世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?~経営における「アート」と「サイエンス」~ (光文社新書) [Kindle]
- 光文社 (2017年7月20日発売)
- Amazon.co.jp ・電子書籍 (228ページ)
感想・レビュー・書評
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「意識高い系2.0」ともいうべきか。
理論と理性が重んじられてきたビジネスシーンにおいて、直感や感性も必要になりつつあるという。
ちなみに「美意識」とは読んで頂けると分かるが、単に芸術的素養のみならず、モラルや哲学的思考であったりと意味が幅広い。
読んで感じたことは安堵感と無力感だった。
二つの(どちらかというと)相対しそうな感想について主観を多分に交えて書こうと思う。
まず安堵感について。
話は飛躍するが私は本棚にビジネス新書と自己啓発本しかない人とは気が合わない。雑多にフィクションから哲学書、漫画本など色々な本を読んでいる人が好きだ。(もちろんその中にビジネス書があったっていい。)
一方で世間的には実学と呼ばれる学問の評価が高くなったり、いわゆる「デキる奴」は理論的かつ生産性が高くなければいけないというイメージも出来てきていた。
そんなデキる奴に言わせれば芸術に親しむ(例えば通勤電車で経済誌ではなくSF小説を読む)ことは無意味なことなのかもしれない。
そうした無味乾燥な価値観を個人的に「面白みがない」とは思いつつも、じゃあいったい芸術に触れることは本当に自分の向上になっているのか?という問いにははっきりとした説明がつかなかった。
なんとなく芸術に触れた方が人生が豊かになる気がする、という肌感のみで。
ところがこの本はそうした「美意識を磨く」ことは資本主義社会での競争の上で必要になると説く。
それはある意味で私の長年の鬱屈した思いをを晴らすものだった。
仕事を終えて映画を観たっていいんだ、週末に音楽を聴きに行ってもいいんだ、と。
が、しかし(ここからは無力感の話)、本書で言及しているのは「エリート」だ。
私自身は中産階級にかろうじてしがみついているので、大きな組織やシステムの意思決定をする「エリート」の影響力には遠く及ばない。
なおかつ本書では「非理論」を評価しているのではなく、「超理論」(≒スジの良さ)を評価しているのであって、そもそも理論的思考ができない人間は土俵にすら乗っていないのだ。
なぁんだ、私にはどだい関係のない話か。
と意気消沈しかけてふと気づく。
そもそも自分の社会的地位で自己卑下すること自体が「美意識に欠けた」価値観なのでは、と。
であれば本書の対象はエリートだけではなく、世間一般にも当てはまるのかもしれない。
ただ難しい点は著者が「おわりに」で述べているように、世の中がシステマチックであることを善とするエリートによって硬直していること。
変えよう、というインセンティブが働かない。(ゲーム理論のナッシュ均衡と表現されている。)
この「美意識」をよしとする価値観が私レベルのビジネスシーンに浸透するまでどのくらいかかるのだろう?
なんだか希望がもてたような、あまりの果てしなさにくらくらするような。
とりあえず哲学は少し勉強しようと思った。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
今までロジカルシンキングやクリティカルシンキングなどロジック重視で会社から指導されてましたが、ここのところすごく違和感を感じていました。
結局何も出来ない。進まない。動かない。
何のためにその仕事を進めるのか。やる意味は?利益は出せる?当然100%の答えは出せず、最終的には何も進まない。不確実性の時代において確実に答えを出せることはない。
この書を読んで感性や直感の大事さというものを感じることが出来た。ただし直感だけでは当然ダメでバランスが大事。
真・善・美
武士道に共通する部分もあるのかな?
美しいと感じるものには普遍的なものがある。人間が古来から美しいと感じるもの。普通に考えたらわかることを利益や便益のために無理やり曲解している時が自分にもある。自己欺瞞。
美意識を持つことも大事だが自分を厳しく律することがさらに大事である。人間は弱い生き物だから。-
こんにちは、
山口周さんはjwaveでラジオ番組をやってます。
この番組でいろいろな本を紹介してますのでオススメです!
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2023/07/27 -
2023/07/27
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出版から時間が経っているから、前半は退屈に感じたけど、後半はコンプライアンスとの関係にも触れていて、興味深く読めた。他の本も読んでみたい。
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名前は前々から聞いていたが、最終的にたぐに勧められて手に取った本。(半年前を思い出して投稿)
論理的思考力に始まる基本的なビジネススキルは登場初期には競争力の源泉になり得たが、今となっては飽和状態で全盛期は過ぎ去っている。そんな状況下において、今現在はアーティスティックな思考の有用性に注目が集まり始めている、という内容。
直感的に理解が出来ない言説を、美しい論理構造で根拠を示しながら展開していくから、納得感があった。
”エリートが美意識を鍛えている理由はわかったし、俺も美意識ムキムキマッチョになろうと思う。で、肝心の美意識とやらはどうやって鍛えるんだい?”
という疑問への回答が最後の章に記載されているが、これだけはお粗末な内容だった。
読んだ当初は肩透かしを食らった気になっていたけど、今なら分かる。そんな耳触りの良い答えのようなものは存在しないし、コツコツと積み重ねるしかない。多分著者も本当は最後の章を書きたくなかったのに、売るために仕方なく追加したんじゃないかな。
答えを手に入れたと錯覚させられる刺激の強いコンテンツに吸い寄せられがちだけど、そんなものはなくて、うんうん唸りながら自分の頭を使ってみることが大事だなとようやく理解し始めた22歳。 -
現在のような複雑で不安定な世界では「分析」「論理」「理性」で判断するには限界があるため、美意識を求めるという本。
「はじめに」の段階でここまで残念な本はなかなかない。現在の世界を説明するのに「マズローの欲求5段階説」を持ち出してくる。これが現在では否定されていることを知らずに書いているなら救いようがあるが、長々とした脚注で「否定的なのも知っていてあえて書いている」と述べている。曰く、科学的に検証されていないからといって「偽」とは限らず、主張には「アート(直感)」と「サイエンス(論理)」の両方が必要である。だから筆者が直感的に正しいと考えたものについては、科学的根拠が薄弱でも使うのだ、と。
これはいろいろとおかしい。まずマズローの段階説は科学的に実証されていない (本当か嘘か分からない) というより、「データは否定を示している」というのが実情に近い。仮に段階説が真偽不明の仮説だとしても、やはり主張はおかしい。本書の主張は「現在のビジネスには美意識が求められる」であり、この主張を支えるための根拠を提示する必要がある。それなのに自分の直感で正しいと思うから仮説を根拠にするというのは、論理的におかしい。もちろん現実世界においては、全てを論理で説明することは不可能で、直感や体験でないと分からないこともある。しかしこのメディアは本であり、言葉と論理でしか伝達することはできない。それなのに直感を持ち出して説明するのはなんなのか。
さらに言えば、本書は美意識や直感に期待しすぎなように思える。直感の本質とはパターン認識であり、これが通用するのは「ルールが不変」で「フィードバックが早い」環境においてのみである。優れたデザインの製品開発のために美意識を鍛えるのは理解できるが、複雑で変化が激しい状況にパターン認識で挑むのは間違っている。おそらく著者は検証をしないタイプなのだろう。 -
著者の『読書を仕事につなげる技術』を読んで、いい本だったので、続けてこの本を読んだ。まぁ。我田引水というか、経営を美意識につなげる苦労をしている感じである。「分析」「論理」「理性」に軸足をおいた経営、いわば「サイエンス重視の意思決定」では、今日のように複雑で不安定な世界においてビジネスの舵取りをすることはできないという指摘はよくわかる。
本書でいうサイエンスは、データやマーケティング調査という意味合いが多い。市場にないものを売り出すときに、市場調査をしたとしてもよくわからないということだ。
それにしても、日本の企業の痛み加減は、半端ではない。コンプライアンス時代になりながら、売上至上主義と効率性追求によるコンプライスに抵触する企業が多いのだ。東芝の粉飾決算、三菱自動車の23年にわたるリコールの隠蔽(池井戸潤(著)『空飛ぶタイヤ』で取り上げられた横浜母子3人死傷事故。)、本書で取り上げられているDeNAの2万1000件に及ぶ著作権侵害、医薬品医療機器等法(薬機法)や医療法などに違反する可能性のコンプライアンス違反。最近では東京オリンピックをめぐって、組織委員会の元理事が、スポンサーの契約業務を請け負った紳士服の「AOKIホールディングス」、出版「KADOKAWA」、広告会社の「大広」、広告のADKホールディングスなど会社のトップが捕まっている。まだまだ、その暗闇は出てくる可能性がある。まぁ。中国の賄賂の規模とはかなり少額なのだが。本人たちは、悪いことをしたと思っていないところに、闇がある。
真面目にやっているはずなのに、どこかで不具合おこし、それを隠蔽することが、当たり前になってしまったという日本の企業の危うさ。日本の最低賃金の低さ、賃金の低さなど、目を覆う状況だ。一部上場会社が、派遣職員や海外実習生を使ったりすることで、低賃金を維持しているのである。一部上場会社は、派遣など、ヤメレと言いたい。
本書で強調されているのは、アート、サイエンス、クラフトの3つのバランスが経営には必要だという。今の日本の会社は、論理、理性、効率性を重視することで、スタンダードなコモディティの商品を作り、みんな同じような仕事になっている。それでは変化の激しい世界のビジネスには対応できない。以前のようにスピードとコストでは勝てなくなってきている。会社経営にアートやクリエイティブ性が欠如しているというのである。サイエンスとクラフトは、アートに勝ちやすい。経営の根拠が表しやすいからだ。そのために、アートやクリエイティビティが押さえられる。会社経営のトップが、アートに力を入れ、ワクワク感を持った経営をし、それを実行できるような布陣を引くべきだという。
現在は、VUCA(不安定、不確実、複雑、曖昧)という言葉に象徴される時代で、正解が出しにくい。そのために、直感、感性による「真善美」からの構想やクリエティビティに軸足を持った経営が要求される。現在強調されている「デザイン思考」をさらに押し進めた経営手法が必要だ。
コンサルティング会社が、デザイン会社を買収したりするのも、グレイコンサルティング(経験者のこと)から、脱してアート的なコンサルティングが必要になってきている。世界が自己実現要求による消費が高まり、ビジネスが表現行為となることで、美という普遍性に共感を生み出す。
自動車会社のマツダは、日本美を追求したクルマを作り出している。このことに意味があるのだ。
著者は、オーム真理教は、高学歴なのに関わらず、美意識が低いということが、端的に表していると指摘する。サティアンの形状が倉庫みたいであることや掲げられている絵画などが美意識に遠すぎる。受験戦争に鍛え抜かれた高学歴者だから、オーム真理教にハマった。美意識レベルが、あまりにも低いことだった。この指摘はおもしろい。まぁ。今は東大出て、クイズ王というタレントになるというなんとも言えない貧しさ。質問があれば、答えを出すというパブロフの犬の反射神経で、受験戦争を耐え抜いてきた結果だ。考えることの大切さ、人と交わることなどの重要性など、小林秀雄と岡潔の強調していることが、理解できる。
美意識、直感、感覚を鍛えること。それを学ぶことは、そう簡単ではない。秩序を維持するのではなく、秩序を突破することこそが、経営に必要なのだ。美意識を鍛えるために、哲学に親しみ、文学や詩を読み、写真を撮る。会社のビジョン、行動規範、経営戦略、プロダクトに美意識を判断基準に入れることだ。まぁ。この本は経営には、美意識が必要だということを多面的に考察している。意味がある本である。 -
今日は山口周の「世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?~経営における「アート」と「サイエンス」」を読んだ。
感想としては素晴らしい著作だった。共感しかない。日本人の民族としての欠点を見事を描いていた。そう日本人の経営には「美意識」がないのである。お金が稼げれば手段は問わないという美意識の欠如。それがコンプガチャやキュレーションメディアであり異次元緩和でありアベノミクスである。
世界の経営者は美意識そして哲学を大事にしている。日本人には哲学がない。日本人のエリートはアドルフアイヒマンそのものなのである。
この本では悪とは何かを問う。それは「システムを無批判に許容すること」とある。アイヒマンは何十万の人間を殺したが、自分自身を無罪だと疑わなかった。
戦艦大和が米軍に特攻したのも日本国民1億人玉砕の先駆けという意味だった。日本人の精神性がユダヤ人を大量虐殺したアイヒマンと全く同じである。
悪とは、システムを無批判に従うことなのだ。その観点で言えば日本は悪そのものである。そして、善とは何か、善とは考え続けることなのだと思う。すぐに慣習に従い、思考を放棄する日本人は善とは遠い存在である。
ただ日本人には「美意識」があるそれは「武士とは死ぬことと見つけたり」というような死に様である。日本人は「空気」という悪魔に支配されているが、誇りさえ取り戻せばまた景気は回復すると思う。そのためにも美意識がない企業は倒産させるべきなのである。 -
【目的】
ビジネスにおいてアートが必要か?
【まとめ(1P)】
過度にサイエンスに頼らず、美意識に基づく自分のモノサシでも見れるようになるべき
【ポイント(What)】
・社会のような複雑系では論理だけで意思決定できない
・サイエンスは再現性がある故に差別化できない
・自分の中に倫理観がなく、サイエンスだけを基準にするとコンプライアンス違反のリスクが高まる
【アウトプット(How)】
・所属システムに適合しながらも批判的である
・アート作品を「見て、感じて、言葉にする」
・知的能力の中枢を司るメタファーを使う
【その他】
・アート=直観、サイエンス=論理
・デザインと経営はエッセンスを抽出する共通点がある
・システムを無批判に受け入れることが「悪」
・アートは説明がなくとも一目で人を感動させなければならない