神は数学者か?──数学の不可思議な歴史 (ハヤカワ文庫NF) [Kindle]

  • 早川書房
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感想・レビュー・書評

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  • 「どうして数学は役に立つのか?」著者の博覧強記も楽しく、新海誠監督も勧める、興奮の数学史。

  • 神は人類の発明だが、数学は人類の発見である。

  • 数学の理論を発見したのか、あるいは発明したのか。プラトン主義では、数学の理論が実在する。数学者はそれを発見するとか。片方の考え方では、数学の理論は人間の頭脳が考え出したものに過ぎないとか。著者の考えでは、発見の半分、発明も半分であるという。数学の理論で出された値が、現実の観測データとコンマいくつまで一致することがある。単に人間の頭で考え出された数式がそれほどまでに自然と一致するとは驚きである。しかし、数学の理論は発見されるのを待っているだけではない。発明していかなければ、発見もない。

  • 何か小難しい本を読みたいと思っていた矢先、kindleでハヤカワ文庫セールをやっていることを知り、本書を購入しました。

    本書は数学史のテキストですが、「数学は発見か?発明か?」という視点で、数学者のみならず、哲学者、言語学者、認知科学者たちの豊富な文献を引用しながら議論を展開して行きます。
    ちょっとわかりにくいのですが、数学が人間の存在とは関係なく宇宙にあらかじめ存在していて、人間はそれを発見しているにすぎないとすれば 、神は数学を使って宇宙を創ったことになります。一方 、数学が人間の発明したものだとすれば 、数学は人間の創作物にすぎないことになり 、神は数学者とは縁もゆかりもないことになります。

    例えば、カラタン予想というものがあります。8と9は連続する整数で、いずれも自然数の累乗になっています(8 = 2 の3 乗, 9 = 3 の2乗が成立する)。1844年、ベルギ ーの数学者 カタランは 、無数に存在する自然数の累乗のなかで 、連続するのは 8と 9のみであると予想しました。カラタン予想は2002年、ルーマニアの数学者によって真であることが証明されましたが、「われわれが正しいと知らなかっただけで 、カタラン予想がずっと昔から真実だったのは明らかではないか ?このような種類の真理を 、プラトン主義者は 〈客観的な真理 〉と呼んでいるわけだ」。「コロンブスが 発見する前からアメリカ大陸が存在していたのと同じように 、バビロニア人が数学の研究を始める前から 、数学の定理は数学世界に存在していた 。プラトンにとって 、正真正銘に存在するのはこのような数学の抽象的な形や概念だけなのだ 。なぜなら 、われわれが絶対確実で客観的な知識を得られるのは数学の世界のなかだけだからだ 。したがって 、プラトンにとって 、数学は神と密接に関連するものだった」。
    しかし、そう言い切れるものなのでしょうか?訳者のあとがきでは、本書は「冒頭で 『なぜ数学は自然界や宇宙を説明するのにこれほどまでに効果的なのか ? 』という疑問を投げかけ 、最終的には 『つまるところ 、宇宙とは何なのか ? 』の答えにまで肉迫した 、壮大な一冊といえよう 」とあります。アルキメデスの原理、ガリレオの地動説、ニュートンの運動方程式、集合論、確率論、そして結び目理論から展開してDNA、宇宙論まで、数式を全く使わずに、本書は解を求めてゆきます。

    「数学の不条理な有効性」を「数学は神か」という壮大なテーマに言い換え、読みやすいテキストにしたのは筆者の手腕と思います。小難しい本が読みたいという欲求も満たされました。ただし、終盤に「数学は発明か 、発見か ? は愚問である 。なぜなら 、答えは必ずどちらか一方で 、ふたつは互いに相容れないと仮定しているからだ 。むしろ 、私は半分が発明で半分が発見だと提案したい 。一般的に 、数学の概念は発明であり 、概念同士の関係は発見である 」と、ちょっとズルい考えも披露しています。

    まとまった時間が出来て、何かに集中できる幸運な時間が持てたときの読書に最適の★★★★。

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