サピエンス全史(上) 文明の構造と人類の幸福 サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福 [Kindle]

  • 河出書房新社
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感想・レビュー・書評

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  • 【感想】
    2年前に一度読み、このたび再読。分かってはいたが、やっぱりこの本は傑作だ。

    本書が他と一線を画している部分は、歴史のナラティブを「種族としての繁栄」と「個体の感情」の二面に立って検証していることだと思っている。紀元前9500〜8500年ごろに人類は狩猟採集生活から農耕生活に移った。人間ならではの連帯によって村落や国家を建設し活動領域を広げていくことは、マクロ的に見れば「人類の発展」のように思える。しかし、成員個人の視点で見れば、栄養不足による死亡率の上昇や、階級制度の出現による被支配といったマイナス要因が多数存在する。文明の進化は功罪相半ばするものの、その歴史を記すのは大抵農耕生活に変わったことで得をした人物、すなわち国王や神官といった上層階級によってであるため、ダークサイドの部分が語られることはない。

    この本を読むと、歴史とは常に強者(ホモ・サピエンスや上層自由人)が弱者(サピエンス以外のホモ属や奴隷)を一方的に抑圧し、生存領域を拡大し続けることによって生じた出来事の編纂に他ならないのではないか、と思えてしまう。
    歴史が常に正しい方向に進んできたわけではない。それでも、自然淘汰や弱肉強食の世界から一歩踏み出し、協力し合うことで自らをより高次元に進化させてきたのが「人類」なのだ、と信じてきた。しかしながらその「高次元」とは決して「幸福」を意味せず、「少数の支配階級と多数の被支配階級」、「強者たる男性と弱者たる女性」という二極化によって弱肉強食を正当化するものだったのかもしれない。最初はホモ・サピエンスが他のホモ属や動物を絶滅に追い込み、次に執政者が農民を支配し、やがて帝国が小国を飲み込んでいく。歴史は「高次元」ではなく「統一」という方向に向かい、統一された領域の中でも生存領域の拡大をめぐって衝突が起こり続ける。
    「人類史」をそう捉えると、かくも悲しいストーリーなのかと思えてしまうのだ。

    ―――――――――――――――――――――――――――――
    【まとめ】
    0 まえがき
    歴史の道筋は、三つの重要な革命が決めた。約7万年前に歴史を始動させた認知革命、約1万2000年前に歴史の流れを加速させた農業革命、そしてわずか500年前に始まった科学革命だ。三つ目の科学革命は、歴史に終止符を打ち、何かまったく異なる展開を引き起こす可能性が十分ある。


    1 ホモ・サピエンスの誕生と認知革命
    ホモ・サピエンスは10万年前のアフリカ大陸中央部に生まれ、6万年前にはユーラシア大陸に、4万5000年前にはオーストラリア大陸に、1万6000年前には北アメリカ大陸に渡っている。サピエンスがこれほど多くの、遠くて生態学的に異なる生息環境に、これほど速く移り住むことができたのは、また、他の人類種をすべて侵略できたのは、その比類なき「言語」のおかげだと考えられている。

    いまから7万年前、サピエンスの複数の生活集団がアフリカ大陸から各地に移ると、ネアンデルタール人を始めとする他の人類種を地球上から一掃した。約7万年前から約3万年前にかけて、人類は舟やランプ、弓矢、針(暖かい服を縫うのに不可欠)を発明した。芸術と呼んで差し支えない最初の品々も、この時期にさかのぼるし、宗教や交易、社会的階層化の最初の明白な証拠にしても同じだ。
    このように7万年前から3万年前にかけて見られた、新しい思考と意思疎通の方法の誕生のことを、「認知革命」という。

    この認知革命でもっとも革新的だったのは、驚くほど柔軟な言語を獲得したことだった。私たちは限られた数の音声や記号をつなげて、それぞれ異なる意味を持った文をいくらでも生み出せる。そのおかげで私たちは、周囲の世界について膨大な量の情報を収集し、保存し、伝えることができる。サバンナモンキーは仲間たちに、「気をつけろ!ライオンだ!」と叫ぶことはできる。だが、現生人類は友人たちに、今朝、川が曲がっている所の近くでライオンがバイソンの群れの跡をたどっているのを見た、と言うことができる。それから、そのあたりまで続くさまざまな道筋も含めて、その場所をもっと正確に説明できる。周りの世界について詳細な情報を共有することが可能になり、社会的な協力関係が発達し始めたのだ。

    伝説や神話、神々、宗教は、認知革命に伴って初めて現れた。それまでも、「気をつけろ!ライオンだ!」と言える動物や人類種は多くいた。だがホモ・サピエンスは認知革命のおかげで、「ライオンはわが部族の守護霊だ」と言う能力を獲得した。虚構、すなわち架空の事物について語るこの能力こそが、サピエンスの言語の特徴として異彩を放っている。

    だが、虚構を語ることの何が重要なのか?それは、虚構のおかげで、私たちはたんに物事を想像するだけではなく、集団でそうできるようになったからだ。聖書の天地創造の物語や、オーストラリア先住民の「夢の時代(天地創造の時代)」の神話、近代国家の国民主義の神話のような、共通の神話を私たちは紡ぎ出すことができる。そのような神話は、大勢で柔軟に協力するという空前の能力をサピエンスに与える。組織の規模は150人が限界であり、それ以上大きくなると集団を維持・指揮できなくなると言われているが、宗教や国家、貨幣といった虚構・物語をみんなが信じることで、数億もの人々をまとめることができる。
    アリやミツバチも大勢でいっしょに働けるが、彼らのやり方は融通が利かず、近親者としかうまくいかない。ところがサピエンスは、無数の赤の他人と著しく柔軟な形で協力でき、社会的構造の変化に適応できる。だからこそサピエンスが世界を支配することができたのだ。


    2 豊かな狩猟採集民
    サピエンスの集団のほとんどは、食べ物を探してあちらへこちらへと歩き回りながら暮らしていた。彼らの動きは季節の変化や、動物の毎年の移動、植物の生長周期の影響を受けた。彼らはたいてい、数十平方キロメートルから、多ければ何百平方キロメートルもの生活領域を行ったり来たりし、自分たちの周りの環境について幅広い知識を持っていた。

    狩猟採集民は、後世の農民や牧夫、肉体労働者、事務員よりも、全体として快適で実りの多い生活様式を享受していたようだ。今日、豊かな社会の人は、毎週平均して40〜45時間働き、発展途上国の人々は毎週60時間、あるいは80時間も働くのに対して、今日、カラハリ砂漠のような最も苛酷な生息環境で暮らす狩猟採集民でも、平均すると週に35〜45時間しか働かない。狩りは3日に1日で、採集は毎日わずか3〜6時間だ。そして狩猟採集で手に入る食物からは理想的な栄養が得られた。それは食物の多様性に溢れていたからだ。また、自然災害にも(農耕民に比べれば)楽に対処することができた。


    3 農業革命
    農耕への移行は紀元前9500〜8500年ごろに、トルコの南東部とイラン西部とレヴァント地方の丘陵地帯で始まった。それは地理的に限られた範囲でゆっくりと始まった。紀元前9000年ごろまでに小麦が栽培植物化され、ヤギが家畜化された。エンドウ豆とレンズ豆は紀元前8000年ごろに、オリーブの木は紀元前5000年までに栽培化され、馬は紀元前4000年までに家畜化され、ブドウの木は紀元前3500年に栽培化された。

    しかし、人類は農業革命によって手に入る食糧の総量をたしかに増やすことはできたが、食糧の増加は、より良い食生活や、より長い余暇には結びつかなかった。むしろ、人口爆発と飽食のエリート層の誕生につながった。平均的な農耕民は、平均的な狩猟採集民よりも苦労して働いたのに、見返りに得られる食べ物は劣っていた。農業革命は、史上最大の詐欺だったのだ。
    代表的な栽培植物である小麦に目を向けてみよう。小麦は相当手がかかる作物だ。下草を取り除き、虫害や疫病に気をつけ、多くの水を必要とする。そして、サピエンスの身体はそのような農作業のために進化してはいなかった。
    人類の脊椎や膝、首、土踏まずにそのつけが回された。古代の骨格を調べると、農耕への移行のせいで、椎間板ヘルニアや関節炎といった、じつに多くの疾患がもたらされたことがわかる。そのうえ、新しい農業労働にはあまりにも時間がかかるので、人々は小麦畑のそばに定住せざるをえなくなった。そのせいで、彼らの生活様式が完全に変わった。
    そんな苦労の割に、農耕はより優れた食生活を提供しなかった。食物の多様性がなくなったためビタミン不足に陥り、天災の影響も受けやすくなった。もし飢饉が起きたとしても、定住生活のせいで食料を求めて居所を移すことができなくなった。

    農業革命がもたらしたことといえば、単位面積当たりの土地からはるかに多くの食物が得られるようになったため、ホモ・サピエンス全体の数を爆発的に増やすのが可能になったことだろう。永続的な村落に移り、食糧の供給量が増えると、人口が増加し始める。放浪の生活様式を放棄したおかげで、女性は毎年子供を産めるようになった。赤ん坊は幼くして離乳させられた。だが、食べさせてやらなければならない人が増えたので、余剰の食物はたちまち消えてなくなり、さらに多くの畑で栽培を行なわなければならなかった。人々が病気の蔓延する定住地で暮らし始め、子供が母乳よりも穀類を摂取する量が増え、どの子供もしだいに数を増す兄弟姉妹と競い合ってお粥を手に入れようとするうちに、子供の死亡率が急上昇した。ほとんどの農耕社会では、少なくとも3人に1人の子供が20歳になる前に命を落とした。それでも依然として、死亡率の増加を出生率の増加が上回り、人類はさらに多くの子供を産み育て続けた。

    楽になると思って農耕を選んだが、生活は一向に良くならなかった。しかも増え続ける人口を補うために、ふたたび狩猟採集時代に後戻りすることはできなくなってしまったのだ。


    4 社会の拡大
    農耕民が生み出した余剰食料と新たな輸送技術が組み合わさり、やがてしだいに多くの人が、最初は大きな村落に、続いて町に、最終的には都市に密集して暮らせるようになった。そして、それらの村落や町や都市はすべて、新しい王国や商業ネットワークによって結びつけられた。農業革命によって、混雑した都市や無敵の帝国を打ち立てる機会が開かれると、人々は偉大なる神々や母国、株式会社にまつわる物語を創作し、必要とされていた社会的つながりを提供した。人類の進化がそれまでどおりの、カタツムリの這うようなペースで続くなか、人類の想像力のおかげで、地球上ではかつて見られなかった類の、大規模な協力の驚くべきネットワークが構築されていた。

    その物語の最初期のものは法典だった。法や人権、ヒエラルキーは客観的に正しいから信じられるのではない。それを信じれば効果的に協力して、よりよい社会を作り出せるからだ。人類最初の法はハンムラビ法典であるが、ハンムラビ法典は上層自由人と一般自由人と奴隷を規定し、人間の種類に差を設けている。これは差別を設けたほうが、より安定した社会を作れると信じられていたからだ。


    5 統一へ向かう世界
    どの文化にも典型的な信念や規範、価値観があるが、それらはたえず変化している。文化は環境の変化に対応して変わったり、近隣の文化との交流を通して変わったりする。さらに、自らの内的ダイナミクスのせいで変遷を経験することもある。生態学的に安定した環境に、完全に孤立して存在している文化でさえ、変化は免れない。矛盾とは無縁の物理学の法則とは違って、人間の手になる秩序はどれも、内部の矛盾に満ちあふれている。文化はたえず、そうした矛盾の折り合いをつけようとしており、この過程が変化に弾みをつける。

    地球上には異なる人間社会がいくつ存在したのだろう?紀元前1万年頃、この星には何千もの社会があった。紀元前2000年には、その数は数百、多くても数千まで減っていた。1803年には、イギリス人がタスマニア島に最初の入植地を建設し、最後まで残っていた自律的な人間世界をアフロ・ユーラシア大陸の勢力圏に組み込んだ。


    6 貨幣
    人々はいかにして同じ王に従属していない文化を統一させたか?
    それは貨幣の力によってだった。

    都市や王国が台頭し輸送インフラが充実すると、専門化の機会が生まれる。しかし、専門化からは一つ問題が生じた。専門化どうしの品物の交換を、どう管理すればいいのか?そこで生み出されたのは、人々の虚構の中にだけ存在する、絶対的な価値を担保するもの、すなわち貨幣だった。
    貨幣は相互信頼の制度であり、これまで考案されたもののうちで、最も普遍的で、最も効率的な相互信頼の制度だった。宗教や性別、人種、年齢に基づいて差別することのない唯一のものである貨幣のおかげで、信頼しあっていない人同士でも、効果的に協力できるようになった。

  • オーディブルにて。

    色々と作業しながら聴いていたが、凄く聴きやすく頭に入ってきた。我々サピエンスがどのように社会を形作ってきたか。その科学的な視点はいままで考えたこともなく。価値観のコペルニクス的回転をさせてくれた。特に気に入った考え方は、「人間は虚構を信じる唯一の生き物である」という点。
    言語を習得したサピエンスはまず、噂話という形で周囲の他のサピエンスたちと協力して行動していくことを身につけた。しかしそれだけで形成できる社会の最大人数は精々150人程度。その後人類は神話や宗教を発明し、それを信じる何万人もの人々の社会を形成できるようになった。そして現在では宗教と混在して、新たに大きな虚構を人類が生み出した。それが、国、法律、経済だ。貨幣はただの紙切れに過ぎないものに価値を付与させた、人類最大の魔術だ。国や、会社はそのマークを持って信用を得、会社自体が他社に不利益を被ったとしても、発起人には賠償責任もない、人類最強の神話だ。

    マルクスの資本論を読みながら本書を聞いていたこともあり、資本主義構造と結びつけて考えてしまったが、人類はこの虚構、嘘を信じる一般市民たちによってその協力関係が築かれており、この真理に気づくたった数パーセントの人間がその利益を享受している。その例として、あるイギリスの貴族が言っていた。「神などいないが、私の奴隷たちにはその事実を知られてはならない。もし彼らがそれを知れば、私は殺されかねないからだ」こんな感じのことを言っていた。この言葉はサピエンス協力関係の縮図となっている気がする。そんな反社会的な妄想をついつい膨らませてしまった。

  •  人の世虚し応仁の乱―歴史の勉強なんて丸暗記で退屈だと思ってるなら、是非本書を読むべきである。本書はヒトがサルから分岐した進化の過程を、いくつかの特徴的な転換点を紹介しつつ、国家を超えた地球俯瞰的な立場で紹介する。
     本書を現代人が読むべき理由は、ヒトが身体(脳内の様々な電気信号とその受容体=心を含む)を進化させるスピードに対して、現代の道具の進歩があまりにも速すぎ、ついていけずに歪みが発生している点にある。このような現象は直近特有のものである。直近というのは、有史以後や紀元前後も含む。というのも、ヒトがサルから分岐したのは約500万年前なのに対し、キリストが生まれて2000年、一般人がパソコンを触るようになったWindows95からたった25年しか経っていない。ツイッターに至っては15年である。ヒトが順応するにはあまりに短すぎるのである。よって現代人が自身の心を考察する時、進化の過程を考察せずにいられない。
     義務のように書いたが、本書は純粋に無知を知にする喜びを与える。しかし、本書の本質は歴史の勉強や知的好奇心を満たすことではない。我々個人や社会が直面する問題や悩みに対し、ヒトの進化の過程と現状を認識し知を得ることにより、自分の心の中に羅針盤を据え、諸問題に心乱されることなく、正対できるようになるためだと、私は思う。

  • 『マクニールの世界史』より古い時代から、人間って何だろう?にフォーカスして描かれている印象。切り口としては、認知革命、農業革命、科学革命。


    約七万年前から始まった認知革命のキーワードは、「虚構」という。この「虚構」によって人類が協力できる様になったと。

    虚構は、古くは「神話」から「秩序」、そして「株式会社」など、人類が協力する上で必要なものという視点は、面白い。

    更に、普遍的秩序として、「貨幣」、「帝国」、「宗教」が編み出され、最も普遍的で、かつ最も効率的な相互信頼の制度は、「貨幣」であるという。章立てとしては帝国と宗教についても触れられている。

    農耕では、「人類がそれらを栽培したのではなく、人類がそれらに栽培されている」と言う視点は、そんな見方もあるのかと、なんか漫画チックな感も。

    数千年という単位で俯瞰してみていくなら、「歴史は統一の方向に向かって進んでいる」なんて、今の時代を生きてるからこそ実感できるんじゃないかと思える。

    下巻へ

  • 虚構を認知し他のサピエンスとの協力に利用することにより、他の種や他のヒト種を出し抜き、食物連鎖の頂点に立ったのがホモ・サピエンス。

    構成員の噂話レベルから、今日の各種社会システム(企業、国、法律、宗教など)にいたるまで及んでおり、他の種族には見られない活動。サルは法律ではなく、本能で活動するしかないが、サピエンスは人工的な本能ともいえる文化を創り出すことができる。

    虚構としての神話を操作することで方針を変更することも可能であり、それにより遺伝子に依存した長い期間ではなく短い期間での社会の変革が可能になった(フランスの王権神授説から国民主権は一晩)。

    虚構はヒエラルキーも作り出す。しばしば自然的に発生したものだとなされてきた。性別においては、生物学的な面と文化的な面からアプローチが変わっており、後者は徐々に拡大傾向にある。

    書記体系の形成により脳の外部に情報を保存して置けるようになり、帝国を形成する基礎が出来あがった。つまりは大量のサピエンスを管理することが可能になった。

    他の動植物種を大量に滅ぼしつつ、サピエンス内部でもその種や文化を徐々に収斂させてきている状況にある。虚構の一つである貨幣によって単一の市場を作り出すことに成功し、帝国によって文化面での統一を徐々に成し遂げてきた。普遍化。

    サピエンスの特殊性が非常によく理解できた。手間で世界史を読んでいたので、いつ何がという点も腹に落ちやすかった。

  •  人類が原始の時代から産業革命を経て、現代に至るまでの歴史、失敗などが書かれている。
     学者の人の文章のためか、翻訳によるものなのかはわからないが冗長と感じる場面も少なくはなかった。しかし全編を通じて強欲な人間が弱者を踏みにじるということへの、作者の憤りのようなものを感じた。
     より豊かになりたいという精神は確かに人々の生活をより良くするためには必要なことではあるが、それが行きすぎた時、略取などが行われ辛酸を舐めさせる人が出てくる。
     現代においてはかつての植民地のような直接的な搾取はなくなったのかもしれないが、新自由主義や、発展途上国への経済協力の名の元に強いものが弱いものから奪う状況が続いている。
     長い目で見ればこれは先進国など強者の世界にも悪影響を及ぼすだろう。それが現在の難民問題などにつながり結局は自分たちの首をしめている。どうすれば皆が幸せになれるのか、自分さえ良ければの精神を捨てる必要性を感じた。

  • 英語の勉強を兼ねて原書を読んだことが一度あるが、日本語訳版でも面白さは変わらず。これまでの人類史を解説するだけでなく、今日において世界的に問題とされている点や当然と思われている事が、どういった人類の歩みにより形成されてきたのかを論じているので、知的好奇心を大いにくすぐられる。本著のおかげで改めて世界史を学びたいと強く思った。

  • 神やイデオロギー、国家といったあらゆる概念は『フィクション(虚構)』に過ぎないと喝破する意欲作。

    ハラリ氏はこれらのフィクションについて、支配層が大衆をまとめるために(時に搾取するために)生み出したプロパガンダで騙されないように、と警笛を鳴らしているわけではない。

    これらのフィクションが人々の協力を促して秩序を維持し、集団の生存戦略にも寄与していることにこそ、注目したい。シキタリ、ルールなどのフィクションを盲信するのではなく、誰が、いつ、何のためにこのフィクションを生み出したのか?をこの本で辿ることで、それが機能する面と不必要な面を見極めようとするキッカケとなり、その境界線を考える視座にしたい。

  • 大著の上巻をkindleで読了。
    現生人類の祖先であるホモ・サピエンスがいかに生き延びてきたかを、三つの革命(認知革命・農業革命・科学革命)を通して解き明かす。目から鱗の圧倒される内容。レビューは下巻読了後に。

  • 段々とめんどくさくなって積読していたけれど、気が向いて再開。とても面白かった。
    とりあえず上巻は人類が何に支配されてきたのか、善悪という価値観を超えて客観的に、しかし面白く書かれている。
    ベストセラーになったのも納得。

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著者プロフィール

歴史学者、哲学者。1976年イスラエル生まれ。オックスフォード大学で中世史、軍事史を専攻し博士号を取得。現在、ヘブライ大学で歴史学を教授。『サピエンス全史』『ホモ・デウス』『21 Lessons』。

「2020年 『「サピエンス全史」「ホモ・デウス」期間限定特装セット』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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