VRビジネスの衝撃 「仮想世界」が巨大マネーを生む (NHK出版新書) [Kindle]
- NHK出版 (2016年5月10日発売)
- Amazon.co.jp ・電子書籍 (171ページ)
感想・レビュー・書評
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VR映画『Henry』の例から問われる「VR映画において観客とのインタラクティブ性は一体どこで終わらせればいいのか」という内容は面白い。確かに、体験、とか、実在感、とかをVRで謳っているのであれば、鑑賞者がストーリーそのものに影響を与える仕組みを作るべきで、VRでのコンテンツは全てがゲーム的になるはず。そうなると、2Dコンテンツ、3Dコンテンツ、VRコンテンツにはそれぞれがその形であるからこそのメッセージも付与されていくと思う。
将来、MRを使用しながら学校とか会社に行くようになれば、世界全体をCGの膜で覆うようなことになるんだろうけど、そうなったら見るもの、聴くもの、触れるものを1から新しい基準と価値観でデザインする必要がある。それらをデザインできるのはもしかするとゲームデザイナーではないのか。ゲームデザイナーが10年後、20年後どんなキャリアを積めるのかが楽しみになってきた。
外側の無限を「宇宙」として、内側の無限を「バーチャル世界」と対比させることに興奮した。いい表現だと思う。FacebookやYoutubeなど、今の段階でさえほぼ無限のような気さえするけれど、その無限のソーシャル世界に"入り込む”ことには確かにもっと夢がある。
「体験そのものが過多になった後の付加価値は他者と共有するソーシャルな体験ではないか」はそもそもVRを普及させるために必要不可欠な気もする。自分が初めてOculusでゲームをプレイした時、面白かったものの、「用意された箱に立って周りを見渡せる」だけという印象で、「別世界にいる!」という気にはならずにハマらなかった。ただ思い返すと、あのバーチャル空間に他者がいて、自分のアクションにリアルなフィードバッグが返ってきて、かつその相手が無数にいるのが見える、とかだったら「うわすごい!別世界だ!」とVRのスゴさを感じられたのかも。簡単ではないのだろうけど、そんな体験が早くできるようになってほしい。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
宇宙かVRか、外か内か。
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2017年53冊目
VRビジネスもゲームの世界の中に入り込みたいという強い要望から技術は進展しつつある。
本書はビジネスの話というより、その取り組む人がどうVR技術を発展させてきたかということに焦点が当たっている。
VRの技術についてもこれまではヘッドマウントディスプレイに映された映像をいかに自然に見るかということであったが、今は、眼球に直接映像を照射するデバイスを開発しているとのこと。
恐ろしすぎる。
いずれ人類が見るものというはリアルなのかバーチャルなのか?それとも現実と仮想を合わせたARになっていくのであろうか?
将来を考えさせられる一冊でした。 -
VR, AR, MR。これからはヘッドアップディスプレイを装着して仮想現実の世界へ。
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文字通り、VRビジネスが今後どうなるかを書いた一冊。
とても勉強になった。 -
VR技術はもっと普及すべき。液晶モニター使って表示する時代を過去のものにしてくれぇ!ウィンドウ表示が、コマンドプロンプトを駆逐したようにさ。
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VRとはヴァーチャル・リアリティの略であり、基本的な概念は割と古くからあるが、現実的になってきたのは最近のことだ。本書に曰く、2016年がVR元年だという。個人的には興味がありながら触れる機会がなかったものの、著者の予想が正しければいずれ体験することになるだろう。
序章 VRビジネスの大潮流 ──熱狂はなぜ生まれたのか?
第一章 VRの現在 ──映画とゲームをつなぐものは何か?
第二章 ハイエンドVRの夜明け ──オキュラスはなぜ生まれたのか?
第三章 日本のVRビジネス ──独自のビジネスモデルは生まれるのか?
第四章 VRからAR・MRの時代へ ──これから登場するビジネスとは?
技術的な解説とビジネスとしての評価が入り混じっているため、どちらかに強く関心を持つ人にとっては掘り下げが足りないと感じるだろう。個人的には、技術的な部分がもっと読んでみたいと思った。ただし開発者達の伝記的な部分はそれなりに面白いので、入門書としてはちょうどいいのかもしれない。
自分自身が仕事としてVRビジネスに関与する可能性は低いが、恐らくユーザーにはなるだろう。VRが本格的に普及するにはまだ何段階かのブレークスルーが必要だと思うが、関心を持って動向を見ていようと思う。 -
VRの最終目標は、視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚など人間の五感や、平衡感覚などさまざまな感覚に働きかけて、「現実世界と実質的には同じ空間」を作り出すことにあります。no.224
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バ ーチャルリアリティは 「現実世界とは異なるが 、ほとんど実質的には現実世界である 」ことを意味しています 。この原義を理解すると 、日本と欧米での V Rの捉え方が大きく異なることが見えてくるでしょう 。欧米の V Rビジネスが 「現実世界と実質的には同じ空間を人間のまわりに作り出す 」ことを目指しているのに対し 、日本は 「キャラクタ ーなどがいきいきと存在する仮想世界を作り出す 」ことに注意が向けられていることが多いのです 。
以下感想。
日本とアメリカは、誤訳によりVRへの認識の違いがある。そしてその違いから、日本はコミュケーション性を、アメリカはソーシャル性を追求しながら、それぞれが思うVRを実現しつつある。
これから先、VRが世の中を変えていくことは必至であり、引き続き注目していきたいと改めて感じた。 -
VRがどうなっているのか、いくのかが知りたくて購入。
未来が楽しみになっていくね。
VR端末一台欲しいなぁ。