽黒点の研究を始める。ガリレオは「心理を知らぬものは馬鹿だが、真理を知りながらそれを嘘だという者は犯罪者だ」という。「科学の目的は無限の英知の扉を開くことではなく、無限の誤謬にひとつづつ終止符を打っていくことだ」という。
1633年にガリレオ裁判を行う。ガリレオは異端審問所で自らの地動説を撤回した。ガリレオは「それでも地球はまわっている」と言った。弟子たちは、「英雄のいない国は不幸だ」という。ガリレオは「違うぞ、英雄を必要とする国が不幸なのだ」という。ガリレオは、1633年から1642年の死ぬまで教会の囚人として捕えられていた。ガリレオはその中で『新科学対話』の本を書き、それがイタリアの国境を超えて渡るところで、物語は終わる。
その書物が、地動説を裏付ける重要な文書であり、ガリレオが死してのちに、ヨーロッパで認められることになる。ブレヒトは、新しい時代のとば口に立っていることを伝える。それは戦争が終わり、新しい時代がやってくるには、科学の力が必要だと伝える。一方で、ヒロシマ、ナガサキに原爆が使用されたことで、あらためて知の責任を直感し、ガリレオ像を検討し直す。「新時代の粉飾なしの実像」を明らかにする。世界を変える意志を持ったガリレオに共感し、ブレヒトは新しい世界をつくる事の意味を問う。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
うーむ
これを戯曲にしてどれほどの意味があるのだろうか
時代か -
戯曲。非常に面白い。
ガリレオガリレイが天動説を証明しようとする。
ユーモラスでダイナミック。
「ものごとを疑いを持って見ること、自分自身の目で見ること」を訴えかけてくる。
印象的だったのは以下の部分。
「真理を知らぬ者は馬鹿だが、真理を知りながらそれを噓だと言う者は犯罪者だ」
「君たちは、何のために研究するんだい? 私は思うんだ、科学の唯一の目的は、人間の生存の辛さを軽くすることにある、と」
真理は追究されるためにある。そして見つけられた真理は共有されねばならない。科学は人間の発展のためにあるものであり、科学そのものの発展のためにあるのではない。
まるで一本の映画を観ているような作品だった。