元財務官僚の著者がアメリカ留学体験をふまえて、リベラルという政治文化に関する一つの傾向・潮流を考察している。
第1章でアメリカの歴史に刻まれた奴隷制度に根差す黒人差別に典型的な人種差別に対するアンチテーゼとしての人種間の平等が宗教のようだと主張する。その反面心の奥底になる差別意識がトランプを生み、エリート意識が厳格なポリティカルコレクトネスと相まって平等を実質化・先鋭化するアメリカの政治状況を伝えている。
第2章でアメリカの最高裁判所が議会の意思決定に委ねる司法消極主義と人権の砦として少数のエリートによる法創造を認めてきたリベラルの極みを著名な判例を通じて描いている。
第3に著者が現在研究の対象としている家族制度の考え方を通じて自然な(従来的な)両親と子供の核家族を基本とする保守的な考えと生殖テクノロジーの発達や同性婚といった新しい事案に対して従来の家族と同様に扱おうとするリベラルな考えを具体的な事例を挙げて説明している。今後の日本の家族の在り方の多様化に対する先例として大いに参考になるだろう。
第4章でアメリカに顕著なリベラリズムに対して日本の政治状況を分析している。日本ではアメリカに顕著なリベラリズムに相当する政治文化はなく、むしろ長年与党の自民党が余りに無節操な権力亡者として保守的な政策から進歩的な政策まで包摂しているため、野党の出番が乏しいと指摘する。また野党の政策自体が整合的でもないとの指摘はその通りだが、それは自民党も同様で政治文化としてのイデオロギーの核がないというのはやや日本の戦後の組合運動や社会主義的なイデオロギーの影響である面の考慮が不足しているように感じた。
それでも今後の日本の政治文化にもただ与党を批判のための批判ではなく、自ら立脚する国民の目線から建設的な議論・政策提案をする政治文化の成熟を期待する帰結には賛同する。