ホモ・デウス 下 テクノロジーとサピエンスの未来 ホモ・デウス テクノロジーとサピエンスの未来 [Kindle]
- 河出書房新社 (2018年9月6日発売)
- Amazon.co.jp ・電子書籍 (328ページ)
感想・レビュー・書評
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この点の本は下巻よりも上巻の方が面白いという印象があったが、今回ばかりは下巻の方が面白かった。
未来予測系の本を読むと「なんかネットで見たことのある話の寄せ集めだな」と感じることが多い。結局のところ最新技術紹介でしかなく、「だから未来は今よりも素晴らしいです。良かったですね」で終わってしまうのだ。せいぜい今の価値観・仕事の仕方に固執していると置いてかれると警告がある程度。
しかし本書は違う。人間の価値観が技術の影響下にあることを前提に、今の人間至上主義が無くなる可能性がある、と述べている。タイトルにもなっている「神となる人」よりも、こっちの方が重要だと思う。
いつの時代・地域でも、人は今の価値観が絶対で普遍的だと考えてしまう。他の価値観があることを知識としては知っていても、それはまともではないと思いがちだ。昔の人は分かっていなかったから神を信じていたのだろう、と。
だが今の人間至上主義も、国民の質と数が国力に直結する世界だったからこそ生まれたものである。そのためこの先アルゴリズムが進歩し、人の数が力とならなくなった時、人権を守る必要はあるのか。このように話を持っていくから本書は他と違う。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
人類はデータを通して神になる。
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データ至上主義は母体である2つの学問領域にしっかりと根付いている。コンピューター科学と生物学だ。tりわけ生物学が重要。生物学がデータ至上主義を採用したからこそ、コンピューター科学における限定的な躍進が背かを揺るがす大変動になったのであり、それが生命の本質そのものを完全に変えてしまう可能性が生まれた。
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上巻に続いて下巻も購入、上巻よりも太い本、濃い内容になかなか前に読み進めず時間はかかってしまったがその価値がある内容だったと思う。
1番印象に残ったのはやはりデータ至上主義に関する話。現在人間がなによりも重要で主動作を行っているのは人間だが、それがデータにとって変わられ人間の価値が今よりも薄くなっていくというもの。この文脈だけみると「そんなわけない」と思うが、読み進めていくと説得力のある内容に思わず納得させられる。筆者自身はあくまで個人的な予測と述べているが、本当に現実になる日もそう遠くないのではないかと感じた。これからのキャリア選択、人生戦略を考える上で本書で学んだことを内包させて考える必要があると考える。 -
サピエンス全史よりも難しく感じ、読了するのに時間がかかりました。
私たち人間を含むすべての生命はアルゴリズムである。アルゴリズムは私たちのことを、私たち以上に知っているために私たちはもう何も考えなくても良い。
すべての判断を任せていれば完璧な社会になるらしい?
その時、人間の存在の意味がなくなるのだと著者はいう。
人間が発見してきた、さまざまな分野の知能もいずれ統合されそれは人間には手に負えないものとなる。
人間ではコントロールしきれなくなる。
なぜサピエンスはそうなることを目指して進んでいるのか。
誰にも分からない。
サピエンス全史に続き、壮大な内容だった。ページをめくるたびにハッとさせられる言葉に出会う。
同じ著者の21レッスンをすぐに読みたいと思う。
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人間至上主義からデータ至上主義へ。
全てがデータ化され、アルゴリズムが全てを決定できるようになると、人間の感情など不要になる。
現代の「自らの内なる声を聞け」という姿勢はなくなっていくのか。
神すら存在していなかった時代から、神を信じていた時代を経て、現代にいたるまでどのような思想・思考が起こってきたのかを丁寧に掘り返しながら、将来を見据えている。
上巻に引き続き読み応えがあった。
今は過渡期なので、テクノロジーに全てを委ねる気持ち悪さと心地よさを感じる時代だが、10年後には人間至上主義はなくなっているように思う。
最後に筆者が記している3つの問いをどう考えるか。
正解などないけれど、今を生きる中でグッとくる問いかけだった。 -
人類の未来を展望する知的エンターテイメントの下巻である。読み物として楽しめる。しかももしかしたら本当の未来書なのかも知れないという思いに駆られる。
下巻では人類のいわば思想史的な展望である。神に全てを託していた時代が終わると人類はその規範を自分自身の内面に求めた。個人の判断という金科玉条を盾に近代が展開する。そしてそれがデータ至上主義へと進むのだという。それは既に起きている。
個人の判断よりも他人の判断の集積であるビッグデータの方を信用し、結果的に何も考えなくても快楽が得られるような選択をして何の違和感も覚えない。結果的に人類がたどり着くのは何か。問題提起で本書は終わる。
極めて常套的な内容であり、よく考えればあまり新しいことは述べられていない。しかし、それでも読ませる力があるのは圧倒的な用例と筆力だ。いろいろと立ち入ったことを述べながらも本道からあまり反れてはいかない。癖になる文章構成は言葉は適切ではないが大衆的論説文の典型ではないかと感じたのである。