- Amazon.co.jp ・電子書籍 (310ページ)
感想・レビュー・書評
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30年ぶりの再読。最後のとてもユング的なひとことだけが記憶にあったのだけど、すごく濃密でよかった。
たしか「真の名」というものに言及があったよな、と思っていたんだけど、言及があるどころか、それこそがメインというか。この、真の名を知ってそれを呼べば相手を支配できるというのは、どこの文化からきた思想なんだろう。ネイティブアメリカン? 「千と千尋の神隠し」などのように、名前が重要な役割を果たしている児童文学はいろいろあるので、興味深いなと思っている。
不安を感じながらも「おまえ、怖いんだろう」と挑まれたことに反発して影を呼びだしてしまう若き日のゲド。それに対し、本物の恐怖と敗北を知ってからのゲドは、自分の不安を直視し、人に対しても率直に「こわい」と認めるようになる。それこそが成長なんだろうな。
いろいろな深さを持った本。あらためて読めてよかった。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
Dainさんの「スゴ本」本を読んで、実は僕もゲド戦記読んだことがなかったため、触発されて読んでみた。妻が息子に買い与えてたのを知ってたんだけど、「あんたは多分好きじゃない」と言われていた。うん、妻さすがに分かってるw ただ、何がそう思わせるんだろう。少年の成長物は好きなのに、なんか自業自得感で一杯なところだろうか。「王道」と違って、結局1人なんだよね、ハイタカって。自己の中にある暗い面、悪い面、目を背けたくなる面も自分なんだという教科書的な読み方も出来るけど、それもなぁ。どうせなら原書にしようかな。
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筆者の訃報に接して再読。
”自分がしなければならないことは、しでかしたことを取り消すことではなく、手をつけたことをやりとげること”――この言葉は、今も私に力をくれる。
見習い魔法使いのゲドは、自分の力を過信し、高慢と憎しみから禁じられた魔法に手を出してしまう。自分が呼び出してしまった正体もしれない強大な影と戦うしかない日々が、そのときから始まる。その戦いを終わらせるのは勝つことでも、負けることでもなかった。
自分の影が暴れ出しそうなとき、この本は心の根っこを下支えする養分になってくれます。 -
ジブリ映画の「ゲド戦記」しか知らず、ル=グウィン作品も恥ずかしながら、そして遅ればせながら初めて読んだ。映画「ゲド戦記」はアレンと共に旅をする第三部にあたるそうだが、本作は第一部。若き頃のゲドの修行の日々と、自ら生み出した影との対決を描いている。
巻末の解説に作家であり批評家のエレノア・キャメロンの言葉が引かれている。「ゲドを苦しめた”影”はふだんは意識されずにある私たちの負の部分であり、私たちの内にあって、私たちをそそのかして悪を行わせるもの、本能的で、残酷で、反道徳的なもの、言いかえれば、私たちの内にひそむ獣性とでも呼ぶべきものではないか」。
ゲドはその影から逃げるのではなく、むしろそれを追跡し、その影を己の中に再び取り込むことによって全き人間となる。”自分自身の本当の姿を知る者は自分以外のどんな力にも利用されたり支配されたりすることはない”と書かれているように、影との戦いとは、心の成長をファンタジーの形式を借りて象徴的に表現したものなのだろう。
師匠オジオン(オギオン)は若きゲドに対して、
「種を見ただけで、すぐにそれがエボシグサかどうか、わかるようにならなくてはいかんぞ。そうなってはじめて、その真の名を、そのまるごとの存在を知ることができるのだから。用途などより大事なのはそっちの方よ」
「聞こうというなら、黙っていることだ」
等とも語るが、作品世界の中に我々が生きていく上で大切な心構えが他にも多く盛り込まれている(だからこそ、今なお読み継がれているのだろう)。
船の故障にも気を払いながら、いつ影が襲いかかってくるか分からない緊張感ある航海、そして貧しい漁村を巡るゲドの旅はどこか「DREADGE」にも通じるものがあった。 -
ファンタジーといえば魔法!この物語では、魔法は代償を伴うものだと知る。便利が無限に続くなんてことはやっぱりおかしくて。均衡のバランスを崩してはいけないんだ、現実も。
影という、得体の知れない恐怖は逃げても逃げても追ってくる。でも、向き合う勇気を持てば、形勢逆転。今度は恐れていた影を追うことになる。光と影は表裏一体。本来恐るものでも、逃げるものでもない。認めて、受け入れる。それでようやくスタートラインに立てる。自分の影はどんなカタチなんだろうか。
この物語で、好きなところは、本当の名前がある、ということ。真の名前。それはむやみに人に教えてはいけない。弱みになってしまうから。でも、大切な人にはその名を伝えよう。たぶん、名前とは、唯一無二のその人をあらわすもので、真の名前の前には嘘も通用しないし、隠れることも出来ないんだ。
カラスノエンドウはいいやつ。彼のような親友がいたら幸せだ。
オタクもかわいい。言葉を持たない者たちの愛の深さたるや。一緒にいることが信頼の証。
2021.05.03 -
2022/3/31読了。
なんだかひどく薄っぺらい国産ファンタジーを読んでしまったので、その口直し。
学生の頃に岩波の同時代ライブラリーに入っていたのを読んで以来の再読だが、いまだに同時代で通用する、というか、僕が学生だった頃よりも遥かに今の世の中のほうに通用する作品だと思った。
インフラやテクノロジーや法や権利といったある種の魔法を手にして濫用し(それ自体は素晴らしいもののはずなのに使い方を誤って)、自分が己の「影」を呼び出してしまったことに気づかず、したがって「影」と戦うこともなく、知らぬ間に「影」に支配されてしまっている人を多く見かけるようになったと僕には思える、今の世の中のほうに。
もちろん本書に今の世の中のことなんか書かれていない。しかし読み手に多少の読解力があれば、今の世の中や自分の人生に深く通じることがいくらでも読み取れる。読み取りやすいようにファンタジーというジャンルが選ばれている。つまり本書には書かれていないけれども書かれていることがたくさんあって、子供でも読み取れるような仕掛けがきちんと施してある。そういう作品を一般的には児童文学と呼ぶ。
もうそういうのは面倒くさい、キャラクターの冒険やいちゃいちゃだけ楽しんでいたい、ゲームでお馴染みのよく知ってる異世界でストレスなく遊んでいたい、というニーズに応えるファンタジーも否定はしないし大事だと思うけど、読み手の読解力や想像力次第で現実の社会なり人生なりを照射する力を引き出せるハイ・ファンタジーの読み応えも、僕は好きだ。 -
魔法使いの世界。
自らの傲慢さゆえにゲドを苦しめる影を世に解き放ってしまう。
その影から逃れるのではなく、戦うことを決めたゲドは、その影を追い求めて未開の地まで足を踏み入れる冒険小説。
一人歩きする影のせいで風評被害を受けることも。
最終的にはこの傲慢さはゲド自身の影であり、その負の側面すら自分のこととして受け入れることで全き人間になれましたね、となる。
ゲドの物語は、人間誰しもに当てはまる物語。
とてつもなく深い話。
その発想力に衝撃を受ける作品。 -
登録者:高石
おすすめポイント:XXXX -
アーシュラ・K・ル=グウィンのファンタジー小説「ゲド戦記」の第一巻。本書は、魔法の世界アースシーに住む少年ゲドが、自らの影との戦いを通して成長していく物語です。
本書の主要なテーマは、「まことの名」です。舞台となるアースシーの世界では、すべてのものには「まことの名」があり、それを知る者はそのものを支配できます。ゲドは、魔法の学院で「まことの名」を学びますが、自分の名前を知らない者は自分自身を支配できないことも教えられます。不幸なことに、ゲドは自分の名前を知るために禁じられた呪文を唱えてしまい、自分の影を呼び出してしまいます。その影は、ゲドの恐怖や傲慢さなど、自分の内面にある暗い部分を象徴するものでした。自ら呼び出してしまった影から逃れることができず、ゲドは追われる身となります。そして、この過程で自分自身や他者と向き合い、やがて自分の名前を見つけることになるのですが・・・。
この本を読んで私が感動したのは、アースシーの壮大な世界観です。アースシーは、アーキペラゴと呼ばれる大小さまざまな島々からなる世界で、各島には独自の文化や風習があります。ゲドが旅する島々は、それぞれに特徴的な風景や人々や生き物が登場し、その多様性に私は驚くばかりでした。また、アースシーでは魔法が日常的に使われており、それらはこの物語が持つ深みや神秘性に一役買っています。例えば魔法は、「まことの名」に基づいて効果を発揮するため、言葉と物事との関係性がカギになってきます。ゲドは、魔法を使うことで多くの危機や災難に遭遇しますが、同時に魔法を通して自分や世界を理解することも試みていくわけです。
他に特に心に残ったのは、ゲドが影と対峙する場面です。この場面はクライマックスでもあるので詳細は書きませんが、「まことの名」が自己受容や和解の象徴となっていて私は物語に一気に引き込まれました。
ファンタジーや成長物語が好きな人には、ぜひ本書を読んで欲しいです。ファンタジー小説が好きな人は、アースシーの世界観や魔法に魅了されるでしょうし、成長物語が好きな人は、ゲドの内面の変化や人間関係に共感できると思います。自分自身や他者との関係性や、言葉や物事の本質について考えさせられる内容でもあるため、子供だけでなく大人の鑑賞にも十分こたえてくれる作品です。