ダゲレオタイプの女[Blu-ray]

監督 : 黒沢清 
出演 : タハール・ラヒム  コンスタンス・ルソー  オリヴィエ・グルメ  マチュー・アマルリック 
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感想 : 7
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  • Amazon.co.jp ・映画
  • / ISBN・EAN: 4988021715171

感想・レビュー・書評

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  • ・ひとはみたい現実しか見ないという内容だった
    ・池に沈んだマリーは見つかったんやろか
    ・ダゲレオタイプの写真撮影体験してみたいなー、1度だけでいい、何回もやってるのを見てるだけで気が狂いそうであった
    ・あとマリーがめっちゃ怖かったんだよな…細すぎてというのもあるけど、眼球が常に左右に動いてて病んでそうな怖さ

  • 死んだ者の怨念と生きてる者の欲、そして破滅。きわめて古典的な怪談の型にはまってるわけだけど、どうしてだろう、ひどく心を揺さぶられた。あっち側とこっち側の境目がだんだんあいまいになってくる感覚が快かった。

    以下ネタバレありの備忘録。


    *マリーの髪型と服めっちゃ可愛い。
    *フランス人は怖がるリアクション派手。
    *ジャンはちょっと時給の高い仕事見つけると高そうな店でエスカルゴ食べちゃうようなお調子者なんだよね。馬鹿だなあって思ってみてたけど、あれ生きてる者の滑稽さを示す大事なシーンだったかも。
    *写真撮ってもらいに来るおばあちゃん、池の近くでジャンが出会うおじいちゃん、死に近い者のふっきれたところに抜群の安心感あった。あのおばあちゃん出てきた瞬間、あっち側怖くないねと思えるところが強い。
    *植物園が水銀で枯れちゃうところ、哀しかった。
    *ジャンとマリーがもうどこにも行き場所なんてないのに車で遠くに行くところは『散歩する侵略者』の最後のほうの車の場面思い出して泣けた。

  • 言いたい事があり過ぎて、何をどう言ったらいいのかよくわかりません。

    ただ、何が恐ろしいって、フランスまでわざわざ出張ったにも関わらず、小津の階段落ちを平然と、しかも恐ろしい精度で撮ってしまう黒沢清の人を人とも思わぬ欲望の頑なさが、何よりも恐ろしい。一体これはどうなっているんだろうか。

    文字通り不在の恋人に向かって、話しかける主人公。いないもんはいないのだと言う厳然たる残酷さ。
    ただ、こういうエモーショナルなシークエンスは彼の映画で初めて湧き上がるもののような気がする。

    ほんとに、いい旅だったね。

  • ◆ 「固定」された愛 ◆







    黒沢 清監督作品ということで観てみた。
    世界最古と言われている撮影法であるダゲレオタイプ。それをいて妻を写し続けてきたステファン。
    だが妻はその撮影の過酷さ、ダゲレオタイプに対する夫の異様なまでもの執着心に疲れ果てのか自ら命を絶ったという設定。

    妻亡きあとステファンは美しき一人娘マリーの中に妻を見つつ、仕事でする撮影の合間にはマリーをダゲレオタイプで撮影し続けていたのだった。

    ある日ステファンの助手としてジャンという青年が働きだす。不慣れながらもジャンは懸命に補佐を務めていき、マリーとジャンはいつしか惹かれあうように。撮影に要する時間は1時間はざらで劇中で、「今日は2時間だった」という台詞もあり驚いた。その間、動かないようモデルになる者は専用の金具で身体を固定される。

    苦痛を伴うこの撮影法に人生を捧げている父エグレーに協力してきたマリーだったが。植物を愛する彼女は自身の道を往こうと決意するのだが。
    マリーが温室で丹精し育てていた植物が銀の排水による土壌汚染から枯れるシーン。娘が父を見限ったと受け取れた。


    妻の亡霊を度々見るステファン。筋弛緩剤をふたりに用い撮影に臨ませていたと、ステファンがジャンに吐露した場面に究極の愛の歪みを見た。


    「息子のマまなざし」等のオリヴィエ・グルメ、「潜水服は蝶の夢を見る」等のマチュー・アマルリック、このおふたりが出ていることによりこれはもうフランス映画のパフュームが漂っている。


    マリーを演じたコンスタンス・ルソーの美しい線の細さ、硝子細工のような繊細さが本作を支えていると言えよう。

  • 清がフランスで怪奇映画を! なんてトレビアーン!
    ファンとしてはミーハーに盛り上がってしまう。
    しかし清は決して浮足立たない。
    いつもの作風でいつもの哲学を披露するのだ。
    彼の恬淡さは憎々しいほど好もしい。

    フレディ・マーキュリーかキアヌ・リーブスをひ弱にした感じの青髭男がバイトで採用されたのは、写真家。
    しょぼくれたニコラス・ケイジのようなモーソーゲージツ家(怪奇映画でいえばマッドサイエンティスト)が父で、娘は骨皮筋子(取り引き先の人に似ているせいで集中できない)。
    まあ俳優はこんな感じ。

    拘束具を要するほど長い露光時間を要する芸術(しかも等身大!)と、再開発地域だから家を手放せば大金、という俗な出来事が、行ったり来たりしながら進行していく。
    ダゲレオタイプといえばポストモーテムフォトグラフィー、すなわち死後写真。
    廃墟趣味の清が惹かれないはずがないのだ。

    そんな中、唐突に階段落ち。文字通り。(「回路」の飛び降りと同じくカット割りなしで!)
    ここから急速に清節が激化していく。
    ビニールカーテン。ごみに突っ込む。触れることのできる幽霊。え、そんなところから出てくるの。え、そんなところになんで立ってるの。いかにも幽霊的な立ち居振る舞い。

    階段から落ちてぐにゃぐにゃになった筋子は、川沿いでいったん姿を消して、特に怪我はないと言う。
    もうここで彼女は……とわかるが。
    主人公とふたりきりのときにしか登場しないし。

    殺人。もう後戻りできない。
    「岸辺の旅」と同じく、死者とのセックス。
    思いついて教会で結婚式の真似事。
    時間外だよと神父に見つかって、すみません空いていたもので、と振り返ると、いない。消失。
    静かに車に戻って、いかにも「まだいる」かのように空虚に対して話しかけ、笑いかける。やや涙ぐみながら。
    ここの演技は素晴らしい。
    だって彼を翻弄した父娘はもう存在しないのだ。
    主観や妄想を演じる、のは役者にとっていかに難しいことか。
    本作はいわば清節オンリー、ファンとしてはすでに知っている映画だとも思えるほどに既視感たっぷりだが、このラストだけは、ぎらっと新鮮に輝いた。

  • 2016.10.15
    新宿シネマカリテで鑑賞(3.5点)

  • (2016年作品)

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