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みんなの感想まとめ
創作の極意や掟について、著者の独自の視点が詰まったエッセイ集です。章ごとに「凄味」「色気」「放蕩」といった漢字二字のキーワードが並び、古今東西の名作を引き合いに出しながら、創作における深い洞察を提供し...
感想・レビュー・書評
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最初の「序言」からはじまり、「凄味」「色気」「放蕩」のような漢字2文字キーワードが章題となり約30編ほどのエッセイが収められている。
本のタイトル「創作の極意と掟」からして、筒井康隆自身の創作論の総まとめかと思いきや、そうともいえるしそうともいえない微妙なライン。そのキーワードをもとに古今東西の名作、古典や日本文学、海外文学、戯曲からラノベまでを紹介するのがメインでもあるが、その知識や語り自体がまあ「創作の極意」みたいなものである。「序言」で作者自らが言っているように、筒井康隆は作家歴60年なのだ。もはや小説仙人、いや小説集合意識みたいなものだろう。ありがたやありがたやー。
筒井康隆ファンならいつもの名調子で文句なく楽しめる。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
「創作」といってもこの場合、当然ながら小説になるわけだけれど、とことんまで自由であるべき小説の世界にも、当然ながら小説作法とでも言うべき事柄があるわけで、そこらへんを筒井康隆大先生が面白おかしく、時に真面目に、時にユーモアあふれる語り口で綴られている、言わば小説を書くことにまつわるエッセイ集的な本。
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筒井康隆には文学をモチーフにした『文学部唯野教授』という、上梓されるや話題を集めた長編がある。文学理論と文芸批評を縦軸に、学部内紛争を横軸にしたメタフィクション。
本書は小説を書く上での心得をド直球に論じた一冊。とは言え、そこは筒井康隆ならではの味付けがなされ「えっ、このテーマは創作・小説には必要?」と、思わず首を傾げるテーマも含まれている。例えば『電話』『薬物』『遅延』。創作には一見関係なさそうなテーマ。でも一読すると、収めた意図もわかる。また、文芸作品の味わい方や文壇秘話も散りばめられ、読み手を飽きさせない随筆となっている。
その肝心なテーマは、ひとつを除き全て漢字二文字で章立てられている。〈凄み・色気・濫觴・破綻・表題・迫力・会話・省略・形容・細部・蘊蓄・妄想・諧謔・揺蕩・展開・省略・実験・意識・異化・逸脱・電話・羅列・連作・文体・視点・反復・薬物・品格・幸福・語尾・遅延・人物・視点〉。
随所に、著者の小説に臨む姿勢・意気込みが時に鼻息荒く語られ、そこにまだまだ自身の作風なり、文体をスクラップ&ビルドしつつ、新たな筒井文学の可能性と裾野を広げようとする情熱がほとばしる。
失笑してしまったのは、いずれも文壇秘話。『展開』の章で、島田雅彦の『未確認尾行物体』が三島賞を落選した際、筒井康隆は小説の前半を「大変な迫力である」と高評価。しかし、一転、後半は物足りないと「金魚のウンコ」と酷評。方や同じ選考委員の大江健三郎は高評価を与えていたとか…。
また、文芸評論家の江藤淳には「嫌う作家には2種類」あると。それは医者と美男子。島田雅彦はもちろんのこと、どうもおれ(筒井康隆)や宮本輝も嫌われていたのではないかと思う…と、シャーシャーと語る。文学論にはまったく関係のないエピソードであるが、まぁこのあたりは文壇の大御所ならではの余技余芸として微笑ましく読んだ。
以前どこかで聞いたのは、筒井康隆のIQは180超え ⁈まぁ、180にはおヒレが付いているとはいえ、とにかく地頭の成り立ちが群を抜いてることには、異論の無いところ。そんな御仁の創作方法を、あの手この手で伝授されたところで、凡人にとってはご高説以外の何物でもなく、作家の凄味をただただ感じ入った『職業作家論』として興味深く読んだ。むしろ現役作家にとっては『目からウロコ』か『自身の青さ』を痛感する一冊になるのではないかな…。 -
筒井康隆作品はほとんど読んだことない
偏屈なじーさんなのかなと思ってたら愉快なおっさんだった
小説教本というよりはエッセイ……いや、コラムかな
直接役に立つ指導が書かれているわけではないのだけど、「なるほどなあ」がたくさん
面白かった
あと語り口調が軽いな、大阪人みたい(偏見)と思ったら大阪出身なんですね -
大量のインプットがあっての
作品群だと実感した -
日本てんかん協会からの指弾をきっかけに、1993年に「言葉狩り」への抗議を込めて断筆表明した(1997年に『邪眼鳥』で小説家復帰を果たす)筒井康隆先生による小説作法の指南書。文筆家ならずとも、語尾(です、ます調など)問題や会話体、文体、書き手視点など痒い所に手が届く内容となっております。
以下は、本書とは関係ありませんが、断筆宣言のその後。
断筆宣言は業界内でも賛否両論を起こした。友人である大江健三郎(息子の大江光は癲癇の症状を持っている)からは、読売新聞紙上で「社会に言葉の制限があるのならば、新しい表現を作り、使っていくのが作家ではないか」との批判を受けている。また大江は、自らを炭坑内の有毒ガスにいち早く反応して危険を知らせるカナリアになぞらえた筒井を「太ったカナリア」と揶揄している。この他、吉本隆明、金井美恵子、浅田彰、絓秀実、柄谷行人、渡部直己、村上龍、三田誠広、島田雅彦、田中康夫、志茂田景樹、中野翠などから批判を受けたため、筒井は「断筆して以後、『文壇』というものがある、とよくわかった。去って行く者に追い打ちをかけたり、つばを吐きかけたり、反感がすごい」「ぼくを中傷することによって自分が浮上することだけを考えている。今までぼくを認めるようなこと言っていたやつまでですよ」と慨嘆した。特に絓秀実は『文学部唯野教授』の中にエイズ患者への差別描写があると部落解放同盟に注進し、筒井への糾弾を促した(ただし糾弾には至っていない)。一方、筒井を擁護した側には、曾野綾子、瀬戸内寂聴、安岡章太郎、柳瀬尚紀、平井和正、マッド・アマノ、小林よしのり、石堂淑朗、井上ひさし、内田春菊、柘植光彦、清水良典、井沢元彦、夢枕獏、大岡玲たちがいた。しかし「筒井の尻馬に乗って表現の自由をうんぬんしている作家たち」という岡庭昇や、みなみあめん坊(部落解放同盟大阪連合会池田支部代表の南健司)の発言が出てきたため、小林よしのり以外はみな沈黙してしまったという。
1994年11月7日、日本てんかん協会との間で書簡の往復による「合意」にこぎつけ、従来であれば「差別表現」に対する対処は、被差別者側が気の済むまで糾弾を続け、差別者とされた側がひたすら謝罪し要求を受け入れるという硬直したやり方しかなかったところ、筒井と日本てんかん協会が双方の見解の相違を残しつつ合意と妥協に知恵をしぼった点は高く評価されたが、旧来の部落解放同盟的な糾弾路線を支持する人々からは反発を買った。日本てんかん協会との和解について、朝日新聞社社会部の本田雅和や作家の塩見鮮一郎から『朝日新聞』紙上で激しく糾弾された筒井は、「どんな作品書いたのか誰も知らないような塩見鮮一郎なんて作家」「(日本てんかん協会との間の)往復書簡ろくに読まないでコメントしてる。解放同盟やてんかん協会が『よし』としてることにまで反対して、自社の自主規制を正当化しようとして、被差別団体以上の激しさでぼくを糾弾してくる」と批判している。(ウィキペディア) -
講談社
筒井康隆 「 創作の極意と掟 」
小説作法集。書き手向けに書かれた本だが、読み手にも 参考になる。巻末索引は 著者の読書遍歴として読める。著者は 書き手である以上に いい読み手であると思う。
章タイトルが全て漢字二字。著者の極意と掟が凝縮された二字
「凄味」「迫力」「色気」「幸福」は著者の作家道。
「異化」「逸脱」「妄想」「反復」「実験」「意識」「諧謔(ユーモア)」は 著者の作風そのもの。
「表題」「展開」「会話」「省略」「人物」「視点」などは 小説の基礎技術と思う。著者のような 第一人者であっても 基礎技術を疎かにしないと思った
「薬物」「電話」「羅列」「連作」というのもある。「異化」の一つだと思うが、色々なツールがある
凄味
*自分の考えすべてに自信満々という人の書いたものには、まったく凄味がない〜その考え方が誰にでも受け容れられる凡庸なものであるから
*色川武大の凄味〜ギャンブルで大金を喪うという喪失感
*カフカの凄味〜死の表現の微妙さ(死や恐怖は間接的表現の裏側にぼんやりとその存在をほのめかす方が凄味になる)
色気
*小説の色気は、男女の愛欲描写と無関係に存在する
*死や死に直結する恐怖は、色気と結びつく
迫力
*迫力とは文章の力によって生じるものである
*古井由吉「作家は何も書くことがなくなってからが勝負」これこそ作家の精神であり、迫力はそうした作家の精神から生まれる
*迫力を生む題材は 対立〜最後の対立の相手は死
*死を背後に感じさせぬ作家などあり得ないのである
会話
*会話で迫力を生むのは対立
*会話が凄いのは、夏目漱石「明暗」日常会話にみえて、裏に壮絶な
対立を秘めている
異化
*異化とは〜見慣れた言葉、聞き慣れた言語を小説の中で異質なものに変えること
*異化は日常と異なった視点や考え方によって、見慣れた世界を見慣れないものに変える
*形容詞の異化、文章による異化、視点による異化、描写による異化、寓話による異化
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人それぞれである技法や書き方が、筒井先生風にユーモラスかつお茶目さをまじえながらも、目から鱗というものから頷けるものまで多くのことがしたためられていて、感謝しかないです。
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p.2020/7/10
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