ヒルビリー・エレジー~アメリカの繁栄から取り残された白人たち~ [Kindle]

  • 光文社
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感想・レビュー・書評

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  • トランプ氏がなぜ大統領に選ばれたかも含めて、米国での断絶の原因が分かる本。問題は人種だけではないのです。

  • ☆ ヒルビリーは田舎者の意、ブルーカラー

  • 知らないアメリカが書いてあって非常に面白かった。現実と思えないくらい波乱万丈で、特に主人公がお母さんから逃げて知らない人の家に助けを求めたところが怖かった。映画も見てみようと思います。

  • 原作を読んで早速ネトフリで見てみた。

    ずいぶんとクリーンになっている印象。出てくる家や街の雰囲気が、原作で描かれている荒んだ描写と比較するとマイルドになっている。

    原作では著者が自らの半生をナラティブに書いているが、この映画では、原作にはないある1日の出来事として凝縮。セリフと主人公の回想という形で、原作が触れている多くのエピソードをまとめている。脚本が上手い。

    グレンクローズのお婆ちゃんっぷりがリアリティあって、女優の変わり身の凄さを実感した。

  • Netflixでみた.

    本書の内容についてはアマゾンに良いレビューが多数掲載されていて,あらためて自分が付け加えることはないので,Netflixの映画についてひとこと.役者のレベルがちょっとどころでなく高すぎて,あらためてアメリカの映画/ドラマ業界のキャストの層の厚さを思い知らされた.

    グレン・クローズもエイミー・アダムスも完全に役になりきっていた.

    本書も時間があれば読んでみたい.

  •  アパラチア近郊のラストベルトの貧困を脱して弁護士となった著者の自伝。トランプ大統領が当選した背景を説明するものとして米国でベストセラーになった。

     読んでいて泣きたくなるような内容。一族・コミュニティの誰もが貧困と暴力、家庭環境の不和に幼少時から曝されてその環境を再生産していく。こういった地域ではそもそも教育が大切だという概念すらないので、テレビやインターネットといった情報技術は、応分にして積極的な情報取得という本人の姿勢により価値を産むもののため、社会的資本の格差をならす効果はあるものの、貧困や格差をなくす決定的手段とはなりえないことがわかる。
     重要なのは筆者の気づきにあるように「『なにかを成し遂げられる自信』と『向上心』をもつことで自分を変えることができる」というマインドセットなのだが、マインドセットが周りから与えられないためにないからそのマインドセットをもつことすら叶わないというトートロジーにはまっているのが根本にあるのであろう。
     筆者ほど大きな格差を埋めた経験はないが、大学進学率の低い田舎から出てきた自分にはこの構図は身に染みるほどよく理解できる。そして筆者と同様にアイデンティティの帰属に悩まされる。

     余談だが、日本語版の解説者はリベラルかつ(米国の)民主党支持だと一読してわかる。

  • ラストベルトに住む没落した白人労働者階級を描く。内陸部の生まれた州から一歩も出ずに、社会的モビリティも希望もない、私の知らないアメリカの姿。著者が実際にそういう出自で、かつこちら側に移動できた数少ない人で、社会全体ではなく、自分の家族を描くので読みやすく、リアリティーがある。

  • なぜトランプが米国大統領なのか、どんな人たちが支持しているのか、イメージをつかむ助けになった。
    巻末の解説(渡辺由佳里氏)によると、ヒルビリーは「トランプのもっとも強い支持基盤と重なる」。そして、「多くの知識人が誤解してきた「アメリカの労働者階級の白人」を、これほど鮮やかに説明する本は他にはないと言われる。」

    社会政策について、知識人ないしエリートが理屈で考えてもどうにもならない事柄があるということは、感覚としてあるものの、具体的な現実として知る機会はなかなかない。トランプが当選した前回の米大統領選で生じた驚愕の背景には、そのようなギャップがあり、もしかすると日本の政治状況(理屈上の是非論と投票結果のギャップ)の背景にも同様の構造があるかもしれない。

    ヒルビリーのコミュニティが抱える問題に対する“解決策”はないのか。著者は言う。「魔法のような公共政策や、政府の革新的な施策を思い浮かべているのだろう。だが、私たちが抱えている問題は、家族、信仰、文化がからむ複雑なものであり、ルービックキューブとはちがう。誰もが考えるような形での“解決策”はおそらく存在しないだろう。」
    根本的な解決は不可能だが、「境界線ぎりぎりのところにいる人たちに、手を差し伸べることならできるかもしれない」。社会階層を問わず、真剣に自分の人生と向き合い、一生懸命まっとうに生きようとする人を社会は支えなければならない。著者の場合のように、直接的には家族や周囲の人たちの支えが最も重要であるし、それが成り立つような社会のしくみや支援が必要とされる。誰もが「人生の囚人」であふれる世の中に暮らしたくはない。
    分断が進む社会のベクトルを融和や共生の方向へ変えるためには、偏った富の再分配も重要だが、それだけでは十分と言えない。例えばベーシック・インカムかというと、それは違うだろう。そのお金はパチンコや競馬に消えていく。
    エリートや知識人は「格差」や「貧困」という概念に着目し、それを改善するにはどうしたらよいかを考える。自分たちの立っている場所から、自分たちの物差しで。そちら側から見れば、相対的に「格差」や「貧困」は存在するかもしれない。だが、当事者たちは「格差是正」や「貧困解消」を図る外部からの介入をどう受けとめるだろうか。「ほっといてくれ」という反応にならないか、想像力を働かせる必要があるし、それには対象を知り、対象に寄り添う働きかけが欠かせないだろう。会議室ではなく現場で起こっていることを直視しなければならない。

    鉄の会社が衰退し撤退したことが最大の原因になっている。人間にとって生計を支える仕事がいかに大切か、再認識させられる。最低限の生活や尊厳、そして幸福に直結する仕事(雇用)の創出や確保がいかに大切か。そして、市場の失敗に伴うリスクが自己責任になってしまう現実。見通しが甘かった、外れたという場合のセーフティネットがない。場所や職業を変えてリセットすればよいのかもしれないが、それができる人は多くない。
    それらの問題は間違いなく存在しているが、著者も言うように、政府や政策や誰かのせいで片付くものでもない。背景を紐解けば、グローバリゼーションや情報化の進展、中国など新興国の台頭、労働力のグローバル化と過当競争、モノ需要の飽和と産業構造の変容、富の偏在と格差拡大、はたまた資本主義経済の行き詰まり・・・米国も日本も、同じような限界に直面して同じような状況に陥っている。だから、根本的な解決策を探ろうとすれば、途方もなく根深い遠大なテーマと向き合うことになるが、まずはこのような人たちがいて、政治を動かす力になっているという現実を知ることだろう。そして、このような人たちの心に届くような言葉で伝え、核心をとらえるような行動を示さない限り、野党や対抗勢力がどれだけ正論を並べて理想主義の旗を振ったところでスベり続けるに違いない。残念ながら日本も大同小異だろう。

    この本では著者が自分の過去を振り返り、個人はもちろんコミュニティや国家のレベルで客観的に、また構造的な視点をもって考察している。その考察は、的確であり、説得力あるものだ。

    <第4章 スラム化する郊外>
    住環境の悪い地域が、都市部のスラムだけでなく、郊外にまで広がり、貧困地域に住む白人労働者階層の数が増えた原因は「複雑だ」と著者は言う。
    「ジミー・カーターの地域社会再投資法から、ジョージ・W・ブッシュのオーナーシップ社会まで、連邦政府の住宅政策は、家を持つことを国民に積極的に勧めてきた。しかし、ミドルタウンのようなところでは、持ち家にはきわめて大きな社会的コストがともなう。ある地域で働き口がなくなると、家の資産価値が下がってその地域に閉じこめられてしまうのだ。引っ越したくても引っ越せない。というのも、家の価格が底割れし、買い手がつく金額が、借金額を大幅に下回ることになるからだ。引っ越しにかかるコストも膨大で、多くの人は身動きがとれない。もちろん、閉じこめられるのは、たいていが最貧層の人たちで、移動できるだけの経済的余裕のある人は去っていく。
    歴代の市長たちは、ミドルタウンの市街地を再生しようと試みてきたが、むなしい努力に終わっている。セントラル・アヴェニューの西端、マイアミ川の土手まで行くと、もっとも悪名高い取り組みの跡を見ることができる。市の有識者会議が、なぜだかわからないが、美しい川岸を「レイク・ミドルタウン」なるものに変えてしまおうとしたのだ。大量の土を川に放りこむことで、何か有益なことが起こらないか試してみるという土木プロジェクトだ。有益なことなど起こるはずがなく、川にはいま、一区画分くらいの人工島が、土砂むきだしのまま広がっている。
    ミドルタウンの市街地再生の取り組みは、いつだって無駄な努力だった、と私は思う。人々が去っていくのは、市街地におしゃれな文化的スポットがないからではない。ミドルタウンには、消費者が十分にいないから、おしゃれな文化的スポットのほうが去っていくのだ。
    ではなぜ、金払いのよい消費者がいないのか。消費者を雇用するだけの仕事がないからだ。ミドルタウンの市街地が直面している問題は、ミドルタウンの人々に起きていること、とりわけ、アームコ・カワサキ・スチール(AKスチール)社の役割が崩壊しつつあることの現れなのである。」
    製鋼所が提供してきた雇用と豊かさは、産業構造の変化や国際競争の荒波に押し流され、そこに住みそこで働く人々を貧しくした。

    <第6章 次々と変わる父親たち>
    著者の父のように「信心深い人は、より幸福である」ことの言及は興味深い。MITの経済学者でそこに因果関係があると主張する人もいるらしい。「人生がうまくいっている人が、たまたま協会に通っているのではなく、教会がよい習慣をつくるのに寄与している」という。
    「宗教組織はいまでも、人々の生活のなかで肯定的な役割を果たしている。しかし、製造業の衰退や失業、薬物依存、家庭崩壊にさいなまれているこの国の一部の地域では、礼拝に参加する人の数は激減している。」
    「父が通っていた教会では、私のような人間が切実に必要としているものを与えてくれた。アルコール依存症の人には支援コミュニティを提供し、自分はひとりで依存症と闘っているのではないと感じさせてくれる。妊娠中の母親には、無料の住まいと職業訓練、子育て講座が用意されている。失業している人には、教会仲間が仕事を与えたり、紹介したりする。父が経済的に困窮していたときには、教会の信者が一致団結して、父一家のために中古車を買ってくれた。
    私の周りの壊れた世界と、そこで格闘している人たちにとって、宗教は、目に見える援助を与えてくれ、信徒たちを正しい道につなぎとめるものだったのだ。」

    <第7章 支えてくれた祖父の死>
    著者と姉のきょうだいは、「人に負担をかけてはいけないと刷り込まれて」育った。
    「私たちはさまざまな人に頼って生きていたが、その多くは本来、私たちに対してその役割をはたすべきではない人たちだった。そのことを私たちは本能的に感じていた。」
    「生活の安全弁になっている善意の蓄えを使い切ってしまわないために、人にはあまりお願いしすぎないようにしなければいけないと感じていたのだ。」

    <第9章 私を変えた祖母との3年間>
    著者は社会政策やワーキングプアに関する本の中で、著名な社会学者W.J.ウィルソンの『アメリカのアンダークラス―本当に不利な立場に置かれた人々』の主張を引いている。
    「何百万もの人が、工場での仕事を求めて北へ移住するにつれて、工場の周辺地域にコミュニティができたのだが、コミュニティは活気がありながらも、きわめて脆弱だった。工場が閉鎖されると、人々はそこに取り残される。だが、町はもはや、これだけの人口に質の高い仕事を提供することはできなかった。
    概して、教育レベルが高いか、裕福か、あるいは人間関係に恵まれている人たちは、そこを去ることができたが、貧しい人はコミュニティに残された。こうして残された人たちが「本当に不利な立場に置かれた人々」、つまり、自分では仕事を見つけられず、人とのつながりや社会的支援といった面ではほとんど何も提供してくれないコミュニティのなかにぽつんと取り残された人々だ。」
    これはヒルビリーのことではなく、都市中心部の黒人のことを書いたものだという。著者は「うちの地元を完璧に描いてくれている」と思いつつ、「現代アメリカのヒルビリーが抱える問題を、完全には説明できない」とも言う。
    「私たちの哀歌(エレジー)は社会学的なものである。それはまちがいない。ただし同時に、心理学やコミュニティや文化や信仰の問題でもあるのだ。」

    「私の暮らす世界」は「完全に合理性を欠いた行動で成り立っている」。
    「金を使って貧困へ向かっていく。」贅沢な商品を買い、家を買って、家を担保にまた金を借りて使い、結局、破産を宣告される。「倹約はわれわれヒルビリーの本性に反している。」上流階層になったふりをするために金を使い、破産して何も残らない。家庭内では父親と母親がけんかをし、どちらかはドラッグをやっている。子どもは勉強しない。親も子どもに勉強させない。仕事する年齢になっても働かない。働いても長く続かない。働くことの大切さは口にするが、仕事に就かず、それをフェアでないと考える何かのせいにする。食事と運動の習慣が墓場行きを早めている。平均寿命は67歳で、隣接州より15年も短い。
    白人労働者階層が皆このような生活を送っているわけではなく、祖父母のように「昔ながらで、つつましく誠実であり、自立していて、勤勉であるべき」という考え方や社会規範も存在している。しかし、著者の母が体現するような上述のあり方、そちらへコミュニティ全体は向かっていった。「そこでは、消費主義、孤立、怒り、不信感が中心に据えられている。」
    著者は「この2つの世界にまたがって生きていた」。祖母の存在が著者にとって大きかったようだ。
    「まあ、週末に家族と一緒に過ごせるような仕事がしたいんなら、大学に行ってひとかどの人物にならなきゃね」と諭してくれた祖母の良い影響を著者は強調する。「子どもの回復力(レジリエンス)」といわれる現象がある。不安定な家庭で育ちながらも、愛情をもって接する大人から社会的なサポートを得られれば、うまくやっていけるようになるという現象のことである。著者は祖母から受けた影響についてこれを実感する。

    <第10章 海兵隊での日々>
    心理学者が「学習性無力感」と呼ぶような心理状態に、若いころの著者はあった。「自分ではどうしようもない」という感覚が深く植えつけられていた。著者は祖父母によってそこから救われ、さらに海兵隊で新しい境地を開くことになる。海兵隊で強い意志をもって行動することを学んだ。
    この章は爽快感を与えてくれる。眼前の景色が開け、明るく雄大な音楽が流れてくる一場面のように、著者の人生はこのあたりから好転し、どんどん逞しくなっていく。

    <第11章 白人労働者がオバマを嫌う理由>
    海兵隊を出たあと、著者はオハイオ州立大学に入学する。「やればできるという自信だけでなく、計画的にものごとを進める能力も手に入れ」た著者は、ロースクールを目指し努力を重ね、大学を「ダブルメジャーで、しかも最優秀の成績で卒業」する。
    オバマについて書かれた部分は印象深い。「ミドルタウンの住民がオバマを受け入れない理由は、肌の色とはまったく関係がない。」「私が大人になるまでに尊敬してきた人たちと、オバマのあいだには、共通点がまったくない。ニュートラルでなまりのない美しいアクセントは聞き慣れないもので、完璧すぎる学歴は、恐怖すら感じさせる。大都会のシカゴに住み、現代のアメリカにおける能力主義は自分のためにあるという自信をもとに、立身出世をはたしてきた。」「オバマの妻は、子どもたちに与えてはいけない食べものについて、注意を呼びかける。彼女の主張はまちがっていない。正しいと知っているからなおのこと、私たちは彼女を嫌うのだ。」
    「白人の労働者階層に広がる、このような怒りやシニシズム」は誤解に基づくものだが、報道機関の報道による誤解ではなく、そもそも主要なメディアの報道が信頼されていない。「多くの国民は、アメリカ民主主義の砦であるはずの報道の自由を、たわごとにすぎないと考えている。報道機関はほとんど信用されておらず、インターネットの世界を席巻する陰謀論については何のチェックも働かない。」
    「これは自由至上主義のリバタリアンが、政府の方針に疑問を投げかけるというような、健全な民主主義のプロセスとはちがい、社会制度そのものに対する根強い不信感である。しかも、この不信感は、社会のなかでだんだんと勢いづいている」。
    「努力が実を結ぶとわかっていればがんばれるが、やってもいい結果に結びつかないと思っていれば、誰もやらない。また同様に、何かに失敗したときにも、同じようなことが起こる。失敗の責任を自分以外の人に押しつけるようになるのだ。」
    「白人の労働者階層には、自分たちの問題を政府や社会のせいにする傾向が強く、しかもそれは日増しに強まっている。現代の保守主義者(私もそのひとりだ)たちは、保守主義者のなかで最大の割合を占める層が抱える問題点に対処できていない、という現実がここにはある。保守主義者たちの言動は、社会への参加を促すのではなく、ある種の疎外感を煽る。結果として、ミドルタウンの多くの住民から、やる気を奪っている」。
    結果として白人労働者階層は「ほかのどんな集団よりも悲観的」になっている。

    <第12章 イェール大学ロースクールの変わり種>
    著者はイェールのロースクールに進学する。そして、クラスメートとの「ちがい」に気づく。
    「国民の生活水準を向上させるには、適切な公共政策だけでなく、上流階層に属する人が、以前はそこに所属していなかった新参者に対して、心を開くことが必要になるだろう。」
    「社会的流動性は、金銭感覚や経済面だけではなく、生活スタイル全体にわたる変化だと気づかされた」。

    <第14章 自分のなかの怪物との闘い>
    ロースクールで出会い、その後伴侶となる女性との関係を築くなかで摩擦に直面し、自分の行動を顧みて、著者は心理学者のいう「逆境的児童期体験(ACE)」という概念を知る。
    「ACEとは、子どものころのトラウマ体験のことで、その影響は大人になってからも続く。」
    「私は、自分の過去を理解したことによって、また、かつて運命を自力で変えることに成功したという事実によって、心のなかの悪魔に立ち向かう勇気と希望を与えられた。あたりまえだと思われるかもしれないが、いちばんいいのは、理解してくれる人と話をすることだ。」

    祖父がすすり泣く姿を著者は回想する。「俺があいつ(著者の母親)をだめにしたんだ」と言いながら祖父は泣いた。
    「めったに見せることのない祖父のこのような姿は、私をはじめ、ヒルビリーが抱える疑問の核心をついている。人生のよしあしは、どの程度、自分の選択に左右されるのか。文化や環境の影響はどれほど強いのか。一族や親は、子どもにどれほど悪影響を与えるのか。母の人生ははたして自業自得なのか。本人の責任はどこまでで、どこから同情すべきなのか。」
    人によって意見は異なる。著者自身の意見は複雑だ。家庭環境に影響を受けることはまちがいないが、本人に責任があることもまちがいない。

    <解説>
    巻末の解説で渡辺由佳里氏は、2016年大統領選の予備選で各候補者のイベントに参加した際の印象を語っている。国家予算や税金について難しい話を真面目にする他の候補者とまったく違い、「小学校で学ぶ程度の単純な語彙だけを使ってオバマ大統領をけなし、ライバル候補を揶揄し、マイノリティや移民を非難して群衆を湧かせ」るトランプのラリーは特異な、「ロックな雰囲気」だったという。
    「このとき気付いたのは、大衆は国家予算や外交政策の詳細などには興味がない、ということだった。プロの政治家をすでに胡散臭く思っているので、たとえ実直に説明していても、「煙に巻こうとしているだけ」と感じてしまうのだろう。」
    「ヴァンスが「ヒルビリー」と呼ぶ故郷の人々は、トランプのもっとも強い支持基盤と重なる」。「多くの知識人が誤解してきた「アメリカの労働者階級の白人」を、これほど鮮やかに説明する本は他にないと言われる。」
    「アメリカの繁栄から取り残された白人」であるヒルビリーは、「高等教育を得たエリートたちに敵意と懐疑心を持っている」。彼らは「職さえあれば、ほかの状況も向上する。仕事がないのが悪い」と言い訳する。
    「そんなヒルビリーたちに、声とプライドを与えたのがトランプなのだ。」
    トランプの集会に参加する彼らは「楽しそう」で、「チーム贔屓」の心境にあるという。この感情に理屈はなく、忠誠心を伴い、ヒーローのミスに寛容で、トランプの度重なるスキャンダルを許す。
    渡辺氏は、ヴァンスの本を読んで、自分が見てきたトランプの支持者たちと「同じ人々だ」と思った。「古い産業が廃れ、失業率が高くなり、ヘロイン中毒が蔓延しているアメリカの田舎町では、同じようなトランプ現象が起こって」いるという。

  • 「トランプ支持者の実態を理解する」的な触れ込みの一冊。「白人なのに」貧乏で惨めな想いをしている人たちのプライドをトランプが刺激した、的なイメージを持っていたが、本書を読了した後もそんなにその見方は変わらなかった。

    著者は名門イエール大学を卒業し今は弁護士として活躍するエリートだが、地元オハイオ州は白人貧民街で、そこでの実体験という名の不幸話が本書の大半。精神が弱く男と薬に依存して児童虐待でちょくちょく逮捕される実母とか、そもそも実母も幼少期に虐待を受けていて精神が弱くなったという不幸の連鎖だとか、見栄のために高価な買い物をして生活難に陥る優先順位をつけられない隣人とか。

    驚いたのは、自らも苦境にある彼らが、生活保護を受けている隣人女性をウェルフェアクイーン「生活保護の女王」と呼び、怠け者として嫌っていたこと。貧困にありながらも生活保護者を嫌い、そのような政策を推進するリベラル政党を嫌うという構図が印象に残った。

    著者の分析によれば、この地域の人々は、努力不足と能力不足を取り違えている人が多く、自分なんてなにやってもダメだと諦めている人が多いそうだ。
    「家庭の不幸からくる貧困の連鎖を断ち切る方法はわからないが、努力もせずに自分たちはどうせダメだ、と思い込んだり、政治家や企業のせいにしたりするのはもうやめよう。事態を改善するために自分が何ができるか考えよう」という前向きなメッセージが良かった。

  • ヒルベリーというのは、アパラチア山脈周辺にルーツをもつ白人貧困層のことを指す。
    この本はそんなヒルベリーの家系で育った著者の自叙伝かつ、ヒルベリー考察本だ。

    何故ヒルベリーは貧困から抜け出せないのかについては、その文化的背景と、家庭環境、教育環境、地域特性(経済)、回りの無理解等が密接に絡み合っているため、この本を読んだからこそ簡単に言い表すことができない。
    皆んなも、様々な原因に足を取られながらも、家族を愛し懸命に生きるヒルベリーの悲しさや愛らしさを感じてモヤッたらいいと思う。

    ただ、ヒルベリーのような貧困層が、貧困から抜け出せないのはアメリカ特有の話ではない、もちろん日本でも同じようなことは起こっているし原因もだいたい同じなんじゃないだろうかと私は思っている。

    だからこそ、日本の貧困問題も簡単に原因は言い表すことができない。ただ、個人的に貧困層が貧困から抜け出せない大きな理由は、常識にあると思う。
    この本でも健康志向の意味が違っているや、娯楽が違っているということが触れられていたけれども、貧困層で育った人間が持っている常識は、一般社会でうまくやっていくためには全く役に立たず、逆に足を引っ張るものばかりだと私は考えている。特に足を引っ張るのが、他人への不信感だ。

    貧困層の人は、こう行っては何だが貧しているし、鈍しているそう行った世間で育てば、他人に対しては不信感を持って接することが自分を守る常套手段になる。
    ただ、それは一般社会で他人と協力して仕事を成し遂げることの邪魔にしかならない。
    また、常識の違いから、話が合わなかったり、共感を得られないため、貧困層出身者は一般的な社会で生きづらさを感じることが多々ある。そうして貧困層に固定されてしまう。

    まぁ、ここまで書いてちょっと思ったけど、日本はアメリカよりは今の所ちょっとマシで、現在は田舎でも層が撹拌されている感じはある。
    もちろん割合で言えば、都市部と比べるべくもなく困窮した人は多いが、日本の田舎には旧帝大に入ったであるとか、都会の大手家電メーカーに就職したなんて話もちらほら聞く、ただ、こう行った頭脳の流失が続けば(現に上記の人たちは大学で都会に出て以来、田舎に帰ってきてはいない)ヒルベリーも真っ青の田舎っぺが爆誕する気がするが。。。

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