カール五世 (河出文庫) [Kindle]

  • 河出書房新社 (2013年11月1日発売)
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  • 江村洋「カール五世」(河出文庫)
    神聖ローマ皇帝カール五世の評伝。カールは神聖ローマ皇帝にしてスペイン王、フランドル公、さらにナポリ、シチリア、アメリカまで統治した。イタリアを巡ってフランス王フランソワと死闘を繰り広げ、地中海や東方ではオスマンと戦い、さらにドイツでは宗教改革に直面した。プロテスタントを事実上公認するアウクスブルクの和議の後に引退し、最後はスペインで死を迎える。なんとも派手な人生である。読み物として大変読み応えがある。
    1500年 ネーデルランドのガンでブルゴーニュ公フィリップスとスペイン王女ファナの間にカールが誕生
    1515年 成人を機にブルゴーニュ公として即位
    1517年 母方の祖父スペイン王フェルナンドの死でスペイン王国を受け継ぐ。
    1519年 父方の祖父神聖ローマ皇帝マクシミリアンの死で皇帝選出選挙があり、対立候補であったフランス王フランソワをしりぞけ神聖ローマ皇帝に選出される。以後フランソワとは終生戦うこととなる。
    1521年 ウォルムスの国会でルターを喚問。結論は出ず、ルターは放免される。同じころカールの広すぎる領地の統治について話し合いが行われ、スペイン・ネーデルランド・イタリアはカールが、オーストリア・ボヘミア・ハンガリーは弟フェルナンドが統治することとなった。
    1525年 フランソワがイタリアに侵入、パヴィアを包囲したがカールの反撃で撃退、フランソワは捕虜となる。26年のマドリッド条約で釈放。同年カールはポルトガル王女イサベラと結婚。翌27年嫡子フィリップ(後のスペイン王フェリペ2世)が誕生。
    1526年 フランソワはイギリス、イタリア諸侯、ローマ教皇とコニャック同盟を締結。フランソワは再びイタリアに侵入しナポリに迫るが撃退される。その間カールの軍勢の一部は「ローマの略奪」を引き起こした。
    1530年 アウグスブルグの国会でカールは調停案を出すが成果は得られず。
    1531年 フェルナンドがローマ王に選出された。
    1532年 トルコのスレイマン大帝がウィーンに接近。ドイツの新旧教徒は協力体制を敷いた。ギリシアでの海戦で帝国側が優勢となりスレイマンは撤退。
    1535年 アフリカでイスラムの海賊が跋扈しているため、カールはその本拠のチュニスに遠征。チュニスは占領したが海賊の頭目には逃げられた。同年、ミラノ公が死亡し嫡子が無かったのを機にフランソワは継承権を主張、翌36年にふたたびイタリアに侵入した。カールはフランスに逆侵入、どちらも成果を得られず37に和解成立。
    1540年 カールの生地ガンで反乱が発生したが鎮圧され、首謀者が処刑され自治権もはく奪された。
    1541年 レーゲンスブルグの国会で新旧教徒の調停を目指したが再び失敗に終わった。
    1542年 フランソワがトルコと組んでカールに宣戦。ドイツとスペインに攻め込むが、カールはイギリスと提携して反撃。44年にカールはシュパイヤーで国会を召集し支援を要請。新教徒側は新旧両教徒の同権を条件に要求、カールは公会議での承認を条件に仮承認した。その後フランスは劣勢に陥り同年クレピーの和が成立した。
    1545年 スレイマンが再び東方に迫ったため、カールはヴォルムスで国会を召集した。カールはローマ教皇に公会議開催を求めトリエント公会議が始まった(63年まで継続)
    1546年 カールは姪アンナをバイエルン公と結婚させるなどカトリック側の同盟強化に動いた。新教側ではザクセン選帝侯ヨーハンとヘッセン方伯フィリップが同盟を強化していた。カールは両者の遠縁にあたるモーリッツ(新教徒)を引き込んだ。同年のレーゲンスブルグ国会を新教側がボイコットしたころからカールは新教側に宣戦、シュマルカルデン戦争が始まった。同盟側の戦術がそろわない中、モーリッツが皇帝側で活躍、カールはミュールベルクの決戦で勝利をおさめた。選帝侯や方伯は捕囚となり、モーリッツが新たな選帝侯に任命された。モーリッツは勝者となったが、縁者の方伯への寛大な処置が認められず、また自身も新教徒であるのに新教徒の権利獲得も認められないことで皇帝へ不満を募らせた。
    1547年 アウグスブルグの国会で仮協定が結ばれたが、新教徒側の不満は大きかった。
    1551年 モーリッツはフランソワと密約を結び挙兵した。
    1552年 カールは滞在先のインスブルックでモーリッツに襲撃されイタリアに逃亡した。その後モーリッツとフェルナンドが主導してパッサウの和を結び、新旧両教徒の同権が認められ、もとの選帝侯や方伯も釈放された。フランスは北部の都市メッツを占領、カールは新教徒の支援も得て奪回に動くが失敗に終わった。
    1555年 その後もトルコの侵入が続くことからフェルナンドは新教徒の和解にせまられ、兄カールを説得してアウグスブルクの国会で正式に新旧両教徒の同権が承認された。同年ブリュッセルの王宮にてカールはネーデルランドの統治権を嫡子フィリップに、神聖ローマ帝国の統治権を弟フェルナンドに移譲すると宣言し、スペインに向かった。トレド西方のサン・ユストに居を構えた。
    1558年 カールはサン・ユストで逝去した。

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著者プロフィール

1941ー2005年。元東洋大学教授。著書に『ハプスブルク家』『ハプスブルク家の女たち』『マリア・テレジア』『カール五世』『ハプスブルク夜話』などがある。

「2013年 『フランツ・ヨーゼフ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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