死を語る (PHP文庫) [Kindle]

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感想・レビュー・書評

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  • タイトルは重めですが、読みやすい対談集です。
    キリスト教徒の作家2人が「死」について語るという、教義論的な話になるのかと思いきや、そもそも対談者が佐藤優氏と中村うさぎ氏という取り合わせだったという(笑

    神学部卒の元外務官僚と、浪費家のラノベ作家。食い合わせは悪すぎるはずなんですが、お互いちょっと頑張ってる(気を遣ってる?)感じもありつつ、でも通じてるような、それなりの化学反応を生み出しているのが面白いところです。
    本著、もともと「男と女」について語るはずが、中村氏が死にかけたことから「死」をテーマにした対談に変わったという顛末。しかも、中村氏の心肺停止の直前には、佐藤氏が編集者に「変な感じがするからみんなでよく見ておかなければ」と言っていたという。。
    対談の中では(当時の)トピックスが出てきて、のりピーだったりオボちゃんだったり。なんか時代を感じました。
    これで死に対するスタンスが劇的に変わる!ということはないかもしれませんが、少し穏やかに接することができるのではないか、と思いました。

    あとは細かなツッコミですが、対談で「ただの実務家で本質において作家じゃない」と佐藤氏が自称していた点。ご本人がどう思われるかは別として、作家というものが実務家と芸術家?に分かれ得るというのはわかるような…。
    ちなみに、その実務家の氏が「DMMのアダルトビデオでは60歳以上のジャンルがありますよ」って言うのはどういう対談なんだか(笑

    ちなみに、中村氏に百田直樹氏の小説が「褒めるところが一つもなかった」と言及されてましたが、まだ読んだことがないのでなにも言えず。佐藤氏は「ナショナリズムってオナニーに似たところがありますから」といなしてましたが…。

  • 死について考えることは、どうやって生きるかを考えること。臨死体験をした中村さんと、事件によって社会的な臨死を経験した佐藤さんの対談は、死から宗教、政治、文学といろんな方向に飛び放題で面白かったです。
    永遠に生きられるなら人間は、生についてすら考えなくなるのかも知れません、逆説的ですが。

  • 死から生還した中村うさぎ。佐藤優と死について語る。知識人による肩の力を抜いた雑談。対話形式で綴られる本著は、二人の非俗な感じに、妙な俗っぽさをテイストとして醸すので、リアリティが深まる。例えば、ヤクザ映画や、死後の世界の在り方の矛盾など。中村うさぎが必ずしも、佐藤優に手離しで迎合しないスタンスを自然に取っているのも、また良い。

  • 死についての本なのに、私は何故か猫の印象が強く残っちゃいました。
    佐藤優は得体の知れない知の巨人なのではなく、普通に猫を愛するただの頭の良い、優秀な人間なのか〜と安心しました(。-_-。)何度も何度もネコちゃんのお話が出てきて、不覚にも佐藤さん萌えしてしまった...あの知の巨人の懐にも潜り込むネコちゃん!侮れない。

    あと、天国はつまらないところ。と仰っている箇所がありましたが私も同意。
    “笑い”っていうのは大小あれど、悪意や見下すという感情ありきのものなので、天国には笑いが無いと信じています。逆に地獄は笑いで溢れかえってると思う。

  • 「臨死体験」は「死」ではない。
    この世に戻ってこないことが、死の条件だから。



    「生」の期間より「死」の期間の方が圧倒的に長い。
    ほとんど「死」の状態なので、比率でいうなら「生」はほぼゼロでしょ?



    キリスト教を究極的に考えると「死」ってあまり意味がない。

    なぜか?

    それは、単に眠りにつくだけで、みんな復活することになっているから。
    いわゆる不死性があるので「死」は究極的にはあまり意味がない。

    信仰がものすごく強いと「安楽死は怖くないんだな」と思える。
    オランダなどでは、多くの人たちがそういうふうに思っているので安楽死に抵抗がない。
    信仰が、極度に進むと、逆に死が怖くなくなるので、無神論的な感じにさえ見えてくる。

    日本人の不死の感覚は、家族というかたちで
    自分の生きた証を子供達に受け継いでいくという連続性にある。
    「家」という思想と結びついているわけ。



    社会的な死、これは怖い。生活に直接関わるから。
    「おまえ、 (生物学的に) 死ね」という無言の圧力もある。
    さらに、これが効果を奏するなら、その圧力は集団によるだろう。



    「痛み」は人格を変える。
    大事なおものを脅かされた、いわゆる「盗られた」妄想に帰着する。
    精神的な痛みは肉亭的痛みを処理する生理的作用を再利用している。
    精神的な痛みを受けても、やはり人格が変わるだろう。
    孤立を深めて死に行くことを考えると、かなり恐ろしい。



    「フランダースの犬」は、原作では、主人公のネロは自殺する。
    仏教は原理的に、自殺をまったく否定していない。
    因果応報において、自殺の動機が重要であって、私怨で自殺してはいけない。
    平和を実現するために焼身自殺をするのであれば尊い。
    自殺を完全否定している宗教はほとんどないのではないか。
    自殺を推奨する宗教は基本的にない。
    絶滅してしまうので、その宗教自体が残らないし。



    拡大再生産のシステムが「自殺禁止」という方向を作った。
    拡大再生産で人手が必要になった。
    その観点では、人手が減ると困り、人口増加は良いことで、自殺は悪いこと。



    ソ連崩壊で自殺したのはたった2人。
    一つの価値観だけでは人生をリカバリーできない。
    複数の価値観、超越的なものとの繋がりがあると自殺しにくいかも。



    怨恨で大量殺戮はできない。
    政治や宗教がベースにあって、純化されて、
    大義に殉じるかたちをとると殺しのハードルは低くなる。



    ペストはユダヤ人虐殺の大きな要因になった。
    ペストはネズミが媒介した。
    当時、猫は悪魔の使いとされていたので、猫は迫害されていた。
    猫を迫害するほどネズミが増えるのでペストも蔓延する。
    ペストが蔓延すると悪魔の使いである猫をますます迫害する。
    以下無限ループでえらいことに。。。
    でも、ユダヤ人は猫を迫害していなかった。
    よって、ユダヤ人地区は圧倒的にペストの発症率が低かった。
    そのせいで、ユダヤ人がペスト流行の背後に潜む悪役と推察された。



    死者の霊魂は最初は人格を持っている。
    でも、時間が経つにつれてだんだんとそれが希薄になって祖霊になる。
    日本の文化では、だいたい50年で祖霊になるので
    50回忌以降はやらないのはそういうこと。



    キリスト教において、死後に復活した人たちはその後どうなるの?

    「生」は有限。「死」は無限。
    有限なものが無限なものについて考えることはできないので、
    そこは人知の想像の領域を超えているので、この件はここで思考終了。

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    Kindle Unlimitedお試し
    9日目 & 9冊目
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  • p.2020/5/19

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著者プロフィール

1960年1月18日、東京都生まれ。1985年同志社大学大学院神学研究科修了 (神学修士)。1985年に外務省入省。英国、ロシアなどに勤務。2002年5月に鈴木宗男事件に連座し、2009年6月に執行猶予付き有罪確定。2013年6月に執行猶予期間を満了し、刑の言い渡しが効力を失った。『国家の罠―外務省のラスプーチンと呼ばれて―』(新潮社)、『自壊する帝国』(新潮社)、『交渉術』(文藝春秋)などの作品がある。

「2023年 『三人の女 二〇世紀の春 』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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