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感想・レビュー・書評
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天才児だった少年ハンスが、栄光と挫折を味わうヘッセの自伝的小説。子どもらしい遊びを二の次にして、周囲の期待に応えるため勉強に勤しむ主人公。そんなハンスは環境の変化や心の成長とともに、大切な何かを取り戻すべく、情熱を燃やしつづけた学問の世界に対して執着が薄れていく。しかし、功名心や優越感などをいったん脱ぎ捨てると、紙切れ一枚のような自分がいて、ひとりでしっかり立つこともできない。何者にもなれずもがき苦しむハンスの姿に、共感できる部分は非常に多かった。自分を懐古するような心に残る作品である。
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以前、友人と「読んだことのない文学作品の内容を適当に想像する」という遊びをしていたことがある。そのときにこの『車輪の下』もお題として使わせてもらった。
例えばこんなふうに、
「表紙に描かれている少年が主人公なのは間違いないね」「だとすると学校内での話かな」「服装的に結構恵まれてそうだし、頭も良さそう」「じゃあ学校で嫌な目に遭うか、勉強で挫折する話だ」「でもタイトルに”車輪”って付いてるよ。これは?」「競輪……?」「自転車で事故に遭うんじゃない?」「災難だらけの競技人生……っていうか『車輪の下』の”下”の意味がわからん」「下……下……どん底とかそういう?」「やっぱり災難が多そうな話だね」
みたいな。
確かそのときは、一応Wikipediaで内容の確認をして、「案外あたってるじゃん」となった記憶。
んでようやく読んでみたのですが、「案外あたってるじゃん」という部分と、「ぜんぜん的外れやん」という部分がありました。
たぶんこれは感受性についての話で、自分の人生に何らかの「理想」を持っている人が齟齬を感じて苦悩しているところを描いているのだろう。
ハンスの感受性はとても豊かで繊細で、学業においてやるせなさを抱えていくのとは対照的に、草木を見つめるときの晴れやかさは彼の生き生きとした感性を表している。だから、結果だけがすべてではないのだと誰かが言ってくれていたら、もしかして違った結末もありえたのかもな、なんて思う。
まとめると、競輪の話ではありませんでした。 -
あまり内容が入ってこなかったけど、
文章がキレイだった -
自然描写が生き生きとしていて昔のドイツの風景に思いを馳せる一方、ハンスの心理描写はあまりにもリアルで読むのがつらかった。
ヘッセの実体験だからこそのリアルさ…可哀想に。
推薦図書で実家の本棚にあったけど、当時の自分が読んでもナンノコッチャ状態だったろうな。
ドイツ生まれな作家なだけに、出てくる土地のイメージができたのは良かった◎ -
読もうと思った理由
ドイツ文学の名著と思ったから
秀才だった主人公が神学校に入学してから変わっていく様が今の日本でもよくあることだと思いました。最後は少し悲しすぎました。風景、自然などの描写がすごくきれいで街並みや風景が浮かぶような感じですてきでした。(行ったことはないですが) -
昭和26年発行
youtubeでひろゆき氏がぼろかすにけなしていたので
久しぶりに再読
主人公のチート設定は現在若者の心象にもマッチして現在にも通用する文学ではなかろうか -
ヘルマン・ヘッセの『車輪の下』と言えば、夏の推薦図書の定番、だったと思う。ゲーテよりもヘッセの方が日本人には親しまれているのでは?当然ドイツ人なら知らない人はいない、日本人作家で例えると、謂わば…謂わば…川端康成?柳田國男?うーん、なんか違う。太宰治?いや、絶対違う…とにかく誰でもその作品を一度は読んだことあるような作家かと思いきやそこには衝撃の事実…。多少カルチャー系かと思われるドイツ人女子たちに聞いても、なんか名前を知ってるけど…な反応。ヘッセと言えば、な本作品名を言ったところで「あ〜知ってるような、いや、知らないかな」なうす〜い反応。そんなもんなのね、と出鼻を挫かれた感を抱えつつ、風景が実に細かく生き生きと写実されていて、私の知らない時代のドイツであるにもかかわらず熱い太陽、青々とした草木、魚が遊ぶ川の水面がまざまざと再現されるではないですか。さすが世界的文豪。ドイツ人あんまり読んでないけれど(私調べ)。そして少年の行動や心情がとても巧妙に描写されている。あまりにも巧妙すぎてついていけず気づくと字面だけ追ってまた後戻りすることたびたび。一語一句全部が大切な気がして消化に苦心しながら進む。学校の推薦図書だったけれど、小学校の私にこれが読めただろうか。絶対無理。
とにかく、少年が痛ましくていじらしくて、もがき悩む姿は、自分の息子を重ねずにはいられなかった。後半の、魂が抜けたような、やけっぱちなような姿は悲しかった。そしてあんなさいごだなんて。
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ヘルマン・ヘッセの作品





