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本 ・電子書籍 (214ページ)
感想・レビュー・書評
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あらゆるドラッグをキメても、死に至らなかったのは中島らもがタフだからなのか?または人間は意外と丈夫だからなのか?いや偶然か?
下北沢の一室から世界の果て、時を越えてアステカ文明…とドラッグの世界は幅広く奥深く興味深い。ヤるヤらないは個人の自由だが、風邪薬、アルコール、砂糖。現代ならスマホだったりと中毒を引き起こすモノは、その辺に散らばってるわけで、ドラッグに全て悪の元凶があるのでは?という一方通行な意見は、本書を読み終えた頃に変化する。
ブランコの重力でハイになり、お母さんの『帰るわよ〜』の一声でナチュラルになる現象。共感しかない。中島らも、相変わらず面白い。
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「この本はカドくんに捧げたいのだが、彼はもうこれを読むことはできない。」
本書に登場する分裂症のカドくんなる人物も、彼の所属する腐っていくテレパシーズというバンドも知らなかったけど、検索すると音源を聴くことができる。今は手元にないけれども、本書の著者のバンド演奏を収録したDVDの映像をなんとなく思い出す。今頃ふたりで素敵な音楽を奏でているのだろうか。
「麻薬は、ひとつの生き方だ」とW・バロウズは言った。
中毒・依存はひとつの生き方である。本質的に「会社につとめている」こととなんら変わりはない。
あなたは何にも中毒していませんか。してないわけがない。そんな人間はこの世にいない。中毒の対象は薬物だけではないのだ。
禁を犯さず何十年と修行すること、それははなはだドラッグ的だ。
本書にそんな言葉がある。極論すぎる言葉のような気もするけど、この著者が言うと個人的にはなんだかすごく腑に落ちる感じがする。
どんなものにしろ理解したうえでそれを選択しているのなら、他人がとやかく言うものではないのかもしれない。もちろんそれが違法なものだとか、誰かを傷つけるものでない限り、という前提はあるけれど。。
「カドくんは確かにおかしい。話をしている最中、急に、「だめだっ」と叫び出したりする。頭の中で声がするらしい。たしかに、はた迷惑ではある。しかし、多少狂っているくらい何だというのだ。」
それくらい開かれた心でいたい。
本書の内容とは真逆かも知れないけど、なぜか禁酒禁煙してみようかな、という気になってしまった。
ちなみにワタクシは薬物には全く興味ありません。念のため。 -
文句なしに好き。
薬物に興味がある人は読むといい。
多少狂っているくらい何だというんだ。 -
中島らも(1952〜2004)の文章を初めて読んだ。
天才的な頭脳を中毒にしたらどうなるかという実験を身をもってやったのが中島らもである。
本書の発刊は1995年。タイトルのAmanita pantherinaは通称テングダケの学術名である。
本書で「僕は、遠からず死ぬな、と思っていた。それも、ラリって階段から転げ落ちるか何か、そういったことのように思えた。」と自分の死に方について予言をしているが、2004年に予言通りの死に方をする。酔っ払って飲食店の階段から落ちたことによる脳挫傷で死ぬのだ。
また、シャブをやった日にはすぐに体調が悪くなり冷汗が止まらなくなったが、救急車は絶対に呼ばなかった。「救急車を呼ぶくらいなら死ぬ方がまし」というのが持論であった。
大阪府警は昔、清原がフルスイングしている写真でポスターを作成した。キャッチコピーは「覚醒剤うたずにホームランうとう」。中島らもは迷コビーと揶揄したが、今となっては何が何だか分からない。
とはいえ、その文章はユーモアに溢れ、的を射たドキッとするようなフレーズを紡ぎ出す天才が中島らもであるが、彼が愛される理由はその人間性であろう。誰しもを等身大で扱う。誰しもに等身大で接する。それが人間・中島らもの特性ではあるまいか。 -
よっぽどこれを使って子どもたちを教育したほうが良い。
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中島らもの体当たりな薬物体験記。頭の中ぐちゃぐちゃだろうな。
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バンドオブザナイトと重複する内容も多々。
合法ドラッグしかやってないってほんまかいな -
合法的な薬物をガリガリとかじる中島らものエッセイ。
猫に眠剤くわすのはひどい…
著者プロフィール
中島らもの作品





