銀の匙 [Kindle]

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  • 2017年9月28日発売
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感想・レビュー・書評

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  • 大事なものを宝箱から一つ一つ取り出して余すことなく並べたような、はたまた、湧き上がる愛おしい記憶を思い出すままに綴ったような、繊細で美しい言葉で記された随筆風小説。

    明治中期、病弱に生まれついた少年は、維新の混乱で零落し実家に出戻っていた子のない未亡人だった伯母に、異常なまでに可愛がられて成長する。けれど時の流れは永遠の別離を意味する。

    生まれた時から両親以上に絶対的な庇護者だった伯母とは、少年期のある時期から、家庭の事情で遠く離れて暮らすことになる。
    青年期に再会した時の、かつてその背中におぶわれていた時の記憶とはあまりにも違う年老いて弱りひどく小さく頼りなくも、成長した甥の姿に歓喜し、幼子にするようにあれこれと世話をやこうとする姿の描写は、本当に胸に沁みる。

    自伝的小説ということもあり、どの場面も描写が細かくて現実味があるのだけど、この場面の描写は、本当に秀逸。

    「銀の匙」は、作者が27歳の時の作品で、当時文壇の大御所となっていた学生時代の恩師・夏目漱石に絶賛された縁で、大正二年に「東京朝日新聞」に連載されたそう。

    このお話、読んでいる時に、すごく漱石の「坊っちゃん」を思い出したのですが、漱石も同じことを思っての親近感というか好感度だったのかもしれない。
    盲目なまでに無性の愛を注ぐ伯母さんが、「坊っちゃん」の老婆・清を彷彿とさせるのですよ。

    「坊っちゃん」好きには本当におすすめしたい。いや、そうじゃなくても、文章が美しいので、幅広くおすすめしたい。

  • 母に勧めれた本。もう一度読まないと。なんとなく心に浸透せずに読み終えてしまった。

  • 現代の日本人がとうに忘れた日本語の美しさの典型に触れて、心の震えが止まりません。
    内容は、まさに明治版「窓際のトットちゃん」(黒柳徹子)。日本国中に蔓延している変な言葉遣いに少しでも疑問を感じたことがあるなら、是非、ご一読ください。お薦めです。

  • 本書はずいぶん前に購入していたものの、なかなか読むきっかけがつかめずこの日を迎えた。(自慢じゃないが他にもまだ10年以上寝かせている本もある)
    灘中で教材として使われていたことも知ってはいたが、逆にそんな前評判が余計に読むのがもったいなくて避けてきた。
    内容は漱石が絶賛した通り、子供の頃の思い出が子供の視点で描かれるのだが、その描写が適切かつ正確無比。
    似たような思い出は誰もが経験したことだろうが、描写するのに最適な言葉と表現を持たないのが凡人たるゆえん。前編は作者が25歳、後編が28歳の時に書かれたもの。
    本書は、食べ物に例えるならご馳走ではないけれど、昔実家で食べた懐かしいおふくろの味だと思う。それが、長年飽きが来ず愛読される理由だと思う。

    中勘助:
    1885年、東京に生まれる。小説家、詩人。東京大学国文学科卒業。夏目漱石に師事。漱石の推薦で『銀の匙』を『東京朝日新聞』に連載。主な著作に小説『提婆達多』『犬』、詩集に『琅玕』『飛鳥』などがある。

    本棚の引き出しにしまった小箱の中にある銀の匙をきっかけに、幼年期の伯母に包まれた生活を回想する。
    経緯:
    前編が1910年(明治43年)に執筆され、1913年(大正2年)には「つむじまがり」と題された後編が執筆された。夏目漱石に送って閲読を乞うたところ絶賛を得、その推挙により同年4月8日から6月4日まで前編全57回が、1915年(大正4年)4月17日から6月2日まで後編全47回が東京朝日新聞で連載された。
    1921年(大正10年)に岩波書店から単行本が出版され、1935年(昭和10年)11月には岩波文庫版が発行された。岩波文庫版には和辻哲郎が解説を寄せている。2003年(平成15年)に岩波書店が創業90年を記念して行った「読者が選ぶ〈私の好きな岩波文庫100〉」キャンペーンにおいて、本書は、夏目漱石の『こころ』、『坊っちゃん』に次いで、3位に選ばれた。また、岩波文庫版は113万6000部が発行され、岩波文庫で10位に位置するベストセラーとなっている(2006年(平成18年)12月現在)。さらに、2012年には、後述のように同書を使った授業を展開したことで知られる橋本武が解説を付けた版が、小学館文庫として刊行されている。
    影響:
    灘中学校において国語教諭の橋本武(1934年(昭和9年)に同校奉職―1984年(昭和59年)に同校退職)は、戦後、教科書を使わず本作品を授業に用い、一冊を3年間かけて読み込む授業を行っていた(『銀の匙』授業)。その理解と解釈の深い掘り下げ方に物語は遅々として進まず、生徒から「この進捗では200ページを3年で消化できないのでは」という声があがるが、橋本は「すぐ役に立つことは、すぐに役立たなくなる」としテーマの真髄に近づき問題をきちんと理解できるかどうか“学ぶ力の背骨”を生徒が物語から学ぶよう教鞭を取った。この時の教室にいた生徒に、東大総長・濱田純一、神奈川県知事・黒岩祐治、弁護士・海渡雄一、阪急電鉄代表取締役社長・角和夫、東京高等裁判所長官・山崎敏充、NHKエンタープライズ常務取締役国際事業センター長・平賀徹男、作家・中島らもらがいる。また、戦前の教え子には、作家の遠藤周作がいる。(ウィキペディア)

  • https://www.youtube.com/watch?v=cJGq4jClbyA

    灘高は東大に行け、というより、何にでも興味をもつような教育方針だった、その時にこの銀の匙を高校3年間使用し、国語の授業をした。

  • 子供の頃の感じ方って、大人になるとどうして忘れてしまうのでしょうか。
    大人から見ると不思議に思える子供の反応や行動、感覚などを学生の頃までは自分も理解できていた記憶があります。自分もそうだったなって思う感覚。自分より年上の人はどうして子供の気持ちが理解できないんだろう?歳とともに忘れてしまうのかな?と思うことがよくありました。
    どっぷり大人になった今では、やっぱりあの頃のようには子供の頃を思い出せなくなっています。
    この小説、そこがすごいなと思います。どうしてこんなに子供目線で描けるのか?日記でもつけていたのでなければ無理じゃなかろうか。

  • 2018.11―読了

  • 子供時代の鮮明な思い出で興味深くはある。

  • 明治時代の裕福で病弱な子供の話、私にはそんなに素晴らしいとは思えない!でも灘ではどんな授業をしたのかな?

  • お恵ちゃんとの話が印象に残りました。
    ガキ大将にお恵ちゃんを取られそうになって嫉妬する主人公が愛しかった。
    あとは伯母さんとの幼少期の話もいいです。
    子どもならではの感性を描かれて懐かしい気持ちになりました。
    実を言うと「銀の匙」漫画と混同しておりました。
    同名の作品があるとは。全く別物ですね、漫画の方は読んだことがありませんが。

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著者プロフィール

1885年、東京に生まれる。小説家、詩人。東京大学国文学科卒業。夏目漱石に師事。漱石の推薦で『銀の匙』を『東京朝日新聞』に連載。主な著作に小説『提婆達多』『犬』、詩集に『琅玕』『飛鳥』などがある。

「2019年 『銀の匙』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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