忘れられた巨人 [Kindle]

  • 早川書房
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感想・レビュー・書評

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  • 忘却の霧のせいで、近頃人々の記憶がところどころ失われている。夫婦の間の懐かしい思い出も、いくらか消えてしまったようだ。そんな曖昧な世界の中を旅する老夫婦の冒険物語。長く連れ添った愛する人と手をとりながら、いろいろな人との出会いを頼りに手探りで歩んでいく。それに呼応するように、文章には事実と断片的な回想とが入り交じり、序盤から中盤は茫漠として戸惑う。また時代や宗教的な背景への知識不足のために理解が追い付かない部分もある。そんな難しさもあって読み進めるのにかなり苦労したが、頑張って読んだ甲斐があった。色々考えさせられる厳しいテーマだが、希望もある。読んで良かった。

    舞台は、アーサー王没後すぐ(解説によると六世紀くらい)のブリテン島。そもそもアーサー王自体実在性が怪しい神話的な人物だが、当たり前のように鬼やら竜やら妖精やらが登場する。源氏物語にも生き霊が出てきたりするし、ファンタジーというよりはそういう世界認識の時代なんだとも捉えられる。

    ※もし「ブリトン人とかサクソン人とかが意味不明でめげる」という場合は、漫画家山田南平さんのブログの「サクソン人って誰?」という二〇一八年五月の記事を一読することをおすすめします。

    もうちょっと踏み込んで、私の解釈であらすじをむき出しに紹介すると次のようになる。
    タイトルの「忘れられた巨人」とは、地中に葬り去った民族殺戮の歴史の記憶だ(原題は"The Buried Giant"なので、直訳すれば「埋められた/埋葬された巨人」)。
    殺戮の果てに国家平定を成し遂げた為政者は、平和の定着のため、その歴史に蓋をして前に進むことを選んだ。過去の暴力を人々の記憶から消し去るのだ。その企みは概ねうまくいっていたが、殺戮された側の人間は、正義と復讐を成就させるべく(あるいは、そういった人々の感情を利用して新たな欲望を満たすべく)、そのからくりを暴き、破ることに成功する。かくして土の下の巨人は目を醒ますこととなり、忘れられていた憎悪や怨恨がむくむくとよみがえり暗雲のように立ち込めて、地上が再び闇に閉ざされる未来が予見される……。

    と、まるで、政治活劇、偽りと復讐の二者択一、いずれもバッドエンド、という様相だが、作者はここに、主人公である老夫婦や彼らと出会う戦士や少年等の個人の人生をも丁寧に描くことを通して、確かな希望も提示していると私は思う。生身の人間同士が共に過ごすことの積み重ねでしか生まれない何か。共に過ごすことにより、時間はかかっても必ず生まれる何か。これが、私たちを良い道に導いてくれるはずだという希望。最近読んだ『クララとお日さま』にもそんな何かのことが語られていた気がする。

    物語内で霧が晴れるにつれて、読者の私も、これまで曖昧に読み進めてきた物語の筋道がクリアになっていくのがわかる。何が問題提起されているのかを認識する。スタートはここからだ。

  • ・この著者の作品をよんだあとは、記憶のたよりなさが恐ろしくなる。
    ・人間の感情にあわせて変化する場の空気の表現が上手い。

    • 中尾さん
      カズオイシグロのぼやかしだったり隠喩って絶妙だよね。初めて作品読んだ時、結構衝撃だった
      カズオイシグロのぼやかしだったり隠喩って絶妙だよね。初めて作品読んだ時、結構衝撃だった
      2022/10/21
    • ともひでさん
      たしかに。もっとも、ほとんど気がつかずに、読み流しているが笑
      たしかに。もっとも、ほとんど気がつかずに、読み流しているが笑
      2022/10/21
  • 結構前に読んだ記憶を掘り起こしてみる。
    老夫婦が息子を探しにドラゴン退治する。そんな話しだったと思うが、とても温かく靄のかかった愛を感じる印象が未だに残っている。
    Kindleの電子書籍しか持ってないから、ハードカバーと文庫両方揃えてしまおうか。今の積読が終わったら再読しよう。

  • 『分かち合ってきた過去を思い出せないんじゃ、夫婦の愛をどう証明したらいいの?』

    記憶にまつわる幻想的な冒険譚。暗くないのに暗い、優しいのに悲しい、この人が描く物語には独特の重たさがあって、本作もずーんとくる。

    命と記憶、どちらかを奪われるとしたら。
    「私」をなくした私は、誰として生きるのだろう。その時、「私」は生きているのだろうか?

    思い出と歴史がまじりながらその断片を時折投げ返してくる。忘れながら見ていた夢から覚めていくラストまで、「記憶」のことが頭から離れない一冊でした。

  •  幻想的な世界観で、記憶に霧がかかったという設定をうまく表している。ファンタジー要素が強く、おとぎ話の中の現実と文学的なメタファーの境界が溶けて滲んでいる。何かしら示唆されているのだろうなと思っても、難しくて私には捉えきれなかった。読書会とかで他人の解釈とか、文学通の開設を聞いてみたいなと思った。

    特に解せないのは以下の点。
    ・少年に最初に傷をつけたのは何だったのか?
    ・少年が縄を解いてやった少女は何だったのか?

    年をとったら、また読んでみたいと思う。忘却と許しがあったもの、反芻により濃くなった怒りや恨みが残ったっものがより顕著になるであろう年代が読んだら、また違う感想になると思う。


    ちょうど漫画の「進撃の巨人」を読んでいたので、言及せずにはいられない。過去の暴力・戦争、憎しみあい、意図的な忘却、敵対勢力間に芽生える個人的な友愛感情と両作品に共通する要素が多い。「進撃の巨人」の種本かと思ったが、「忘れられた巨人」の方が後進だった。

  • 「忘れられた巨人」(カズオ・イシグロ : 土屋政雄 訳)を読んだ。「わたしを離さないで」は嫌い、「日の名残り」は好き、「充たされざる者」は途中で挫折、と作品ごとに私の中での評価がバラバラなイシグロさんですが、この作品については、『嫌いではないが悲しすぎるだろ!』というところかな。

  • 国を覆う霧により、記憶が薄れていく老夫婦は息子を探す旅へ出る。その道中に出会う人たちとの邂逅や試練を経て、ふたりは不確かな愛を確かめ合う。ファンタジー色が強いようでいて、だからこそリアリズムが際立つ。平易な文でありながら、世界像を捉えるのは難しい。

  • 引き続き、カズオ・イシグロ『忘れられた巨人』を聞き始める。近所にいる鬼が時折村人に悪さをするほど昔のブリテン島の片田舎。ログを書いて残す習慣のない村では、過去を振り返る人もなく、記憶はいつもあいまいだった。アクセルとベアトリスの老夫婦の物語はまだ動き出さない。

    オーディブルはカズオ・イシグロ『忘れられた巨人』の続き。

    わずか1週間前の出来事でもともすると忘れてしまいがちなアクセルとベアトリス。アルツハイマー病でも、為政者や司祭による洗脳でもないとすれば、その忘却の原因は何なのか。2人はそれを確かめるべく、おぼろげに記憶に残る息子に会いに、旅に出る。

    雨宿りのために立ち寄った廃屋で出会った鳥のような小さな老婆と背の高い痩せた船頭は、解釈の違いこそあれ、記憶をなくしたわけではなかった。では、以前に村にきた黒いボロを着た旅人の女が語ったという「この国は健忘の霧に呪われている」という言葉の意味は?

    オーディブルはカズオ・イシグロ『忘れられた巨人』の続き。

    カズオ・イシグロの作品を読むときは、ちょっとした違和感があとで大きな意味を持ったりするので、「霧」の中に放置しておかないように気をつけて読み進めないと、と思うと緊張する。この独特の緊張感が持続するところが、たぶん、かれの作品の醍醐味でもあるので、上手に付き合いたい。エドウィンの傷と、思わせぶりな戦士ウィスタンの言葉。エドウィンの頭の中で反芻される老ステッファの、ある種の呪い。記憶をなくす「霧」の正体は、神様の忘れ物?

    オーディブルはカズオ・イシグロ『忘れられた巨人』の続き。

    「間違っていたら言ってください。思うに、この修道院では、僧が順番に体を野の鳥に差し出すのが習慣になっているんでしょう。それは、かつてこの国で犯され、罰せられないままできた悪行への償いになるこおとを願ってのことでしょうし、いまわたしが目の前にしている醜い傷も、そうしてできたものではないのですか。しかし、それで生じる苦しみなど、どうせ信仰で癒やされ、痛みは和らぐのでしょう。あなたの顔のひどい傷を見ても、わたしは哀れみなど感じません。最悪の行為をベールで覆い隠しておいて、どうしてそれを償いなどと呼べるでしょうか。あなた方キリスト教徒の神は、自傷行為や祈りの一言二言で簡単に買収される神なのですか。放置されたままの不正義のことなど、どうでもいい神なのですか」
    「私たちの神は慈悲の神です、羊飼い殿。異教の徒であるあなたには理解しがたいかもしれません。その神に罪の許しを乞うのはーー罪がいかに大きいとしてもーー愚かな行為ではありません。私たちの神の慈悲は無限です」
    「無限の慈悲を垂れる神など何の役に立つのです、神父。あなたはわたしを異教の徒とあざけるが、わが祖先の神は法を明確に示し、その法に背いた者を厳しく罰する神でした。あなた方キリスト教徒の言う慈悲の神のもとでは、人は強欲に衝き動かされるまま、土地を欲しがり、血を欲しがる。わずかな祈りと苦行で許しと祝福が得られるとわかっていれば、そうならざるをえません」
    「この修道院にも、いまだにそう信じている者が確かにいます、羊飼い殿。しかし、これは申し上げておきましょう。ニニアンと私はとうの昔のその幻想を捨てていますし、私たち二人だけに限ったことではありません。神の慈悲を悪用してはなりません。しかし、この修道院の兄弟たちにはーー院長を含めーーそれを認めようとしない者が少なくありません。あの檻と不断の祈りで十分だといまだに信じています。……」

    社会を安定させるには、対立する利害を調整するためのルールが必要なのは誰でもわかること。問題はそのルールを「誰が」決めるのかということで、1人の王に決めさせるとバカな王が出てくるたびに民は苦しめられることになるし、優秀な(と本人が思い込んでる)エリートたちに決めさせると一部の特権階級とそれ以外のあいだの格差は広がる一方だし、村の長老たちによる話し合いではいつも若者たちの意見が無視される。穏やかな平時にはそれでよくても、有事には進取の気性に富んだイノベイターの存在が不可欠で、長老たちの支配を受けないハグレ者のなかにこそ、そういう人がいたりするから、ややこしい。というわけで、人間じゃない神様に決めてもらおうというのは、ひとつの発明ではあると思う。どんなに威張り散らしてる人間でも、神様がいうなら聞くしかない。

    だが、神を神格化して(というのも変だが)絶対的な存在に近づければ近づけるほど、神にとって、1人ひとりの人間の生き死にや幸不幸はどうでもよくなる。神は、あなたがどうあろうと、つねにあそこにあらせられる。祈っても祈っても届かぬ思い。ならばなぜ、神なんか信じるのか。「神の慈悲を試してはならない」というのは、神が決して私たちの個々の要請にはこたえてくれないことを知る聖職者がよく使うロジックで、要するに、黙って従え、ということだ。ところが、社会が成熟して、民主的な手続きによって、全員とはいわないまでも、おおかたの人たちが納得できるようなルールづくりが可能になると、神の存在価値は、一気に目減りして、やがてプライベートな領域に限定されるようになる。カエサルのものはカエサルに、ではなく、パブリックなことは法律やコミュニティに委ねるのが正解で、プライベートなことは、そうしたい人だけ神に頼る、という役割分担が明確になる。

    そうなったとき、つまり、宗教の対象が個人の良心の問題に限定されていったとき、原理的に個々人の要請にこたえてくれない神というのは、いったいなんなのか。「祈るだけ」で許しが与えられ、「お経を唱えるだけ」で救われる宗教には、個人の欲望を制御することはできない。だって、あとからでも祈っておけばいいわけだから。それがわかっているから、「神の慈悲を試してはならない」というロジックが出てくるわけだけど、それもまたある種の欺瞞にすぎないという話は前に述べたとおり。結局、この堂々巡りから出てこれない宗教の、少なくても「社会的」役割はもうほとんど終わったと思うのだけど、どうだろうか。

    オーディブルはカズオ・イシグロ『忘れられた巨人』の続き。

    ガウェイン卿はなぜ、あれほどまでに過去の栄光にしがみついて誇っているのか。なぜ、アクセルの存在に気づいていながら、それを隠していたのか。ベアトリスはなぜ、理不尽とも思えるほどアクセルの行動を縛ろうとするのか。「離れないで」というのは何かの呪いで、セイレーンのようにアクセルに取り憑いているのは、ベアトリスなのではないか。アクセルはなぜ、ベアトリスを「お姫様」と呼ぶのか。アクセルが出会った老女は、以前に船頭といっしょにいた、あの老女ではないのか。エドウィンはなぜ、恩人ウィスタンに偽りを述べたのか。エドウィンだけに聞こえる「母の声」も、何かの呪いではないのか。小さな違和感が澱のように溜まっていく。

    オーディブルはカズオ・イシグロ『忘れられた巨人』の続き。

    章が変わって語り手が交代するたびに、前回同じ語り手が語っていた物語とは見ている景色が変わり、あれ?何か聞き逃したかな?と思わせておいて、その語り手が近い過去の記憶をたぐってその間に起きた出来事を明かす。カズオ・イシグロが好んで使うテクニックは、読者を煙に巻くにはうってつけかもしれないが、毎章それをやられると、さすがにこっちも慣れてきて、ハイハイまた来たね、と身構えるようになる。

    かつてともにアーサー王の臣下だったアクセルとガウェイン卿はあることをきっかけに袂を分つが、ガウェイン卿はアーサー王の命令で雌竜クエリグ退治をライフワークと心得、アクセルとベアトリスはクエリグを倒して記憶を取り戻すために毒草を食べさせた山羊を連れて巨人のケルンを目指す。虐殺されたサクソン人の復讐を心に秘めるウィスタンは竜の傷を持つエドウィンを囮にクエリグ征伐を試みる。動機は違えどクエリグを倒すという目的を共有した5人はやがてふたたび一堂に会すことになる。はたしてクエリグの霧によって失われた記憶は戻るのか。

    オーディブルはカズオ・イシグロ『忘れられた巨人』が本日でおしまい。以下、ちょっとネタバレ。

    忘れられた巨人とは、雌竜クエリグでも、巨神兵のような化け物でもなく、クエリグの霧によって文字通り「忘れられていた」サクソン人の積年の恨みであり、虐殺された同胞の敵を討つためにブリトン人討伐に立ち上がるサクソン軍のことを指す。霧が晴れて記憶を取り戻せば、嘘で塗り固められた偽りの平和が終焉し、血で血を洗う戦国の世に逆戻りすることになる。ガウェイン卿の立場に立てば、真実を暴くことが、必ずしも正しい結果をもたらすとは限らないとなるが、それは征服者の屁理屈にすぎず、屈服させられたうえに、記憶をなくすことで抵抗する意志すら奪われてしまったサクソン人にとっては、自らの命を賭けてでもブリトン人を抹殺することこそ、正しい(望むべき)結果といえるのか? でも、それだと憎しみの連鎖は永遠に終わらない。アーサー王の魔法は、一時的には効果があったかもしれないが、解決を先延ばしした分だけ憎しみの炎をかえって燃え上がらせ、さらなる乱世を呼び起こしただけにも見える。

    憎しみの連鎖を止めるには、魔法によって記憶を失わせるのではなく、ウィスタンにとってかつてのアクセルの存在が希望であったように、むしろ、よき記憶をお互いに共有していく地道な努力によるしかないのかもしれない。それと、時間。長い時間をかけて少しずつ癒やしていくしか治療法のない傷もある。だから、エドウィンにとって、アクセルとベアトリスと過ごした時間が、はるか先の未来でよき記憶となっていることを祈りたい。

    記憶を失うことで奪われるものもあれば、与えられるものもある。息子はすでに亡くなっていた。ベアトリスは自らの不義の記憶を、アクセルは復讐心のために息子の墓参りを禁じた記憶をなくし、その助けもあってお互いに時間をかけて信頼関係を構築してきた。記憶が戻ったいま、2人は何を思うのか。ベアトリスは息子の墓参りのために島に渡りたいといい、アクセルは2人が離れ離れに島に渡ったら、二度と出会えないのではないかと危惧している(その危惧はずっとベアトリスのものだった)。あまりに唐突な終わり方で、あとは想像するしかないが、その島が記憶をなくす島だとすると、ベアトリスはふたたび記憶のない世界(死後の世界?)に行きたがっている。アクセルは少なくとも一緒でなければと拒んでいたが、最後にはベアトリスの意思を尊重する。では、記憶が戻った世界に残されたアクセルは? ふたたび民族の融和を目指して歩き始めるのだろうか。

  • まずは サクソン人・ブリトン人・アーサー王などについて 軽くでも知っていないとさっぱりわからない物語
    純粋にファンタジー物語として読み進めると、後半にいくにつれ展開が早く 結末が知りたくて一気に読み進められた。
    ただ 竜や妖精、ラバなど何を意味する例えなのだろうかと考え始めると迷宮入りしてしまう。

    読了後 人個人の記憶、もっと大きく人間の歴史としての記憶など全てを忘れずに持っていることが 幸せにつながるのかと思わされた。
    作品中に 記憶を無くしてしまったいることに気づいた主人公が、神ご自身が多くを忘れてしまったのではないか?私たち愛し子のことを忘れるなんてことがあるのか?と嘆く場面があった。
    しかし 現実世界において夫婦間・親子間においてすら、互いに多くのことを忘てしまったいる。だからこそうまくやっていけているということはないか?
    忘れる、または忘れたふりをできるというのは神様の恵なのではないかと思う。

  • 本当に素晴らしい作品です。
    記憶、愛、憎しみ、歴史、戦い、平和。

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著者プロフィール

カズオ・イシグロ
1954年11月8日、長崎県長崎市生まれ。5歳のときに父の仕事の関係で日本を離れて帰化、現在は日系イギリス人としてロンドンに住む(日本語は聴き取ることはある程度可能だが、ほとんど話すことができない)。
ケント大学卒業後、イースト・アングリア大学大学院創作学科に進学。批評家・作家のマルカム・ブラッドリの指導を受ける。
1982年のデビュー作『遠い山なみの光』で王立文学協会賞を、1986年『浮世の画家』でウィットブレッド賞、1989年『日の名残り』でブッカー賞を受賞し、これが代表作に挙げられる。映画化もされたもう一つの代表作、2005年『わたしを離さないで』は、Time誌において文学史上のオールタイムベスト100に選ばれ、日本では「キノベス!」1位を受賞。2015年発行の『忘れられた巨人』が最新作。
2017年、ノーベル文学賞を受賞。受賞理由は、「偉大な感情の力をもつ諸小説作において、世界と繋がっているわたしたちの感覚が幻想的なものでしかないという、その奥底を明らかにした」。

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