断片的なものの社会学 [Kindle]

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  • 朝日出版社
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感想・レビュー・書評

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  • 人生にも、日々の生活にも、日記に記すような大きな出来事、行事、イベントなどではない「断片」があふれている。
    おそらくその「断片」のほうが多いのではないか。
    私達は多くの「断片」を抱えながら、忘れたり、忘れられなかったり、ふと思い返したり、ときにはそれに支えられたりしている。
    どんな論文にも、報告書にもならない出来事(と、筆者も言っている箇所があるが)をまとめたものが本作である。

    小説ではないが、まるで小説みたいだった。
    語られる「断片」はたとえば夏の暑い夜に肌にまとわりつく湿度の高い風みたいに、存在感が強く、決していいものでもなく、触れそうなくらいに濃密だ。
    本作で何度か「切ったら血が出る」という表現を目にしたが、まさに切ったら血が出る、血の通ったエピソードの数々が収められている。
    岸さんの言葉には命が宿っている。
    決して美麗な言葉でもないし、文章のなかでも悩んでいるし、思考も行きつ戻りつしているし、これといった結論もないが、それでもこの人の言葉はてらいがなく、率直で、透明だ。解釈がない。その透明な手が喉元から胸の中にすーっと入ってきて、心臓の裏のザラザラした部分をなでていく。そんなざらざらな部分が自分のなかにあったのかと純粋な驚きとともにその感触を楽しんだ。
    日常生活では触れられない部分に触れられる。それは彼が一般的にいつもは見過ごされる「断片」を見つめてきたからできることだろう。あえて言葉にしない「断片」の世界を、その曖昧さは曖昧なまま、鋭利な部分は鋭利なまま、言葉で写し取っている。冷静で、けれども愛のある眼差しでなければできないことだ。その目には一般的に多数者(マジョリティ)が多く携えている排他的で合理的な色眼鏡がまったくない。

    大阪や沖縄という場所は「どうしようもないもの」を特に内包している場所で、なおかつむき出しになりやすい場所であるような気がする。もちろん東京でも下町を歩けばそこらじゅうに転がっているし、地方の田舎なんかにもあるのだけれど。
    けれども地方だとそういうむき出しの「どうしようもなさ」は隠される。そのまま「どうしようもない」形で存在することを許されにくい。あるいは周到に隠されて見せられない。特によそ者などには。

    これらの「断片」に含まれる「どうしようもなさ」を、この本は見せてくれる。わかりやすいかたちで(あるいは簡単にわかることがない、ということを伝えるという形で)見せてくれる。
    この国には、この社会には様々な人の、様々な形の「どうしようもなさ」がある。それを知っていることが、この社会を構成する私達一人ひとりの目を深くする。
    強制することも、矯正することもできないが、声を上げることはできる。それはまるで瓶を海に流すような、祈りのような形なのかもしれないけれど。

    ところで西加奈子さんの小説にも通じる世界観がこの本にはあるような気がする。西加奈子さんの本が好きな方には強くおすすめする。「通天閣」とか、そのへんが好きな人にはとてもいいかもしれない。

  • とてもよかった。
    エッセイのようだけれども、エッセイではなく、もっと深く、哲学的なような、著者は社会学者なので、社会学的、というんだろうか、これが「社会学」ならば「社会学」学びたいと思ってしまうような。
    ちょっと不思議な読みごこちだった。
    内容としては、人権とか差別とかに関係するもの、人とのかかわりについて、著者自身のこと、身のまわりのこと、などなどいろいろなものがあって。読みやすいけれど深い感じ。

    たいてい、ままならない人生、リアルな厳しい人生、という感じがして切なく、どうにかしたいのだけれどどうにもできない、どうしたらいいのかわからない、と書かれていたり。でも、そういう人生を不幸と思うのでもなく、淡々と受け止めているような、そういうものだ、としているようなところもあって。
    ハッピーな話ではないけれど、読んで憂鬱になる感じではなく、こういうのを読んでいったら、ままならない人生を淡々と受け入れられるようになるのかも、とか思ったりもした。

    ツイッターやWEB日記の岸先生は楽しそうに見えるけど。「にがにが日記」おもしろい。

  • 小石

  • あとがきにあるように、「とらえどころもなく、はっきりとした答えもない」という本なのですが、だからこそ救われる部分や突き放されるような部分が色濃い不思議な本でした。社会学に無知なのですが、哲学のような感覚のする本。ただ素朴に、実際に筆者が見聞きした話を並べているだけの部分があることで、よりずっしりと来る…というのでしょうか。特別な人間ではない、人間は誰しもが孤独である、人を尊重するということが距離を置くということにイコールになっている現状、などなど。出てくる観点一つ一つは分かっているつもりだったものたちが、すっと心に重みを持って浸透してくるような感覚。良い本に出会えた…

  • 感情をゆさぶるような出来事、白黒はっきりした答え、起承転結がきれいに展開するストーリー。映画やドラマ、SNSで語られるのはこういった類の話だけれど、わたしたちの日常は断片的なものにあふれている。その瞬間、そしてあとになって振り返ってもよく分からない、けれど印象に残っている、みたいなシーンがたくさんある。そんなカケラを改めて手のひらに乗せて、じっくりとつぶさに観察してみる、といった試み。
    なんでもない日常が、そしてそんななんでもない日常が積み重なったたった一度のこの人生が、私は大好き。

  • 何がどうなるかはわからないし、何が正しいかも勿論わからない、それでも自分がそうしてしまうところでやっていくしかないということかな。

    以下引用

    語られたときの、語られたままの語りを、ほぼそのまま収録した

    何が書いてあるのかははっきりとわからないが、妙に記憶にだけのこる小説

    小石も、ブログも、犬の死も、すでに私の解釈や理解をすり抜けてしまう、それらはただそこにある

    分析も解釈もできないことをできるだけ集めて、それを言葉にしていきたい。テーマも不統一で順番もバラバラで、文体もスタイルもでこぼこだが、この世界のいたるところに転がっている無意味な断片について、あるいはそうした断片が集まってこの世界ができあがっていることについて、思いつくままに書いていこう

    全体化も一般化もできないような人生の破片に強く惹かれる

    ある強烈な体験をして、それを人に伝えようとするとき、語りそのものになる、語りが私たちに乗り移り、自分自身を語らせる。私たちはそのとき、語りの乗り物や容れ物になっている

    物語は、絶対にはずせないメガネのようなもの、私たちはそうした物語から自由になり、自己や世界とそのままの姿で向き合うことはできない、しかしそれらが中断され、引き裂かれ、矛盾をきたすときに、物語の外側にある「なにか」がかすかにこちらをのぞき込む

    どこかに移動しなくても「出口」を見つけることがdけいる。誰にでも思わぬところに、外に向かって開いている窓がある、

    もっともつらい時に、笑う自由がある。もっとも辛い状況の真っただ中でさえ、そこに縛られない自由がある。ぎりぎりまで切り詰められた現実の果てで、もう一つだけ何かが残されて、そこにある

    他人が苦しんでいる話を聞いたとき、それがひどい話であるほど、安易に泣いたり怒ったりしたくない。だから、ひどい話を聞いて揺さぶられた感情が、出口を探して笑いになって出てくる

    若い時に母が愛人とダイナマイトで心中した。この体験をしばらく誰にも話せなかったが、あるとき、思い切って話すと、彼が笑いながら聞いた、そのことで、その話を他人に話すことがかなり楽になった、、、、その話を聞いて、ばかにしたのでも、表面的に面白かったのでもなかったのだと思う。ただ、もう笑うしかなかったのだ。

    あの一言(アウティング)がなければ、こんなにみんなと打ち解けることは絶対になかった。(でももうしない)
    →善悪を超えているというか、「それを言うのが」良いとか悪いとかそういう分別もないくらいの場になっていたということかな。また良い悪いだけを行動規範にしていると、それだけで交感にならないということも示唆している、もちろん一方ではそれが暴力になることもある

    完全に個人的な私だけの良いものはだれを傷つけることもない。そこにはもとから私以外の存在が一切含まれていない。

    私はこの色のこの石が好きだという語りは、誰のことも排除していない

    私は、という主語からはじめること

    ラベルを付与されたものがほんとうに「無徴」になることは困難。

    表現する側のラベルに言及されることなく、純粋な表現者として表現できるようになるのが理想の状況

    ★★アイデンティティの称揚、抑圧的な社会への批判、そういうものが一切ない。彼女はだれとも何とも闘っていない。闘いを飛び越えて、最初からそういうしんどい属性の闘いが存在していなかった世界を自分だけの小さな箱庭で実現している。

    社会は、たくさんの良くないものを含みながらそれでも成り立ってしまうもの

    ★壁を超えることが、色々な意味で暴力になりうる、しかし壁を越えなければ私たちの壁の外側で暮らす人とも、永遠に出会わないまま生きていくことになる

    小さなかけらのような断片的なものたちが、ただ脈絡もなく置いてあるだけなのである

    ★私たちの無意味な人生が、自分にはまったく知りえないどこか遠い、高いところで、誰かにとって意味があるのかもしれないということ

    本人がそれでよければそれでいいんじゃないですか。相手の心に踏み込まないというマナーはとても強力に作動している

    相手の心や意志を尊重すること、相手の領域に踏み込まないことという規範は、ほんとうに強く私たちの行動を規制している。下手に手を出して相手に迷惑をかけたらいけないので、まずはだまって、、、、という意見。目の前の人に介入しないという規範のバリエーションのひとつ

    本人がよければそれでいいと、近くにいる愚かな人に対して、優しくしてしまう。それは簡単だが、ただそれは単に面倒なことから逃げているだけのことが多い

    本に画よければそれでよい、本人の意思を尊重するという論理が、その当人を食い物にすることもある

    そのなかに詐欺的なものがあり、そういうものが全体として、本人がそれでよいというなら、本人が望むならという論理で外からの批判や介入を排除している楮はあれば、それは「本人がよければよい」という論理に基づいた支配の構造

    ★たとえ本人が望んだことであるとしても、その場で起こっている様々な問題について批判や介入をすることができるし、必要である

    そんなことをやめろというのは簡単だ。しかしそこになんの意味があるだろう。きれいだねという以外に、なにかできることがあるだろうか

    本人の意思を尊重するというかたちでの搾取がある、本人を心配する、というかたちでのおしつけがましい介入がある

    私たちは神ではない。手にしている正しさは、自分の立場からのもの。

    どうして子猫を拾ってしまうかもわからない、それが子猫のためになるのかどうかもわからない

    それが不完全な意見であることを理解した上でそれでも意見を表明する

    大きなおせっかい。読む人によっては、それは他者の内面への余計な介入かもしれない、。ほとんどの暴力は、善意のもとでふるわれる。

    断片的で不十分な自己のなかに閉じ込められ、自分が感じることがただしいかどうか確信がもてないまま、それでもやはり、他者や社会に対して、働きかけていく。それが届くかもわからないまま、そしてたまに海の向こうから、成長した美しい白猫の写真(拾って病院に連れていったネコ)や、「素晴らしいアレキサンダーと、空飛びネコたち」という本が届くことがある

    ジャズでもボサノバでも、ある好きな歌があって、それをひとに聞かせるときに、その歌そのものを聴かせねばならない、ということは、当たり前のことではあるがとても興味深い。

    ★★言葉によってその歌の特徴や感じを描くことができるが、その文字列を目にしたとき、その歌そのものが実際に耳に聴こえてくるような、そんな文章を書くことはできない

    ひとを尊重するということと、ひとと距離を置くということが一緒になってしまった社会。だれか他のひとを大切にしようと思ったとき、そっとしておく、ほうっておく、距離をとるということをする。

著者プロフィール

岸政彦(きし・まさひこ)
1967年生まれ。社会学者・作家。京都大学大学院文学研究科教授。主な著作に『同化と他者化』(ナカニシヤ出版、2013年)、『街の人生』(勁草書房、2014年)、『断片的なものの社会学』(朝日出版社、2015年、紀伊國屋じんぶん大賞2016)、『質的社会調査の方法』(石岡丈昇・丸山里美と共著、有斐閣、2016年)、『ビニール傘』(新潮社、2017年)、『マンゴーと手榴弾』(勁草書房、2018年)、『図書室』(新潮社、2019年)、『地元を生きる』(打越正行・上原健太郎・上間陽子と共著、ナカニシヤ出版、2020年)、『大阪』(柴崎友香と共著、河出書房新社、2021年)、『リリアン』(新潮社、2021年、第38回織田作之助賞)、『東京の生活史』(編著、筑摩書房、2021年、紀伊國屋じんぶん大賞2022、第76回毎日出版文化賞)、『生活史論集』(編著、ナカニシヤ出版、2022年)、『沖縄の生活史』(石原昌家と監修、沖縄タイムス社編、みすず書房、2023年)、『にがにが日記』(新潮社、2023)など。

「2023年 『大阪の生活史』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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