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みんなの感想まとめ
時間という概念を言葉の使われ方から深く探求し、その意味を解きほぐす内容が魅力的です。著者は「時は金なり」という考え方に疑問を投げかけ、時間泥棒の存在を通じて、効率性重視の価値観が人間性を奪っていると指...
感想・レビュー・書評
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時間が足りない。
時が流れて。
時間よ止まれ
時は来た
時間がかかる
時を同じく
時間旅行
時は金なり
時間の許す限り
並べてみると、これほどまでに自由自在な変容をとげる言葉であることに驚く。流れていたり、来てみたり、お金と同等になってみたり、進んでみたり、旅行?行ったり来たり出来るもの?
言葉の使われ方から、時間というものを定義していく物語。
作者は、現代では「時は金なり」に偏重し過ぎてはいないかと提起する。そこで、ミヒャエル・エンデのモモを例に、時間泥棒が言葉巧みに人々から時間を盗んでいき、ドンドン余裕がなくなっていく様を行き過ぎた「時は金なり」主義が人間性を奪っていると述べる。
そこで「時間は命なり」というメタファーが今後ふさわしいのではないかと提案するのだ。
ついついディズニーランドで、時間を金で買うと言ってしまっている自分を恥じた。
これからは時間は命と思って過ごそう。
少し変わるかもね
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「時間が過去から未来へ流れるのは当たり前なのか?」という問いが印象的なこの本。国語辞典での「時間」「とき」の定義や様々な慣用表現、英語での表現、レトリックといったことばの使い方から時間を語る、一見哲学かと思いきや言語学の本。
時間の空間性、そしてお金とのメタファーとしての類似性を中心に、モモも引き合いに出しながら、壮大に述べていく。
時間でいう前・後という用法は案外やっかいだなと思っていた。そういえば、時計の読み方で「10時10分前」というのを、「9時50分」と読む人と「10時8~9分くらい」と読む人がいるという話を思い出したが、それくらい曖昧なものだ。とはいえ、どちらも「前」を過去に近い側として理解しているので、時間から見れば前を向くとくのは過去のほうを前としていることになる。そうすると、時間は未来から過去へ向かっているということになるなぁ、と成程。そしてそういう話をわちゃわちゃするのかと思ったらそこまででもなかった。
元々「とき」というのは投資とかそういう意味はなかったところに、明治時代に軽量思想と結びついて翻訳された「時間」という概念がやがてお金と同じようなニュアンスで結びつき、効率よく使うことを求められるようになった。そこから資本主義の失敗に結びついたのでは、という言葉ひとつの使い方から壮大なスケールの主張まで発展するとは。確かに、意図も意味もない言葉などない。そう考えると言葉の意味合いが変わるとそれは文化の変化ともいえるわけで、時間という捉え方がビジネススキル的になっていくことで資本主義の歯車となっていくのだなと。
このあたり、「客観性の落とし穴」と共通している。時間と言うものが直線的になり、価値や正解と言うものが単純に数直線で表され、上にいけばよいとされるような価値観。計量思想により客観的な数字が絶対視されることにより引き起こされる社会のひずみ的なものに対する見方が。今や忘れ去られてると言えなくもない、ひとつのことに時間をかけてじっくり取り組むということは、一人一人とじっくり向き合って個別性や偶発性を尊重することとも結びつくと思う。
そういえばモモはいつか読もうと思いつつ早10年以上経ってしまった。これをきっかけに読もうかな。 -
本書は、時間という言葉の使われ方から、そこに込められている意味を丹念に解きほぐしていく内容だった。
気づいていなかったが、私たちは潜在的に時間をこのように受け止め、そして囚われているのだということを思い知らされた。
序盤から時間の概念分析が続き、一体どこに辿り着くのかが気になりながら読み進めた。結論(著者の主張)には同意するものの、ややありふれた内容という印象も受けた。しかし、このような切り口で考えたことはなく、その結論に至るまでの過程が見事だと感じた。 -
自分の理解力が足りていないこともあって、全体の半分も理解できなかった気がする。
とりあえず、今までは漠然と「時間は過去から未来に向かって流れているもの」だと認識していたが、日常の言語表現を細かく見ていくと、
・動く時間
・動く自己
の二種類が存在していて、前者は未来から過去に向かって、後者は過去から未来に向かって流れていることになるらしい…ということまでは何となく理解できた。 -
認知言語学の優しい入門であるとともに、時間の意味を丁寧に追った書。
著者プロフィール
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