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感想・レビュー・書評
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ハッとさせられる文章、書き留めておきたくなる文章がたくさんあった。
サン・テグジュペリの視野の広さ、視点の鋭さに驚いた。
地球という惑星の中の幸運が重なってできた場所に住んでいるということ。
国が違えどみんな同じ人間で、この世界に連帯して責任を負っていること。
今日の世界を把握するのに、一昔前の世界を把握するために作られた言葉を用いていること。
などなど。
そして1番はこれ。
貧しい人を目の当たりにして、彼らの一人一人の中にある虐殺されたモーツァルトに対して苦しんだこと。本当に損なわれたのは人類であると考えていること。
一人一人の中にある才能を殺すことは、世界に対して責任を負うものとして人類の損失であるという考えには脱帽。涙が出そうになりました。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
代表作に『星の王子さま』などがあるサン=デクジュペリが、自身のパイロット時代の体験を綴ったエッセイ。
特筆すべきなのは文章や描写の美しさや切迫感! エッセイであるはずなのに、時に美しく幻想的な場面や、逆に鬼気迫る過酷な場面が多々あり、まるで小説のような本でした。現実は小説より奇なりとは言うものの、この『人間の大地』の場合は、サン=デクジュペリが実際の体験の面白さはもちろんのこと、
彼の自然や同僚など人間という存在に対して敬意を払い、そして慈愛をこめて見つめているからこそ、事実が小説のように昇華されていったのだと思います。
飛行中に嵐とぶつかったときの体験は、冒険小説のように波乱に満ちていて、逆に旅先での双子の女の子との交流は、童話の世界に迷い込んだような幻想的なファンシーな空気感。
かと思えば、砂漠に不時着しての遭難体験の切迫感は、非常にリアル。のどの渇きが限界に近づいたときの表現は、実際に体験した者にしかわからない境地だと感じます。
そして極限状況での人間の強さ。サン=デクジュペリの同僚の遭難体験、そして自身の砂漠での体験を通じて描かれる人間の強さに対する驚嘆と敬意は、自身がパイロットとして、命の危機に何度も遭遇したからこそ書くことができたのだと思います。
その体験があるからこそ、あらゆるものに対して美しいと思う感性が磨かれたのかもしれません。
サン=デクジュペリの視点を通して、自分のなかにも何か美しいものが芽生えたような思いになった一冊でした。 -
手元に堀口大學があったのですが新訳で再読。こんなにも「責任」について書かれていたかと再読で気づきました。
「闇の大海原に瞬く光 の一つ一つが、 今、そこに人間の意識という 名の奇跡が存在 していることを教えていた。」という灯りは、星の光ではなく地上の家々の光ですね。
「目の前には焼きたてのクロワッサンとカフェオレ。」「夜明けの食事 の香り高い一碗に姿を変えて、 僕らに歩み寄っ てき てくれる星は ただ一つだ。」幾度となく夜間飛行に飛び立ったパイロットが思い浮かべたのはクロワッサンとカフェオレの香りらしい。
最終的にサンテグジュペリも仕事で飛び立って最期に戻らなかったのですが、文中に書かれる戻らなかったパイロットのメルモーズの記述「一度 ならず砂や山や夜や海の中に姿を消したが、その彼が生還するのはつねにまた出発するためだっ た」は、サンテグジュペリのことでもあると思います。
この仕事への責任、人類への責務からパイロットたちは飛び立ったわけですが、同時に生きて帰ることへの責任も背負っていて、たとえば奇跡の生還をとげたギヨメが立ちあがり続けたのは、「妻は僕がまだ生きていると信じているかも しれ ない。 そして、もしそう信じているなら、 彼女は僕が歩きつづけている と信じているだろう。 僚友たちは僕が歩きつづけていると信じている。皆、僕を信じてくれている。それで もし歩きつづけていなけれ ば、 僕はただの卑劣漢だ」の言葉にあるように、地上との結びつきこそが支えとなり続けていることが語られている。
責任を果たすこと、飛び立ち続ける意思をこう書いている。「人間である という こと、 それはとり もなおさず責任を持つという こと だ。 自分 の せいでは ないと 思えていた貧困を前に赤面すること、 僚友が勝ち取っ た栄冠 を誇りに思う こと、 自分に見合っ た石 を積む こと で 世界の建設に貢献 していると 感じる こと だ。 」「死を軽視 する など ということ は ─ ─ それが責任上やむを得ない場合はともかく、 そうでない限り ─ ─ 若 さの欠乏ない し過剰の証しでしかない。」 「どんなにささやかな役割であってもかまわない。 僕らは自分 の役割を自覚 して初めて幸せになれる。 そのとき 初めて、 心 穏やかに生き、心穏やかに死ぬことができる。 人生に意味を与えるもの は、 死に意味を与えるものだから。 」、これらの言葉が、今回大きく心に残りました。
それは、自分が年をとって、ようやく先人に守られ手を惹かれ助けられる庇護下の存在だけでいることが情けないと自覚できる年になったからかもしれない。それほどの、生と死の意味を、すでにサンテグジュペリは、日々夜の空へ飛び立つ自分の心を見つめることで、すでに考えて気が付いていたのだと驚き、だから多くの読者が彼の著作を読むのでしょう。 -
「星の王子さま」で知られるサン=テグジュペリ。
いつかどこかで、この本も是非と聞いていたのでタイトルだけなんとなく記憶に残っていた。「人間の大地」ー 大人になって読み返した星の王子さまも、心に心地よく刺さったが、この作品は、もっと大きな津波のようにラストに向かって迫ってくる内容だった。
人間とは?、生きるとは?、まですべての思考の源を見直すようせまってくる。
文量は多くないので、読んで損はありません。
是非おすすめです。 -
1ページ目から、涙が出そうになるほど美しい文章を、久しぶりに読んだ。文字が、砂漠で見上げる満天の空に輝く星たちみたいにキラキラと光って見える。著者と親交の深かったアンドレ・ジッドは本書の刊行に先駆け“一続きの物語でなく一種の花束というか穀物の束のように時間や空間を気にすることなく飛行家の感覚心情思索を寄せ集めたものを作ったらどうか”と助言したという。その花束に込められたものは、いのちの輝き、生命のはかなさがキラキラつまった美しい一冊になった。再読必死の一冊。今度はきっと、読むシチュエーションも大切にして。
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著者の職業体験をベースとして、小説仕立てにしたもの。
帝国主義が蔓延する時代におけるアンチテーゼ的な立ち位置と理解した。20世紀であればこの言説も価値をもっていたのだろうと思う。 -
何回な「なのであった。」っていうんだよ(笑)
って日本語訳されたものを読んで思いました!
奴隷として働かれる方々を、"一般的"な思考だと、
可哀想と思う人が大半だとおもいます。
でもサン=テグジュペリは違います。
彼らの自由だったり可能性が誰かによって奪われていることに怒ってるような視点の高さがあります。
これは、多様化した今の世の中でもさまざまなことに置き換えて考えられる事だとおもいます。例えば障がいと扱われてしまう素敵な個性のある子どもへの"可哀想"と言う言葉も僕は言霊としても、真心としても好きじゃないです。 言ったら、多分そうなると僕は何故か思うんです。そしてその感覚があたるから。 だから視点をいろんな角度で見る事は、本や映画、音楽、演劇などを通して広げる事って大事だと思う。 サン=テグジュペリは、星の王子様だけじゃないぞっておもいます!
なのであったは、さすがにしつこい! -
うーん。遭難した際のエピソード?はサバイバルだなぁというか、過酷だな、と。こういう先人たちのお陰で空路も快適になったんだと思うと、先駆者、開拓者って相当な覚悟がないと務まらないと改めて感じる。
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『星の王子さま』や『夜間飛行』の方が有名だと思うが、著者のサン=テグジュペリは職業としての飛行士の経歴を持つ。「時間や空間を機に摂、飛行家の感覚、心情、思索を一種の花束にしたようなもの」という比喩で語られるこの本。
郵便飛行士としての職人(といっていいかな)世界の話。砂漠で不時着遭難したときの話は一緒に自分も前後不覚で認識がおかしくなっていくような感じがした。
最初小説なのか何なのか分からないなと思っていたが、次第に飛行士の空から見る世界の視点、広い世界に釘付けになる。途中から一気読み。なんだかはっきりしないと最初感じていたのは、著者のあらゆることに対する徹底的な態度によるものだと分かった。サン=テグジュペリのメモから。「狂信の世界」に対置すべき方法。
”矛盾を認めること。それがたとえ人間の精神にとって耐えがたいことであっても、あるいはむしろ、耐えがたいことであるからこそ、二つの矛盾する経験的真実を誠実に受け入れる人間の精神は、矛盾を矛盾のままに留めておくことに耐えられず、二つの真実を同時にーどちらも排除せずにー吸収できる一つの言語を見いだそうと苦闘する。矛盾を受け入れることによって生じる不安、混乱、疑念、無秩序そのものが、本質的な意味で豊かな実りをもたらしてくれる。”
本編のあと解説があるのだけど、そこにあった言葉。このものの見方、なにかをいいとか悪いとか断定して突きつけず、あるがままの描写でわたしにどう感じるかを委ねている。わたしは考えながら読んでいくうちに、これはどうだと考えない、うーん、評価しなくても、分別しなくても楽しめるということに気づいていくという感じかな。もうなに、中道?仏道なの?と思ってします。そういうのがすごく良かった。 -
noteに感想の詳細を書いた。
https://note.com/sakichan_note/n/nb8d1210bbf97