知ってるつもり 無知の科学 (早川書房) [Kindle]

  • 早川書房 (2018年4月15日発売)
3.86
  • (11)
  • (11)
  • (10)
  • (3)
  • (0)
本棚登録 : 207
感想 : 11
サイトに貼り付ける

本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています

Amazon.co.jp ・電子書籍 (307ページ)

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • いわゆる「無知の知」と「認知的分業に伴う錯覚」がテーマになった本作。

    今日世界はどんどん複雑化し、知的作業はどんどん専門家する。それに伴ない一般市民が理解できることの割合も減っている。
    でも我々はいろんなことを”知っているつもり”になっていて、いざ聞かれてもうまく説明はできないのだけれど、コミュニティやインターネットにある知識へのアクセス圏を得ただけで、「理解した」と思いがち。その思い込みは時に悲惨な決断を招く。
    なぜそのような誤解を産んでしまうのか、そしてほとんどの人が無限の記憶力を持たない中で、どうその思い込みに対抗するのか。その判断手法の強みと弱み、商品の購入、選挙の投票などの意思決定にどのような傾向が伺えるのか。
    そして、「賢い」とはどういうことで、どうやって「賢く」なるのか、どうやって「賢明な判断」を下すのか、を議論していく。

    一つ一つの章で紹介されるエピソードはうなづける内容でも、全体としてはかなり情報量が多く、正直理解するのも難しかった。自分が本作でいう”説明マニア”タイプなこともあって、内容の理解を試みたけれど、時間もかかって、咀嚼も消化も結構ハードな読書だった。
    より「賢明な」判断を下すため、の”ナッジ”や噛み砕くこと、シンプルなルールを持つこと、等のテクニックは覚えておく方がいい気がするけれど、あまりモノにできていない。なんとかうまく応用したいところです。

  • 人は知らないことを知っていると誤認しがちなのはなぜなのか、から始まり、知能というのは個人ではなく集団に宿るという本。大事なのは個人の成績ではなく、集団の成果にどれだけ寄与できているかなのだ。

    書いてある内容は日々の生活の中で体験していることなのだけれど、いざこうやってまとめられ、説明されるとフームとなる。人はある知識に自分がアクセスできる場合、その知識を自分が持っていると認識するらしい。だから知っているつもりの錯覚が起きるのだと。

    この性質は問題の要因となる一方で、実情には適している。知識そのものが頭の中に無かったとしても、調べられることが分かっていれば基本的に問題ないからだ。人間、うまくできているな。

  • 「知識」「スキル」「技術」の定義って何なんだろう。


    「知らないこと」が目の前に出てきたら、それを知るための対処はできる。
    しかし、「知らないこと」が目の前に出てこなかったら、それは一生知る事ができないかもしれない。
    「知らないこと」を知るためには、自分には知らないことが多くあることを認識して、「知らないこと」に遭遇するための場所に行ったり、人にあったり、興味のない本を読んでみたりと、普段と違うことをあえてする必要がある。

  • 知ってもいないこと、やってもいないことに対して、自分がそれに精通しているように話す人がいる。そういう人はまずディティールを語らず、メタな議論に終始する。
    こういったことを深堀している本。
    ダニングークルーガー効果的なことも。

  • 自分は無知であることを知っている、という言葉はあまりにも有名であるが、さてこれは人間にどれくらい当てはまるのだろうか?というのが本書の主題である。

    結論は、人間は自分が「知っている」と勘違いして、行動しがちであるということだ。
    これを実験結果などを踏まえて長ったらしく説明している。
    これに対する対策は、謙虚であれ。ということだ。

    あまり読む価値はないと思われる。が、自分を戒めるという意味でこの評価とした。

  • 本書の前提
    人間は自分が思っているより無知である。
    無知である自覚の欠如から不合理な 判断/行動 につながりがちである。

    本書の問い
    そんな我々が無知を乗り越えるにはどうすれば良いか?
    そもそも無知を乗り越える必要があるのか?

    理解の錯覚に陥っている可能性が高いので偉そうに語れませんが、この本を読むと自分の無知さを自覚でき、少しだけ周りへの寛容さが増えるような気がしました。

  • 人間一人ひとりは自分が思っている以上に無知だ、という序章からはじまり、人間の知性の本質が解き明かされていく。

    読みすすめると誰しもひとつやふたつ、心当たりのある、時には耳の痛い研究結果が見つかることだろう。
    私はインターネットの検索結果をあたかも元々知っていたかのように振る舞う、という調査結果にドキリとした。偉いのはグーグルとWebサイトの作者なのに、自分の手柄のように吹聴してはいなかったか?

    ひとは知識の錯覚があるがゆえに、途方も無い夢に邁進し、成功することもあれば、取り返しのつかない過ちを犯すこともある。つくづく人間は不合理な生き物だと思った。
    本書の中で、行動経済学の文献がいくつか引用されている。併せて読むと理解が深まるだろう。

  • 本書の主題は3つ。無知、錯覚、コミュニティである。
    個人はとてつもなく無知である。たとえば水洗トイレや自転車の仕組みを説明することはできるだろうか? 私はできない(正確に言うと、水洗トイレについては本書で少し解説されるのだが)
    しかし、人間は「知っている」ものと錯覚する。水洗トイレや自転車、ファスナーについて「仕組みを知っている」と錯覚するのであれば実害はないが、実際は政治的なイシューにまで影響している。

    一体なぜだろうか。この鍵となるのが3つ目の主題であるコミュニティだ。思考は集団的な行動である、と筆者は説く。私は中学物理から電気系の課題が苦手で仕方ないが、世の中には電気が大好きな人がいて、そういった人の専門知識を利用することで快適な生活を送ることができる。ソフトウェア開発であれば、アプリエンジニアやサーバエンジニア、インフラエンジニアやデザイナーetc. の協働によって大きなアプリケーションを作ることができる。

    このように、成果というものは個人が作り出すものではない。これが知識のコミュニティの持つ正の側面である。対して負の側面は、意見がコミュニティに左右されがちという点である。更に言えば、課題設定を価値観の領域に設定することで、人間は容易に過激派となる。米国における銃所持の問題を見れば、この説明には頷けるだろう。

    これからの社会に対する処方箋としてはお馴染みの「ナッジ」が紹介されているが、万能薬ではないことは言うまでもない。解決策が多少楽観的に見えるが、現状分析としては面白かった。

  • 錯覚や思いこみ、無知など私たちは知っていたり、当たり前と思っていることも実際はわからっていないということもたくさんある。そういった盲点に気づかせてくれる本。
    特に学者の行動については面白い。否定、拒絶、当たり前とする主張、最後に無視。どこかのお偉いさん(と勘違いしている人)にも共通する。

  • エンジニアをやっている関係でわからないという状況に直面することは大いにある。
    それと同時にGoogle検索による自己拡張で全能感を得ることもある。
    これらの情動について個人的にこの本を読むことで納得することができた。
    自身の持つ知識についての錯覚について意識的でありたい。

  • 知ってるつもり 無知の科学 (早川書房)

全11件中 1 - 11件を表示

スティーブン・スローマンの作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×