すべての教育は「洗脳」である~21世紀の脱・学校論~ (光文社新書) [Kindle]

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感想・レビュー・書評

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  • 堀江さんが学校教育の弊害について語った本です。学校は従順な工場労働者を育成する機関であり、その現場で行われる教育はまさしく洗脳であると断罪しています。また、ライフスタイルやニーズの多様化が進んだ現代において、国家や企業という概念自体が過去のものであり、これにすがって生きていくのはナンセンスであると述べています。相変わらず堀江さんらしい鋭い物言いですが、「まぁ、ありていに言うとそうだよなあ」と頷けます。結局、自分の好きなことをなり振り構わず追求していける人間こそが未来を切り拓いていくわけですが、そういった人にとって重要なツールがインターネットであり、これをいかにうまく活用するかが鍵であるとも述べていました。<情報革命>と言われて久しいですが、これは世間で思われている以上に強力だと感じました。世界はもう変わったんですね。

  • 「教育とは何か?」と言うことを改めて考えた。

    1度きりの人生。何も怖がらずに、自分が本当にやりたいと思うことをやりなさい!と背中を押してもらえる。

    3つのタグ、貯金型思考と投資型思考の比較は、今後の人生設計を立て直す上で参考になる。

  • 同調圧力から逃れられない日本人の心情をズバっと切ってくれて、本当に気持ち良かった。

  • 日本的な同調圧力は学校から始まっている。もっと自由、ある意味適当で良いんだよね。

  • 目新しさを感じずやや胡散臭くすらあるタイトルとは裏腹に、大変な名著だった。タイトルもったいない。
    著者の主張に対する想定反論にことごとく回答が用意されていて、否定のしようがないほどに論理的で説得的。
    「何かしたい」けど「今はできない」人たちは、教育という名の洗脳によって自分にブレーキをかけているんだよ、だからそのブレーキをこうやって取り除いていこうよ、という内容。
    ホリエモンのことが嫌いな人にこそ読んでもらいたい一冊。

    以下メモ。

    ・学校の期限はは産業革命の時代に工場労働者を効率的に生産するために作られたものであり、すでに今の時代には全くそぐわない
    ・今の学校教育は「投資」ではなく「貯金」のイメージ。いざというときのための保険と考えられている点において。
    ・「違う国」「違う世界」というイメージを作り出すのは「接触コスト」。インターネットや輸送技術の進歩でそのイメージは溶解しつつある。
    ・インターネットの登場がもたらした恩恵は、「他者と通信できる」ことではなく情報やモノ、あらゆるものの「所有」の価値を著しく下げたこと。
    ・学校が人に「(突出した特技はなくていいから苦手を満遍なく克服した)オールB人材であれ」と命じるのは、「誰に、いつ、何を命令されてもそこそここなせるようになるため」であり、「やるべきことは誰かから与えられるものである」という価値観が前提である。
    ・サーカス団の一員として幼い頃からずっと杭に鎖で繋がれていた象は、大人になって杭を引き抜いて逃げ出せる力をつけた後も決して逃げ出さないのだそう。自分が無力であることを長年信じ込んできたため、その考えを改められないのだ。「禁止」という低コストな集団教育は、「我慢してくれる労働者」を育てるためには実に効果的。
    ・後先考えない「没頭」から、新しい仕事へとたどり着く、そんな例をいくつも見てきたからこそ、人が一見どんなにくだらなそうなことにハマっていても、「そんなことをしていても食っていけないのに」とは全く思わない。むしろ、将来からの逆算をすればするほど、人の可能性は狭まっていくと思っている。100点というゴールを設定してそれに向かって突き進んでも、最大で100点しか取れない。が、逆算をやめて1点1点を楽しみながら積み上げていけば、それは200点にも300点にもなる可能性がある。
    ・「サッカー選手になれる確率は低いのだから、サッカーにハマるのは無駄だ」。これは裏を返せば、「サッカーをやるからには、サッカー選手にならなければならない」という謎の強迫観念に囚われているということ。サッカーという入り口は、サッカー選手という出口にしか繋がっていない、そんなことはあり得ない。「サッカーに没頭する」という経験がもたらす可能性は、「プロのサッカー選手になる」だけではない。途中でサッカーグッズの開発に興味を持つかもしれないし、サッカー漫画にハマって漫画家になるかもしれないし、サッカー部でできた友達と何か関係ない仕事を始めるかもしれないし、10年後にはサッカーにまつわる全く新しいビッグビジネスが生まれていて、サッカーのスキルがたまたまそれに生きるかもしれない。こんな想像はいくらしてもキリがない。まさに無限大。こうした可能性を全て「ゼロだ」と却下できる人はいないはずだ。同時に、どれか一つの可能性だけを取り上げて、それを理由にやるやらないの選択を下すのも馬鹿馬鹿しい。やりたいならやればいい、それだけだ。
    ・預貯金の実態は「貸付」なので、預貯金がないと困るのは、実は僕たちではなく金融機関のほう。つまり金融機関は、人々の老後を気遣って貯金させようとしているのではなく、「お金を貸してくれ!」と必死に主張しているだけなのだ。「いざという時」という概念は、そのために利用しているフィクションでしかない。
    ・「土地を持っているのでホテルを作ろうと思うんですが、どうやって差別化を図ればいいですか?」的な質問をされたことがあるけど、僕の答えは「順序が逆だから、土地なんてさっさと売ればいい」だった。土地があるからホテルを作るのではなく、「ホテルを作りたいから土地を探す」が正しい順序。手持ちのものを上手く使うことからスタートしている人は、正しい順序でやっている人にパフォーマンスで勝てない。自分のやってきたことや、すでに持っているものから「やること」を決めてはいけない。「有効活用しなければ」という強迫観念にとらわれるぐらいなら、一度手放して、本当に土地が必要になったらまた買えばいい。
    ・投資は「先読み」が大事だと言われるが、それは闇雲に未来を予測することとは違う。未来を予測しようとすることに意味はない。予測など不可能だから。では何を先読みするのか。「自分」だ。自分が求めているものは何か、やりたいことは何か。今この瞬間、どんな生き方ができたら幸せなのかを真剣に考え抜くのだ。それが、あなたが何に資本を投じるかを決める原動力になる。
    ・「今学校/会社を辞めたら大変なことになる」などというのは完全なうそ。一つの組織から抜けたぐらいで「大変なこと」なんて起きない。東大を中退しても大変な目になんて一切遭わなかった。会社を辞めて転職したり独立したりしている人は山ほどいる。「大変なことになる」はデマ。合わない組織に身を置き続けて健康を害するぐらいなら、無職になって出直すほうがよほど将来性が高い。
    ・ほとんどの人は学校で「早く放課後にならないかな」と考えていたはず。今会社で「早く終業時間にならないかな」と考えているなら、あなたにとって会社は学校と同じくらい嫌で、つらく、我慢だらけの無益な場所ということ。それを象徴する言葉が「ワーク・ライフ・バランス」。会社や仕事を「嫌な時間」としか見ていない人の発想だ。
    ・バランスのいい生活を、と言われると1970年代に流行った給食指導「三角食べ」を思い出す。当たり前だが、三角食べにメリットなど何もない。消化吸収などの健康面を重視するなら、むしろコース料理のようにサラダ→肉→主食という順番で食べていったほうがいい。これと同じように、ワーク・ライフ・バランスなどというものも無用の長物。
    ・「あと1時間で退勤時間だ」「週末になったらめいっぱい遊ぶぞ」、あなたがいつもそんな言葉で自分を奮い立たせているのなら、改めて考えてみよう。なぜ人生を「嫌な時間」と「楽しい時間」に分けなければならないのか。全てを「楽しい時間」にする方法は本当にないのか。
    ・宇宙兄弟に登場するJAXAの試験の内容は、取材によるものではなく、作者小山さんの完全な想像。しかしJAXAが実際に行なっている試験内容に極めて近いのだそう。宇宙研究に携わっているわけでもない一介の漫画家の想像力が、現実の世界をトレースしてしまったのだ。また、小山さんの画を研究者に見せると、それが現在はありえない画であっても、「いつかこうなると思います」と返されることもあるそう。手塚治虫は数々のSF作品の中で、今や現実のものとなっている光景をたくさん描いてみせた。「より面白いものを描きたい」という情熱が、30年後、50年後の「科学の最先端」を描いたのだ。こうした現実を見れば、「漫画ばかり読んでいる大人は情けない」などという人たちがどれだけナンセンスか分かるだろう。遊びに詰まった夢や知恵をバカにし、「遊び」と「飯の種」の間に太い線を引いている人に、「新しい飯の種」を生み出すことなんてできない。彼らはいつまでも「会社が支給してくれる、すでに仕事として成立している仕事」だけを追い続ける。そしてその仕事は、テクノロジーの進歩によってみるみる消滅していくのだ。これからも、新しい仕事はどんどん生まれてくるだろう。その中には、あなたの遊びの技術、感性を必要とするものが必ずある。だからもっと全力で遊ぼう。「社会人が遊んでばかりいてはいけない」などという考え方はすでに時代遅れでしかない。楽しいと思えることの中にこそ、未来はあるのだ。
    ・例えば、あなたが家で、一冊の漫画を読んでいるところを想像してみてほしい。そのままだと単なる「遊び」なのかもしれない。では、あなたがその漫画のレビューをWebメディアに寄稿して報酬を得たらどうか。漫画を読む行為が「仕事」でもある、ということになる。さらに、その漫画の内容が、あなたにとってとても刺激的で、もっとこのジャンルについて学びたい、と思わせてくれるものだったとしよう。するとどうだろう、漫画を読んでいるあなたは、「遊びながら、学びながら、働いている」状態になるのだ。

  • Vol.396 すべての教育は「洗脳」である。21世紀の脱・学校論。『すべての教育は「洗脳」である 21世紀の脱・学校論』(堀江貴文著/光文社)
    http://www.shirayu.com/letter/2017/000807.html

  • さすが!

  • ホリエモンこと堀江貴文の新書。

    文字通り、教育というのは既存の国家の枠組みの中で縛り付けるためのモノであり、これからのキーワードはL型(ローカル)とG型(グローバル)であると定義する。
    もちろん、教育によって得られることも多々あるわけで、全て彼の意見に同意するわけではないが、彼のような自由な生き方をする行動力が欲しいと思った。

  • タイトルは過激だけど、結局、学歴、大企業信仰に対する話。教育も無駄と言ってるけど、結局、自分が勉強、テストで点を取ることが面白いと思えば打ち込んでみればいい訳で教育ってキーワードもちょうど今話題のおっさんって言葉の使い方に近い気がする。

  • 「教育する」というのは当然何らかの「型に填める」行為なのだから、言い方を悪くすれば、そりゃ「洗脳」です。そんなことは当たり前なんですが、インターネットの発達した時代に合わなくなった「国家」による学校教育の「洗脳」を早く解いて、やりたいことをやって自由に生きようぜ、という内容です。趣旨は分かります。「学校」も変わらなくてはならないだろうし、昔は「大学」や「会社」でそういう洗脳は解けていたんだと思うが、最近は「大学」や「会社」も同じような洗脳をしている部分もありそうなので、変わる必要もあるとは思う。でも「学校」をそこまで目の敵にする必要は無いかな、とも思う。ホリエモンにはよっぽど楽しい思い出がなかったのでしょう。学校に。

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著者プロフィール

■堀江 貴文(ホリエ タカフミ)
1972年福岡県生まれ。実業家。
SNS media&consulting株式会社ファウンダー。
現在は自身が手掛けるロケットエンジン開発を中心に、スマホアプリのプロデュースを手掛けるなど幅広い活躍をみせる。
主な著作に『多動力』(幻冬舎)、『僕たちはもう働かなくていい』(小学館新書)、『10年後の仕事図鑑』(共著・落合陽一/SBクリエイティブ)などがある。

「2019年 『小説 多動力』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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