阿・吽(4) (ビッグコミックススペシャル) [Kindle]

制作 : 阿吽社 
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  • 「問う!和尚の説かれる法華一乗については、法華経そのものが、方便にあらずや!」「方便である!最澄和尚の説かれる仏法は、まやかしである!人には分相応があり、それぞれ違う種を持つ。持つ業も違い、つくる罪も違う。釈迦の説くのは、それぞれに合った道である!全ての人間が救われるとする説は、「救い」を理解できない人間を、喜ばせるまやましである!」
    「否!「救い」というのは、限りのあるものではない!仏の示された救いの道(慈悲)は、無限である。広大無辺にして、大海のようなものである。それを人の世の小さな器で、掬って解釈したところで、仏の救い(慈悲)に、差別の生じるものではないのだ。門外の三車と、大白牛車を混同し、悟りを得るに時をかけ、いまだ火宅にいることを、知らぬままか!」

    三車火宅の話:
    「立派な長者の家に、火事がおこった。舎利佛よ、長者は子供たちに火事が如何に恐ろしいかを叫んだ。しかし子供たちは聞かず、遊び続けている。そこで長者は、子供の気をひくため、@ほら、羊車、鹿車、牛車を用意したよ。燃える家から出なさい」と促した。果たして子供たちは外に出て、「お父さん、約束の車をください」とねだった。長者はその三車をあたえず、全てを凌駕する立派な大白牛宝車を、子供たちに、平等にあたえた。舎利佛よ、長者は子らに嘘をついたのか。」
    「いえいえ、これこそが、慈悲深い父の行いでありましょう。そう、それでよいのだ。救うというのは、こういうことなのだ、と仏は言った。」

    「否!人に五種あり、声聞、縁覚、菩薩、さらに不定性、無種性……」
    「仏の慈悲に、限りあることはなし。大白牛車とは、法華一乗の義なり。なんぞ、三車に乗らんや!」
    「成仏の因に限りあり、声聞、縁覚、これなり!」
    「一切衆生、悉有仏性なり。「救い」は、無限です!生は、苦です。」

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  • 人というのは見苦しいものである。権力を持ったものほど。は、さておき。最澄が見出した灯は…「「救い」というのは、限りのあるものではない!」という最澄の言葉のほうが重く、まやかしであると言い切った徳一はいいがかりのように見える。「頭を下げる者に金は託せん。頭をもたげて遠くを見る者にこそ、力を貸したいと思う者だ。」阿刀大足の天邪鬼っぷりは敵に回すとやっかいではあるが。「けど道には通り方があるということや、周りを味方につけて通らんと道は段々狭うなる。「行く先」を決めるのは、「来た道」でしかないで…」霊仙がその後三蔵法師となる話はまた別の機会として。「きちんと衣を着るというのは、礼と節をまとうということだ。」勤操のおっさんも野生児のような空海には手こずるか。

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著者プロフィール

1967年長野生まれ。関西育ち。多摩美術大学卒業、博報堂制作局入社。デザイナー、CMプランナーの仕事に携わりながら漫画家デビュー。2000年、結婚を機に退社。現在3児の母。代表作に『渋谷区円山町』(集英社)、『サプリ』『&—アンド—』(ともに祥伝社)など。

「2012年 『だって、女子だもん!! 雨宮まみ対談集』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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