群衆心理 (講談社学術文庫) [Kindle]

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感想・レビュー・書評

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  • 「教科書の暗唱が知力を発達させると信じこんで」いて、青年たちは「ただ教科書の内容を鵜呑みにするだけで、決して自分の判断力や創意を働かせない」という、1895年のギュスターヴ・ル・ボンの教育に関する指摘。そこから130年近く経った2021年でもこの指摘が通用してしまうのでは、と思えてしまうことに愕然とする。教育制度を変えることの難しさを、まさかこの本で思い知るとは思わなかった。
    そして、本書で教育を論じることに関して、本題である群衆心理からわき道へそれたかというと、まったくそんなことはない。その点について著者自ら記している一節は、これまた現代でも通用してしまう。
    「一国の青年にさずけれらる教育を見れば、その国の運命を幾分でも予想することができる。現代の教育法は、最も暗澹とした予想を裏書きしている。群衆の精神が、改善されるのも、悪化するのも、幾分は教育と訓練によるのである。」

  • ◆1/28オンライン企画「わたしの“モヤモヤ”大解剖―わがまま論・つながり論を切り口に―」で紹介されています。
    https://www.youtube.com/watch?v=GTaAW7pHRII
    本の詳細
    https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000150693

  • 人は群衆の一員になるだけで、知能がチンパンジーになる。
    SNSでの人々の動きと絡めて考えながら読むと面白かった。

  • やはり古典であり、言っていることはまあそうだろうな、という感じかつ節々に差別的表現を感じる

    ただ、これがヒトラーの愛読書だったらしいが、それを思うと意味が変わる。ヒトラーはこの本に記されている群衆の心理の特徴を見事に利用し、記されている最も効果的な議論方法と導き方でリーダーとしてドイツを導き、あれだけの熱狂を生み出した。
    書いてあることがナチスドイツの熱狂をあまりに正確に言い当てていて、それがこの本の正しさの裏づけになっている。

    一種絶望感にも苛まれるが、この本の群衆心理の特徴を克服し、少しでもいい社会に変えていきたいと強く思った。ギボンは無理だというが。

  •  原著はフランスで1895年に刊行されており120年余り昔の著作だが、その内容は基本的に今でも通用する。というか、120年以上我々は何も進歩していないと思わざるを得ない。

     群衆心理(現在は群集と書くのが一般的だが本書では群衆が用いられている)とは、大勢の人々が集まってひとつの群れとなった時の心理状態や行動パターンを指す。群れの特性は構成員ひとりひとりの特性の単なる集合ではなく、それらと異なる振る舞いを見せる。現代ではもう常識になっていることだが、本書はそれを最初に指摘した古典と言ってよいだろう。

     著者の指摘を要約すれば、たとえ理性的で論理的な性格を持つ構成員ばかりであっても、群衆になると非理性的で非論理的な特性を持つ。感情的で、扇動されやすく、説得を受け付けない。だから群衆を取り扱う指導者は論理的な説得より感傷的な演説を心がけるべきだという。著者が説く指導者の心得はマキャベリズムを彷彿とさせるが、現実のデモや集会の様子を見てもそれは的確と言わざるを得ない。

     恐ろしいのは、こういった群衆の性格はなにも一般市民が物理的に集まった群れだけでなく、選挙における有権者の投票行動や議会における議員の選択についても言えるという指摘だ。高名なイギリス議会の格調高い演説ですら、議員の選択を変える力はほとんどないという。それなら現代のアメリカや日本については言うまでもないだろう。だとしたら議会での議論はなんのためにあるのだろうか。

  • 2018/9/12読了。
    ナチスの宣伝相ゲッベルスに関する本を読み終わったら、Amazonがこの本をお勧めしてきたので読んでみた。社会心理学の古典とされる本らしい。本書に書かれている群衆についての分析を大衆向けに適用すれば、なるほどファシズム政権やポピュリストや広告代理店が仕事の参考書として使える内容だった。彼らがなぜあんな馬鹿げた見え透いた言辞を弄するのか、その行動原理がよくわかる。群衆のことを馬鹿だと思っていて、ある程度それが事実であり、馬鹿を相手にするつもりで振る舞えば実際に効果が上がるからであろう。
    民主主義に批判的な立場の人間が十九世紀に著した本であるにも関わらず、いや、だからこそと言うべきだろうか、書かれていることの実に八割くらいが事実や本質として妥当なものだと感じられる。さすがは古典、大したものだ。なのに、読んでいると常に感じるこの違和感というか胡散臭さは何なのだろう。じわじわくる可笑しさもある。著者が本音を真面目に述べている論文なのか、込み入った経路で何かを揶揄した上質のパスティーシュなのか疑わしくもなる。
    そこで思い出したのが同じフランス人の手になる『読んでいない本について堂々と語る方法』の読後感だ。あの本自体が「読んでいない本について堂々と語る方法」を自ら駆使して書かれていることに気付いたときには声を出して笑ったものだが、その時の気分に似ている。似ているだけで非なるものではあるのだが。
    本書は、本書に書かれている群衆についての考察や知見を本書自身が駆使して「読者」という群衆に向けて書かれている。お洒落だ(笑)。だから本書に書かれていることに頷くときには、「断定」と「反覆」によって「感情」を動かされた結果ではないのかとか、最近テレビやネットで目にした出来事を「心象」として喚起させられた結果ではないのかとか、SNSやAmazonのレビュー欄でみんなが言ってる「他より暗示される意見」に「感染」した結果ではないのか等、まず自分が「群衆」扱いされてまんまと乗せられていはしないかと疑ってみなければならないところに、本書の正しさと一般庶民がこれを読む際の実用性がある。本書をそういうふうに読んで練習しておくと、テレビやネットを見るときに大変役に立つと思うのだ(群衆にはそういう練習など出来ない、というのが本書に書かれていることでもあるのだが、何とか見返してやることはできないものか)。

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