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- / ISBN・EAN: 4907953085732
感想・レビュー・書評
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SAUL FIA
2015年 ハンガリー 107分
監督:ネメシュ・ラースロー
出演:ルーリグ・ゲーザ/モルナール・レヴェンテ/ユルス・レチン
http://www.finefilms.co.jp/saul/
第二次大戦下のアウシュヴィッツ、ユダヤ人の収容所。ハンガリー系ユダヤ人のサウルはそこでゾンダーコマンドとして働かされている。ホロコーストの映画は何作か観ましたが、ゾンダーコマンドという言葉は初めて知りました。虐殺するために集めたユダヤ人の中から、労働力として生かされている人たちがいて、ナチス側の末端の兵士のような扱いを受けていたらしい。彼らの主な仕事は、虐殺のために連れてこられた大勢のユダヤ人をガス室へ誘導し、その死体を運搬、焼却、汚れたガス室を清掃することなど。自分の同族の虐殺に手を貸すその仕事に嫌悪を感じながらも彼らは黙々とこなすしかない。もちろん彼らもいずれは同じように自分たちも殺されることを知っている。完全にモノとしてしか扱われない多くの人々の死体。収容所の内情がとても生々しい。
そんな中である日サウルは、ガス室でかろうじて生き残った少年が殺される現場を見る。その遺体をなぜか「自分の息子だ」として埋葬しようとするサウルの暴走がここから始まってしまう。結論から言ってしまうと自分は、その遺体はサウルの息子ではないし、そもそもサウルには息子などいないと解釈しました。サウルは一度も息子の名前を呼ばないし、彼の友人も「お前に息子はいない」と言っている。それでもサウルは「妻以外の女に産ませた」などと明らかにデタラメとしか思えない言い訳をし、息子を埋葬すると言い張る。おそらく、同胞の虐殺に手を貸し続けるゾンダーコマンドという立場にいてサウルは心を病み、その罪の意識がアカの他人の少年の死体を息子だ、と思い込ませ、正しく埋葬してやることで罪滅ぼしをしたいと考えたのだろうと推測。ちなみにユダヤ教の正式な埋葬は土葬だそうで、さらにそれに立ち会うラビ(仏教でいうお坊さん)が必要。解剖のため焼却を免れた少年の遺体をサウルは盗み出し、ラビを探して奔走する。
しかし仲間たちは収容所脱走計画を立てているのに、その重要な局面でもサウルは息子の埋葬のことしか考えておらず、正直、本末転倒。死体より生きてる仲間のほうが大事だろ、何やってんだ、と見てるこっちはイライラ。少年とはいえ15~16歳?結構大きなその死体を抱えて走り回るサウルの姿はもはや狂気の沙汰。でもそれも当然といえば当然かもしれない。だってもう彼はずっと正気ではなかったのだから。サウルの狂気もかなり怖いのだけど、ただそれに目を奪われていると大切なことを見落としそうになる。本当に狂っているのは、サウルをそこまで追い込んだ状況のほう。ユダヤ人というだけで何万人もの人間をゴミのように焼き捨てて平気でいられる人間たちのほう。
独特のカメラワークや音楽なども含めて、インパクトのある映画でしたが、ただ、フライヤーやHPのアオリ文句「息子を正しく弔いたい・・・その思いがサウルに再び生きる勇気を与えた」「極限状態におかれてもなお、息子を正しく埋葬することにより、最後まで人間としての尊厳を貫き通そうとした、一人のユダヤ人の二日間を描いた感動作」みたいなのは、個人的にはちょっと違うんじゃないかという気がしました。生きる勇気なんかサウルはもらってないよ。感動作なんて安っぽい言葉は逆に失礼な気がするくらいヘビーな映画だった。人間としての尊厳を奪われ狂気に陥った男の破滅的行動を描いた問題作、くらいのほうがしっくりくる。 -
2016/7/15 ホロコーストの映画は いつも どんな作品も悲しすぎるし、非道な人間に対する苛立ちしか感じないが、これもまた、悲しすぎる映画の一つだが、今までと視点を変えた映画だと感じた。ゾンダーコマンドと言うユダヤ人の死体処理の部隊 いつかは殺される運命を背負いながらも
生かされる?部隊か?そういうものを存在させるドイツ軍に憎しみと違和感しか覚えないが、主役のサウルが自分の息子と信じて…ラビを見つけて正式に埋葬したいと願い必死に駆けずりまわる
生者より死者を葬いたいのか?と仲間から言われつつ、あんな非道な世界の中に自分なりの秩序と信じるものを見つけたかったんだろうなぁと思う。ラストは 小屋に少年の姿が見えた時に 弔えなかった息子と信じてた男の子が生き返ったように感じたサウルの表情にすべてが集約されてた気がする。 -
ただひたすらに情緒を失わせるアウシュビッツの、
死体まみれ恐怖まみれの状況に、
あえてフォーカスを当てない狭い映像が、
サウルを背中から主に追っているのに、
サウル自身の視野にも見える効果。
命をかけているのに、
何度も「お前には息子はいない」と言われるのは、
真実なのか、どうなのか。
いずれにしても、
人間として他者への慈しみを保とうとすると、
あのような極限的な現状では、
それ自体が狂気に見えてしまう。
そのような異常さを伝えるためにも、
戦争に関連した作品は、
この世に残されるべきものだし、
そこから学ばなくてはならないと痛切に感じるのだが、
今なお戦争と差別は消えない。 -
アウシュビッツで働くサウルの2日間。背中にべったりと貼り付いて離れないカメラが死神のようで息が詰まる。一度だけ転調する。「報い」という言葉が浮かぶ。その言葉が報酬だけじゃなく罰も表わすという皮肉に後から気づく。
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タイトルコールが出るまでの画像だと何やってんだかよくわからないんだけど、
分かった瞬間の気分の悪さったら…
生きる為に、生き残る為とはいえ、同胞を追い詰め、死に至らしめる行為に加担するなんて…
どうやって理解すればいいだろうか?
やはり「生きてこそ」だと捉えるべきなのか、暴力に耐え、非情に耐え続ける。
素ッ裸の男を、素ッ裸の女を引きずる行為の凄まじさ…
もはや事切れた肉塊と化してはいても見るに耐えない、
こんな胸糞悪いシーンを見ることはそうない。
戦争はクソだ…
命令は絶対だ。逆らう事も抗う事も許されず、懸命に服従し続ける。生きる為…
こんなにも強烈に互いの身を慮りながらの怒りに満ちた逢瀬は初めて見た。
その手を振りほどく想いの強さ…
なんて殺し方するんだ。尊厳も何もあったもんじゃない。
戦争ってなんだ。なんであんなことができる…
こんな状況、こんな環境において尚、死者を、息子を弔う行為に心血を注ぐ。
宗教とは一体なんだろうか…宗教が争いを呼び、宗教が平穏を運び来る。
実の子ではない仮想の亡き息子の魂の救済の為にユダヤのしきたりに則った葬式を執り行う。そこにどんな意味を見出せばいいのか。
生き残れ、逃げろ、生きろ…
蘇りの暗示、
生きる気力の芽生え、
微かに救われた気にさせる。
だけど…現実の惨さを恨めしく思う。
この作品どうやって撮影して入るのかな?
終始、被写体との距離が近過ぎるほど近い、
それなのにまるで固定カメラで撮っているように見える安定感…
ハンディカムとかじゃもっとブレるんじゃないかな…不思議だな -
ゾンダーコマンドであるサウルはどこまで狂っているのか。死んだ少年をユダヤ式に「正式に」埋葬するため、サウルは奔走する。本作を見る限りでは、その少年がサウルの息子であるかどうかは判然としない。そもそも、サウルに息子がいるのかどうかもわからない。しかし彼はその「息子」を埋葬しようとしている。死者を埋葬するために生者を犠牲にしてもよいのか。そんな理屈はもはや通用しない。この狂気はけれども、最後に善悪を超えた「無垢さ」という一抹の光に触れる。