架空の犬と嘘をつく猫 (単行本) [Kindle]

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  • 中央公論新社
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感想・レビュー・書評

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  • あなたは嘘をついたことがありますか?という質問に、”いいえ、ありません”と答えられる人は絶対にいないと思います。

    では、あなたは”嘘をつく”ということを悪いことだと思いますか?と聞かれたらどうでしょうか?

    今、この瞬間にも世界のどこかで誰かが確実についている嘘。例えば小学校時代のあなたが、もう宿題したの?と親に聞かれた時に、慎重に顔色を変えずに”やったよ”と答えた、あの時の嘘だったとしたら、それは自分を擁護するための嘘だったはずです。そのことによって誰も困る人はいません。いるとしたら、本当は宿題をやっていなかったあなたがどこかで代償を払うことになる、ある意味それだけのことです。一方で、滅多に台所に立たない旦那さんが、寝込んでいるあなたに代わって珍しく料理を作ってくれたという場面ではどうでしょうか?いや、ちょっとありえないでしょう、という味付けであっても、”美味しいよ、ありがとう”と、大嘘をつくあなたがそこにいるのではないでしょうか。それは、旦那さんの優しさに感謝し、夫婦の絆を第一に考えた結果でもあります。この場合、嘘をつかなかった場合にこそ、予期せぬ代償を払う未来が逆に待ち受けているかもしれません。

    この世に溢れる嘘の数々。一見”嘘をつく”という言葉は、もしくは行為はマイナスな意味合いを持って受け止められがちです。しかし、人と人との円滑なコミュニケーションを考えた場合には必ずしもそうとは言えません。それは、家族の中であっても同じことです。『自分はお母さんの世界を守るために、これからもたくさんの嘘をつくだろうと思った』という主人公・山吹。この作品は、嘘にまみれた”ある家族”の三十年を眺めながら、嘘とは何かを考えていく物語です。

    『この家にはまともな大人がひとりもいない、というのが姉の言いぶんで、山吹もなかばそれに同意する』という主人公・山吹(やまぶき)。しかし、『まともな大人はいないけれども山吹はまだ八歳だから、その大人たちに頼るしか』ありません。そしてそんな風に『主張する姉の紅(べに)とて、先月十一歳になったばかりなのだ』という小学生姉弟の『1988年5月』のある日。『食堂のテーブルに両手をついている祖父を見た時』、『ああ今日もだめだろうな』と感じる山吹。そもそも『家族が集うための空間であるはずの居間は、いつもがらんとしている』と、家の間取りの悪さもあって全員が揃うことの少ない家族。『今日も学校から帰ってきて、まず宿題にとりかか』るも『勉強が難しくなってきた』と感じる山吹の勉強は捗りません。でも、『家族の誰かに「教えて」と頼むことはできない。そういう家ではないからだ』というその家族。『おととい、担任のサカシタ先生から「今週中に家の人に渡すように」と配布されたプリント』をずっと持ったままの山吹が食堂に降りたら祖父がいたという場面。『ちょっとお前、こっち来い』と呼ばれる山吹。『「計画書」と記されている』紙の表紙の『右下に「羽猫正吾」と、祖父の名前』が書かれていました。『おじいちゃんはいいよな』と思う山吹。『自分の名前が嫌いだ』という山吹。それは『名字が「羽猫」なのは、しかたないと思』うも『祖父は「正吾」という、すばらしくまっとうな名前を親から授かっている』のに対して『山吹は名前としてはちょっと特殊過ぎる』と感じています。『羽猫山吹。文字にしてみると、ほんのりと四字熟語感すら漂ってくる』というその名前を憂う山吹。そして『商才もないのにむやみに新しい商売をはじめたがる傾向にある』という祖父。急に『メロンパン専門店』をやると言い出したりする祖父。『羽猫山ランド』と手元の『計画書』の一行目を読み上げて、山吹を見る祖父。『俺はこの塩尻町に遊園地をつくることを思いついた!』という祖父。『計画書の三ページ目は白紙だった』というそこに『羽の生えた猫ば描け。遊園地のマスコットにするけん』と『名字が羽猫だから、羽の生えた猫をマスコットにしようと』考える祖父の『その安直さにうんざりさせられる』という山吹。そんな山吹、祖父、祖母、姉、父、母という六人家族のその後の三十年の人生が描かれていきます。

    1988年5月から、2018年5月までの30年間を5年おきに7つの章に分けて展開するこの作品。冒頭で8歳だった少年・山吹が小・中・高・専門学校を経て社会に出て次の人生の展開が見えるまでの長くて短い時間が描かれていきます。それは基本的には主人公である山吹視点で展開されますが、各章に一人づつ、父、姉、祖母…と他の人物視点が登場するところがとても新鮮です。しかし、そんな物語は冒頭から読者にとても重いものを背負わせます。『遊園地をつくる計画を、いろんな人に話している』祖父。『羽猫工務店の社長をやっているのだが、ちょっと目を離すとふらふらどこかに出かけてしまう』父。『また靴も履かずに出ていこうとしている』母。山吹は、町の人に自分がそんな羽猫家の一員であることを知られることによって『嘘つきな正吾さんの孫ね。甲斐性なしの淳吾さんの息子ね。おかしくなってしまった若奥さんのいるあの羽猫さんとこの子ね』という目で見られるのを嫌がります。もしこの作品が山吹視点からのみ描かれるものであったら、そんな家族の心の内は当然に見えませんが、この作品では家族それぞれに視点が切り替わることで、その真意が見えてきます。例えば父親視点では、『無能な男。家中のやつら皆、俺のことをそう思っている』と感じている父親の内面が語られます。その内面は『さびしい。家の中で煙草のけむりのように扱われるのは。だから家の外に居場所を求めている』という勝手な理屈で女性の家に通う父。『そんな言い訳は通用しないとわかってはいるのだが、やっぱり夕方になると鮎子の家に通ってしまう』となんとも弱い男の代表のようなその胸の内が語られることによって家族の中での父親の立場が逆によく見えてきます。このように視点を順に回していく構成の作品では、章単位で順にというのが一般的だと思いますが、この作品ではそうではなく、章の中の一部分だけの視点切り替えという形をとっています。そのことによって何が生まれるのか。それは、誤解を恐れずに言えば注釈のような役割を果たしているという感じでしょうか。山吹視点で展開する物語の中に、割り込むように他の人物視点が挿入されることで、山吹視点に戻った後は、その物語に厚みが生まれている、という結果がついてきます。そして、このように差し込まれる人物は7つの年代それぞれで絶妙と思われる人物が順に選ばれていきます。中でも〈2008年1月〉では、まさかの人物が登場し、鳥肌の立つような見事な伏線回収が行われます。このように、この物語は30年という時間軸と、複数の人物視点という視点軸が巧みに組み合わされた構成の妙が光る作品だと思いました。

    そして、この作品で一番気になることと言えばその不思議な書名だと思います。「架空の犬と嘘をつく猫」。これだけだと一見、犬と猫の物語が描かれているようにも感じられますが、実際にはそんなことはありません。あくまで羽猫山吹の一家を中心とした物語です。しかしそんな一家を語る時に『嘘』ははずせません。書名の後半『嘘をつく猫』とはまさにこの羽猫家の人々のこと。作品冒頭に姉の紅が『この家にはまともな大人がひとりもいない』と語る通り、そこに描かれる大人は虚飾にまみれています。そんな家族の中で『つらいことがあると犬を撫でました。現実にはいない、架空の犬です』と架空の世界で気を紛らわす山吹。しかし、そんな家族になってしまった起点は、あらすじにもある通り、四歳の『次男坊が死んで、羽猫の若奥さんはおかしくなった』という一家を激震させる大きな事故がきっかけでした。そんな中で注目すべきは母・雪乃と山吹の関係だと思います。次男・青磁の死により『おかしくなった』とされる母。しかし、視点の切り替えにより『自分の生きている世界の中にだけでも青磁を生かしておこう』と感じる母の内面が浮かび上がります。一方で『青磁になりきって手紙を書く時、山吹はいつも母の体調を気遣う』というように嘘の手紙を書き続ける山吹。そんな山吹に『山吹、自分以外の人間のために生きたらいかん』と語る祖母。『誰かを助けるために、守るために、って言うたら、聞こえはよかよ』という嘘。その嘘を『でも、人生に失敗した時、行き詰まった時、あんたは絶対、それをその誰かのせいにする。その誰かを憎むようになる。そんなのは、よくない』と語りかけます。『いつも、誰かをなぐさめたり、助けたりするために生み出される』という山吹の嘘。”嘘をつく”という行為は、自分のためであったり、人と人との円滑なコミュニケーションを築くためであったりと多種多様です。必ずしもそれが悪いとは一概には言い切れないでしょう。しかし、そんな嘘が相手にも嘘だとわかっていた場合はどうなのでしょうか。嘘をつき続ける、ただひたすらに嘘をつき続けるその先には、”嘘をつく”というそのことだけが意味を持つ、そんなおかしな未来が待っているだけなのかもしれません。そこにはやはり、真実を語る、真実を誠実に伝えることの大切さに勝るものはないのかもしれません。

    でも、だからと言って”嘘をつく”ことは必ずしも否定されるものでもありません。『現実にはないなにかを心の拠りどころとして生きることは、むなしいことでしょうか』と山吹の言葉を通して問いかける寺地さん。人は生きていく中で不安に苛まれることがあります。不安に押し潰されそうになることがあります。そんな時には真実でなくて嘘でもいい、と嘘に寄る術を求めたくなります。

    嘘に守られ、嘘に支えられ、そして嘘に救われる、この物語を読んで、ある意味で私たちの日常行為の一つとも言える”嘘をつく”という行為の奥深さを改めて考える機会をいただきました。

    とても重く深い内容を、柔らかい筆致で鮮やかに描いていく寺地さんの傑作、う〜ん深い!、読後に思わずそう呟いてしまった作品でした。

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著者プロフィール

1977年佐賀県生まれ。大阪府在住。2014年『ビオレタ』で第4回ポプラ社小説新人賞を受賞しデビュー。他の著書に『わたしの良い子』、『大人は泣かないと思っていた』、『正しい愛と理想の息子』、『夜が暗いとはかぎらない』、『架空の犬と嘘をつく猫』などがある。

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