ホモ・デウス 上下合本版 テクノロジーとサピエンスの未来 [Kindle]

  • 河出書房新社
4.27
  • (32)
  • (24)
  • (8)
  • (0)
  • (2)
本棚登録 : 448
感想 : 40
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・電子書籍 (643ページ)

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 人間至上主義からデータ至上主義に移行するだろう。データ至上主義は「すべてのモノのインターネット」という実装につながる。

    しかし、人間がなぜ意識(心)を持つかは解明されていない。だから、以下のようなことをこれから考えていかないといけない。

    「1 生き物は本当にアルゴリズムにすぎないのか?そして、生命は本当にデータ処理にすぎないのか?
    2 知能と意識のどちらのほうが価値があるのか?
    3 意識は持たないものの高度な知能を備えたアルゴリズムが、私たちが自分自身を知るよりもよく私たちのことを知るようになったとき、社会や政治や日常生活はどうなるのか?」

  • 昔、友人にすべては01(ゼロイチ)で表現できると言われ、進路変更したことがある。でも、その後、転回することになる。現在の友人には、霊の話を聞かされているが、今の私には、その道に行くモチヴェーションもない。結局、科学主義が私の現状である。今、統計の勉強をしているのも、そのためだ。以前、『統計学が最強の学問である』というシリーズ本で、人工知能は人間には理解されないが、統計は人間に理解されやすいようになっている、という利点が書かれていた。

    でも、サピエンス(人間)に理解されるかどうかがもっとも重要なことなのかと問われると、困ってしまう。自分がサピエンスであるから、その視点でしか物事を見えないような気がする。それが現状である。

    知能と意識を区別していたところに感銘を受けた。確かに、人工知能は時代の申し子であるが、人工意識はあまり聞いたことがない。私は昔から、自己意識は必要ないという路線で生きてきた。意識もまたどこまで必要なのか不思議に思ってきた。本当のところを言うと、知能も必要ないのではないかとさえ思っているのだが、とにかく、万事が万事、うまく動けばいいという発想だった。それが、知能で動くのか、意識で動くのか、それはどうでもいい、そう考えてきた。しかし、結局、何かで動くと考えなければならない気もする。意識の価値を少しでも知りたい。

    そういえば、チャーマーズの『意識する心』という本もあった。仮に、すべてをコピーすることができるとするならば、意識の価値はなくなってくる。なぜなら、全く同じ意識なら、もうここにあるのだから、さらにもう一つは必要ない。また、他のすべてはコピーされるけど、意識だけコピーされないのであれば、そして、まともに動くなら、意識なんか必要なかったということになる。

    つまり、要約すれば、「意識は共有されず、知能ばかり共有される」:そこがポイントかも知れない。

    霊を信じている友人は、きっと、意識も共有されると信じているだろう。テレパシーの話もよく話した。だが、どういう要件を満たせば、テレパシーが成功したと言えるだろう。

    だがしかし、神を絶対視していた時代があったとすれば、これからの時代も変わりつつあるはずだし、価値をどこにおくかも変わってくるだろう。そのとき、何がいちばん大事なのかを深く心に刻んでおきたい。

    その変化というのも、カタストロフィのようにやってくるのでなく、徐々にやってくるというのがこの本を読んでの読後感である。

  • サンプルを読みとても興味を魅かれ、合本kindle版が安くなっていたので入手。(2021.11.15)
    ※2021.10.30購入@amazon、kindle版

  • Kindleで読み始めたのだが、なかなか進まず、そのままになっていたのを、オーディブルで流し聞き。
    飢餓や感染症ではなく飽食で死ぬ時代。
    技術進歩が良いのか悪いのか、これからどんな時代になっていくのか。何もかも「データ」で判断する、データに支配される世界になっていくのか。
    そんなことをぼんやり考えながら聞きました。日本で翻訳が発売されてから4年。また、少し時間を経て読んでみても面白いのかも知れない。

  • 人類のこれからの歴史について。
    人間至上主義、データ至上主義とかキーワードがいろいろあり、特に後半が面白い。

  • 人類の歴史を総括して捉え直しつつ、インフォメーションテクノロジーとバイオテクノロジーが高度に発展して人類をAIが凌駕する未来を予測する。歴史の捉え方の段階から目が鱗で、作者は天才だと思いました。これからの未来をどう生き抜いていくのか、子どものどんな力を伸ばしてあげたいのか、先を見据えるための必読本と思います。

  • サピエンス全史の最後の方で、サピエンスは自然選択の法則を打ち破り、生物学的に定められた限界を突破し始めているため、サピエンスはいずれシンギュラリティ(特異点)に至るとハラリ自身が言及していました。
    ホモ・デウスはその内容の延長線上が中心という感じで、人類が将来的に進化していく可能性についてまとめられています。
    将来起こりうる可能性があり、その影響を受けてしまいかねない世代だからそう感じたのかもしれませんが、サピエンス全史とジャレドダイアモンドの銃・病原菌・鉄を事前に読んで面白いと思った人にはとくに勧めたい本だという印象です。

  • 【要約】
    人類の未来に対する予測を書いた本。
    過去、人類は飢餓・疫病・戦争を徐々に克服してきた。
    今後、人類は不死・幸福・神性を目標にするかもしれない。そして人類は自らをアップデートし、一部の人類がホモデウスとなるかもしれない。そしてテクノロジーの進歩とともに馬が車に取って代わられたように、ホモデウスにとって多くの人類は無用の長物となるかもしれない。

    【感想】
    AIが作成した音楽の存在は全く知らなかった。人間の情動的側面はAIでは代替できないと思っていたが、人間をアルゴリズムと考えれば代替しうるのだというのは、衝撃的だった。
    本筋とは関係ないが、本書のあとがきで書かれている「歴史を学んでも、何を選ぶべきかはわからないだろうが、少なくとも、選択肢は増える」という言葉が印象的だった。歴史は興味を持って勉強している分野の一つなので、更なる動機づけになった。

  • 歴史学者として、これまでの人類史を総括しつつ、現在の先端テクノロジー、特に人工知能とそのアルゴリズムが人の脳を凌駕するかも知れないタイミングで、今後を冷徹に展望する。

    あくまで西洋的な視点とは感じる。特に宗教については、その功罪もふくめて厳しいコメントが多い一方で資本主義の功績を高く評価している。その結果、もしくはその延長線上として、人類が制御できないほどAIに傾倒し、逆にその呪縛に支配されるような見方のようだが、果たしてそうだろうか。人知及び人類の「宗教的」な思想は、そう単純ではないように思う。確かに脳の動きは究極的にはアルゴリズムで説明できるかも知れないし、今までのところ人類(とその「アルゴ」)はまだ効率性と物質的豊かさを最優先しているように思う。それが続けば、脳より優れたアルゴが登場すれば、人間はその軍門に降るのかも知れない。

    しかし、人類の次の進化は、異なる可能性もあると思われる。奇しくもコロナが起こり、SDGsの方向性も出現している。人類は自らの傲慢さを振り返る謙虚さも持ち合わせている。日本人や日本の伝統的企業は特にそうではないだろうか。

  • 生物工学と情報工学の発達によって資本主義や民主主義、自由主義が崩壊すると予見する。本書はディストピアを予見した書籍と位置付けられている。
    権力や財力を持った一部の人間が生命工学を駆使して自分達をアップデートする可能性を予見する。これは一部の人々に大多数の人々が支配されるディストピアである。一方でもう一つの予見であるデータ教については、それほどディストピアと感じなかった。一部の人間のアップデートと異なり、全てがデータに過ぎないデータ教は万人に対して公平であるためである。むしろデータの民主化という好ましい方向になる。
    一部の人間のアップデートというディストピアの背景には医療の概念的な変化がある。20世紀の医療は病人を直すことを目指していた。ここには誰もが享受でき、享受すべき心身の健康の標準的な基準があることを前提としていた。もし誰かがその基準を下回ったら、その問題を解決し、その人を他の誰とも同じになることを助けるのが医師の仕事であった。これに対して21世紀の医学は健康な人をアップグレードにすることに狙いを定めつつある。これは一部の人々を他の人々よりも優位に立たせようとするエリート主義とつながる(下巻185頁)。
    これは林田医療裁判(平成26年(ワ)第25447号損害賠償請求事件、平成28年(ネ)第5668号損害賠償請求控訴事件)で考えさせられる。林田医療裁判では診療義務を果たしていないとして患者の長女が長男夫婦と病院を訴えた裁判である。患者の長男は「延命につながる治療を全て拒否」した。病院は長女に確認せずに、それをキーパーソンの判断とした。
    長女側は病院側には標準的な医療を行う義務があるとの主張に力点を置いていた。長男が何を言ったかは無関係に、標準的な治療水準というものがあり、それを果たしていない病院は義務違反という論理を強調していた。これは『ホモ・デウス』の20世紀的な医療観である。
    しかし、判決では一標準的な治療水準は問題ではなく、長男が「延命につながる治療を全て拒否」する意向を出している中で、その意向に従うことが是か非かという問題意識で議論していた。裁判後に林田医療裁判を取り上げた第12回「医療界と法曹界の相互理解のためのシンポジウム」でも病院がキーパーソンを誰にするか家族各人に確認しなかった点や病院側も主治医一人ではなくチーム医療や倫理委員会で判断しなかった点に問題があるのではないかとの意見が出ている。標準を定め、それを普及させたり、標準のレベルを押し上げたりするのではなく、個々人の意思に合致するかを重視する傾向が21世紀に強まっていることを感じる。

  • 「そもそも人間は自由になることはできない」という主張に共感した。しかし、終盤に示されたデータ至上主義は到底受け入れられない。データはモデルであり、モデルが映し出す「本物」と、データを解釈する主体が存在するから意味があるのであって、それらはどちらも人類以外にはなり得ない(と思いたい)。しかし「シェアしない情報には価値がない」という考え方は着実に人類に浸透している。人類が人類の主導権を失うような状況には絶対になって欲しくないと思った。

  • 「サピエンス全史」のユヴァル・ノア・ハラリ氏が書いた続編。サピエンス(人類)がこれから進むであろう未来を予測している。
     サピエンスは自らをアップグレードしていき、神性を獲得した存在「ホモ・デウス」を目指すだろう。未来のサピエンスは、人間至上主義に代わりデータ至上主義を信じるようになる。これまでの人間個人としての価値は下がり、AIといった外部アルゴリズムに幸福を求めていく。しかし、それは自ら問題を抱える事態に発展する。

     未来のサピエンスが抱える問題は次の3つ
    1.生命はデータ処理を行う存在で、生き物はアルゴリズムで動いている?
    2.生命の意識とAIの知能はどちらの価値が高い?
    3.AIに意思決定を全てゆだねると、サピエンスの生き方はどうなる?

    1.生命はデータ処理を行う存在で、生き物はアルゴリズムで動いている?
     データ至上主義によれば、生命は全体としてデータ処理する存在で、昆虫、動物、人間などの集団はデータ処理システムと見なせる。そして、生き物の意思決定はアルゴリズムによって行われているという。
     生命科学的に生き物は子孫繁栄というアルゴリズムに沿って活動している。人間が感覚や情動と感じているものは全てアルゴリズムで、その計算結果として感情という出力になっているだけと解釈している。

    問)もし完璧に人間の様に振る舞えるAIができたとしたら、それは生命と言えるのか?AIが人間に代わることが本当に良いことなのか?

    2.人間の意識とAIの知能はどちらの価値が高い?
     コンピューターの知能は進歩したが、意識は一歩も進歩していない。これまで、高い知能を必要とする仕事は意識を持った人間にしかできなかった。現在では、パターン認識に基づくアルゴリズムを持ったAIの方がうまくこなす。人間は、意識を持たないスーパーインテリジェンス(人間の能力を超えるAI)を実現しようとしている。
     
    問)資本主義は意識を持った人間よりも効率的に作業するAIを選択する。もはや人間は必要なくなってしまうのか?そうならないために、人間は自らをアップグレードしサピエンスではなくなるのか?
     
    3.AIに全ての意思決定をゆだねると、サピエンスの生き方はどうなる?
     AIは私自身より私のことを良く知っている。なので、全ての意思決定をAIに任せるようになる。アップルのsiri、Google Now、Amazonなどすでに導入されているものもある。
     AIを用い自分の望む目標を達成できるとしたら、AIが人間の自由意志を操作でき、人間の自由意志をも製品として販売されるようになる。
     AIが市場に拡大すれば、富と権力はAIを所有するエリート層に集中し、空前の社会的、政治的不平等を生み出す。また、AI自体が所有者という事態も考えられる(現在でも法人という概念が認められている)。更にエリート層はアップグレードされた人間になり、アップグレードできない人間との格差は広がる。

    問)アップグレードされたエリート層がAIを使い、世の中の人々を支配する世界になるのか?多くの人々はなんの労働力も必要とされない支配されるだけの無用な存在となるのか?人類の願いである「すべてのモノのインターネット」が構築されれば、人間は単なるデータフローの一部になってしまうのか?

     これらは全て予想であり、著者のハラリ氏はこの予想が外れることを願っている。大事なのは、自分達の未来をしっかり考えつづけていくこと。そして、未来のため今考えられる最善の選択をしていくことだ。

     この本はとてもボリュームがあった。そして第8章からがおもしろい。1~7章までは8章以降を理解してもらうための前説。7章までを読んでおくと11章のとんでもない予想も理解できると感じた。
     人間が取り残されないためには、常に学び続け、自分を作り変えていける能力が必要だと語られていた。データ至上主義も、これまでの宗教やイデオロギーと同様に多くの人が信じる「虚構」になる。データ至上主義以外に信じるものを創り出せれば、最悪の未来は回避できる。自分はなにを信じるか?はとても大事だと思った。

  • これは前作「サピエンス全史」からの流れで読んだ方がいいな。
    つながりが重要なので、2編を読むことで「未来はこうなるだろう」を「どういう過程で考えたか?」がよく分かる。
    しかしあくまで著者は、「未来は分からない」という。
    選択肢はいくつかあるが、そのどれにも転ぶ可能性があることを示唆している。
    著者としての答えは明言していないが、それにしては言いたい事がよく分かる。
    (まさに「腹に落ちる」状態だ)
    不確定な未来だが、それを多少でも予見するためには、過去から学ぶしかない。
    つまり歴史だ。
    事実を知ることも重要だが、その時代に生きた人が何を考えたか?
    その当時の時代の人が「未来」(つまり我々が生きる現代)はどうなる?って予想していたのか。
    その答え合わせをしていくと、我々が考える未来がどうなっていくかは、意外と見えてくるのはないか?
    「交通手段が、馬から自動車に置き換わっても、人間は馬をアップデートしようとはしなかった」
    これはすごく納得ができる。
    置き換えれば、大体のことが予想できるのではないか?
    「労働力が、人間からロボットに置き換わっても、人間は人間をアップデートしようとはしないだろう」
    「知能労働が、人間からAIに置き換わっても、人間は人間をアップデートしようとはしないだろう」
    さて、そんな時代に人間が何をして生きていくのか?
    本当に「人間らしさ」のある人でないと、生き残っていくのは難しいだろう。
    「人間らしさ」とは何なのか?
    そんなことを真剣に考えてしまう。
    (2018/9/10)

  • ホモデウス

    まとめ
    サピエンス全史に次ぐハラリ氏の著作、過去から現在、そして未来を見据え人類について考察している。色々と考えさせられる本である。
    本書の中では、単一の明確な筋書きが描かれているが、あくまで未来は予測できないという見地に立ち、未来を予測して視野を狭めるのではなく、幅広い選択肢に気付いてもらうことが目的だとしている。

    人類が次に目指すのは、幸福の追求と不死を技術的に乗り越えることではないか。幸福を感じるのは、脳内の生化学的な反応によるものであることがわかってきた以上、その操作は技術的な問題になっている。しかしその追求の過程で人間はアルゴリズムに支配されるようになるかもしれない。

    人類3:家畜6:野生動物1、これほどの質量割合に至るほど人類が他の動物の追従を許さないほどの成長を遂げてきた。これは虚構(宗教)により秩序をもたらし、ネットワークを形成してきたからだ。科学の発展は神の存在を否定し、信じる宗教は人間の意思を信ずる人間至上主義になった。

    科学の進化により、人間の自由意志だと思っていたものは単なる生化学的な反応に過ぎないことがわかり、欲望自体もが操作可能な未来が迫っている。意識と切り離され、データにより生まれた知能が自分以上に自分を知ることになり、意思決定がデータに委ねられていく、そこには人間の自由はない。人間はネットワークにデータを供給存在となり、アルゴリズムの奴隷となる。

    この未来の洞察は知能と分離された意識には価値がなく、人間は単なる生化学的なアルゴリズムに過ぎないという前提になっているが、本当にそうだろうか。もしそうだとすると我々の社会や日常生活はどうなるのだろうか、最後にこんな問を残している。


    感想
    AIには意識がない、だからこそ最適化により人間の指示のもと専門作業を代行していくことになるという未来を想像し、判断を伴う部分は人間が担い続けると考えていた。しかし判断自体を人間がデータに頼り始めると、もはや人間に意思や自由は存在しない、ということになる。これは機械に仕事を奪われるというレベルの話ではない。

    人類のタスクは次の世代へのバトンを渡していくということであり、そういう意味では、アルゴリズムの奴隷になろうが目的は果たせているのかもしれない。感覚的に許容しがたいが、否定する理由が思いつかない。



    各章まとめ

    ◯1章 人類が新たに取り組むこと
    ・何千年と飢餓、疫病、戦争が常に取り組むべきことだった。平和で健全な世界となった今何に注意と創意工夫を向けるのか。
    ☆不死
    ・前例にない水準の繁栄と健康と平和を確保した人類は新たな渇望を満たすため次なる標的として不死と幸福と神性を標的とする可能性が高い
    ・死は長らく宗教上では不可欠で好ましい部分と見ていたが、現代人にとって解決すべき技術的な問題
    ☆幸福
    ・生産は手段、一人当たりのGDPからGDHへ置き換えることも求められている。
    ・エピクロス: 人は簡単には幸せになれない。快感を経験していて不快感がないときが幸福。
    ・現実が期待に沿うものであるか、客観的な境遇よりも。
    ・あくまで身体の感覚でしかなく、一瞬で過ぎ去る。幸福は生存戦略上人を駆り立てるのプロセス。
    ・永続的な満足を確保するにはこの快楽系(生化学的作用)を操作する他に道はない。
    ・国家は良い操作(政治の安定や社会秩序、経済成長増進)は許され、悪い操作(麻薬等)は禁じることで幸福の追求の統制を試みる
    ・快楽の追求は常に一からやり直し続ける必要があり、渇望が高まるほどストレスになる。永続的ではない。
     ブッダ:真の幸福の獲得にはこれにブレーキをかける必要がある
    ☆ホモデウスへの進化
    ・至福と不死を求めることで神へのアップグレードをしようとしている。その道は生物工学(DNAを書き換える)、サイボーグ工学(人工物を足す、離れていてもいい)、非有機的生き物を生み出す工学
    ・人間至上主義の夢を実現しようとすると、その崩壊を招く可能性がある。


    第一部 ホモサピエンスが世界を征服する
    ◯2章 人新世
    ・農業革命の始まりとともに、動物の大量絶滅と家畜が誕生した。今やその数は野生動物よりも圧倒的に多い。人3:家畜6:野生動物1
    ・生存と繁殖に必要がなくなっても、主観的欲求を家畜は感じ続ける。それを無視して生存と繁殖を確保する力を人間は得た。
    ・擬人化ではなく、情動はあらゆる哺乳動物が持つ。なぜならそれ自体が生存のためのアルゴリズム(問題解決のための秩序だったステップ)だから(恐れや空腹、母子の絆など)
    ・狩猟採集民族は膨大な数の野生動物に取り囲まれ、彼らの欲求を理解することが生存上不可欠で、自分が優越した存在だと考えていなかった。
    ・農業革命は経済革命であると同時に宗教革命でもあり、家畜化して動物への影響力を自覚し、かつそれが神の意思を反映していると信じるのは容易で魅力的だった。
    ・科学革命は人間至上主義の宗教を生み、人間が神にとって変わった。

    ◯3章 人間の輝き
    ・人の命は他の動物よりもはるかに価値があると考えたがる。それはなぜ正しいと言えるのか。
    ・ダーウィンの進化論は魂の存在を否定し、多くの人にとって受け入れ難い。真の自己は分割できない不変で不滅な本質という考えを退けるから。
    ・意識について科学的にわかっていることは少ない、脳内の生化学できない反応と電流の寄せ集めがどのように感情を伴う主観的経験を生み出すのか想像がつかない。
    ・科学の素晴らしい点の一つは、科学者が何か知らないときには、最後には自分の無知をあっさり認められること。
    ・対人関係では150人が限度、それでも膨大な人が連帯できるのは、サピエンスが論理だけでなく温かい社会的倫理に従って行動し、情動に支配されているから。
    ・平等観念がポイントに見えるが、実際には長い歴史の中で不平等が蔓延しつつ成立してきた事実がある。そこには脅しと約束といった想像上の秩序を信じる気持ちがある。
    ・自分たちの神や価値観は受け入れられにくいが虚構で、信じる人のループにより意味が生まれる。この意味のウェブは時が経つと解けて失われる。
    ・この世界に意味を与えている虚構を読み解くことは必要。


    第2部 ホモサピエンスが世界に意味を与える
    ◯4章 物語の語り手
    ・虚構のウェブがサピエンスが協力する術
    ・5000年前、シュメール人が書字と貨幣を発明、人間のデータ処理の限界を打ち破り、巨大な王国を打ち立てることが可能になった。
    ・筆を振るうだけで現実を変えようとすることの魅力に抗える支配者はいなかった。毛沢東は農業生産量を2倍にせよと命令し、役人が書類を捏造したため、実際の倍書類上の生産量ができ、大きく輸出したために何千万もの餓死者が出た。文書と現実が衝突したときは、現実が道を譲る。
    ・人間の協力ネットワークの力は、真実と虚構の絶妙なバランスにかかっている。現実を歪めすぎるとその人の力は弱まるが、虚構の神話に頼らなければ大勢の人を効果的に組織できない。

    ◯5章 科学と宗教
    ・科学特にコンピューターと生物工学により虚構と現実の違いがあやふやになっていく。
    ・人間の法や規範や価値観に超人的な正当性を与える網羅的な物語(人が考えたわけではないが従わないといけない道徳律の体系)なら、そのどれもが宗教。迷信や超自然的な力ではない。
    ・宗教は取り決め。宗教と科学は対立ではない。科学が方法を導くことはできても、何を正しいと判断するかの部分では宗教的な見識を拠り所にする。
    ・宗教の教義で重要なのは倫理的な部分ではなく事実で、この部分が科学との衝突、宗教論争を生んでいる。
    ・科学が解き明かしたところによれば、聖書は記述していると称する出来事が起こってから何世紀もの後に、それぞれ異なる書き手に書かれたおびただしい文書の集成で、単一書物にまとめられたのは聖書時代のずっと後
    ・宗教は何においても秩序に関心があり、社会構造を創り維持することを目指す。科学は何をおいても力に関心があり、病気を治したり戦争したり食を得たりする力を研究により獲得することを目指す。

    ◯6章 現代の契約
    ・人類は長いこと成長を信じていなかった。パイが同じままでは、人口が増えた場合はその分一人ひとりが貧しくなる。
    ・現代では主義宗教が異なれど、経済成長こそ良いことの源泉という点では一致している。これは宗教。
    ・あらたなエネルギーと材料を見つける知識の獲得により成長してきたが、生態環境の悪化が問題となりうる。そしてどこまでも終わりはなくプレッシャーとなる。

    ◯7章 人間至上主義革命
    ・近代以降の政治、芸術、宗教は何らかの宇宙の構想に根差していない人生に意味を与えることだった。神の死は社会の崩壊につながらなかった。それは人間が神羅万象の意味も引き出す人間至上主義が代替となったから。
    ・神がどういうかではなく、誰かが嫌な思いをするかという判断軸。人間の経験こそ権威と意味の至高の源泉とする。
    ・教育の目的は服従を教え込み聖書を暗記すふことから、自分で考えることに変わっていった。
    ・神を信じるかどうかは個人に委ねられるが、信じるということ自体も内なる声に傾けた結果と言う点では変わりない。
    ・人間至上主義も主な宗教と同じく対立により宗派が分かれた。自由主義、社会主義、ヒトラー的進化論的主義
    ・20世期はこの3つの戦いで、WW2では不利と思われたドイツに西側諸国が当初支配され、これを打開したのは圧倒的犠牲を払ったソ連の参戦によってだった。その後はソ連の勢いが強まり70年代には未来は社会主義のものに見えた。なんとか対抗できたのは核兵器という抑止力があったからこそ。そして自由主義だけが生き残った。
    ・新しい宗教がとって変わるのは、新しいテクノロジーに対する説明ができることが重要な条件になる。21世期はバイオテクノロジーとコンピュータアルゴリズムが力となり、その主要製品は体と脳と心だ。中身を知っている人といない人の差は雲泥の差となる。


    第3部 ホモサピエンスによる制御が不能になる
    ◯8章 研究室の時限爆弾
    ・自由意志だと考えていた意思決定は先行する出来事により決まる生化学的連鎖反応が生み出したもの。自由は存在しない。欲望は選べない
    ・脳に電極を刺すことで、ラットの報酬系を操作して行動を操ったり、電磁波を与えるヘルメットを被ることで人の集中力を高められる。
    ・自己は一つではない
    ・人は時間軸を記憶せず、ピークと最後の平均で記憶する。出産後数日間コルチゾールとベータエンドルフィンを分泌し痛みを和らげ安堵感を生み出すことで喜びさえも引き起こす。これにより出産をトラウマから好ましい経験に変える。
    ・神や国家といった想像上の存在を人々に信じさせたかったら、彼らに何か価値のあるものを犠牲にさせればよい、その犠牲に伴う苦痛が大きいほど犠牲の想像上の受取手の存在を強く確信する。過去の苦しみに意味がなかったと認めなくて済むように将来も苦しみ続けることを選ぶ。
    ・脳は生化学的に瞬間的な経験を創り出すが、たちまち消えて無くなる。その経験の積み重ねが永続的な本質になることはない。物語る自己は果てしない物語を紡いでこの混乱状態に秩序をもたらそうとする、即ち虚構の人生の意味を与えようとする。
    ・自由主義は具体的なテクノロジーにより脅かされている。

    ◯9章 知能と意識の大いなる分離
    ・自由主義の勝利は人手が必要な政治、経済、軍事すべてにとって合理的だった。しかし21世紀はロボットとコンピュータに人手が置き換わる。
    ・コンピュータは依然意識を持たないが、パターン認識で意識なくとも知能の獲得ができるようになっている。
    ・企業や軍は知能は必要としても意識は必要としない。
    ・人の仕事がなくなるか?人には身体的労働と認知的労働があり、前者は機械に置き換わってきた。コンピュータが後者を置き換えられるようになった場合は、今まで1次→2次→3次産業の職の移り変わりがあったからといった同じことが起こるかは分からない。
    ・神、国家と人は共同主観的なものに所有されてきたものが、次はアルゴリズムになるかもしれない
    ・自由主義はシステムが私自身よりも私のことをよく知るようになった日に崩壊する。人々はキャリアやパートナーの選定ときむた重要な決断を下す時、心理的判断を放棄してデータに頼るようになるかもしれない。

    ◯10章 意識の大海
    ・テクノ人間至上主義: 意識を持たないアルゴリズムに対抗しうるアップデートされたホモデウスをテクノロジーで生み出し、人間至上主義を固持する。
    ・人間至上主義によれば、欲望だけがこの世界に意味を持たせるという。しかしもしテクノロジーにより、欲望を選べるとしたら、何に基づいて選択ができるのか?
    ・こうなってしまうと、欲望と経験に代わりうる候補は情報だ。

    ◯11章 データ教
    ・森羅万象はデータの流れからできている。データが膨大になるとヒトは情報を得て知識とすることができなくなる。よってコンピュータアルゴリズムに信頼をおく。
    ・生き物さアルゴリズムでデータ処理でできているというのが科学界の定説、政治や経済もデータ処理、独裁制は集中処理で民主主義は分散処理。
    ・今日の政治はビジョンを失い視野の狭い単なる管理者になった。良し悪しは別としてファシストは壮大なビジョンがあった。
    ・今日は市場原理に任せれば良いと考えられているが、これは市場にとってはよくても地球の破壊が進む懸念が生まれている。
    ・次たる政治体制は人類ではなく別の者(データとアルゴリズム)になるかもしれない。
    ・もし人類が単一のデータ処理システムだとすると、その出力はすべてのモノのインターネットという、更に効率的な情報処理システムの創造であり、この任務が達成されるとホモサピエンスは消滅する。人はデータ処理システムを構築するプロセッサーに過ぎない。
    ・情報が流れない状態が死となる
    ・人間の経験それ自体の価値は他の動物と変わらなくても、ネットに投稿することでグローバルなデータ処理システムを豊かにできる。だからそこ人間のデータは価値を持つ。

  • サピエンス全史に続く、人類の進化の歴史とこれからの未来を考えるきっかけを与える作品

    ヒトと動物との違い、連綿とした歴史の中でヒトを支配してきた「虚構」やイデオロギーの変遷。
    テクノロジーの進化の歴史とあわせてとこれを検証することで近未来の可能性と私たちのとりうる選択肢を明らかにする。

    自由意思や脳科学の研究にはかねてから興味はあったけれど私の想像以上に進んでいるよう。

    ヒトをアップグレードすることや、それを享受できる人とそうでない人の格差の拡がりは止められそうにない。

    脳に信号を与えて能力を強化したり感情や意思を制御する技術には生理的に不安な感情になり胸がざわついてしまうけれど、すでに意思決定を外部に委ねてきた事実はあるのかもしれない

    古くは神託に、現代はシリコンバレーのアルゴリズムに。

    何が正義であるか、なにが快感であるかも変わっていきなにかに影響を受けていくものなのであれば、その時代の「主義」に深く傾倒することも、「反主義」に傾倒することもなく時流を見定めて、多くの選択肢を知り、手にできるようにしていくことが必要なのかもしれない

    畢竟。テキトーにいきるということ。

  • 人類が科学で何を変えてきてこれから変えうるのかを書いた本

    飢饉、疫病、戦争でなくなる人は現在僅かになっている
    次は不死と幸福と神性を求めるだろう
    歴史を学ぶ目的は私たちを抑える過去の手から逃げることにある

    狩猟時代はアミニズム、農耕革命によって有神論、科学革命により人間至上主義の宗教が生まれた
    主観的現実、客観的現実の他に共同主観的なものがある

    宗教的とは人間が考案したものではないが従わなければならない何らかの道徳律
    宗教も科学も全体では真理を深くは求めない。宗教は秩序、科学は力を求める
    人間至上主義では内なる経験から人生及び森羅万象の意味を見つけ出す

    経験の持続時間を無視してピークとエンドの平均で評価する
    専門性を高めてきた分aiに置き換えやすい
    雇用不能の無用者階級が生まれる
    科学とテクノロジが人類を大量の無用な人間と少数のアップグレードされた超人エリート層に分割する
    テクノ人間至上主義とデータ至上主義がある
    データ至上主義では意思決定はアルゴリズムが行う

  • 「ホモ・デウス 上下合本版 テクノロジーとサピエンスの未来」(ユヴァル ノア ハラリ:柴田裕之 訳)を読んだ。
    「サピエンス全史」は面白かったが、こっちは衝撃的だな。
    『今度は人間を神にアップグレードし、ホモ・サピエンスをホモ・デウスに変えることを目指すだろう。』(本文より)

  • サピエンス全史とかぶる内容もあったが、今回は歴史ではなくこれからの人類について歴史を元にした未来予測をされていた。
    なぜこんなにもリアルに予測することごできるのか。ほれは著者が歴史学者だからなのだ。
    「歴史は繰り返される」と言うが、悪い未来・嫌な未来をこさせないために歴史を知ることは重要なことなのだと感じた。

    人間至上主義で、地球上のあらゆる動植物よりも犠牲にして成長してきた現在から、次の時代はデータ至上主義に入ろうとしている。
    人間の意思決定よりも、あらゆる行動情報を記録したデータに基づく人工知能予測の方が自分が幸せになる意思決定をできる可能性が高い。
    そうなったときに、人間至上主義でほかのものを犠牲にしてきたように、データ以外のもの、つまり我々自身も同じように扱っていくのだろうか?

    という、どこか説得力を感じる問題提起に頭を悩まされた。

  • 神性の獲得,人間至上主義の脱却,テクノ宗教…
    未来思想本としてはどこかで読んだことのあるありきたりな内容でパンピー受けは良さそう。
    前著『サピエンス全史』でハードルが上がってしまい期待はずれ。

  • 2019/6/26読了。世界的ベストセラー『ホモ・サピエンス』の続編。読んでいると、人類の進化と併せてその恐ろしさを感じる。自らをデウスのごときに昇華させるサピエンスが今後何をしでかしていくのか?富むものと貧しいものとの間に、想像を絶する生物学的な格差をもたらすのか?我々人類がどこへ向かうのか戦慄を覚えた。

  • 本書は知の巨人が書いた、化物じみた本であり、あまりに学んだことが多くノートにまとめた要点は16ページに及んだ。

    近年はAIの出現により人間の仕事が奪われるという観点で書かれた書籍が多い。しかし、本書によれば、AIを含めたテクノロジーの進歩により奪われるのは人間そのものの存在価値である。正確には、本書では遺伝子操作、生化学操作、サイボーグ工学などを含めた総合的な視点での科学の進歩について言及している。私達は自らが信じるイデオロギーや宗教観が根本から崩されかねない危機に瀕している。

    しかも、「幸せの追求」という大義名分のもと、私達はそれらのテクノロジーの進歩を称賛し切望している。

    非死で能力を強化された超人を「医療」という体で生み出し、その技術による恩恵に預かれない「人間」という下等カーストが生まれる。

    また、膨大なデータから瞬時に答えを導き出すコンピュータにもはや人間は太刀打ちできないことを本書は事実に基づいて名言している。想像性と芸術の領域は安泰だと思っている方は是非本書を読んで欲しい。

    感情というものが空想の産物であることもまた、私達が今まさに自ら暴こうとしているのだ。もし人間がアルゴリズムでしかないのであれば、もはや生き物ですらないもの以下の存在となる。そして、データに所属すること、つまり自らの生体情報や知識をデータベースに提供することが生きる価値となると著者は言う。嘘だと思うなら、ウェアラブル端末に身を包み、必死にSNSに情報を発信している現代人を想像すれば良い。

    著者が本書に込めたメッセージは、これらの未来を防ぐために「私達はどう生きたいのか」選択する必要があるということだ。

    私は著者という知の巨人と比べてまったくの無知ではあるが、これから生きる上でこの人間の自己矛盾に注意して行動を選択していきたい。

    最後に、本書は哲学書ではなく、科学書であると述べて結びとする。

  • サピエンス全史の続編(?)ということで、利益に走ったのではないかと勝手に思って敬遠していたが、全くそんなことは無く、予想以上に深くて面白く、読み応えがあった。
    内なる単一の自己なんてものは存在しないと皆が思い、生物は有機的アルゴリズムだと考えるようになるならば、人間至上主義はデータ至上主義に取ってかわられる気がする。
    でも、必ず意思決定のための共同主観的な要素は残るので、果たしてその時に科学によるアップグレードは、一握りの価値観がより広く共有される方向と、多様性の共存を実現する方向のどちらに向くのか?

    最近流行りのSDGsとかは前者なのか後者なのか?サステイナビリティという観点でマクロでは単一の価値観を共同主観にしようという試みな気もするし、目指すゴールは後者に近い気もする。

    あと、ESG投資とかではない、旧来からの資本市場は既に限られた範囲内でのデータ至上主義になっているけれど、オルタナティブデータによる投資行動とかがもっと進むと、日常のあらゆる事象が市場の構成要素になって、その金銭的価値が人間自身を上回り、人は単なるデータ元になっていく気もする。
    信用スコアリングとかもそうだなー。信用のアルゴリズムを重視して、自身の欲求(生物の有機的アルゴリズム)を抑えるために薬とか使うのは、人間至上主義をデータ至上主義が上回っていることになるのか?タバコをやめるためにニコチンパッチを貼るのは、人間を有機的アルゴリズムの集合体として扱っていることになるのか?

    何にせよ、こういう観点がおると、ITと生物の勉強はとても面白くなりそう。

    (うーん、感想書きながら思ったけど、もう一回通して読まないと消化しきれてないなー)

  •  『サピエンス全史』で人類のこれまでを語った著者が、本書では人類の現在と未来を語る。話題の本であり、内容については随所で紹介されてると思うので感想のみ。

     知的読み物としては大変面白かった。ただ、本書で初めて知った衝撃的な事実のようなものがあるわけではない。自由民主主義と共産主義とファシズムの関係についての見方はやや目新しく感じたが、薄々思っていたことが明確に示されたという印象だった。ふむふむなるほどと読み進められた。

     将来に関する部分はあくまでも予測だが、決して荒唐無稽なSFのようなものではなく、現状すでに実現している事項の延長線上を見通すとこうなるというものだ。もちろん未来は我々自身が作っていくものだから、このまま進んで予想される未来が望ましくないと考える人が多ければ変わっていくだろう。

  • 内容をまとめるにも、うまく伝えられるかが自信がないという前提で書くと、サピエンス全史を現在から未来へ拡張したような本。筆者はあくまでドライな視点で、希望的観測によるミスリーディングを排除しながら、今後、世界で起こりうる倫理上のジレンマを描き出した。宗教が中心の時代から、自分らしく生きるという、人間中心の時代へ。さらに、人間の判断力を補うAIが人間の判断を代わりにする、ひいては支配するかもしれないという未来へ。

  • 感想を書くにもこれは広範にすぎて再確認したければ再読するか、せいぜいマーカーした部分を拾い読むしかない。とにかく今まで読んできたどんなSFより面白かったのは確か。5年ごとに「サピエンス全史」と再読し、どのように歩んでこれたかを検証できる楽しみが出来た。これがこの値段で手に入れることができる現在はそれこそが幸福だと言える。

  • 人が頭の中で処理することは全て電気信号である。その電気信号は実験により操作可能であることが立証されつつある。
    身体においても、テクノロジーの発達で今まで考え得なかった健康状態の維持や寿命の長さが実現しうる。

    これらの推論を頭に入れておかないと、10年スパンでの世の動きに飲み込まれてしまう。長い期間を念頭に置いた時、自分は何をすべきか?と立ち止まり考えさせてくれる書籍。

  • 「サピエンス全史」を書いた作者の最新作。かいつまんで書くと、上巻が人類による意味の創造と「全ての答えは神にある」とした古代から中世、そして科学の発展とともに「全ての答えは個々人の心の中にある」としたモダンへと至る過程を解き明かす。下巻では今後のこと、つまりはデータ工学、生命工学、サイボーグ工学との連携によるポストモダン的世界観、特にはデータ教による「全ての答えはデータ、AI の中にある」となるであろう人類の今後を批判的立ち位置から予測をしていくといった内容。未来予測としては今のトレンドすぎて近視眼というかちょっと冴えない感じだが、「予測を明確にすることによって、未来を変えたい」という著者の意欲を買いたい。ちょっと時間がないので、またヒマな時に詳細を書き足します。

  • サピエンス全史に続く良書。

    サピエンス全史がこれまでの歴史を振り返り、ホモ・デウスが現在から未来を見通すという作りになっています。

    これを読むと、利己的遺伝子で、DNAが自分を増やすために生物を乗り物にしてきたとの同じで、データが自身を増やすために人間を乗り物にしてきたのではないかという考えが湧いてきます。

    では、データがただ自分を増やすという本質を持っているとすると、今後どうなるのか?これまでは、データは人間がいないと増えることはできなかったのですが、ITの進歩により、必ずしも人間がいなくてもデータは増えることができます。

    これまで、人間はより多くのデータを扱えるものが力をにぎってきました。
    また、データは人間によって増えることができました。
    いわば、増えたいというデータの本質と人間は同じ目的を持って進化してきたとも言えます。

    ここで、データが増えるのに人間が必要でなくなった場合、データの増加欲求と人間の力を求める欲求に乖離が生じます。
    どのような未来が待っているのか、我々はどうしたらいいのか、考えるのに非常に面白いテーマが与えられたと思います。

  • いや、本当にすごい本です。上巻は「現代の社会がそれまで人類を死にもたらしてきた大きな要因である、飢饉と疫病と戦争を首尾良く抑え込んできた」というところから始まる。繁栄と健康と平和を確保した人類が次に目指すものが老化や死の克服、幸福の追求、そして人間を神にアップグレードさせること(ホモ・デウス)を目標としていくという流れはとても分かりやすい。そして幸福とは・・・「幸福は客観的な境遇よりもむしろ期待にかかっている。私たちは平和で裕福な生活からは満足感が得られない。それよりも、現実が自分の期待に添うものであるときに満足する。あいにく、境遇が改善するにつれ、期待も膨らむ。」「私たちの生化学系は、無数の世代を経ながら、幸福ではなく生存と繁殖の機会を増やすように適応してきた。生化学系は生存と繁殖を促す行動には快感で報いる。だがその快感は、束の間しか続かない。」「エピクロスはおよそ二三〇〇年前、快楽を過度に追求すればおそらく幸せではなく惨めになるだろう、と弟子たちに警告した。その二世紀ほど前、ブッダはそれに輪をかけて過激な主張をし、快感の追求はじつは苦しみのもとにほかならない、と説いた。快感は 儚く無意味な気の迷いにすぎない。私たちは快感を経験したときにさえ、満足したりせず、さらにそれを渇望するだけだ。したがって、至福の感覚や胸躍る感覚をどれほど多く経験しようと、私たちはけっして満足することはない。」などはしっかりメモした。そして、サピエンスが世界を支配した理由を「サピエンスだけが共同主観的な意味のウェブ──ただ彼らに共通の想像の中にだけ存在する法律やさまざまな力、もの、場所のウェブ──を織り成すことができるからだ。」と主張する。そして、それを助けたのが書字と貨幣だというところも説得力がある。

    ただ、そこから先は難しかった。人間至上主義というある種の宗教が20世紀を席捲したこと。これをデータ処理とアルゴリズムという観点でとらえること。「資本主義が冷戦に勝ったのは、少なくともテクノロジーが加速度的に変化する時代には、分散型データ処理が集中型データ処理よりもうまくいくからだ。」という文章はとても印象的。つまり、これからはデータ至上主義、アルゴリズムの時代なんですね。GoogleやFacebookのアルゴリズムが本人よりも本人をよく知っている(あるいは知るようになる)というのは容易に予想がつく。そしてそのためにはネットワークにデータを供給し続けることが価値なのだという視点。う~ん。わかるけれども理解しきれないような。確かにそうなったとき、人間の価値って何なのだろう?もちろん筆者はそうした否定的な形で筆を閉じてはいない。「AIが進歩し、ほとんどの分野で人間に取って代わり、人間について、本人よりもよく知るようになれば、大多数の人は存在価値を失い、巨大な無用者階級を成し、人間の人生と経験は神聖であるという人間至上主義の信念が崩れる。一握りのエリート層は、自らをホモ・デウスにアップグレードし、無用者階級を支配したり切り捨てたりして生き残りを図るかもしれない。」と語る。さて、自分はホモ・デウスにアップグレードできる人間側に残れるのだろうか?

全40件中 1 - 30件を表示

著者プロフィール

歴史学者、哲学者。1976年イスラエル生まれ。オックスフォード大学で中世史、軍事史を専攻し博士号を取得。現在、ヘブライ大学で歴史学を教授。『サピエンス全史』『ホモ・デウス』『21 Lessons』。

「2020年 『「サピエンス全史」「ホモ・デウス」期間限定特装セット』 で使われていた紹介文から引用しています。」

ユヴァル・ノア・ハラリの作品

この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。

有効な左矢印 無効な左矢印
トマ・ピケティ
エリック・リース
ウォルター・アイ...
クリス・アンダー...
村上 春樹
劉 慈欣
ジェームス W....
ウォルター・アイ...
有効な右矢印 無効な右矢印
  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×