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感想・レビュー・書評
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Wikiには、「南京事件」は下記の通り説明されている。
南京事件は日中戦争初頭の1937年12月、大日本帝国軍が中華民国の南京市を占領した際、約2ヶ月にわたって多数の中華民国軍の捕虜、敗残兵、便衣兵および一般市民を殺害、略奪、強姦、放火したとされる事件。
中国側の主張によると、本事件の犠牲者は約30万人にのぼるとされている。
本事件に関しては、真偽にかかる論争が続いており、書籍も数多く発行されている。なかには、「南京事件などというものは、そもそもなかったのだ」という主張もあるが、日本政府はHPにて、下記の通り記している。
【引用】
日本政府としては、日本軍の南京入城(1937年)後、非戦闘員の殺害や略奪行為があったことは否定できないと考えています。しかしながら、被害者の具体的な人数については諸説あり、政府としてどれが正しい数かを認定することは困難であると考えています。
先の大戦における行いに対する、痛切な反省と共に、心からのお詫びの気持ちは、戦後の歴代内閣が、一貫して持ち続けてきたものです。そうした気持ちが、戦後50年に当たり、村山談話で表明され、さらに、戦後60年を機に出された小泉談話においても、そのお詫びの気持ちは、引き継がれてきました。
こうした歴代内閣が表明した気持ちを、揺るぎないものとして、引き継いでいきます。そのことを、2015年8月14日の内閣総理大臣談話の中で明確にしました。
【引用終わり】
すなわち、南京事件そのものがあったことは認めるが、被害者の数については、確定が出来ないという立場である。
政府が公式に事件があったことを認めているにも関わらず、事件そのものを否定する言説が多く、それに対して、筆者は実際にどうだったのかの調査を始める。
筆者はもともと事件記者であり、また、「遺言-桶川ストーカー殺人事件」「殺人犯はそこにいる」等の優れたノンフィクション作品を書いた作家でもある。今回の調査は、テレビ番組作成のために始めたものであるが、筆者は実際に、南京陥落時に従軍していた日本兵の日記を保有している人と知り合うことが出来、それを読み込む。その数、31冊。そして、入城当初に捕虜とした中国人兵士たちへの殺戮を記載した日記をもとに当時の状況を再現し、テレビで報道する。筆者の調査は、南京事件の全体像に渡るものではなかったが、実際に事件があったことを合理的な形で示し得たものと評価され、ジャーナリストに与えられる多くの賞を得る。
書籍のここまではノンフィクション作品であるが、筆者は事実を調査した後、色々な思索を始める。思索のきっかけとして最も大きかったのは、筆者の個人的なことをベースにしたもので、筆者の祖父が日清・日露戦争に、父が太平洋戦争に参戦していることであった。
思索は色々なことにまたがる。南京事件そのものを否定しようとする動きがあるのは何故なのか。日本の報道の自由度のランキングが世界的に見て低い(70位程度)のは何故なのか、自分自身に中国という国を軽んじる気持ちがなかったかという反省、そもそも戦争とは何か、等である。
前半の調査ノンフィクション部分はスリリングで面白かったが、後半の著者の「思索」の部分は、私自身はあまり面白いと感じなかった。
ただ少なくとも、前半のノンフィクション部分は読む価値があると思う。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
日本テレビで放映された
「南京事件 兵士達の遺言」という番組の取材内容の本でした。
テレビを見ていなかったのですが
すごい内容を切り込んだのですね。
南京事件は 確かにあったとは 思うけど
人数に 開きがありすぎて
多い数字を見ると どうも 嘘っぽく思っていました。
確かに 戦後の こうした発表は
加害者と被害者の言い分が真っ向に分かれますが
今回この本を読んで この多い数字は かなり真実に近いものではないのだろうか?と 思えてきました。
それにしても
戦時下においては 上官の命令は 天皇の命令と同じだ!なんていうような
常識の軍隊の中で 非戦闘員を殺す事について 意見を言える人はいなかったと思う。
ユネスコの 記憶遺産に
南京事件が認められた時は なんで日本だけと 思いましたが
シベリア抑留も 認められています。
喧嘩両成敗じゃないけど 日本も加害者であり 被害者である。
そもそも
戦争が始まらなければ
大虐殺なとに つながらなかったのに。。。。
この手の本を読むのは とてもつらいです。
でも 知らないというのは 良くない事だと思います。
当時の事を こうして振り返ってみることは
将来同じ様な事を 繰り返さないようにするために 必要だと思います。 -
調査報道の手法で南京事件の真相に迫る。一点突破型の南京事件否定論にも、そして、中国によるプロパガンダにも、与することなくただ事実に迫ろうとする気迫を感じる。
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清水潔氏の本は何冊か読んでいる。氏は調査報道という手法で事件の真相に迫ってきた。氏の文章には裏表がない、偽りがないと信じている。
「南京大虐殺はなかった」という主張がある。他方で中国は、30万人が虐殺されたと主張する。
清水潔氏はこの南京大虐殺にも調査報道の手法で迫る。現地に行く、人に会う、文献の裏を取るなどの調査を重ねてたどり着いた結論は、「南京大虐殺はあった」であった。
虐殺に関わった兵士の日記。複数の日記を照合すると虐殺の事実が浮かび上がってくる。ただし、数は分からない。日本政府は数万から20万人の虐殺があったと言い、中国政府は30万人と言う。数が確定することはないだろう。
しかし、そんなことは問題ではない。何万人であっても大虐殺であることは間違いない。
南京大虐殺はあった。ずらっと並べて射殺し、銃剣で刺した。死体は石油をかけて燃やし、揚子江に流した。極めて残虐であった。
その根底には中国人への蔑視があった。日本は中国人を下に見ていた。そして同様の蔑視が今もあり、清水氏の中にもあることを自覚する。
「中国人はこうだ」、「日本人はこうだ」と国籍をもとに論じるとき、それはナショナリズムを含む。
グローバル化に対するアンチグローバル化。そこで台頭するナショナリズムを見逃してはならないだろう。せめてもの南京大虐殺の教訓として。 -
本書の冒頭でかなりの分量を割いて語られているように、南京事件(あるいは南京大虐殺、中国語で言えば南京大屠殺)はやっかいなテーマだ。どんなに客観的事実を調査して伝えようとしても、双方から矢が飛んでくると言う。単なる歴史的事件という以上の意味が付与されてしまっている。
本書はドキュメンタリーであるが「南京事件のドキュメンタリー」ではなく、「南京事件を調査報道したジャーナリストのドキュメンタリー」だ。シンプルに南京事件に関する情報を得たい人には合わないだろう。本文五章および終章から成るが、五章と終章は南京事件とは直接関係のない、著者の個人的な想いが語られている。
どこからどこまでが真相か、それはあえて語るまい。ただ我々が胸に手を当てて自問すべきことがある。もし自分が兵士として戦場にあり、非武装の捕虜や民間人を前にして「あいつらを殺せ」と上官に命じられ、拒否すれば自分が銃殺されるかもしれない時に、拒否できるかどうか。
多分、ほとんどの人は拒否できないだろう。私も拒否する自信はない。それでも、拒否すべきことがあるはずだ。それだけは忘れないようにしたい。 -
【なぜ、この事件は強く否定され続けるのか?】戦後七十周年に下された指令は七十七年前の「事件」取材? やがて過去と現在がリンクし始め……。伝説の事件記者が挑む新境地。