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みんなの感想まとめ
恐怖と絶望が蔓延する濃霧の中で、普通の人々がサバイバルを強いられる様子が描かれています。スーパーマーケットに閉じ込められた住民たちは、見えない敵と対峙しながら、疑心暗鬼や混乱に直面します。主人公は画家...
感想・レビュー・書評
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霧
「私達は出発した。それが妻の姿を見た最後になった。」家からスーパーマーケットに出発するシーンです、キングの小説ではこの文章がよく出てきます。これからどんなことが起こるのかと恐怖心が増していきます。
スーパーマーケットに籠城する人々はごく普通のアメリカ人で、従業員であったり地元の住人や避暑のためにたまたま居合わせた人たちです。天才少年も超能力者もやたら勇敢な警官もいません。そのような人々がスーパーマーケットに閉じ込められて、外にとても攻撃的な未確認生物がいる状態の中でどのようになっていくかが描かれています。状況を打開すべき行動する人もいれば主流派とは別行動をとるべき徒党を組む人、支離滅裂な主張を大声で上げる人とその人を崇めはじめる人、そして絶望して自ら命を立つ人も出てきます。スーパーマーケットの外も中も悲惨な状態です。
主人公のデヴィット・ドレイトンは画家です、『悪霊の島』の主人公も画家でした。『悪霊の島』の主人公は交通事故で超能力を身に着けていましたがデヴィットはごく普通のアメリカ人です。息子のビリーに母親に会いたいと泣きつかれたときに「いつのまにか私は結構初夜のことを思い出していた ー ステフがシンプルな茶色の服を、脱いだときのこと。彼女の尻の片方に、その前日、ドアにぶつけてできた大きな紫色のあざがあった。」と回想します。妻がもうこの世にはいないことを、わかっているんだけどハッキリさせたくないとても悲しいシーンになります。
何人もの死亡者がでてその結果、外にいるバケモノ1体づつはそんなに難敵ではなく霧によって恐怖心が増大していることが判明していきます。デヴィットは自分のスカウトに乗ってメイン州を南下してポートランドに向かいます、「もういちど太陽を見るために」。その道中デヴィットがラジオから聞いたあの一言。それがどんな言葉かなんなのかということより、実際に聞こえたのか。希望は自らのなかから沸き起こってくるものだと思いました。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
1980年発表作、キングの中編としては最も読まれている作品かもしれない。語り手は、デヴィッド・ドレイトン。物語は彼が残した手記というスタイルで展開する。
舞台は米国メイン州西部。激しい嵐が過ぎ去った翌朝、束の間の静寂を経て地区一帯を覆い尽くしたのは、かつて経験したことのない濃厚な霧だった。湖畔の家が倒木によって損壊し、ドレイトンは息子のビリー、隣家の弁護士ノートンと共に馴染みのスーパーマーケットへ物資の買い出しに向かう。妻ステファニーは自宅に残っていた。店に着いた直後、事態は様相を変えた。さらに濃くなった霧のために、一歩先さえ見通せない。不気味なサイレンの鳴り響く中、血塗れになった男が店に飛び込んできた。霧の中に何かがいると警告するが、大半の客は信じようとしない。痺れを切らして外へ出た者は、誰一人戻ってこなかった。ドレイトンは視る。濃霧に蠢く奇怪な生物を。その異様な触手に襲われ、若者が無残に殺されるさまを。
凶事が引き起こされた背景については、同地にある米軍基地内での極秘実験が要因と匂わせるが、最後まで真相を明かすことはない。ラヴクラフト的な世界観をモチーフに、閉ざされた空間に追い詰められた人々の恐怖を描いているのだが、キングが焦点を当てているのは、絶望の中で醜い争いを繰り広げていく集団心理の悍ましさにあると感じた。極限的状況下で、剥き出しとなる人間の本性。その生々しい〝過程〟にこそ真の恐怖があることを、暗鬱なエピソードを通して記録する。
以前からドレイトンと反りが合わなかった弁護士ノートンは制止を振り切り、助けを呼びに行くと言い残して同調者らと外へ出た。間もなく霧の中から彼らの叫び声が聞こえてきた。夜となり、さらに悪夢は続く。巨大化した異形の昆虫や鳥が店内に侵入し、次々と人間を捕食した。人々はパニックに陥りつつも、即興の武器で対抗するが、犠牲者は増えるばかりだった。そんな中、以前より狂信者として嘲笑の対象となっていたカーモディという女が、自分の存在を誇示し始めた。ついには憔悴し切った者たちを言葉巧みに煽動し、統率しようと図る。助かる手段はひとつ、生け贄を捧げよ。脅えて泣く幼い息子ビリーを抱き締め、ドレイトンは知る。いまや、対処すべき〝敵〟は内部にもいることを。
本作の肝は、人心の脆弱さに巧みに入り込み、〝神と悪魔〟〝黙示録〟という虚偽の体系を操り、非合理極まりない死を宿命として享受させようとするカーモディの造形にある。己は〝神の代弁者〟であり、その言葉は真理であることを主張。この試練は神がもたらしたものであり、人身御供が唯一救われる道であることを説く。中編ゆえに、狂った女がもたらす災厄は早々に暴力的な解決へと至るのだが、「怪物(悪魔)よりも人間の方が怖い」という通念を強烈に裏付けるキングの剛腕が冴える。やがてドレイトンは、行動することを躊躇う大多数の傍観者を見限り、ビリーと数人の仲間を連れて脱出することを決意。この判断がどういう結末を迎えるにせよ、ここには希望がないことだけは明らかだった。彼らは自動車を目指して、不気味な咆哮がやまない白く濁った世界へと一歩を踏み出す。
実は本作を読み終えた後に、映画化された「ミスト」(2007年公開、フランク・ダラボン脚本/監督)を観て、文字通り唖然とする経験をした。人間の業を抉り出すことに於いて、原作を遥かに超えていたからだ。小説は終末的な退廃感のままに物語を打ち切っているが、映画ではキングのプロットを忠実になぞりつつも、独自の結末を用意していた。キングは物語を「希望」という言葉で閉じているのだが、映画の終盤では〝その後〟を描き、この世の地獄へと容赦なく引き摺り戻す。とにかく、ラストシーンが凄まじい。〝死という救済〟が〝生という絶望〟へと変転する虚無的な終幕。それまでの過程は、この残酷な情景のための伏線に過ぎなかったと思わせるほどだ。映画ならではの緊密な映像表現や役者の鬼気迫る熱演にも圧倒された。
映画版「ミスト」は、生きるための選択が死を招くこともある、という冷酷なパラドックスを見事に表現していた。当然のこと、小説と映画を同列にして比較/評価することは短絡的過ぎるが、本作に関しては、流石のキングも「してやられた」のではないか。 -
超久しぶりのスティーブンキング、面白かった!
ネトフリでドラマ化された「霧」(「ザ・ミスト」)が打ち切りになっていたため、結末が気になり購入。
作中で「想像に任せる終わり方は最悪」と主人公の父親に言わせた上で、想像に任せる終わり方しているのが面白かった。サンドイッチ食べながら読んだら、すごく気持ち悪くなったので、食事中は読まないことをお勧めします。スティーブンキング自身もコメントしているが、映画版(「ミスト」名作)の結末も良かった。
この短編集で一番好きな作品は「ジョウント」。この作品だけなら星五つ。近未来のSFで、後味の悪い結末が最高でした。永遠の時間の中を精神が彷徨う、という私の中で怖いことベスト5に入る状況に戦慄しました。
あと、虎の話は分かりづらかったのですが、「虎」は何の隠喩なのでしょうか??児童書「お茶の時間に来たトラ」は戦争のことかなと思ったのですが、こちらの作品では主人公には危害を加えてないので、何かの象徴なのかどんな意味があるのか。
以前読んだ時より読みやすく感じたのは、Kindleで字を大きくできたから?と言うことは、スティーブンキングの文章から感じる圧迫感の原因は、小さい字がぎっしり詰まっていて「これを読まないと先に進めない」と言うプレッシャーのせいだったのかな?と推測。長編も再読してみたい。 -
不気味な怖さ。
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短編集だが、分量的にはほぼ「ミスト」。
映画が面白かったので小説も読んでみた。
翻訳も読みやすい。
ある日、激しい嵐の後に濃い霧に包まれた田舎町。スーパーに閉じ込められた人々はそれぞれに不安を感じ、疑心暗鬼になる。霧の中には怪物がうろつき、表に出た人は食べられてしまう。スーパーの中は異常な状況になり、新興宗教の教祖のような女性も現れる。主人公は密かに脱出を試みるが…。
ストーリーは映画とほぼ同じで、原作に忠実に映像化していたことが分かる。小さな異変から恐ろしい仮説を立てる主人公だったが、周囲に人間は誰も信じてくれない。だが徐々に犠牲が大きくなり、人々は仮設を信じるようになる。はっきりと敵が見えるようになり、状況を変える方法も模索する。
大筋はホラーの王道のような展開だ。テンポも良く、読みやすい。ラストは映画の方が衝撃的だったと感じた。キング自身も映画のラストを高く評価していたようだ。 -
霧は、私達を不安にさせると同時に未知の生物からある意味では守ってくれているのかもしれないという様な表現が好き。
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久しぶりに読んで 懐かしいやら怖いやら…
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