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- / ISBN・EAN: 4988013163492
感想・レビュー・書評
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女性が抑圧される姿と、その中でも精一杯、束の間の若さを謳歌しながらなんとか抗おうとする少女たちの姿を、瑞々しくて魅力的な映像構成の下、愛着を持って描いたことがわかる、トルコ出身の女性監督の作品。
トルコの辺境にある田舎の村。両親が早世し、祖母と叔父と暮らす、五人姉妹の長女ソナイ、二女セルマ、三女エジェ、四女ヌル、そして、五女のラーレ。
五人は、学校帰りに男の子たちと海で騎馬戦遊びをしたことを、家族や周囲にひどく咎められ、学校にも行けず、家に監禁されてしまう。
息苦しい監禁生活に疲れ、自由を求めて、五人はつかの間秘密の外出を決行するけど、事態はより悪化してしまう。
祖母や叔父の強制のもと、チャッカリ者の長女ソナイは運良く付き合っていた彼氏と結婚できたけど、二女セルマは望まない相手に無理やり嫁がされる。
そして、同じく望まない相手と結婚させられそうになった三女エジェは、壮絶かつ悲惨な選択をしてしまう。
そして、今度は四女ヌルが望まない結婚を強いられた時、五女のラーレは、以前から計画していたある行動に出て…。
姉妹たちの置かれた境遇は、日常でまったく男女差別を感じないわけではないけれど、日本で自由を謳歌する私からすれば、極端な男尊女卑を軸にひどく時代遅れで、とても不当なものに思えます。
特に、10代前半の子が学校にも行くことも許されず監禁されるなんて、もはや、虐待レベルです。
実際、彼女たちは、あがいても逃れられないその境遇に苦しんでいます。
同性としては、とても胸が痛いシーンも多いです。
それでも、この映画の魅力的な部分は、幼いゆえに反発心旺盛でお転婆な五女ラーレの視点を中心に構築された少女たちのもがきと、大胆な行動の描かれ方の等身大な姿、そして、どんな境遇にいても、姉妹たちが寄り添っている時の映像の美しさのおかげでしょうか。
自然光らしい柔らかな光や影を巧みに取り入れた映像の中で、仲良く床にだらしなく転がって悪ふざけしてみたり、ケンカしてみたり、悲しく不幸な時は、微動だにせず、虚ろな表情でただただピタリと身を寄せ合っていたり。(ただ、最初は五人だったのが、一人、また一人と欠けていく様は、やはりつらいですが…。)
五人の、まだあどけなさが残る表情や、ゆらゆらとなびく長い髪、いかにも10代らしい華奢でしなやかな肢体、ジーンズやキャミソールのカラフルなファッションなども、とてもかわいらしく魅力的に撮られています。
そして、登場する大半の男性が、女性を所有物として支配し、抑圧するように描かれている中で、ラーレに手を差し伸べる男性がいることにも、わずかながらですが、救われる気持ちになります。
反乱を起こしたラーレたちが辿り着いた先の、決定的な結末は描かれないままで、観ているうちになんだか姉のような気持ちでだんだんと感情移入してしまっていた身としては、彼女たちはどうなるのか(どうなったのか)不安になると同時に、幸せになることを切に願って見終えた作品でした。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
『裸足の季節』(ギュネシ・シュンソイ)
5人の娘は両親を喪い、トルコの小さな村で祖母と叔父の手で育てらていく。
前半部分で映し出される、自由気ままに振る舞う5人の娘たちを見ていると、1980年代後半のアイドルグループ“おニャン子クラブ”に胸を弾ませていた感覚が蘇ってくる。
それが、一転して、そんな彼女たちの振舞いが近所の女性の非難を生み。祖母、叔父の教育の仕方を猛省させることになっていく。
家族というのは、親が培ってきた文化を子どもを育てていく過程で、自然と継承していく場であろう。時代の変化のスピードが著しく早くなった現代では、一世代であってもその始めと終わりでは全く違った価値観が社会を席巻しているので、私の若かった頃には親子の間でもジェネレーションギャップ強くを感じることが多くあったが、最近ではそれはもう口に出すことでもない当然の日々の現象の一つになっている。
そんな、現代のトルコの小さな片田舎で、“両親”という一世代を通り越して、祖母と叔父が文化の襷渡しをすることが、この5人の娘に人生の試練を引き起こす。
生きていくことに“何が正しい”なんていうこともないし、“何が幸せ”になるかは、歩んだ後にしか分からないから、このトルコの片田舎の文化も祖母、叔父の教育も否定はできない。
ただ歩んであるときに「こう生きたい」という自由意志の欲求をぶつける対象が無かったことが、この映画を観ているときに息苦しさを感じた理由にあるなのかもしれない。
一番下の末娘ラーレの視点で見つめた姉たちの姿でこの映画が描かれていることが、ラーレの気持ちも同様であったことをうかがわせる。
最後にバスの窓から都会イスタンブールの景色を観たときにラーレと四女ヌルの胸中に訪れた感覚を想像するだけでも充分楽しめる。
私が社会人になって、不仲だった両親から離れるために、家を出たとき引越しのトラックの助手席に乗せてもらった記憶が蘇るが、そんなチッポケな感覚じゃなくて、複雑で、道なき道を歩んでいる実感(大きな不安と小さく確実な期待)がまだteenagers の彼女たちの胸に広がっていたに違いない。 -
美しくも胸が苦しくなる作品
朧気に映す光の表現、娘たちが戯れる瑞々しさが美しいが、保守的な叔父のもとで閉じ込められた境遇の中の美しさという点が悲しさを際立たせる。
ジェンダーの観点から娘たちの環境を非難するのは容易いながら、映像表現の美しさがその環境を強いるものたちの視点を観客に突きつけているようにも見える。「ほら、君たちも『美しい』と思ってしまったろう?」と。考えすぎだろうか。
自殺した三女の結末が一番つらい。レビューを書くにも気が重い。 -
設定がヴァージン・スーサイズに若干似ているのだが、こっちのほうが抑圧/抵抗/解放のロジックが婚姻制度とかとして描かれているぶんわかりやすい
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強い意志を持つことでやっと美しく生き延びられるような窮屈な街。運転手のヤシンがくれる純粋な手助けがあたたかい。
c.f.籠の中の乙女 -
2016/12/31