- 本 ・電子書籍 (250ページ)
感想・レビュー・書評
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ベストセラーの続編。再び始まる哲学者と、教育者となった青年との対話。青年のリアクションに、若いな、と思うほどには自分は歳をとってしまったようです。魔法の杖はない、地道に歩み続けるしかない、というありがちと言えばありがちな結論ですが、それが人類ができるベターなやり方なのだな、と改めて実感しました。はやまって劇薬を飲もうとする人が少しでも減りますように。
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アドラー心理学を知ってから、日々のマインドが変化した。
嫌われる勇気も、幸せになる勇気も極端なところはあるので、全てを盲信はできない。大なり小なりみんなトラウマは、あるだろうし。けれど、アドラーの考えを受け入れてみることで、私の人生は間違いなくよい方向へ動いた。
今回もまた、青年が完全に論破されてるのが面白い。
エーリッヒ・フロムの「愛するということ」これを読んでみると、さらにこの本の深みが増すだろう。 -
幸せになる勇気
「嫌われる勇気」の続編
図書館で貸出可の文字を見て仕事終わりに猛ダッシュ
2時間で一気に読了
まさに哲人と青年の夜を共にすごした気持ちになりましたm(_ _)m
以下内容 です⤵︎ ︎
教育論から始まり最終的には「愛」の話にたどり着く
つい最近子どもが生まれた自分にとってはタイムリーすぎる話だ。
(何となく手に取った本が自分の今にリンクしていることが最近いっぱいある…!?Σ(・ω・;))
教育とは交友であり、いい交友関係を築くには
まず自分が幸せである必要がある、と。
ふむふむ。
今回の内容を自分なりに解釈してまとめると
大事なのは2つ。
「見る力」と「愛する勇気」かなぁ。
どんなにちっちゃい子でも、どんなにすごい功績を残している人に対しても色メガネなしでありのままを見る。
興味を持つ。自分の理想の形に捻じ曲げない。
これは簡単なようであんまりできてないんだよなぁ、、
あとは、目の前の人と自分を心の底から「愛する」っていう覚悟と自己受容かな
この2つを持った上で最終的には「幸せになる勇気」を
持ち合わせたことになるんだろうなぁと実感。
誰でも、いつからでも、「今日、1歩踏み出す勇気」
これは救いの物語ではなく覚悟の物語
自分の人生は、自分にしか切り開けない
さぁ、ここから家族といっぱい積み上げていこう -
共同体感覚を意識とは、褒める、怒るではなく助かったと感謝できる関係ということ!!
親子や職場の人間関係で実践してみよう! -
宗教や哲学と同様に「私たちはどう生きれば良いのか」という問いに対する指針を示し、その中で「共同体感覚」という概念を重要視している。これは他者の関心事に関心を寄せ、他者との共感を通じて社会に貢献することで獲得される。
褒めることや叱ることが子供たちの自立を妨げ、承認欲求や依存を生み出す要因となる。教育とは子供に自立するための力を与えるものであり、自らの価値を他者ではなく自分で決定できるように導く。教育者は尊敬と共感を持って接し、自立を支援することだ。 -
(2016/10/22)
3年前アドラーを知って涙を流して哲人に感謝した若者が、
教師生活に絶望して、哲人を罵倒するところから始まる。
正直3年前にそこまで世話になった人を罵倒する、っていう人間性は好きではない。
著者ももう少し文章の書き方があったように思うが、
まあそれは本質ではない。
いずれにしても若者は理想に燃え、アドラーの叱るな、褒めるなを実践して、
結果学級崩壊のような状態になって、叱ることを復活させる。
それでもうまくいかず、哲人のところに飛び込んできたということだ。
哲人はそれを論破、というのではなく、沿いながらアドラーの考えを伝える。
青年が生徒を尊敬しないから生徒が青年に意思表示をしている、というのだ。
確かに子どもは認められようとして、気を引こうとして、
いいことをし、それでも無視されれば悪いことをし、最後は絶望し何もしなくなる。
そもそもそうやって他人に依存するのが子どもなのだ。
生まれた時は無力で母親に頼るしかない子ども。
人間は頭のほうが先に発達し、身体がついていかないからだ。
・・・と、これは結構違和感があったが、確かに幼児は結構頭は鋭いが、
物理的に身体がなく、親に依存するしかない。
身体が整う中学生くらいからはもう子供ではないのかもしれない。
その段階では頭がついていかない。
依存状態のまま。自立しない。
60になったって自立しない奴はしないのだ。
このあたりコヴィーに通じる。
「悪いあの人、かわいそうなわたし」は言いえて妙。
主体性がない。
相手がやってくれれば、あるいは理想の相手がいれば、
自分はちゃんとできる、人を愛せる。
それが出来ないのは相手のせい、あるいは理想の相手がいないせい。
究極愛する人は誰でもいい、これは大胆だが、そんな気もする。
ある種の勘違いで人を好きになり、愛する。
だれでもいいのだ、ほんとうは。
そこには本能が働いているかもしれない。
すくなくとも、理想の人に巡り合うまで、、、なんてことをいってたら、
そんな人はどこにもいない。恋に落ちる、なんてのは待ってても無駄。
「自分が」その気になるかどうか。
これは真理だと思う。
要は自分が働きかけるかどうか。
幸せになる勇気は、ここに限る。
とはいえ実社会、目の前にいるパートナーはいろいろなことを言ってくるからなぁ。
アドラー助けて。
第1部 悪いあの人、かわいそうなわたし
アドラー心理学は宗教なのか
教育の目標は「自立」である
尊敬とは「ありのままにその人を見る」こと
「他者の関心事」に関心を寄せよ
もしも「同じ種類の心と人生」を持っていたら
勇気は伝染し、尊敬も伝染する
「変われない」ほんとうの理由
あなたの「いま」が過去を決める
悪いあの人、かわいそうなわたし
アドラー心理学に「魔法」はない
第2部 なぜ「賞罰」を否定するのか
教室は民主主義国家である
叱ってはいけない、ほめてもいけない
問題行動の「目的」はどこにあるか
わたしを憎んでくれ! 見捨ててくれ!
「罰」があれば、「罪」はなくなるか
暴力という名のコミュニケーション
怒ることと叱ることは、同義である
自分の人生は、自分で選ぶことができる
第3部 競争原理から協力原理へ
「ほめて伸ばす」を否定せよ
褒賞が競争を生む
共同体の病
人生は「不完全」からはじまる
「わたしであること」の勇気
その問題行動は「あなた」に向けられている
なぜ人は「救世主」になりたがるのか
教育とは「仕事」ではなく「交友」
第4部 与えよ、さらば与えられん
すべての喜びもまた、対人関係の喜びである
「信用」するか? 「信頼」するか?
なぜ「仕事」が、人生のタスクになるのか
いかなる職業にも貴賤はない
大切なのは「与えられたものをどう使うか」
あなたに親友は何人いるか
先に「信じる」こと
人と人とは、永遠にわかり合えない
人生は「なんでもない日々」が試練となる
与えよ、さらば与えられん
第5部 愛する人生を選べ
愛は「落ちる」ものではない
「愛される技術」から「愛する技術」へ
愛とは「ふたりで成し遂げる課題」である
人生の「主語」を切り換えよ
自立とは、「わたし」からの脱却である
その愛は「誰」に向けられているのか
どうすれば親の愛を奪えるのか
人は「愛すること」を恐れている
運命の人は、いない
愛とは「決断」である
ライフスタイルを再選択せよ
シンプルであり続けること
あたらしい時代をつくる友人たちへ -
「自立とは「自己中心性からの脱却」なのです。」
嫌われる勇気の続編にあたる本。今回は、幸せになる勇気を説く。相変わらず面白い。刺激的な話が多く、批判役の青年の発言も的確だ。それに対する返答も素晴らしく、アドラー心理学の凄さがわかる。
本書からは多くの学びを得た。
愛されるから愛するのではなく、愛するから愛される。これはとても深い言葉だ。愛されなければ離れていくとは、まさに自己中心的な思想だ。
褒められるのを原動力にすれば、永遠に他者に依存し続けなければならない。常に自分には能力がないと言うようなものだ。
過去は存在しない。 -
哲人と青年の対話で行われる「アドラー心理学」の講義。
対話型なので読みやすいし、パワーワードがいっぱい入っていて、「生き方」の参考になる。
アドラー心理学を自分の生き方に取り入れて行きたいと思いった。
【心に残った言葉】
- 教育の目標は「自立」である。(ほめない、叱らない)
- 尊敬とは「ありのままにその人を見ること」
- 信用より、信頼を
- 与えよ、さらば与えられん
- 愛される技術より、愛す技術を
- 自立とは、「わたし」からの脱却である。
- 愛するとは、「わたし」から「わたしたち」になること
- 幸福とは、「貢献感」である -
「嫌われる勇気」の続編。
久しぶりに前作から読み返して本著も読んだが、
より実践的にどうやって幸せに向かうべきかを理解できた。
特により理解が深まったのが共同体感覚。
対人関係で直面する「仕事」「交友」「愛」のタスクが共同体感覚につながっているのかが少しわかった気がする。
そして赤ん坊であった自分がどのように自立して人生を歩んでいくのかも。
日常生活で生きているとアドラーの考え方が抜け落ちていってしまうので定期的に読み返そうと思う。
著者プロフィール
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