ストーカー (ハヤカワ文庫SF) [Kindle]

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  • 早川書房 (1983年2月14日発売)
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みんなの感想まとめ

人間の理解を超えた巨大な存在に挑む姿を描いた作品は、ホラー的な要素も感じさせながら、深い哲学的テーマを内包しています。クライマックスでは、一文一文を噛みしめるように進む緊張感があり、特に4章のゾーンの...

感想・レビュー・書評

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  • ハヤカワ文庫版はもちろん既読。タルコフスキーの映画も大昔に名画座で見た。

  • キンドルで安く入手できたことから、タルコフスキーの映画化で有名なストーカーを読みました。『路傍のピクニック』というのが原題で、その原題の含蓄がとても心に響く名作だと思いました。おそらく人間よりも高次な存在である存在が残した不条理なゾーン。その不条理に命を懸けることでしか、生活ができない人間たち。最後の主人公の心理描写と叫びがとても心に残り、長く余韻を残します。映画のストーカーとはテイストが異なりますが、これはこれでぜひとも読むべき傑作だと思います。

  • メイドインアビスのよう
    古典的らしいが今読んでも新しい

    人間にはどうしようもない 巨大な不可解なもの ホラーのようでもある

  •  ハーモントと呼ばれる架空の田舎町に突如として現れた、異星文明の痕跡が残された地帯、ゾーンと、そのゾーンに侵入し、異性文明の遺物を運び出すストーカーを描いた一風変わったファーストコンタクトもののSF小説。

     まず、ゾーンの描写が見事だ。ゾーンには柳の林に覆われた腐った沼地とボタ山の聳える工業地帯が含まれる。その物々しい世界のあちこちに異性文明の痕跡によるアノマリー(重力の歪んだ空間〈蚊の禿〉や触れた箇所に致命的な障害を齎す〈魔女のジェリー〉、その他にも稲妻を撒き散らしながら浮遊する球電や、霧の中で佇む何か等名前すら付けられていないアノマリーが多数存在する)が息を潜めている。そんなゾーンをストーカー達は、ナットを逐一行先に放り投げるなどして慎重に進み、標識を立て、地図を作り、探索する(特筆すべきは、アノマリーには生命体やそれに準ずるものが殆ど存在せず、ゾーンでは銃が役に立たない)。時には不注意などによってアノマリーに命を奪われたストーカーの死体自体が危険を示す標識となる。多くの作品に影響を与えた、この不条理で非情な世界観は読んでいて非常に興奮した。

     作品のテーマはエピグラフの「きみは悪から善をつくるべきだ、それ以外に方法がないのだから」が全てを物語っている。ただし、その意味を理解するには、まず人間中心主義について触れなければならない。

      人間はつい人間中心主義に陥りがちだ。その一例は、ヌーナンとワレンチンの問答に現れている。ゾーンという異性文明の来訪という事象が起った際、つい人間は、異星の知性を人間の心理に結びつけて考え、彼らが知性を持っているならば当然人間とコンタクトしてくるものだと考える。
     しかしワレンチンの仮説は違う。異星の知性が人間のそれと全く異質な可能性がある。そうでなくとも、彼らがどうして人間を気に掛ける必要があるだろうか、と。ワレンチンは来訪をピクニックに例える。曰く、私たちは、ピクニックに来た人間が残した様々なゴミを見て、驚愕する野生動物に過ぎない(これが原題の『路傍のピクニック』の由来だ)。
     それに対し、人間中心主義の無自覚な信奉者のヌーナンは「人間を軽視した考えだ」と、怒りを露にする。
     人間至上主義を無邪気に信じられている内は幸せだ。人間が至上のものなら、それが善いものなのも当たり前だ。しかし人間が至上のものでないなら、人間の善性には疑いの余地が生まれる。ここでエピグラフの意味が分かる。人間が善いものと限らないのなら、「きみは悪から善をつくるべきだ、それ以外に方法がないのだから」というわけだ。

     善と悪と深く関わる用語は、ゾーンだ。劇中で示されたゾーンに対する二つの価値観がある。
     グダーリンは、ゾーンは悪魔の誘惑で、ゾーンなど存在しないように振舞うべきと考えている。一方、キリールは、ゾーンを肯定的に考え、それによって世界が良くなり、恒久平和と調和が齎されると信じていた。
     主人公であるレッドは、二人を好いていたが、特にキリールの考えによって、新しい、変革された世界が描かれたような気がしたために(その考えに全面賛同したわけじゃないが)、彼を高く評価していた。しかし、ゾーンでの出来事が原因で、キリールが死んでしまう。それはレッドにとて、キリールのゾーンに対する希望的な考えが否定され、グダーリンの観方が正しく、すなわちゾーンに善意がないことを証明しているように思えた。

     また、レッドは、ストーカーのようなヤクザものでない、堅気の暮らしを酷く嫌っていた。誰かの為に働くということは、すなわち奴隷と等しく、それは退屈な灰色の生活だと。だからストーカー稼業を続けるのだ。また、ヌーナンはレッドがそれを続ける理由を代弁している。曰く、「人間に金が必要なのは、金のことを心配しなくてもすむようになるためだからな…」

     四章のレッドは、金のことをとんと心配しなくなり、つまりヌーナンの言うストーカー稼業を続ける理由がなくなっていた筈だったが、ゾーンに舞い戻っていた。それが何故か自問自答すると、レッドの娘であり、ゾーンの作用によって終に外見だけでなく内面まで変容し、知性を失った「モンキー」の為であり、今の彼にとって願いを叶えてくれるという遺物〈黄金の玉〉こそが今の自分の唯一の希望であり、人生の唯一の意義であるからだと気付く。願いを叶えることで悪臭に満ちた世界の螺子を全て取り替えねばならないと考えたのだ。そしてアーチーという少年を犠牲にし、遂に〈黄金の玉〉に辿り着く。
     しかし、〈黄金の玉〉を前にして、世界の理想像、物事のあるべき姿というものを自分には考えることが出来ないと気付いてしまう。最終的に彼は、〈黄金の玉〉が自身の魂を覗き、自分では気付けない、心の奥にある理想の世界像を引き出してくれることを信じながら、アーチーの口にしたガキっぽい願いを口にすることしかできなかった。「すべてのものに幸福をわけてやるぞ、タダだ。だれも不幸なままで帰しゃしないぞ!」

     四章はメタファーで埋め尽くされた抽象的な話なので、それらを一つ一つ分解して考えていく。
     世界の理想像、物事のあるべき姿というものを自分には考えることが出来ないと気付くレッドは、「路傍のピクニック」によって、人間至上主義が否定され、ピクニックのゴミを漁る動物に貶められた人間の象徴に思える。人間の知性が異性文明のそれと比べて遥かに矮小なせいで理想の世界像が描けないのだ。
     レッドは、物事のあるべき姿を思い描こうとしたが、ストーカー人生で知り合ったの醜い面々と、ゾーンの風景ばかりが浮かび、そしてそれらを一掃してしまったら剥き出しの地面以外何も残らない気がした。ゾーンやそれにまつわるものは、世界に満ちる悪臭であり、すなわち悪を象徴しているように思える。そしてただ悪を取り除けば、退屈な灰色の世界しか残らないのだ。「路傍のピクニック」によって、人間至上主義が否定され、人間や世界の善性に疑いがかかったが(人間にとって、人間そのものと人間にとっての世界は同一だ)、その疑いの答えである。すなわち、人間や世界は悪で満ちていて、それをただ取り除くのは解決策にならない。
     二章でレッドはゾーン外でゾーンで経験したことのある幻覚に襲われる。それは「前からよく知っている世界が、知られざる別の一面を彼に見せたのだ」と説明される。すなわち、ゾーンに満ちた悪には、ゾーンの外の世界にも存在しており、ただゾーンの中ではそれがいち早く暴かれただけなのだ。三章でゾーンが人類に及ぼす作用が描かれているように、暴かれた世界は拡大していく。
     アーチーの人類全員に幸福をわけるという世界の理想像は、破綻している。例えば、レッドが幸せなら〈禿鷹〉はそうでなく、それでなくともクォーターブラッド大尉はレッドの幸せを願って、ストーカー稼業から足を洗わせる為に何度も投獄したが、レッドにとって堅気の灰色の生活は幸せでなかった。万人に共通する幸せなどない。キリールの描いた世界の理想像はもっと荒唐無稽だった。矮小な人間の知性には荷が重すぎたのだ。しかしこれらはゾーンという悪から生まれた善だった。
      レッドは、アノマリーの最中にあり、体を苛まれ、考えることも意識することができずとも、ストーカーとして他のアノマリーに注意を払うことができた。彼はそれを「まるで機械じゃないか」と形容する。機械のような存在は他にも作中に登場する。ストーカーの代わりにゾーンを探索する自律機械”ロボット”と、自律した生命力を持つ”ゾンビ”、そして知性を失った”モンキー”。ロボット以外の存在は全てゾーンの作用によって知性を失っている。ここでワレンチンの仮説を思い出さずにはいられない。異星の知性は人類のそれと全く異なる可能性があるというものだ。つまり、彼らは知性を失ったように見えて、”異星の知性”と呼べる何かを獲得している可能性があるのだ。 
     最終的にレッドは、考えることを辞め、〈黄金の玉〉に己の魂を覗き、その中の本当の望みを読み解くことを要求する。人間の知性で考えることを辞め、世界の理想像が内包されている、おのれの魂の善性を信じたのだ。その魂はゾーンの作用によって”異星の知性”を獲得しているかもしれない。これはすなわち”悪から善をつくる”ということだ。

     以上の解釈を纏めるとこうだ。
     「路傍のピクニック」という異星文明の来訪によって、人間至上主義が否定され、人間、そして世界の善性に疑いがかかった。そして世界に満ちた悪がいち早く暴かれたのはゾーン内である。そして世界にかかったベールは、ゾーンが人類に及ぼす作用により、どんどん取り除かれていくのだ。
     すなわち、人間至上主義の否定によって産まれた疑いの答えは、人間も世界も悪に満ちているというものだ。その為、人間は”悪から善をつくる”ことによって、善性を獲得する必要がある。図らずしもそうした行為に取り組んだものがゾーンに立ち入ったストーカー達だった。
     しかし人間の知性には限界があった。アーチーやキリールが人間の知性で考えた理想像は荒唐無稽なものだった。
     そんな中、レッドやストーカーの子供たちは、人間の知性とは異なる異星の知性を、ゾーンからの作用によって獲得した。
     そしてレッドは、自らの魂に内包される、人間と世界の善性を、人間の知性には依らず、異星の知性でもって、〈黄金の玉〉に伝えることにしたのだ。

     あとがきによれば、作者のストルガツキー兄弟による映画化の為のシナリオ内には以下のような台詞があるらしい。「灰色の人生なんかより、辛い幸せのほうがうんとましよ」「人生に辛いことがなかったら、いくらかましかしら。もっと悪いわよ、きっと。だって、そういう幸せすらないかもしれないじゃないの。希望もないわ」
     「苦痛があるからこそ人生は美しい」なんて言葉があるが、本書で描かれたテーマはそれに近いもののよりダークだ。「この世界は苦痛に満ちている。そして一つ残らず苦痛を取り除いても物事は好転しない。だから苦痛から幸せを作るしかない。」

     蛇足になるが、『ストーカー』はSFにしてはひどく内省的なお話だ。結局、異星文明の来訪の真意や、異星の遺物の作動メカニズム、果ては〈黄金の玉〉の願いを叶える能力の真偽すら明らかにされない。必要ないからだ。
     本書のストーリーは、物事を思案する際の脳内会議に似ている。主人公のレッドは意思決定を下す「わたし」で、それ以外の登場人物は「わたし」の脳内に渦巻く様々な価値観だ。ゾーンにまつわる全てのものは、脳内に外部入力として入ってきて、議論に横やりを入れてくる「現実世界」だ。最終的な思案の結果は「〈黄金の玉〉に伝える願い」として出力される。 
     そう考えると、”異星の知性”というのもメタファーでしかないのだろう。人間至上主義が否定され、悪に満ちた世界が暴かれる。そうした悪と向き合い続けることで得れる実存的直観とかだろうか…。これについてはまだ答えが探し続ける必要があるだろう。

  • とても面白かった。SFにしてハードボイルド。大雑把に言うと来訪後の世界でのストーカーというトレジャーハンターの話しなのだが、非常に硬派な内容。主人公レッドの愛娘であるモンキーに対する複雑な愛情でさえウエットな表現を許していない。来訪によるゾーンの出現がその地域にどんな影響をもたらしたのか?人々が翻弄され、どう変容するのか?がテーマだと思うが、来訪が単に知的生命体の気ままなピクニックで、お宝が彼らの残したゴミであるならば、なんともやりきれない。
    タルコフスキーの映画ストーカーは未見であるが、本作とはかなり違う内容との事で見てみたいが、同監督の作品はスローで眠くなるのが難点。ストーカーもそうなのだろうか?

  • 面白かった。クライマックスは一文一文噛みしめるように読んだ。凄まじい。4章のゾーンの描写と主人公シュハルトのモノローグが凄かった。じわじわと溜まって来たものが一度にスパークしたような。3章で1回だけ語り手が切り替わるところが良い。シュハルトの主観だけでなく別の人間の目線でゾーンやストーカーについて語られる。元の題名(路傍のピクニック)の方が示唆的でいい気もするが映画の存在感はデカい。頭に浮かぶイメージもシュハルトのキャラも映画とは全然違うんだけどやっぱ途中でふと映画のシーンが浮かんできた。
    テーマも違うし別物なんだけど小説の「黄金の玉」と映画の「ゾーン」が象徴する願望の叶う存在が思考の中心になってるところは同じ感じ

  • 殺伐としたディストピア系の話はあまり好きではないのだけど、ぐっと集中して読めたので達成感。
    ファーストコンタクトものだけど、何の謎が解けるわけでもなく、〈ゾーン〉という不可解な危険地帯に突っこんでいき、死んだり、手や足を失ったり、奇形になったり……何の謎が解けるわけでもないのに、どうしようもなくそこに惹かれて、舞い戻っていく人間たちを描いている。

    〈ストーカー〉にとっては〈ゾーン〉でブツを手に入れて闇市で売りさばくという物欲が直接の目的のようだけど、そうはいいながら、ただきちんと就職してコツコツと稼げばいいのではなく、やはり究極の危険と背中合わせの生活に心底魅入られてしまっているのだ。わけのわからない謎を前に、けっきょくは人間性の底にあるものがあばかれていくのがおもしろい。

  • おもしろかった!
    RPGにある街の話かなと思っていた。
    街から一歩出るとモンスターがウヨウヨしていて、なぜか街の中だけは安全で。モンスターからとれるアイテムが高値で取引されている。

    でもそうじゃなくて、人間がポイ捨てしたゴミや環境を汚した残渣物が野生生物、虫たちにとって脅威になるという話だった。大事な話じゃん。

    ロシア人ってどうしようもないのに魅力的な人間を書くのがめちゃくちゃうまい。
    他のも読みたいですが全然Kindleになくて悲しい。

  • ソビエト・ロシアの作家ストルガツキー兄弟による古典SF▲接触することなく去ったゾーン《異星超文明の痕跡》に不法侵入し遺物を持ち出す「ストーカー」異星文明が来訪したその目的とは? ▼原題は『路傍のピクニック』それは冒頭インタビューのピルマン博士が3章でヌーナン監督官と飲みながら語るネタです。他の章は主人公レッド視点なので、視座が低く、目前で起きることしか分からないがサスペンスフル、先の読めないダークファンタジーのような苛烈な現実と向き合う姿が描かれます。ファースト・コンタクト・テーマの傑作です(1972年)

  • アニメ『裏世界ピクニック』の元ネタだというので読んでみた。

    タルコフスキーの映画はテレビ放送を録画して見てはいたが、映画はかなりうろ覚えとはいえ、ぜんぜん違うので驚いた。

    ゾーンの中にいるシーンは映画の印象からするとびっくりするほど少ない。ほとんどは「ゾーン」がどれほど地上世界を混乱させているかというエピソードの連続。

    ストーリーはシンプルではなく、目を引くような鮮やかな場面も、あっと驚くような巧みな展開もない。ゾーンが何であるかの答えには到達しないし、ゾーンから持ち帰った物品についてもそれが何かが突き止められることはない。

    しかし、「不可解なものとの遭遇」という話はスタニスワフ・レムの本でいくつも読んでいるので、それに比べれば読みやすいと思う。

    主人公の赤毛(レッド)は、ゾーンができたハーモントで生まれ育った、特に教養もなく、ゾーンに不法に侵入してものを持ち出す「ストーカー」稼業が板についた人物。

    しかし、そういう朴訥な人物だからこそ、「来訪」やゾーンがもたらした混乱に立ち向かう、「人間」の代表たり得ている。彼だからこそゾーンの核心に迫れた。

    ゾーンが何であるかは視点をいくつも変えて議論が続くが、それが答えを出すことはない。レッドだけがその核心部分に到達できた。物語はそれでいいと思う。

    そして、結局はゾーンが何であるかは分からない。

    ワクワクする奇妙な物体を山程出しておいて、そこを謎のままにする原作者はかっこいい。

    なお、原作のタイトルを直訳すると『路傍のピクニック』だそうで、「そのままかよ!」と『裏世界ピクニック』に言いたくなったw

  • ■地球上に6か所、突如出現した特異地点”ゾーン”。そこには異星人が残していったと思われるガジェットが散在している。しかしそれらはどうやって、なんのために使う道具なのか想像もつかない。なぜなら異星人の科学ははるか先を行ってしまって全く人間の理解が及ばないから。
    ■”ゾーン”自体も人智を超えた怪現象が頻発している。”ストーカー”たちは大金目当てにガジェットの奪取をこころみようとするのだが、彼らは自分の身に何が起こったのかさえ理解できないまま次々と命を落としていく……。
    ■「異星人の気ままなピクニックのあとのゴミが人間どもを振りまわす」というひとつのアイデアだけでできた物語。異星人の遺物が徹底的に理解不能に描かれていて、そこがとっても不気味だった。

  • これまで読んだ異星人コンタクト物のSF小説のなかでも異彩を放つ作品の一つである。

    ある日突然地球上に出現した異星人の来訪地点と思われる5つのゾーン。
    そこは、人知を超えた現象が起こる異様な世界であり、簡単に人間の命を奪う危険地帯である。しかし、異星の高度なテクノロジーによる遺物が存在する為、それらを狙ったストーカーと呼ばれるハンターが危険を冒してゾーンに侵入する。

    半世紀ほど前の作品だが、面白さは今だ古びない。
    異星人は最初から最後まで登場しないが、ゾーンという異様な世界を通してそれらが我々の理解を超越しており、およそコンタクトなど取れるような存在でないことが仄めかされている。
    ゾーンの描写も非常に異質かつ不気味で、人知を超えた存在に属する世界を巧みに表現していると思える。

    この作品は、その後作られた様々なSF作品に影響を与えおり、SF小説の古典の一つとして読み継がれていくと思う。

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