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感想・レビュー・書評
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講談社学術文庫から出ていた本書は品切れ入手困難な状態が続いていたが、今回の再刊は岩下師の論文集『 信仰の遺産 (岩波文庫) 』が出たばかりで極めてタイムリーだ。併読を薦めたい。岩下師の神学とその哲学的背景については『信仰の遺産』のレビューに書いたのでそちらを参照して欲しいが、本書の白眉は何と言ってもカトリックの立場からの犀利なプロテスタント批判である。
中でも特筆すべきはプロテスタントの聖書解釈の欺瞞と恣意性を鋭く突いていることだ。プロテスタントは「聖書に還れ」のスローガンを掲げて教会の権威を否定する。しかし彼らが崇める当の聖書は教会の基礎を築いた使徒の伝承に基づいており、それを現存するかたちで残し、伝えてきたのは教会であるという事実にどう向き合うのか。自分の理性が承服し得ない不合理な記述は全て歴史的事実ではなく、護教論的観点から後に書き加えられたのだと主張するが、つまるところプロテスタントの言う「聖書に還れ」とは、自分の理解できた限りの「聖書」を信じることに他ならない。
岩下師は実証史学による聖書のテキストクリティークの意義を必ずしも否定しない。確かに聖書には素直に考えれば不自然な記述がいくつもある。ただ、津田左右吉の記紀神話解釈にも言えることだが、辻褄の合わない記述はすべて後に書き加えられたというのは余りにご都合主義的だ。辻褄が合わないことを最も自覚していたのは当の聖書執筆者であった可能性が高い。にもかかわらずそれを書き残したという事実は何を意味するか。それが彼にとって疑いようもない真実であったからだ。そう推定してかかるのが虚心に聖書を読むということではないか。
岩下師はこうも言う。実証史学で理論武装した聖書学者が解釈論議にふけるのはいいが、何の学識もない一般信徒は何を信じればよいというのか。一般信徒にとって聖書解釈は一つでなければならない。それを確定するのは最終的には教会の権威をおいて他にない。これは権威主義という次元の話では全くない。信仰が共同的なものであるというのはイエスの教えであり、教会の位階制度と不可謬性はそれを実践するための不可欠な前提である。カトリック教会が腐敗したことは歴史的事実であり否定しようもない。しかしそのことは、聖書解釈と信仰を個人の主観に委ねてよいということを決して意味しない。「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」式のカトリック批判は余りに皮相的である。詳細をみるコメント0件をすべて表示