忘れられた日本人 (岩波文庫) [Kindle]

  • 岩波書店
4.36
  • (26)
  • (20)
  • (7)
  • (0)
  • (0)
本棚登録 : 441
感想 : 31
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • 本 ・電子書籍 (337ページ)

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • とても面白かった!農村の女性たちの井戸端会議が実にエロティックでユーモラス!土佐源氏の一生忘れられない恋の思い出話なんてまるで恋愛小説のよう。
    決して歴史に残らないだろう農民たちの生活は実に生き生きとして奔放だった。

    人々がとことん議論する寄り合いという場があったり、今の生活を少しでも良くしようと旅しながら知識や技術を伝承する世間師と呼ばれる人々がいた。将軍や武士から見た歴史ではなく、どこにでもいる市井の人々の生活がこんな克明に書き残されていることに驚きと新鮮さを感じた。

  • オーディブルで。
    高校の国語の先生の影響で柳田國男や折口信夫、民俗学に漠然とした興味を持ち続けてきたが、宮本常一に触れたのは初めて。地域の採集に根ざした話の語り口、内容が面白く、また各地域の土地の状況に根ざした考察も興味深い。土佐源氏をはじめびっくりするようなことも多々あるが。
    渋沢敬一が、民俗学をはじめとした学問、文化の発展に自らかなり関わっていた事実も初めて知った。
    今、宮本常一の評論的なものを聞いているので、宮本常一の他の著作や柳田、折口などにも触れてみたくなった。

  • 読んだ本でおすすめされていて、Audibleで読了。
    はじめの方、
    うちは農家なので、なんだかわかる。懐かしい世界ってとこもあって。
    ただ、読み進めるうちに、
    え?、これは?という話のオンパレード。
    これが民俗学なのか~、でも、確かにリアル民俗学。
    ユーモラスでもあるし、ドラマチックでもあった。
    人間らしさは、性と絡めるともっとリアルに感じますね。


  • 内容は「各地方の古老との世間話」集で、「偉人の出世話」と対局をなすもの。
    私のこれからの人生に有益な情報はもらえないが、昔の田舎の日本人はこうゆう生活をしていたのか~と感心する内容。

    「土佐寺川夜話」のらい病の話が、映画の「砂の器」を思い出して興味深かった。ほんとに映画みたいなことがあったのだ。知らない隠語(放送禁止用語?)が多数出てくる。人種差別が公然のことなのだ。

    「名倉談義」の山窩の話も、映画の「瀬降り物語」を思い出して興味深かった。これもほんとにあったことなんだな~と実感した。映画のロケは四国だったが、これは愛知県。

    「女の世間」の、モンペ(ズボン)はいて田植えをしてはいけない、女性の陰部を田んぼの神様に見せながら田植えは行うと、豊作になる?話は面白かった。田植え時などの女たちのエロばなしは、女たちが幸福であることを意味しているらしい。

    この本を読んだ理由
    司馬遼太郎の「街道をゆく」の着想は、民俗学者の宮本常一の著作がきっかけだったということが一つと、
    「巻頭随筆 百年の百選」という本の「司馬遼太郎」の随筆で、日本人は神代の時代から、思想は高価な舶来品という位置づけで、日本で使えそうな商品だけを選んで使ってきた、という話があったこと。
    この司馬さんの話は、河合さんの「日本人の中空構造」の歴史的な根拠を示しているではないか!!と私はびっくりした。
    調べているうちに、司馬さんの考えは民俗学者である「宮本常一」 に影響されているという。
    「忘れられた日本人」を読んで、直接に中空構造の話にはもっていけないが、そのつもりで読むと、日本の底辺にいる人々の生活では、村の共同体の中の人間関係だけで必要にして十分で、わざわざ思想なんて必要ないんじゃないか、と思えてくる。

    「忘れられた日本人」はwikipediaに解説があります。

  • 民俗学を勉強しているのに、実は読んだことがなくて、今回ついに読んだ。
    「百姓」というと、貧しくて苦しい一生というイメージだったし、当時の本人たちもそう思っていたろうとさえ思っていたのだが、ここでは「百姓ほど楽しいものはない」という老人たちの話で私の価値観が破られていった。
    しかもこれを話しているのは裕福で余裕のある人ではなく、朝から晩まで働きづめでそれでも貧しいままだった人たちの言葉だった。稲が水を飲んだいるのがわかる、など自然とともに歩む人の人生をみた一節だった。
    おじいさんと一緒に毎日山に入って葉や虫を見て興味深くおもしろく過ごしていた日々の一節も印象に残る(山登りの時にふと思い出した)。

    これを含め昔の民俗を研究し現在の生活に役立てるという一貫したメッセージは島村恭則先生にもつながっているなあと思い出した。

    解説で、これを文学作品と勘違いされたことを挙げて、文学作品としてみても価値が出ているといったことを書いていたがとてもよくわかる。頭の中にその情景が浮かび、その時代の老人たちの一生が広がっていって読む手が止まらなかった。

    時間をおいて再読すると新たな発見があると思う。

  • 『忘れられた日本人』 宮本常一 (岩波文庫)

    著者の宮本常一さんは、柳田国男、折口信夫と並び称される民俗学の巨人である。
    ズック靴によごれたリュック、ご本人自らが言う「貧乏くさい支度」で日本各地を歩き、村の老人たちから話を聞く。
    なんと移動距離は地球4周分だそうだ。

    民間信仰や民間伝承といったこれまでの民俗学とは違い、人々のリアルな生活を記録する‟生活史”という独自の概念に重きを置いた。
    記録といっても事務的な感じは全くなく、聞き書きあり座談会あり独白ありという叙述スタイルの自由さに驚く。
    いい意味での雑多さにぐいぐい引き込まれる。
    宮本さんの人柄が出ていてよてもよい。


    宮本さんが自分のおじいさんのことを書いた「私の祖父」がいちばん私は好きだ。

    狭い世間(井戸)に棲む亀の話、ミミズやカニを大事にする話、山でさびしがっている人間と友達になってくれる優しいマメダ(豆狸)の話。
    「どこにおっても、何をしておっても、自分がわるい事をしておらねば、みんなたすけてくれる」と言うおじいさんの暮らし方を宮本さんは見て育ったのだなぁ。

    年齢階梯制の話は面白かった。

    東日本には主に家父長制が、西日本には年齢階梯制が多くみられるのだという。
    年齢階梯制は、家族単位の家父長制とは違い、年齢でグループ分けがされており、それぞれの役割によって村の仕事を担う。そこには上下関係がないのだ。

    有字社会、無字社会という概念にはハッとさせられた。
    単純に無字→有字を‟進歩”だと言っていないところがよてもよい。
    文字に縁のうすい人たちは誠実に仕事をし、隣人を愛し、底抜けに明るい、と宮本さんは言っている。


    さて驚いたのは、「土佐源氏」が創作ではないかと言われていることだ。

    土佐源氏が創作なのに驚いたのではない。
    民俗学に創作ってありなの?と思ったのだ。

    民俗学とはいったい……???

    民俗学という‟学問”。正確なルポルタージュ。学術的なもの。
    そんな先入観がやっぱり私にはあったのだ。

    わしは人間の屑じゃーとか言いながら、臨場感たっぷりに過去の女性遍歴を語る八十のおじいさんの独白は実に魅力的だ。

    私は思うのだが、名倉の座談会も世間師の冒険譚も、そして文字をもつ伝承者との文字を持つ者同士の会話の楽しさも、ひとえに宮本常一という人がいてこそのことではないか。
    一編一編を‟宮本常一込み”で読むと世界が何倍にも広がる。
    周防大島で生まれた一人の人間の生き様が、物語と併走している。
    創作かどうかなどどうでもよくなってしまった。


    「これは一回で読み捨ててしまう書物ではなく、繰返し読まれうるだけの生命力を十分に持っており、おそらくその度に読者は新たなものを得ることができると思う。」

    との、網野善彦さんの解説に大きくうなづいた。

    いつも持ち歩いて何度でも読み返したい、私にとって大切な一冊になった。

  • 意外と読みやすい文章で昔の日本各地の寄り合いの様子やら伝わっている民話などを記録してあった

  • 日本全国の地方の「生きた生活」をフィールドワークした著者が、いくつかの領域(農民、漁民、馬喰など)における江戸時代から明治時代にかけて生きていた日本人たちの生きざまを克明に紹介するとともに、その背景についても若干考察した民俗学の古典。

  • 民俗学ってこういうことか。民俗学=柳田国男みたいなフレーズだけ中学生のときに覚えたけど、この本に出会うまで民俗学の意義や中身を全く理解できていなかったんだな。
    誰かが地道に訪れて聞き取って書き残さないと、ここに記されているような文化や慣習は簡単に忘れ去られてしまうのだろう。著者の地道な研究には頭が下がる。公式な歴史からは人の息づかいを感じることはできない。語り部による生きた物語を伝承することの大切さと難しさを感じた。

全31件中 1 - 10件を表示

著者プロフィール

1907年(明治40)~1981年(昭和56)。山口県周防大島に生まれる。柳田國男の「旅と伝説」を手にしたことがきっかけとなり、柳田國男、澁澤敬三という生涯の師に出会い、民俗学者への道を歩み始める。1939年(昭和14)、澁澤の主宰するアチック・ミューゼアムの所員となり、五七歳で武蔵野美術大学に奉職するまで、在野の民俗学者として日本の津々浦々を歩き、離島や地方の農山漁村の生活を記録に残すと共に村々の生活向上に尽力した。1953年(昭和28)、全国離島振興協議会結成とともに無給事務局長に就任して以降、1981年1月に73歳で没するまで、全国の離島振興運動の指導者として運動の先頭に立ちつづけた。また、1966年(昭和41)に日本観光文化研究所を設立、後進の育成にも努めた。「忘れられた日本人」(岩波文庫)、「宮本常一著作集」(未來社)、「宮本常一離島論集」(みずのわ出版)他、多数の著作を遺した。宮本の遺品、著作・蔵書、写真類は遺族から山口県東和町(現周防大島町)に寄贈され、宮本常一記念館(周防大島文化交流センター)が所蔵している。

「2022年 『ふるさとを憶う 宮本常一ふるさと選書』 で使われていた紹介文から引用しています。」

宮本常一の作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×