スリー・ビルボード 2枚組ブルーレイ&DVD [Blu-ray]
- 20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン
- Amazon.co.jp ・映画
- / ISBN・EAN: 4988142366115
感想・レビュー・書評
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良かったです。淡々とした演技の中にシリアスさを存分に感じられた
流石に第90回アカデミー賞では主演女優賞、助演男優賞の2部門を受賞したドラマって意味が分かったような気がします。米ミズーリ州の片田舎の町で、何者かに娘を殺された主婦のミルドレッドが、犯人を逮捕できない警察に業を煮やし、解決しない事件への抗議のために町はずれに巨大な3枚の広告看板を設置する。それを快く思わない警察や住民とミルドレッドの間には埋まらない溝が生まれ、いさかいが絶えなくなる。そして事態は思わぬ方向へ…と
娘のために孤独に奮闘する母親ミルドレッドをフランシス・マクドーマンドが熱演し、自身2度目のアカデミー主演女優賞を受賞。警察署長役のウッディ・ハレルソンもなかなか良かった ウッディは悪役顔だけど、とても男前警察だった!いつもは 変わってるけど、いい奴って役が多く、好きな俳優だけど 今回は最初、差別主義者の悪徳警察官役だった、サム・ロックウェルが…何て嫌な役柄かしら と思ってたけど、やはり流石にラストは人情味溢れて 何となく ホッとした。アカデミー助演男優賞をロックウェルが受賞。監督は マーティン・マクドナー
静かに許しあえる大人の態度 いざこざがあっても 自分が悪かったと素直に自分自身で認める事が 相手にも通じるところが ホッコリした。しかし、犯人捕まえたかったなぁと母親ミルドレッドの気持ちに共鳴して追ってしまった。
署長の遺書にあったように 犯人は何処かのBarで得意げに事件の事を話している と言った言葉通りの事が身近に起きたときは 思わず 期待してしまったが 人生はそんなに甘くないというか…上手くいかないものなんだなぁと現実味を見せながらのラスト。
でも、何か 自分の抱える問題に真摯に向かってゆくところに好感もてたし、フランシス.マクドーマンドの男っぽい出で立ちで淡々と静かに挑む姿が勇ましく 素敵でした。 -
映画を観て、久しぶりに「うわ、やっべぇ…」と興奮しました笑。やばみがすごい。
人間のエグい部分も美しい部分も強烈に描いてる作品。
私は、映画を観る時に事前情報をほとんど入れない(入ってこない)で観ることが多いので、アカデミー賞ノミネートとか、出てる俳優さんとかも全然知らずに観ました。(アカデミー受賞=面白い映画ではないので特にこだわってない)
まず冒頭でフォックスサーチライト…おぉ久しぶりに見るなと。次にフランシスマクドーマンドが出てきて「ん?」と笑。
フランシスマクドーマンドと言えばコーエン兄弟。兄の嫁さんで「ん?ファーゴ?」と。
次にウディハレルソン出てきて「ん?」と笑。
ウディハレルソン、私は大昔にNBKは観てたけど数年前まで忘れてて、『トゥルーディテクティブ』で再び認識した感じで。ここ数年映画を観てると、似たような役でガンガン出てくる。『ゾンビランド』、ちょっと違うけど『グランドイリュージョン』、『ハンガーゲーム』『猿の惑星 聖戦記』『ハンソロ』『ヴェノム』…またお前か!と。だいたい暴力的なアニキ役とか悪役とかばっかり。やっぱり、顔がそんな感じだし笑。
最近は、みんながウディハレルソンをどこで使ってくるか?にすごく興味が出てきた。
この映画はそんな感じで、『ファーゴ』や『トゥルーディテクティブ』、あと『ツインピークス』とか混ざってる。観ながら、この映画に一番近いのって『その男、凶暴につき』『アウトレイジ』とか北野映画だよなあと思ってたら、監督も好きらしくてやっぱり!?マジかー!となった。
中西部や南部とか、「アメリカ内陸部の田舎」ものはやっぱり面白い。
『ツインピークス』はワシントン州だから北西でちょっと違うけど、『トゥルーディテクティブ』はルイジアナ州、最近観た『ハッド』はテキサス、『ハードコアの夜』はミシガン州、『フットルース』は中西部の架空の街…。
『スリービルボード』の原題は『ミズーリ州エビングの外れの三枚の看板』。ミズーリであるというのがひとつのポイント。同じくミズーリが舞台の関連作品は、ジェニファーローレンス主演の『ウィンターズボーン』ってありましたね。ヒルビリーとか、レッドネックと言われる人たちの。
あまり説明になってないけど、そういう映画です。
監督のマーティンマクドナーってアイルランド人だそうで、アメリカを外から眺めてるので非常にシニカルな目線なんだと思う。
最初にキャストの話をしたけど、これは監督の作風がそうらしい。Wikipediaにはストックキャラクターと書かれていた。この映画が面白いのは、「こうでしょ?」っていうのをどんどん裏切っていく点。ウディハレルソンってこうでしょ?みたいな笑。だからブランコのシーンとか、病室のシーンは泣ける。鳥肌が立った。
だから非常にカリカチュアライズされた、めちゃくちゃ笑えるブラックジョーク、風刺画のような映画でした。アメリカの深い暗いところを描いてるけど、やっぱりそういうところはイギリス的で、じゃないとこういう作品にはならなかったと思う。
キャストで上手いなと思ったのはサムロックウェル。ふとした動作、歩き方でそう思わされたんだけど、アカデミー助演男優賞を獲っている。役に完全に憑依してますね。
あと、フランシスマクドーマンドと言えば他に思い出すのは『ミシシッピーバーニング』なんですよね。役は違うけどそことの関連性。
あとで知ったけど、レッド君がフラナリーオコナーを読んでるらしい。これがそのままで、ウィリアムフォークナーやフラナリーオコナーって南部ゴシックを書いてた作家たち。
さっき書いた『ウィンターズボーン』『トゥルーディテクティブ』なんかも南部ゴシック。あと『悪魔のいけにえ』とか、『血と暴力の国(ノーカントリー)』とか。
というわけで、このへんの作品を観たり読んだりしたくなりました! -
これは裏切られました! まさか見終えたあとに、こんな気持ちになるとは……
田舎町に建てられた三つの看板。 それは町の警察署長を非難するものでした。これを建てたのは殺人事件の被害者の母親のミルドレッド。事件から数ヵ月経っても、いっこうに捜査が進まないため、彼女はこの看板を建てたのです。
一方で、この看板を取り下げさせようとする地元警察。特に粗暴かつ差別主義者のジェイソンは、ミルドレッドだけでなく、看板の権利を持つ広告会社にも圧力をかけます。
僕は映画を見る前にだいたいあらすじを確認し、なんとなく内容を予想します。この作品のあらすじを見て、これは話の内容はシリアスで、見終わった後の感情も、重い気分になるものかな、と思っていました。
現に物語の終盤まで登場人物たちのやり場のない怒り、そしてバイオレンスな描写と、なかなかにシリアスな展開が続きます。
そして、そうした怒りが影響してか、ある登場人物が思わぬ運命を辿ることになります。それは、怒りの感情が何を生むか、そして何をもたらすかを考えさせられます。
そして迎える物語の結末。それは見る人によっては肩透かしに感じたり、結末を放りっぱなしにされたと思う人もいるかと思います。しかし、その結末は怒りを越えた先にある何かを、これ以上ないくらい強く、ストレートに描いたものだと思います。ハッピーエンドでも、きれいにとじられた物語でもないのに、こんなに清々しい気持ちで見終えられた映画は、そうそう浮かんできません。
ミルドレッド、ジェイソンが最後に辿り着いた場所を、色々な人に思いをはせてほしい、そんなふうに感じた作品でした。 -
ミズーリ州の田舎町。7か月ほど前に娘を殺されたミルドレッド(フランシス・マクドーマンド)は、犯人を逮捕できない警察に苛立ち、警察を批判する3枚の広告看板を設置する。彼女は、警察署長(ウディ・ハレルソン)を尊敬する彼の部下や町の人々に脅されても、決して屈しなかった。やがて事態は思わぬ方へ動きだす
娘をレイプされ殺された母親の単なる復讐劇かと予想して観始めたのですが、全然違う方向にストーリーが展開されていった! 感想を書く間でもない、圧巻というべきか見応えのある映画でした。前半期ベスト1に入りそうです。 -
ストーリーは、娘を殺された母親が犯人を逮捕できない警察を非難する広告看板を制作したことから始まる騒動。
ビルボードとは日本ではまずお目にかかれないアメリカらしい、ばかでかい看板のこと。
まず役者たちの演技に瞠目。主演のフランシス・マクドーマンドは本作でアカデミー主演女優賞受賞。これで2度目。パワフルな雰囲気と強情な行動で周囲を振り回しつつも、逆にふと見せる娘を失った喪失感や悲哀のギャップにみとれる。この至芸はやはり凄い。
余談だがマクドーマンドの夫はコーエン兄弟の兄ジョエル。映画一家です。
助演のサム・ロックウェルも素晴らしく、本作で助演男優賞受賞も文句なし。
なにより苦あれば楽ありの因果関係で取り繕わない脚本が上手い。悲しみは「悲しみ」のまま。苦しみは「苦しみ」のまま描く。人や社会の複雑さを複雑なまま描いた秀作だった。
昨年もマンチェスター・バイ・ザ・シーって映画があったが、不幸な人が幸福になる、苦しみのあと喜びがあるという因果関係でストーリーを組み立てない映画を最近のハリウッドが作るようになったのは興味深い。 -
ミズーリ州の寂れた道路に掲示された巨大な3枚の広告看板。そこには警察への批判メッセージが書かれていた。
設置したのは、7カ月前に何者かに娘を殺されたミルドレッド(フランシス・マクドーマンド)。犯人は一向に捕まらず、何の進展もない捜査状況に腹を立て、警察署長ウィロビー(ウディ・ハレルソン)にケンカを売ったのだ。
署長を敬愛する部下ディクソン(サム・ロックウェル)や町の人々に脅されても、ミルドレッドは一歩も引かない。
その日を境に、次々と不穏な事件が起こり始め、事態は予想外の方向へと向かっていく……。
前半は警察や警察に味方する町の人々や田舎町の閉鎖的な事無かれ主義に苛立つけど、中盤からはどんどん独善的になり暴走していくミルドレットやミルドレットに感化されるある男の暴走する正義に背筋が凍る展開に、「本当の正義とはどこまでが正義なのか?」「愛や赦しは憎しみを越えるのか?」を突き付けられるサスペンス映画。
警察やマスコミに対して一歩も引かないだけでなく、犯人探しを邪魔する者を誰であれ正義感を向けるミルドレットを演じるフランシス・マクドーマンド、最初は尊敬するウィロビーを非難するミルドレットに対しての反感からミルドレットに味方する者を迫害するがあることからミルドレットを助けるディクソンを演じるサム・ロックウェルの演技、どんどん独善的に犯人に憎しみを募らせるミルドレットやある男の暴走する正義そして憎しみを越える赦しや絆が、印象的。 -
この映画はサスペンスの体を装っているが
見ている人に勝手な思い込みを植え付けては、それを裏切り
価値判断を揺さぶり続ける作品だ。
このサスペンスの技法で人を穿って見てしまいがちになり、
登場人物誰一人共感できないのに、いつの間にか自分も同じように
人を簡単に決めつけてしまっていることに気づかされる。
これが偏見の元なのだろうか。
まんまと炙り出されてしまった。
良質な映画とはこんな作品のことを指すのだろう。
登場人物たちは深い喪失感や愛情や正義感や希望が複雑に絡み合う中
偏見や思い込みで負の連鎖を続けてしまう。
しかし、一人ひとりは頼り甲斐のある母であり、家族思いの亭主であり、
母親思いの息子であったりと愛すべき隣人たちなのだ。
行きすぎた行動は理解しがたいけれど、なんとも複雑な感情に襲われる。
近年の分断化されたアメリカの状況をニュースなどで見て
なぜここまで同じ国、ましてや同郷の人同士で憎しみ合うのか
到底日本人の私には理解しがたいのだけど、
この映画を通して白黒つけられない人間の業をまざまざと見せつけられてしまった。
そしてそれは他人事ではなく、私の中にも偏見の種は存在するということを痛感されられたのだった。
エンディングは私たちに委ねられた。
負の連鎖を続けるのか、断ち切るのか。
正義を貫くのか、赦すのか、
ここでもやはり単純に白黒つけようとしている自分に気づかされる。
世の中は自分が思うよりも複雑で混沌としているのだ。
またしても、まんまとしてやられるのだった。