翻訳夜話 (文春新書) [Kindle]

  • 文藝春秋 (2000年10月20日発売)
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感想・レビュー・書評

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  • ▼2000年の本のようですが、きっかけは96年くらいかに、柴田さんが講師?をしている

    <大学の翻訳の授業> とか <若手翻訳家とのワークショップ?> とかで、

    村上春樹さんをゲストに呼んでトークしたり質疑応答した音源を編集したものがベースになっているようです。

    それと、

    <村上さんと柴田さんが、わざと同じ短編をお互いに翻訳してみました企画>

    などもあります。翻訳小説とか翻訳とか米文学とか村上春樹さんとか柴田さんが好きなら、楽しめる一冊。




    ▼読んでいて。村上さんと柴田さんが知り合ったきっかけ。
    こちらの推論を交えて言うと

    ・村上さんが翻訳をして、それを世に出したい。

    ・出版社としても、村上さんが翻訳なら、出したい。

    ・出版社側が人選して、「名前は出ないけど、翻訳が間違っていないか確認する人」を村上さんに引き合わせて、チェック作業をする。当然その人物は「アカデミックな場で米文学、米語を研究している人。でも大物じゃない若者」になる。

    ・その人物が、柴田さんだった(恐らく、東大の米文学の院生とかだった。当然ながら所属の教授などを通して出版社の人が知ったのでしょう)。



    ▼ということな訳です。
    至極考えれば当たり前なんですが、「翻訳物の本を作る」というプロフェッショナルな流れ作業の中で、「ああ、なるほど」と思いました。

    そしてまあ無論、人柄・才能・師匠の運・などなどあるでしょうが、そういう場合にそりゃ「東大」というのは(少なくともその時代には)意味があったんだろうなあ、と。



    ▼この本に限らず、村上春樹さんが翻訳作業について真面目に?語った場合(真面目に語ってるかどうかこっちには分からないですけれど(笑))、結局は、

    <自分は自分のセンスで翻訳している、としか言いようがなくて、一般化できるセオリーややり方というのは何もない(オモシロ話ならあるけれど)>

     です。そりゃまあ、もともとが「小説家・村上春樹」という商品性があるから翻訳しても本を出してもらえるし、小説でも翻訳でも<師匠筋>というのがいるわけでもないし(知られている限りで、ジャズ喫茶のマスターが余暇で書いた小説が公募の新人賞を取ってデビュー、ですから)。

     なので、無名の一個人、なんの商品性も無い無名人が、「自分もプロの翻訳家になりたい」という思いがどこかにあって村上さんの翻訳論を聴くと、苦笑するしかないだろうなあと思います。

    ▼それについては、柴田さんもけっこう、困ってらっしゃるのが微笑ましい。柴田さんは

    <大学研究室業界(それも東大)>

    というこれまた特殊業界からではあるけれど、なんというか飛び道具的タレント性で言えば、ゼロから翻訳家になっている。なので、少なくとも村上さんよりはどこかで翻訳という専門性を<一般化したい>本能があるようで。でもそこンところは村上さん、天然なのか、分かってなのか、「自分自身のこととしては、そういうことは一切ない」という態度を曲げません(笑)。そして柴田さんと村上さんは互いにリスペクトだけど、柴田さんはゼッタイにあらゆる意味で村上春樹を否定はできない。
    (だってこの本が出ている理由は「村上春樹だから」ですからね…)。

    ▼そのあたりのぎくしゃく感が(編集してもなおかつ)残っていて、それはまあわざと残しているんだろうなと思います。言ってみればちょっと、

    <マイルス vs. モンク の、録音されちゃった喧嘩セッション>

    みたいなオモシロサがあります(笑)。

  • 翻訳は遊びだから という言葉になんだかすこしほっとした。教養的な目的ではなく、ただの楽しみとして英語を学習し始めている身に、かなりぴったりとする対談だった。両者が媚びも遠慮もなくノータイムで言葉をぶつけあっている感じがする対談の雰囲気も好ましい。

    日本語にしたときに絶対に伝わらない現地ならではのジョークを、翻訳者が日本人向けのジョークに置き換え成功するかどうか、みたいなくだりがおもしろかった。私は翻訳された文章特有の言葉のリズムがずっと苦手で、できれば美しい日本語に錬成し直されたものが読みたいとつくづく思ってきたけれど、原文を尊重することの美しさに思いを馳せることができた。

  • 翻訳することについて、村上春樹と柴田元幸が語り合う(オーディエンスからの質問に答えるという体裁)
    2人が同じ短篇を訳すという企画が掲載されていて、思っている以上に文学の翻訳は訳者の創意工夫が盛り込まれているんだなと目の当たりにした。
    ノンフィクション(実用書など)の翻訳とは恐らくかなり違うんだろうと思うけど、文を正確に(直訳的に)訳すことよりも、読み手の感じ方が英語の時と日本語の時と同じになるようにすることに重きが置かれている感じ。

    - ポール・オースター『オーギーレンのクリスマスストーリー』は面白かった。が、どっちの訳が良いとかは難しいけど、思っていたより、訳文には差があった。柴田訳のほうが読みやすい印象、村上訳のほうがやや古風な独特な文体。
    - 村上春樹的には、リズムが大事だと。
    - 村上春樹が翻訳をする理由は、その文章を解体して、自分なりに素晴らしい文章の良さを解明したかった、からかなと。
    - 著者は、訳者の質問には大抵親切に答えてくれる。

  • 翻訳について村上春樹さんと柴田元幸さんが語った本。
    翻訳本の読者の立場からは非常に興味深い内容ですが、翻訳を志す人にとっては、「それができれば苦労せんわ!」みたいな内容かも知れません。想像ですが。
    村上春樹さんの執筆と翻訳への姿勢を知るのにも良いです。

  • 柴田元幸氏と村上春樹氏が翻訳について語った、いくつかの座談会の書き起こしです。本書はもちろん翻訳についての本なんだけど、村上春樹が語ることは、それ以上に”文章”と”表現”ってなにか?という部分だと思います。

    文章があるものを理解し、咀嚼し、別の形に書き出す、という意味では確かに表現ですよね。
    村上春樹は翻訳を「もっとも効率の悪い読書」と言っているけど、文書の解体・再構築により、文章の本質というか「魂」だったり「秘密」「温度」などと表現しているものを掴み取ろうとする過程を含んでいるんですね。
    また翻訳という行為は、通常の物書きと異なって、彼にとって、物を書くときに必要な自分の「ペルソナ」を間借りできるような行為ゆえに、癒しになると。

    単に作業として行うのではなく、彼にとっては創作を通じて吐き出し続ける「ペルソナ」の”補充”でもある、というのはすごく面白いなと思いました。
    本当に村上春樹も翻訳という行為を尊く感じているのだなと感じました。なぜ翻訳をやるか?というところで「美しい文章に浸りたい」、と語ったり、ロマンチックな表現が多かったと思います。
    村上春樹が好きな人なら、間違いなく面白いでしょうし、そうでなくても翻訳という行為に興味のあるけどよく知らない人なら、よくわからない世界のいろんなことが言語化されていて面白いともいます。

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著者プロフィール

1949年京都府生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。79年『風の歌を聴け』で「群像新人文学賞」を受賞し、デビュー。82年『羊をめぐる冒険』で、「野間文芸新人賞」受賞する。87年に刊行した『ノルウェイの森』が、累計1000万部超えのベストセラーとなる。海外でも高く評価され、06年「フランツ・カフカ賞」、09年「エルサレム賞」、11年「カタルーニャ国際賞」等を受賞する。その他長編作に、『ねじまき鳥クロニクル』『海辺のカフカ』『1Q84』『騎士団長殺し』『街とその不確かな壁』、短編小説集に、『神の子どもたちはみな踊る』『東京奇譚集』『一人称単数』、訳書に、『キャッチャー・イン・ザ・ライ』『フラニーとズーイ』『ティファニーで朝食を』『バット・ビューティフル』等がある。

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