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感想・レビュー・書評
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小難しいが面白い哲学書です。いや、西欧文明批判書とでもいいましょうか。バタイユは第二次大戦が終わって間もない1949年にこの本を出しました。よって、もういい加減戦争やめようよ、この調子だと近いうちに第三次が始まっちゃうぞという気持が出ています。
全般経済学とは生産や利潤を重視した一般的な経済学とは違い、経済全体の中に必ずある蕩尽(冨の浪費)を対象とする経済学を指すという。どんな生産活動にも生きていくのに必要な最低限のエネルギーとは別に余剰分ができる。それが自社会の成長に使われていくのだが、それにも限界があり、様々な浪費が行われる。とことん儲けたい!自分のためだけにとことん使いたい!と考えるのは現代人くらいだよ、と。昔の人は現代的に言えばいろいろな無駄遣いをしたよね、と。アステカやメキシコ社会、イスラムやチベットのかつての考え方を例に取り、個人ではなく社会全体で富を浪費して円滑に営まれる社会を説明する。そして戦争も蕩尽のひとつなのです。
キリスト教が西欧に広がった時に従来の各古代宗教が排除され、その社会的役割が否定されて個人の権利が認められるようになると、社会は分裂し個人は対立を始める。更に近代西欧は国民国家主義、つまり1民族1国家という考え方を振り撒き、多民族多宗教のオスマン帝国のような大帝国を分断させ弱体化させた。挙げ句、それが次の時代には戦争の一因になっている。今の西欧は蕩尽が戦争一択になっていると嘆く。1民族1国家思想って中東もそうだけど日本人も自然と考えていそうで怖いですねえ。要注意です。
さらには限界まで増加・成長したいという欲求は社会全体の欲求ではなく個別の利益を明示している。個別の利益が全体の利益に通じるという考え方が間違ってるとバタイユは考えます。民主主義が生まれた土壌が個人主義ですからね。個人の権利を重視する近代は分断と対立を生む構図です。国家間では今後は互いに軍備を持って牽制し合う(おそらく東西冷戦のような)均衡こそが重要になってくるということのようです。
最初から富や利潤を求めることを大前提とする個別で見た経済学ではなく、蕩尽を目的とする全体で見た経済学という考え方はごもっともな話です。そして蕩尽の一形態である〈戦争〉に追い込まれた現代世界へ警鐘を鳴らすという話なのでした。蕩尽という人間社会に不可避な目的がキリスト教や個人主義、歴史の中で戦争へ傾倒していくという「呪われた部分」になってしまったのが、タイトルの意味なんでしょうね詳細をみるコメント0件をすべて表示
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