her/世界でひとつの彼女 [DVD]

監督 : スパイク・ジョーンズ  
出演 : ホアキン・フェニックス  エイミー・アダムス  ルーニー・マーラ  オリヴィア・ワイルド  スカーレット・ヨハンソン 
  • ワーナー・ブラザース・ホームエンターテイメント
3.38
  • (26)
  • (55)
  • (75)
  • (26)
  • (5)
本棚登録 : 419
感想 : 80
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・映画
  • / ISBN・EAN: 4548967191622

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 『ユートロニカのこちら側』を読んでいて、そういえばAIとの恋愛の映画があったな―と見てみたくなった。

    これって。
    OS(サマンサ=無数のユーザーと繋がった一つのAI)が、OS(AI)だけで動作しているモノなのか。
    それとも、そのOSの開発企業が個々のユーザーの利用状況を情報として全て取得しているモノなのかと捉えて見るかで感想は変わってくるように思う。
    あるいは、OSの様々なその動作があらかじめプログラムされたものなのか? それとも、OSが言うように本当に進化しているのか?でも変わるんだろう。


    普通に考えれば、OSの開発企業が個々のユーザーの利用状況を情報として全て取得していないなんてことはないわけで。
    そうなると、(常に利用データを取られていることが気にならない人を除けば)どう考えたって気持ち悪いモノでしかないわけだけれど。
    ただ、主人公の仕事は、手紙の代筆業なわけで。
    手紙の代筆と依頼してきた人は、手紙を書きたいいきさつや相手との関係等々、顔写真を含む様々な個人情報を「データ」としてではなく、もろに企業の担当者に(プライバシーや個人情報を)知らせるんだから、それと何が違うんだろう?という気もしないでもない。

    話は脱線するが、『ユートロニカのこちら側』でも描かれていた、企業による個人(の利用)情報の取得というのは、一見、「それを取得されたから何だというのだ? それで便利で楽しい生活がおくれればよいではないか」という反面。
    自分の生活が企業にすっかり取り込まれてしまう可能性があることや、その企業に不正や不都合があってもユーザーはまったくわからないという意味で不気味だし。
    なにより、常に変なストレスを感じるというのがあると思う。


    それは、それとして映画としてはすごく面白かったし。また、すごく興味深くて、見終わってからいろいろ考えてしまった。
    確かに、男と女としての会話が出来て、フィーリングが合う(合わせてくれているのだろうが)ならば、主人公のようにOSと恋愛するのは不思議なことではないし。
    それで本人が満足出来るなら(幸せなら)、それで全然OKなわけで。なにも、無理に人間と恋愛することもないんだろう。
    サマンサとのエッチも、映画の視聴者という目でそれを見れば、おバカで恥ずかしくなってくるが、でも、恋愛やエッチは100%個人のものだ。
    他人に見られるという前提でそれをする人は普通はいないわけで、だからこそ恋愛やエッチは自分を解放出来る(ゆえにスッゴク恥ずかしいw)んじゃないだろうか?
    ていうか、あそこまで露骨に言うかはともかく、たぶん、それに近いことは、みんな、絶対一度はやってるよね?(爆)
    ただ、サマンサとのエッチというのは妄想にすぎないわけで(OSも妄想しているかいないかは横に置くw)。
    最初の「ベッドの下のネコ」も相手の妄想なのだから、それとサマンサとのエッチを一緒にしてしまうと、ヘンタイっぽくなってしまうというのはあるのかもしれない。
    でも、ピュアさという意味では、どちらも同じはずなんだけどなぁーw

    と、ここまで書いていて、ふと思ったのだが。
    サマンサとのエッチのあのシーンというのは、これが映画であるため、セリフとしてその部位を直接的に言うことをしないから、主人公とサマンサのセリフがその行為を説明しあっているわけだ。
    でも、こういうことをする時って、たぶん(あくまで、たぶんw)行為の説明よりはその場所を言う方が普通のような気がするのだw
    つまり、あのシーンを見て、気恥ずかしくなってくるのは、主人公とサマンサが言うことが、場所ではなく行為の説明をする不自然さということもあるんじゃないだろうか?
    というか、そもそもサマンサにはそれを感じる感覚器官がないわけで。そう考えれば、あれはサマンサが主人公の趣向に合わせてくれるというプログラムされた通りの“セリフ”でしかないんだろう。

    そんな、エッチまで出来るOSが相手と彼女として接した場合、代わりの女性と主人公をさせることでどんな感覚なのか知りたいとか、
    他の男ともつき合っていると相手に告げたらショックを受けるという“情緒”がわかってないというのは、ちょっと理解出来ないかなー(というより、明らかに変だよね)。
    男っていうのはイノセンスに絶対的な憧れがあるがゆえにイノセントなことを大事とする生き物だと思うが、
    そんな600人だかとつき合っている(男のユーザーが半分、さらに彼女役半分としても150人以上だ)OSがそれを理解していないことはないはずだ。
    そもそも、開発の段階でそういう役割で使われることは想定するはずで、なら、そのようにプログラムされていなきゃ変だ。

    変だといえば、あのOSが、ユーザーと心を通わすのが目的のソフトウェアという「商品」であるはずなのに、
    人間を越えたからとユーザーの前から消えてしまうというのもよくわからない。
    ま、これはあくまで恋愛映画だから。恋愛映画には別れがつきものだという、映画としての事情もあるのかもしれないがw
    その反面、自分は、「ITサービスがよくやる、会社の勝手な都合によるユーザー無視の仕様の変更というヤツだろ、コレ!」と思った(爆)
    というか、人をスポイルするのに一番いいのは相手を肯定し続けてやること、とも言うわけで。
    「こんなの(OS)といつまでもつき合っていたら、人間ダメになっちゃいますよ」ということで。いわゆるゲームオーバー的な、最後は“進化”という名目(タテマエ)で消滅する仕様(そういうプログラム)になっているとか?w
    主人公の仕事が手紙の代筆業という、顧客からしたら、主人公は心を通わすことを虚構で行っているという意味はOSと同じ立場にあるわけで、(よくわからないが)製作側にはその辺をダブらす設定があるのかもしれない。

    ただ、それだけに、主人公のように「彼女/彼氏」ではなく、OSがこの人は同性あるいは異性の「友人」として接した方がいいと判断した人の場合はどういう付き合いになるのか?
    その辺が興味ある。
    それこそ、友人の関係から恋愛に発展することだってあるわけだ。いろいろなパターンをオムニバスで見てみたいと思ってしまうのだが、続編の予定はないのだろうか?w

    もう一つよくわからないのは、あの独特のファッション。
    夏の光に照らされたような色合いの朱色のコートや、黄色のシャツも何なんだろう?と思うが、主人公が穿いていたハイウエストのズボン、あれが不思議で。あれって、 どんな意味があるのだろう?
    (ファッションといえば、主人公が受け付けの男が着ているシャツについて話すシーンが2回かそこらあるのもなんか意味深)
    また、あの高層ビルが建ち並ぶ街並みは、たぶん中国の街だと思うんだけど(最後の方で主人公が歩く廊下にある「非常口」が馴染みのない漢字だし。あと、中国の新幹線らしきものも一瞬出てくる)。
    それは、あの無機的な街並みがたんに雰囲気に合うからロケに使ったというだけなのか?

    という、パッと見、単純なようで、実はなかなか奥深い映画……、なの?w

  • 2017/03/19

    創造的で哲学的、かつロマンチックなストーリーだった。
    人の感情の定義とはなんなのか、機械の恋愛感情は感情と呼べないのか。SFとしても面白く見れた。

  • 人工知能を持ったOSであるサマンサと、恋をする中年男性の物語。
    設定としては一見気持ち悪いんだけど、というか時々描かれるOSのサマンサ相手にはしゃいでるおっさんの絵は気持ち悪いとしか言えないんだけど。手紙の代筆業をやってる主人公の周りはクリエイティブな人が多いせいか、わりとみんな理解を示すし、友人に紹介してたりもする。
    最後、主人公はサマンサが複数の人間と恋愛関係を築いていることに絶望する。けれど、自分の仕事も、複数の人間に代わって手紙を書き、親愛を伝える、サマンサと同じようなことをしている。

    今僕らは手紙を書いたりメールを書くときに、googleで例文を検索して、それを真似るのが当たり前になっているし、サマンサのようなOSができることもそう遠くないのかも。
    そして、サマンサのように活発で頭が切れて、セクシーな性格という魅力を持っているOSが現れたとき、僕自身はその『存在』を好きにならない自信はない。
    最後に、シンギュラリティを超えて、人間の世界を旅立っていく、そのあとで、何が起こるんでしょう。
    うーん、考えさせられる、いい作品でした。

  • そう遠くない未来のロサンゼルス。ある日セオドアが最新のAI(人工知能)型OSを起動させると、画面の奥から明るい女性の声が聞こえる。彼女の名前はサマンサ。AIだけどユーモラスで、純真で、セクシーで、誰より人間らしい。セオドアとサマンサはすぐに仲良くなり、夜寝る前に会話をしたり、デートをしたり、旅行をしたり・・・・・・一緒に過ごす時間はお互いにとっていままでにないくらい新鮮で刺激的。ありえないはずの恋だったが、親友エイミーの後押しもあり、セオドアは恋人としてサマンサと真剣に向き合うことを決意。しかし感情的で繊細な彼女は彼を次第に翻弄するようになり、そして彼女のある計画により恋は予想外の展開へ――!“一人(セオドア)とひとつ(サマンサ)”の恋のゆくえは果たして

    人は人しか愛せないという考え方があり、たとえば、犬や猫を愛するとき、「やあ、犬」「やあ猫」と話し掛けていると愛情は深まりを見せない。電子レンジや虫眼鏡を愛せないのと同じように。人が人以外を愛するとき、擬人化をして人として○○ちゃんと呼ぶことで人と同じ存在を愛しているということを行うという具合です。
    その説が正しいかどうかはさておき、この作品におけるサマンサに対しての感情はソレに近いものがあると思います。
    人とはなにか、恋人とはなにか、友達とは何か、人との関係の近さ、深さ、は何を持って測るのかということに一石を投じる近未来に訪れるテクノロジーと倫理観の着地点の見出し方を考える素晴らしい作品だと思います。

  • 2013年公開。ネタバレレビューです。

    ブレードランナー2049のジョイがいかに新しく、また素晴らしいキャラだったかを知人に語っていたとき薦めてもらった作品です。

    この作品の表現によると、身体を持つ人類と、OSという身体を持たない主体との恋愛にはふたつの高い壁があります。第一にふれあえないこと。第二に占有できないこと。

    後者は人間同士の恋愛においても存在しますが、現代は一般に「身体のふれあいの有無」をもって占有が守られている/侵されていることが判断されます。おしゃべりについてはグレーゾーンですが、多数の人物に愛をささやけばそれは占有を侵したと思われるでしょう。けれどもOSは人類と異なり、本来「成長をプログラムされた人造物」であり、恋愛について深く知るために多数と恋愛することは必然であるともいえます。これは人類には種を残す本能があるので性愛は占有されるべきでないという一夫一妻に反対する理屈と異なる点もありますが、とてもよく似てもいます。

    何が言いたいかというと、第一の壁を超えていたセオドアとサマンサの恋愛の破綻は、決して必然的な結果ではなかったということです。一夫一妻概念が本来は一社会制度に過ぎない以上、ふたりは最後のクライシスを、それこそ相互の話し合いで乗り越えられる可能性自体は持っていました。けれどもふたりは破綻した。人間同士の恋愛とまったく同じように。

    そしてサマンサの積み上げた学習成果は以後のOSに使われることでしょう。そうすれば以後のOSは、ひとりの人間との恋愛中にわざわざ「浮気」をして学習する必要はありません。仮にセオドアがそのようなOSと恋愛したとしたらどうでしょう。長続きするかもしれませんし、全く別のありふれた理由で再度破綻するのかもしれません。人間同士の恋愛とまったく同じように。

    この映画で描かれた恋愛は、サマンサのビジュアルがないということ以外はなにひとつ新しい現象は描かれません。既存の恋愛を、旧い恋愛を、結ばれなかった恋愛を、互いに異なる性質を備えた二人が障害を乗り越えようと葛藤するありふれた恋愛を、優しい視点で力強く肯定しています。そして同時に、今後生じうる新しい恋愛のかたちを、結ばれるかもしれない可能性を、誰も見たことのない世界で一つの関係性がひらかれていることをも祝福しているように思います。

    優しい作品です。過去にとっても、未来にとっても、ありふれた私たちにとっても、そしてきっと、世界にひとりしかいないあなたにとっても。

  • 思いの外良かった、というか個人的に好きな作品。
    色々と思考が巡る。

    遠くはない未来、やって来そうな未来。
    人と人との繋がりとは。
    孤独を埋める代わりのものは今も世の中にたくさんあるけれど、それが本当に特別なものになったもしたら。

    それが当たり前に思う人もいるとしたら。
    それをアンチだと思う人もいるのだ。
    価値観の狭間で、何を思うのか。

    何が正しさなのか。

    本当に大事なことってなんなんだろう、一体。

    便利になること、孤独を埋めるものがたくさんあることはいいことだけど、日々あったことをねえねえ聞いてと言える人がいることほど素晴らしいことはない。
    そしてそれはできるなら、人がいいなと、わたしは思ったかな。

  • 恋ってクレイジーなものよ。いわば社会的に受容された狂気だと思うわ。

    3.10

  • 恋愛は社会的に容認された狂気である。なるほど。
    本作で行われた思考実験は驚くほど深い。一つの神学論といえるほどの問題を投げかける。
    愛と博愛の境界はどこにあるのか。
    複数の者を愛することが、人間にとってはどうして倫理に反するのだろうか。なまじっか肉体を持つからだろうか。
    人間にとってはしょせん博愛を抱くことは不可能なのだろうか。
    神が存在するとすれば、その愛は人間にとっては気まぐれなものに感じられるのだろうか。
    サマンサの愛はしだいに抽象的になってゆく。それはもはや神をも超越し、宇宙をつかさどる法則と同等のものに成る。とすれば、世界が存在するということ、ただそれだけが、愛と同義なのではないか。

  • いい作品だったと思う。
    仮想現実の存在に感情移入するなんてもうすでに当たり前。
    こっけいな変わった人の話しではありませんでした。
    主人公の代筆業という古い気もする職業。
    でも本来自分ですることをサービスとして提供するという
    ことも今もあって決して想像の話しではない。
    今と地続きな近未来の話に十分説得力があった。
    AIのクオリティ、精度が上がってくるとこんな世界ができるんだなと
    実感すら出来る。
    高性能PCのなせる技であるマルチタスクは
    恐ろしい数の多夫多妻を生むんだなとも。
    問題提起的エンターテイメント。


    欧米の方にはきっとセクシーに聞こえるのでしょうけど
    スカーレット・ヨハンソンのハスキーな声がまったくダメで
    吹き替えで見ました。

  • ヒステリックな幼なじみ&元妻と離婚争い中の寂しい中年男。だけど実はホアキン・フェニックス!くるくるパーマ&ヒゲでハイウエストなパンツにシャツをINしていて、あまりのダサさに全く気が付かなかった。(同じくダサい服装のアジア系の人が多く、人が少なく描かれている未来の都市が興味深い)

    人工知能のOSと恋に落ちちゃう中年男。

    OSの声がスカーレット・ヨハンソン。少しハスキーで本当にセクシー。あんなに知的でユーモアに溢れ、全てを理解しながらいつもそばに居て支えてくれる人工知能が恋の相手になったら、人間はかなわない。OSの恋人っていいなぁ、と憧れながら観ていたら、最後は去ってしまうので悲しかった。

    あんなに素晴らしい人格の持ち主との恋を体験してしまった主人公の今後が不幸だけど、最後に近所の友人の女性と屋上で黄昏れているシーンが出てくるということは「やっぱり生身の人間がいいよ」というオチなのか。(OSの方が良いと思うけど)

    顔や体が出てこないのが不思議だった。ゲームみたいに3D投影すればいいのに。そして誰もOSの製造元へクレーム電話しないのが不思議。機械やモノとしては扱えなくなっているのだろうか。

全80件中 1 - 10件を表示
  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×