前作に続きカスピアンと子どもたちとの冒険。このカスピアン2作はナルニアシリーズの中でも特に面白いと思う。
今作のテーマは勇気と冒険。それを体現しているのがネズミのリーピチープだ。暗闇の島に突入する時、世界の果てを目指す時、リーピチープはいつも前に進む勇気を見せる。
その勇気によって、天国(アスランの国)への道が開かれる。強制されたり騙されたりして世界の果てまで航海しても大願は果たせない。世界の果てへの航海に最後まで志願せず、島に一人だけ残された船乗り。天国に入れず歯ぎしりするという聖書の言葉をふまえた話だろう。
前作でも最後にアスランの勝利の行列という天国的・祝祭的な描写があったが、今作では世界の果てに近づいてからの天国的な描写が非常に長く続く。水は澄み、光が満ち、睡蓮のような花が咲く中を、ドーン・トレッダー号は世界の果てに向けて進んで行く。世界の果てには子羊がいて焚き火で魚を焼いてくれる。復活後にイエスが弟子にしたように。子羊はアスランである。こちらの世界ではアスランは別の名前で呼ばれている。イエス。
今作では、ユースティスという少年が、エドマンド、ルーシーと共にナルニアに行く。今作でルーシーたちの苗字が「ペベンシー」だと分かる。単に「子どもたち」ではユースティスも含まれてしまうため、ユースティスを除く子どもたちを表すのに苗字が必要になったのかもしれない。
このユースティスを批判的に描くことにより、反対に作者が善いとする考え方が示される。ユースティスの家は先進的。親を名前で呼ぶ。ベジタリアン。酒やタバコはやらない。昆虫の標本好き。家に家具は少ないミニマリスト。物語は読まない。だから人に分かりやすく物語るのが苦手。共和制を支持しカスピアンの王権を認めない。経済効果、進歩性、発展性を根拠に奴隷貿易を推進するカロールメン国が一番まともな国(自分の世界に近い)と感じる。作者は保守的であり、物語を愛し、イギリスの王室を支持し、実利よりも大事なものがあると考えているのだろう。
本作でも、聖書や哲学に基づく印象的な言葉が多く出てくる。
「もしそうしていればどうなったかということは、誰も知ることはできない。」(アスラン)
「わたしにとってはすべてがすぐなのだ」(アスラン)
「星を構成する物質は星の本質ではない」(ラマンドゥ)
「ルーシーとエドマンドはもうナルニアには来られないが、ユースティスがどうなのかはルーシーは知る必要はない」(アスラン)