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Amazon.co.jp ・映画 / ISBN・EAN: 4562474194075
感想・レビュー・書評
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先日読んだ「アラスカの小さな家族バラードクリークのボー」の中にチラッと出てきた"歌の好きなサーミ人"という記述が頭のスミに引っかかっていた。
どうも自分は民族関係の話が好きなようで、2年ほど前に読んだ井上靖の「おろしや国粋夢譚」にもいくつかの北方民族の記述が出てきて、やたら調べた記憶がある。
さて、今回もサーミ人についてウィキペなどで調べていたら、この映画がヒットした。
Amazonプライム特典だったので、久しぶりに視聴してみた。
20世紀、第二次世界大戦前頃にスウェーデンでサーミ人が受けた差別を、アマンダ・ケンネル監督(父がサーミ人母がスウェーデン人である)が、一人のサーミ人老女の過去を振り返る形で描いている。
当時、サーミの子どもは放牧学校に通う決まりがあり、高等教育への進学が許されていなかった。
主人公のエレ・マリャは、勉強熱心で進学を熱望しているが、叶わぬことを知る。サーミ人であることを恥に思い、家族と故郷を捨ててスウェーデン人になって生きる決意をする。
しかしスウェーデン人とは決定的な身長の差があるため、周囲に気付かれてしまう。
エレ・マリャを見るスウェーデン人の冷たい視線が、絶妙なカメラワークで、こちら側で観ている者を凍りつかせる…。
厳しい現実の中でも、涙も見せず、決して諦めないエレ・マリャの逞しさには、感動というより悲壮な感じすらするが、トナカイの放牧は命懸けであるため、サーミ人は強くあるようにと育てられるという。
終盤では、老女となったエレ・マリャの姿から、故郷を捨てた悲哀がひしひしと伝わってきた。
映画の中で、少女たちが裸にされて骨格を調べられる様子が描かれている。エレ・マリャも教師からサーミ人は、頭蓋が小さいため知能が低いと言い渡される(根拠のないとんでもない暴言である)。
福祉国家で国民の幸福度も高いスウェーデンで、そんな差別の歴史があったとは…。
日本におけるアイヌ民族差別の歴史と重なるところがあるように思う。
現在スウェーデンでは、サーミ語やサーミ文化の保護に努めている。昔とは反対にサーミの血は神秘的かつ誇りとされているようだ。
しかし、サーミ人である事を嫌だと思う人もまたいるという。
「バラードクリークのボー」で書かれていたサーミ人の歌とは、「ヨイク」のことだろう。
映画の中でも即興で歌われるヨイクは、どこか懐かしい響きがある。2020.7.5詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
1930年代フィンランドの先住民族サーミ人の物語。
先住民族っていうと文化があって素敵だと思うけど、当時は脳が小さいとか偏見と差別を受けていたよう。
差別している側も、それが当たり前になってて自分たちがおかしいとは思えないくらい洗脳されてて怖い。
エレ・マリャはサーミ人の集落からぬけてあれからどんな人生をあゆんだんだろうか。
文化伝統は大切にしたいのに難しい。 -
北海道で松浦武四郎やアイノ民族の研究をしていた、遠い親戚を思い出した。
『「アイヌ」ではなく「アイノ」と言いなさい』と教えてくれた。
生まれ育った場所や文化から出て、まったく別の世界に行くということは大変なことだ。
作中では飛び出していった姉の少女時代しか描かれていないが、その後も苦労が続いただろうことは容易に想像できる。
一方で、故郷に残った妹も大変な思いをしたことだろう。
映像は終始美しい。
ラップランドの自然も、スウェーデンの街並みも、人々も。
みな美しい。
差別とは無縁の日常を送り、差別について考える機会もそうない自分には勉強になった。 -
アイデンティティの否定は人生になにをもたらすのか。
馴染みのない土地、馴染みのない民族の話だったけれど、テーマは普遍的…というか、日本人である自分にとても馴染みやすいものだった。
わたしはものを知らないので、学びのきっかけになる映画が好きだな。北極圏でトナカイ飼ってるのがラップランド人という乱暴な認識はあったものの、彼らも迫害を受けた民族だとは思い至らなかった。考えればわかりそうなもんなのに。
主人公エレ・マリャは聡明で素直で知識の吸収をよくし、ために当時のスウェーデン人の価値観を内面化してしまっている。
サーミ人に対する理不尽な(とは気付いていないが)侮蔑に対する怒り、羞恥、恐怖と悲しみがルーツに対する嫌悪に向かってしまった。妹や父の遺品への表現に示されているような、家族に対する愛着は持ったままに。
それはとんでもない悲劇なんだけど、その嫌悪を原動力に生きる道を切り開き、そのまんま頑固に老年まで行ってしまってるので、傍観者から見た悲劇性をもって当事者を否定する気は起きないくらいにあっぱれな生きざまである。
ただそうして老年まで行ったけれどーーという話ではあるが、少なくとも二クラス君は早い段階で過去の男となったことであろう。恋だったかもしれないけど使えるもんはなんでも使っただけという風情漂うエレ・マリャのたくましさを見る限り確信に近いのだけど、実は息子の父親だったりしても面白い。
当時の空気を感じるために重要なのが寄宿学校の教師であるクリスティーナ。彼女がエレ・マリャに示した優しさと理解を見るに、現代の人であればサーミ人は脳が小さく文明に適応できないなどとかますようことはないだろう。エレ・マリャに侮蔑語を投げかけ家畜のように耳を切った少年たちと、禁を破って詩集をエレ・マリャに与えたクリスティーナは明らかに違う。クリスティーナはスウェーデン人である自分が少女時代に好んだ詩をサーミ人の少女であるエレ・マリャが読み、自分と同じように詩によって生まれる感慨を胸に抱えるであろうことを理解している。その目線には目の前の少女に対する共感のみがある。
にもかかわらず、そのクリスティーナですら、教師としてはエレ・マリャの進学は不可能だと考える。そのうえ、研究者によってサーミ人が生体標本扱いされること、それによってエレ・マリャたちが少女として人間として凄まじい恥辱を与えられることに無頓着なのだ。
それはクリスティーナがサーミ人に対する「研究結果」を素直に信じこんだ結果であろう。直感的にエレ・マリャに共感をもったというのに、文明的な教育を受けた教師としての思考は当時の「科学的」な常識に基づきスウェーデン人とサーミ人を分断し、自分に置き換えれば耐えがたいはずの仕打ちを受ける彼女らに同情しない。すなわちクリスティーナもまた、現代の教育を受けた「文明人」であるわたしから見れば「未開人」である。
もちろん日本も似たような歴史をもっている。少数民族や階層、諸々による分断と迫害の歴史である。自分がどのようなルーツを持つのか定かではないが、迫害する側だったことは一切ないと考えるほうが不自然だ。
さて、そうすると、わたしはわたしの育った環境を育んだ祖先を野蛮で無理解、差別的で無教養と軽蔑し自分から切り離し分断の外へと押しやるのだろうか?
エレ・マリャそのまんまである。差別側に立つ自分への嫌悪という反省の中に主人公が萌えいでて、あの強い視線をよこすのだ。 -
先日「ボーダー二つの世界」を観たところだ。
この中に登場する北欧の少数民族に起きた、同化政策や差別についての描写が非常に生々しく現実の歴史だったことが痛いほどよくわかった。現在ラップ人は500人ほどだという。日本にもアイヌ民族があり、琉球列島には独自の文化があり、奄美に至っては薩摩の支配に苦しんだ歴史を持つ。その時々の支配者によって、過酷な運命を辿らなければならない少数者たち。彼らこそ自然をよく知り、祖たちの叡智を受け継いだ次世代への伝道者だと思う。 -
ながら見なので見落としているところもあるかも。
・スウェーデン人は一目でサーミ人がわかるようだけど、私にはさっぱりわからない
・サーミ人専用寄宿学校の教師に憧れ教師を目指すも、サーミ人にはその道が閉ざされていると知る主人公の絶望感
・その教師の名前クリスティーナを自身の名前にする
・スウェーデン人のような普通の洋装をして水浴びをしただけで、観察される対象物ではなくなる
・ダンスから連れ戻される時に妹に投げつける「汚いサーミ人」がブーメランのように自身を傷つける
・「科学的」根拠に基づき事務的に、意思確認もなく行われる身体測定
・初めての相手の旧友達の悪意のない「サーミ人の歌を歌って見せて」というリクエスト
・全体的に心情をセリフで説明させず、演技、シチュエーション、カメラワークなどで表現するところが非常に映画らしくて良い。
・頑なにサーミの故郷に帰ることを拒否するのはスウェーデン人のサーミ人に対する偏見におもねってしまったことへの罪悪感? -
差別がテーマ。重いテーマだけれども、主人公のエレ・マリャは差別に屈することなくもがきます。
当然差別はくだらないし生命に優劣をつける人がいることには嘆きを感じます。だから今更この作品で差別に対する考えを改めるとかそういうことはなかったけれども、そうだな、こういうことが事実存在するということは知っておかなかればいけないし、子供がある程度の年齢になったら勧めてもいい作品かもしれない。
差別には色々な形があって、虐げるつもりのない人間の悪気のないサーミ人への興味・研究対象としての目線も受け手にとっては差別に感じることもある。
思慮深さってかなりの高スキルだと思う。その気がないのに自覚なく人を傷つけるようなことがあったら悲しいなというのが現状感じたことかな。 -
舞台は1930年代スウェーデン、まず感じるのは北方の森の豊かさ、目にも鮮やかな、さまざまな緑。そして主人公の少女エレのたくましさだ。まだ見ぬ世界への渇望、勉強したい思い、それが少数民族という出自のためにままならないのを力強く突き進んでゆくたくましさが並々でない
2018.1.11 劇場で -
スウェーデンでのサーミ人への人種差別を切り口とた映画。
主人公の女の子は自分がサーミ人であることに誇りが持てず、スウェーデン人として生きていくことを切望する。身分を偽り、家族を捨てて、何を得ることができたのか。
構造主義との関連性を感じる映画だった。 -
人種差別という重いテーマ。
侮辱、蔑視、偏見、好奇。
少数部族に生まれた自分の血を憎み、故郷を捨てても尚、抗おうとすればするほど付き纏うサーミの血。
死んだ妹に許しを乞い、体が覚えていた故郷の景色に何を思ったのだろう。 -
数年前にサーミのお祭りを訪れたときに、いきいきとしたサーミの人たちをたくさん見ていたので、映画でスウェーデンの歴史の中でのサーミの扱いを突きつけられ、その苦しさにうっとなった。アイデンティティを捨てなければ思うように生きられない。だけど簡単に逃れられるものでもない。しんどい。
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