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Amazon.co.jp ・雑誌 / ISBN・EAN: 4910159230684
感想・レビュー・書評
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(2023年6月、下西風澄さんの著書についての座談を読んで興味を持った。図書館で著者名で検索をして、5年も前のたくさんのふしぎに登場していたと気づくが、登録はあれど読んでもあまりよくわからなかったのか記録がない。とりあえず発掘せねば)
というわけでぶじ再会(というかはじめまして)。5年前のいまごろといえば、ずいぶんばたばたしていたのか、買うだけ買ってゆっくり読む暇もないまま本棚におさめてしまったようで、初めて読むような気がした。哲学の入り口、石には意識があるのか、命があるとはどういうことなのか、「ぼく(自分)」という意識はなんなのだろう、死んだ自分の意識はどうなるのだろう、という疑問を徹底的に追求していく作品。こういうのは出会うタイミングというのがあるのだと思うが、今回は頭木弘樹「自分疲れ」を読んだばかりだったし、「文學界」の対談で著者に興味を持ったところだったのでよかった。石や動植物のうつくしい写真をおともに、筆者の思考にじっくりつきあうことができた。
森田真生「アリになった数学者」なども合わせて読むとおもしろいかも。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
父は生物系の研究者であったが、十才の頃は石を集める「石マニア」であったという。植物動物を観察するのと違って、忙しくない。石に意識があったら、などと考えたりした。周囲は自然科学者になると期待していたが、哲学の道に進んだ。
「夏目漱石は科学は如何にしてHowを研究する、何故にWhyには応じかねる」と言っている。彼は哲学者となった「宇宙ではなく世界に興味があった。世界には物質ではない「言葉」や「愛」「悲しみ」「国家」などが生きる意味として存在する/「ぼくがぼくであること」は哲学の根本問題と言っていい。石は子どもを産まないが、人は子を生むことができ、老化しやがて死ぬ。ずっと続く命のつながり「ぼくは出発点なのだ」 -
10歳に向けて、同じ歳の子がどんなことを考えているのかを比較させるためにおすすめする。
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石を見ながら思う。
命ってなんだろう。石に命はあるのか。命あるものとないものの違いはなんだろう。人は死んだら石になるのかも。ぼくがぼくであることはどういうことか。
考える。 -
石から始まり、生命とわたしについて思いを馳せた
なぜわたしはわたしなのか
わたしがわたしであることは何なのか
彼は石を見て考えたが、私の場合は何であろうか
うーん、、あえていうなら物全般(風景等も)
人ではなく、なにか静かなものを見るとつい考えてしまう
最後にあった、「自然科学が子供の時から好きだったが、なぜ哲学者になったのか」について自然科学は宇宙について研究するが、哲学は世界について研究すると
物事に対して、howの姿勢が自然科学、whyの姿勢が哲学だということを言われていて非常にすっきりする分けかただと感心した -
学校で学んだ知識が身についてきて、自分の中で新たな不思議が生まれ始めた10歳前後の子におすすめです。
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石ですかー。
大人でも難しい。
仏教なのか西洋哲学なのか。 -
ちょうど10才の頃、ぼくは石を見るのが好きだった…
と一人称で始まるおはなし。
石は僕をどう思ってるか、と考えていくと、いや、石は命がないからそんなことは出来ないと考える。
じゃあ、石は死んでるの?
命があるってどういうこと?
子どもたちの、身近なところから始まる哲学。
生死や命について考えを巡らせるきっかけになりそう。
大人の私でもじっくり読めたので、中高生くらいでも良いのかも。小学生は高学年?
石や虫のきれいな写真をバックにぼくの考えが巡っていく。写真は僕の目線のような…一人で散歩しながら考えている感覚になる。
後半、ぼくは、命よりぼくがぼくであること。今ここにいる僕の奇跡や偶然、僕しか出来ないことの大切さに気がつく。その流れが、静かだけどつよくて、勇気付けられるようだった。
自分が嫌い、あの人が羨ましい。自信がない。そんな風に感じた時、自分しか見えないこの世界を生きたいと感じるこの本をまた手に取りたい。
巻末の詩を読んで、最後涙がでた。
一部抜粋
もしも私が誰かなら
世界はまるでべつのもの
もしも私がなにかなら
私は消えてしまうでしょう
けれども私は消えません
私のもってるこころとからだ
そこから世界ははじまって
どこまでも続くことでしょう
そうしてずっといつまでも
私は私を生きていく。 -
10歳のわが息子には、イマイチな本だったらしいけど、母としては面白い内容でした。
哲学というものへの入口としては、ちょうど良いのではないかと思います。
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