## メモと感想
### 「愛すること」を考える
> 総じていえば、結果として不幸になることはあっても、誰かを愛し、結婚しようと思う時、幸福になることを願わない人はいないのです。そうであるならば一体、どこで間違いが起こるのかを考えてみなければなりません。
>
> 本書では、まず、なぜあなたの恋愛が幸せをもたらさないのか、どこに問題があるのかを探ります。次に、結婚し、さらに子どもが生まれた時に直面する困難について見ます。そしてその後、人を愛するというのはどういうことなのかを明らかにした上で、最後に、具体的に人を愛する時にどうすればいいのかを考えます。やがて見るように愛は対象の問題ではありません。つまり、誰と出会い、誰を愛するかというよりも、いかに愛するかを考えなければならないという意味で技術の問題だと私は考えています。
>
> 恋愛関係が他の関係よりも難しいのは、それが二人の課題だからです。アドラーはそう考えています。私たちは、一人で成し遂げることができる課題、あるいは、多人数で成し遂げる課題については教育を受けてきましたが、二人で行う課題については何も教えられてこなかったのです。
>
> 多くの人は、愛することは簡単だが、愛するにふさわしい相手を見つけることは難しいと考えています。しかし、フロムはそうではないといいます。フロムは、大切なのは相手を見つけることではなく、相手を「愛する能力」だといっているのです。 何度恋愛をしても、うまくいかない人がいます。結婚と離婚を何度も繰り返す人もいます。そのような人は、当然、愛する人がいないわけではありません。それにもかかわらず、恋愛や結婚で躓くとすれば、その人の愛し方、愛する能力に改善の余地があると見ることができます。
>
「『愛すること』は技術であり、努力するもの」と著者は言う。
どちらかといえば、「こうすれば異性にモテるよ」という『愛される』ことの方が技術っぽいなと思っていた。
しかし本書を読むとたしかに『愛すること』は努力が必要なもので、心構えが必要で、そんな意味ではたしかに技術と言える。
私は結婚しているが、付き合って結婚して今に至るまで、喧嘩もしてきたし、関係を続けるのが危うい時もあった。
しかし今は良好な関係でいられるのは、たしかにお互いの努力であろうと胸を張って言える。
やはり愛するには努力がいる。
### 「原因があるからできない」のではなく、「できないという状態の裏付けとして原因を作っている」
> 「自分に価値があると思える時にだけ勇気を持てる」( Adler Speaks)この勇気とは対人関係の中に入っていく勇気のことです。対人関係に入るのになぜ勇気がいるのかといえば、先に見たように、自分の思いを受け入れてもらえるかわからず、受け入れられなかった時、傷つく可能性があるからです。傷つくかどうかは自明ではありませんが、今は普通の言い方に従います。 人と関わることで傷つくことを恐れる人は、対人関係の中に入っていこうとはしません。恋愛についていえば、好きな人に自分の思いを伝えても受け入れてもらえないということは、残念ながらあります。 そこで、自分の思いを伝えないことを自分で納得できるよう、自分について低い評価をします。自分でも自分のことが好きでないのに、どうして他の人が自分を好きになるだろうと考えるのです。先に引いたアドラーの言葉を使うならば、自分に価値がないと思うので、対人関係の中に入らないのではなく、対人関係の中に入らないために自分に価値があると思ってはいけないのです。
>
> しかし占いに行ったということは、実際にはおそらく、自分の気持ち、あるいは、相手の気持ち、さらには、二人の気持ちに揺らぎが生じたのでしょう。ここにきて、先回りして、長編小説の結末を知りたいと思うような気持ちだったのかもしれません。結末がわかっていれば、安心して本を読めるという人がいますが、結婚できないというのが結末ならば、関係を続けても意味はないと思ったのでしょう。
>
> しかし実際には、彼は「強い劣等感」があったので、恋愛にも結婚にも立ち向かえなかったのではありません。むしろ、彼は強い劣等感があることを理由にして、愛の課題を避けていたのです。
>
『嫌われる勇気』でも著者がアドラーの教えとして書いていたことと近しい。
「できない自分のために、できない理由を作っている」という考え方。
相手を信じられなくなったら、別れるために自分から相手の嫌なところを探すようになる。
それは、「こんなことがあったから別れたんだ」と納得させるためだという。
分からなくはない。
恋愛においては私はピンとこないが、他のことでうまくいかないときに、自分を慰めるために理由を探すのは分かる。
### 自分がコントロールできることと、できないことがある
> ライフスタイルというのは、自分や他人、世界についての信念体系のことです。何か問題が生じた時に、「自分には能力があるから解決することができる」と考えるか、「自分には能力がないから解決できない」と考えるか。普段、自分以外の人間のことを「隙あらば自分を陥れようとする怖い人だ」と見ているか、「必要があれば自分を援助してくれる人だ」と見ているか。こういった思考の癖、世界の見方のことをアドラーはライフスタイルと呼びました。
>
> 彼がうんざりしていることに彼女は気づきません。彼の方にもいいたいことがあります。「忙しかったんだ。家に帰った時、休みたかったんだ。それなのに、頻繁にメールや電話があり、一々答えていれば身が持たない」といったようなことをいい、自分の取った行動が正当なものであったことを訴えます。二人は権力争いをしているのです。たとえ感情的にならなくても、どちらかが自分が正しいと主張し始めた時、権力争いに入っているのです。
>
> 自分が相手を愛することはできますが、相手が自分を愛するかどうかは相手が決めることであり、自分には決定権がないのです。 愛されたいと思うことが間違いだとはいいませんが、愛されたいのであれば、愛される努力は必要です。 人に強制できないことが二つあります。尊敬と愛です。「私を尊敬しなさい」「私を愛しなさい」といってみたところで、相手が自分を尊敬し、愛してくれるとは限りません。実際に口にしないとしても、強制できると思っている人が尊敬され、愛されることはないでしょう。
>
> 愛を強制しようとする人、相手を支配しようとする人は、実のところ、自信がないのです。これらと同じく、自信がない人は「嫉妬」します。
>
> アドラーは、嫉妬は他者を所有物として扱う時に生じるといっています( Adler Speaks)。たとえ、物のように相手を自分のもとに引き留めることができたとしても、相手の気持ちまで引き止めることはできませんし、相手の気持ちは所有することはできません。
>
> 相手が何らかの意味で自分よりも圧倒的に優れていると思い、到底かなわないと思えば、嫉妬することもないでしょう。相手は自分よりも優れているけれども、自分もまたその人のようになりうると思った時、嫉妬の感情は起こります。ですから、相手が自分よりも圧倒的に優位であれば、嫉妬することはないのです。
>
アドラーの心理学の中で『課題の分離』というものがあると、『嫌われる勇気』で読んだ。
自分でコントロールできることとできないことがあり、できないことはどうしようもないのだから、コントロールできることに努力した方が健全だ。
これは、大体の悩みに当てはまる重要なものだと個人的には思っている。
仕事でうまくいかないとき、よく考えればほぼそれは「自分でコントロールできないこと」で悩んでいる。
「あの人は働かないのに自分より給料が高い」とか「どうしてあの人はあんな嫌な言い方をするのか」とか。
たいていの場合において、他者を変えることは望まない方がいい。
嫌な奴がいても良い顔しておいて、心の中で「自分とは違うなあ」と切り分ける。
私は『嫌われる勇気』を読んでから、そうするようになり、ずいぶん楽になったのを感じている。
### 「私」から「私たち」へ
> フロムは、次のようにいっています。 「もしある女性が花を好きだといっても、彼女が花に水をやることを忘れるのを見てしまったら、私たちは花にたいする彼女の『愛』を信じることはできないだろう。愛とは、愛する者の生命と成長を積極的に気にかけることである。この積極的な配慮のないところに愛はない」(『愛するということ』)
>
> 恋愛の場合は、いつでも別れられるようにと二人の関係を蝶々結びにしておくことができます。それでも、いつのまにか絡まって簡単には解けなくなってしまうことがあります。
>
> 愛し合う二人は結婚がゴールであってほしいと願うでしょう。しかし、結婚してから何が起こるかはわかりません。しかし、だからこそ二人は愛する努力をするのですし、愛を喜ぶことができるのです。もしも未来のすべてが決まっていれば、二人が関係をよくする努力をすることはないでしょうし、そのような人生が生きるに値するとは思えません。 未来は予測できないが、だからこそ生きる価値があるのです。
>
> 大切なのは、「自分は一人でも生きられる。それでも二人でいた方が、同じ経験を共有する喜びを持つことができる」と考えることです。お互いがそう思うことができれば、二人は依存関係ではない、理想的な愛の関係を築くことができます。相手に愛されないからといって、自分が消えるわけではありません。相手が愛してくれるから、自分が存在するのでもありません。相手の存在が、自分の存在を強めてくれると考えるのです。
>
> では、この世界に自分以外の人間が生きているということを、人はいつ知るのでしょうか。 それは誰かを愛し始めた時です。 他者が存在しなかった、少なくとも、自分にとって重要な存在ではなかった頃は、何をする時も考える時も、人生の主語は「私」であり、追求する幸せは「私の幸せ」です。 ところが、誰かを愛し始めると、人はこのような状態から脱却することになります。人生の主語が「私」から「私たち」に変わるのです。 本当の愛を知った人は、「私」だけが生きていても意味がないと思うようになります。自分が愛する人がいてこそ、はじめて生きる価値があると思うようになるのです。
>
> 「愛を確固たるものにする唯一の方法は、パートナーの人生を豊かにし、安楽にするということを学ぶことである」( Adler Speaks)
>
> 愛する人は愛を失うことを恐れないといわれています。愛を失うことを怖れて、相手の気にいることばかりいったり、したりすることは愛ではありません。相手が間違っている時にはそれを正さなければなりません。こんなことをいえば相手が怒るのではないかなどと考えて、嫌われることを恐れてはいけません。そのように考える人の愛は、本当の愛ではありません。 愛は能力です。そして勇気です。あなたがここまで見たような愛の本質を知り、それを実現する勇気を持つことができれば、愛はきっと幸福をもたらすことになるでしょう。
>
> 相手を理解できると思っていれば、「この人は私と同じように考えているはずだ」「常識的に考えれば、相手はこう考えているはずだ」と、自分の思い込みで判断して、相手を理解しようとします。 たしかに、相手を理解しようとする時には、私だったらどうするだろう、どう考えるだろうと、自分の尺度を相手の言動に当てはめて理解しようとしますし、実際のところ、そうすることしかできませんが、自分と相手は違いますから、それがまったくの見当はずれになることがあることを知っておかなければならないのです。 何もかもわかり合うことは不可能です。それを前提として「他者の目で見て、他者の耳で聞き、他者の心で感じる」という意味での「共感」が重要だとアドラーはいうのです。「相手の立場に身を置く」という言い方もアドラーはしています。
>
> 人は仕事をするために生きているのではありません。生きるために、さらにいえば幸福に生きるために働くのです。その意味では、現実的な問題はたしかにありますが、意に染まぬ仕事をすることで相手が幸福ではなく、ひいては二人の生活が幸福に感じられなければ元も子もありません。
>
> 反対に、人前では機嫌がよく、愛想もいいのに、親しい人の前では不機嫌になるという人がいます。そのような人は、家の外では友好的なのに、家に帰ると横暴な態度を取ります。 これは甘えです。人前で機嫌よくいられるのなら、親しい人の前でもそうあるべきだと思います。怒りと同様、機嫌も自分ではどうすることもできないものではありません。その時々の状況に合わせて、上機嫌になるか、不機嫌になるかを自分で決めているのです。状況によって態度を変える人は、不機嫌でいる時にまわりの人が腫れ物に触るように接するのを見て、不機嫌でいればまわりの人を支配できることを幼い頃に学んだのであり、今も機嫌によって人を支配できると思っているのです。
>
> 尊敬とは「愛する人が、私のためにではなく、その人自身のために、その人なりのやり方で、成長していってほしいと願う」ことであるともいっています。 自分にしか関心がない人は、愛する人には自分の願うように成長してほしいと思うでしょう。しかし、これは相手を「私の自由になるような一個の対象」(前掲書)として見ているということです。たとえ愛する人であっても、相手は自分の期待を満たすために生きているわけではありません。 問題があろうがなかろうが、病気であろうが、私の理想と違おうが、私の大事なこの人と思って付き合おうと日々決心することが「尊敬」であり、その決心をまず自分が先にしなければならないのです。
>
> 人生の大きな決断を前にして、一体、これから先どうなるのだろう、そんな不安が二人の関係に影を落とすことになります。しかし、二人の目標が一致していれば、その目標をめざしてどうしていくべきかを協力して考えることができます。
>
> 「ふと顔をあげると、すぐ眼のまえの小道を、簡単服を着た清潔な姿が、さっさっと飛ぶようにして歩いていった。白いパラソルをくるくるっとまわした」
>
> 私たちは愛の経験を通じて何を学ぶのでしょうか。それは、人は一人では生きられず、他者との がりの中で生きているということです。それを知った時、愛する二人は「私」ではなく「私たち」の人生を生き始めることになるのです。 そのような人生を生き始めれば、たとえ相手がいなくなるようなことがあっても、相手との がりを感じ、孤独ではなくなるでしょう。たとえ、死が二人を分かつことがあってもです。 ですから、今は愛する人がいるのであれば、先のことを思って不安にならず、日々よい関係を築く努力をしましょう。そのような努力をすることが生きる喜びになるのですから。
>
愛する人がいることは、とても豊かになる。
私自身、家族のいない人生などもはや想像がつかない。
妻と結婚したとき、そしてこどもが生まれたとき、段階を追って、私の中で人生の優先順位が私自身から家族へと外に広がっていった。
特に子供が生まれてからは、妻と共に子供を何とか育てなければという、いわば仲間のような感覚だ。
もちろん妻のことは愛しているが、それだけではない。
私一人でも生きてはいける。
しかし、家族と生き、人生の様々を共感することが、私にとっては何より幸せなことだ。