ビューティフル・デイ [DVD]

監督 : リン・ラムジー 
出演 : ホアキン・フェニックス  ジュディス・ロバーツ  エカテリーナ・サムソノフ  ジョン・ドーマン  アレックス・マネット  アレッサンドロ・ニヴォラ 
  • Happinet
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Amazon.co.jp ・映画 / ISBN・EAN: 4907953271296

感想・レビュー・書評

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  • 「少年は残酷な弓を射る」のリン・ラムジー監督。
    なんというか、凄まじく美しい映画だと思った。
    いや画面に映っているのは、中年太りでだらしない体型のホアキンだったり、ホアキンが近所の商店でハンマーを買ったりビニール袋に入れたりする、ひどく散文的(悪い意味で日常的)な画なのだが……少なくとも前半は。
    しかもジョニー・グリーンウッドが手掛けた音楽が、常に不協和音を含んで、音楽だけでなくラジオやら有線放送やら、周りの話し声がニューロティックに迫ってくる。
    この点でどうしても、トッド・フィリップス監督「ジョーカー」や続編「ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ」を思い出さざるを得なかった。
    しかも、「ジョーカー」のアーサーは母と二人暮らしだったが、本作のホアキン演じるジョーも、似た環境。
    母と一緒にヒッチコック「サイコ」の物真似をする……古い映画で結ばれた母子、という点でも、また。(ホアキンが「「キンッキンッキンッ」とアンソニー・パーキンスの真似をするところ、全然脈絡はないが「イージーライダー」でジャック・ニコルソンが「しめられるニワトリ」の真似で「ニカッ、ニカッ、ニカッ」と表現した演技を思い出した)
    過去、虐待、記憶、トラウマ、妄想……「ジョーカー」以前だし別監督だが、やっぱり「ジョーカー」理解の補助線になりそうな作品だと思う。
    話のプロットとしては、ジョーがPTSDに悩まされながら、家出少女を探す探偵というか何でも屋というか……ここでもまた、スコセッシ監督(ただし「キング・オブ・コメディ」ではなく)「タクシードライバー」っぽい。
    少女売春組織のアジトに侵入して、監視を次々殺していく暴力描写は、監視カメラ映像の切り取りで、実に現代的でぞっとした。
    で、その少女……エカテリーナ・サムソノフ演じる、ニーナ。
    その線の細さというか儚さから、リュック・ベッソン監督「レオン」のマチルダを連想したが、いわば「裏レオン」でもある。
    あるいは、タルコフスキーが幾度か作中に登場させた「少女顔」だとも思った。
    ということは、押井守がタルコフスキーの変奏で(自身の娘を重ねて)描いた「少女顔」とも重なって……このへんに、美しさの一端があるのは間違いない。
    しかも、後半に至っては、美しい場面がつるべ打ち。
    ジョーがわけのわからぬ陰謀に巻き込まれて、結果すべての人脈を(殺しによって)唐突に絶たれて、しかも最愛の母を殺したらしき暗殺者と、横並びになって、彼の死の間際の言葉を、手を繋いで聞く……ここで怒りの対象たる暗殺者と、自分とが、重なり合う……赦し合うと言い切ることはできないが、何らかの融和だとは思う。
    思えば本作の冒頭から、父による少年虐待、中年になってからも(兵役で自分と重なる地獄を見たからこそなおさら)フラッシュバックに悩まされ、ビニール袋で窒息自殺を試みるという行動が数回描かれるが、「希死念慮の払拭」もまた、本作の裏テーマだと考える。
    前半で散文的な描写を重ねたからこそ、湖に母を葬る(自分は葬り切れない……ポケットから石を捨てて浮上)詩的な場面が活きるし、
    ニーナを奪還した翌朝のダイナーでの唐突な自殺(妄想)で、精神内での自殺が達成され、一瞬後にそばにいる少女からの呼びかけで再生が描かれる……この美しい終幕よ。
    しかもテーブルと椅子を横から移す画面に、彼と彼女はもういない……原題が「You were never really here」(あなたはもとから存在していなかった)。
    今まで描かれた少女奪還劇はすべて妄想だった可能性を示唆して、しかし悲劇の果てにロードムービーが始める予感だけを示して、修羅の道なのに明るさを感じさせる、凄いラスト。
    もしもニーナがジョーにとっての妄想だとしても、オッサンと少女の魂は被虐待という点で共鳴し合っていた。
    美しい終幕だと思う。
    (ダイナーでのラストという点で、黒沢清「キュア CURE」も連想。)
    にしてもニーナの血にまみれた手の美しさ……これもまた特筆すべきフェティッシュな描写。
    ニーナって作中で数回登場するだけなのに、ポスターなどビジュアルイメージとしては必ずジョーと並べられている。
    この鮮烈さを残しただけでも、本作は意義深い。

    以下、有用な考察。
    https://ameblo.jp/moji-taro/entry-12382101386.html
    https://gensakudaidoku.hatenablog.com/entry/2018/07/14/175726

  • 殺し屋の物語だけどアクションシーンは見せない。男は子供の頃に父親から受けたDVのPTSDがあり、フラッシュバックがたびたび描かれる。今は身を挺して守ってくれた母親を介護する2人暮らし。この設定が異色です。美しい映像や意味ありげなBGMなど、脳に訴える要素が過剰にあります。ヒロインである美少女の出番は本当に少ないのに、その存在感は主人公に並びます。ラストでは、この子は殺し屋に育つに違いないと思う。すでに男に対してもクールで年上の女のようです。本当に会話が少ない(会話といえば母親との会話が1番多い)のに、ハマる妙な中毒性があります。私は高く評価したい作品です。邦題相違。哲学的な原題が的確です。エンドロールの間中、延々と交わされる会話も字幕で知りたかった。語学力の無さが恨めしい。

  • ストーリー (Amazonより)
    孤独な男と全てを失った少女。
    その日、壊れた2つの心が動きだす―
    元軍人のジョーは行方不明の捜索を請け負うスペシャリスト。ある時、彼の元に舞い込んできた依頼はいつもと何かが違っていた。依頼主は州上院議員。愛用のハンマーを使い、ある組織に囚われた議員の娘・ニーナを救い出すが、彼女はあらゆる感情が欠落しているかのように無反応なままだ。そして二人はニュースで、依頼主である父親が飛び降り自殺したことを知る―



    『JOKER』のホアキン・フェニックスが主役なんですが 体格が違うので違う人かと思ってしまった。
    『JOKER』の時は体重を絞っていたのかなぁ...
    深くを語らないストーリーで すごく想像しながら観ました。
    ジョーもニーナも似たもの同士なのかも...
    2人にとって これからの人生が『ビューティフル・デイ』な毎日になればいいなぁと観終わって思いました。

  • YOU WERE NEVER REALLY HERE
    2017年 イギリス 90分
    監督:リン・ラムジー
    原作:ジョナサン・エイムズ『ビューティフル・デイ』
    音楽:ジョニー・グリーンウッド
    出演:ホアキン・フェニックス/エカテリーナ・サムソノフ

    老いた母親と二人暮らしの殺し屋ジョー(ホアキン・フェニックス)に、斡旋屋のマクリアリーから仕事の依頼が入る。依頼主はアルバート・ヴォット上院議員。母親が亡くなってから家出した娘ニーナ(エカテリーナ・サムソノフ)を助け出して欲しいと言う。ニーナはどうやらたちの悪い少女売春組織で働かされているようだ。ジョーは無事任務を遂行しニーナを助け出すが、娘を受け渡すはずのホテルに依頼主の父親議員は現れず、テレビでは彼の自殺のニュースが流れ…。

    筋書きだけだとハード・ボイルド風だけど、実際に映像で見るとあまりそういう感じではない。ジョーの過去と思しきフラッシュバック(父親からの虐待される少年のイメージと、戦場でのイメージ)が頻繁にさしこまれるが具体的な説明はされず、どうやら殺し屋となるまでにジョーには複雑なトラウマがあるようだ、という漠然としたイメージが伝わるのみ。そして確かなのは、ジョーにはどうやら自殺願望があるらしきこと。おそらく老いた母の面倒をみるためだけに彼は生き続けている。

    ホアキン主演で音楽がジョニー・グリーンウッドなこともあり『インヒアレント・バイス』に近い印象。しかし今作のホアキンはヒゲモジャ!今まで口髭程度はあったと思うけど、今回は汚らしいサンタみたいなヒゲ(言い方)、そして引退したプロレスラーのような体型。どの映画を観ても、毎回ホアキンは別人なのすごい。

    さてそんなホアキン演じるジョーに助け出されたニーナちゃんは、透明感あふれる美少女。年齢は日本人から見ても14~15歳にしか見えないので、もしかしたらもっと若いのかも。演じたエカテリーナ・サムソノフは名前からしてロシア系かしら。ジョーがみつけたときのニーナは、まるで意志のない人形のような状態で、もしかして何らかの薬物を飲まされていたのかもしれない。そしてせっかく助け出したのに、パパの自殺に驚いてるところへ悪者が乱入、ニーナちゃんはまた連れ去れてしまうのだけど、そのときはっきり彼女はジョーに助けを求める。

    ジョーはとりあえずこの仕事を自分に斡旋してきたマクリアリーに電話するも出ない。オフィスに出向くと案の定、そこには彼の死体。ジョーの元相棒も殺されて、もしやとジョーは急いで帰宅してみるが、やはりそこには母親の遺体…。母親を殺した二人組がまだ家の中をうろついていたので、ジョーは一人を殺し、瀕死の一人に尋問する。何が起こっているのかと、母親を殺したのはお前か、と。

    この瀕死の男から、ジョーはおそるべき真相を聞かされる。ニーナの父ヴォット上院議員が支持している州知事ウィリアムズ(現在再選選挙中)には少女買春の趣味があり、偶然にもニーナは彼のお気に入りだった。ジョーがニーナを連れ戻したことで、ウィリアムズがニーナの父議員を自殺に追い込み、ジョーの関係者を次々殺してニーナを奪っていったのだ。

    さらに瀕死の男は言う、母親は殺した時、眠っていたと(つまり怖がらせたり苦しめることはなかったと)そしてラジオから流れてくる曲に合わせて男は歌いだす。母を殺した男の隣に横たわり、一緒に歌を口ずさむホアキン。奇妙な場面だがこれがとても美しかった。どちらも誰かに使い捨てにされる底辺の男、死の間際の二人に生まれる奇妙な連帯感。

    ジョーは母親の遺体を湖に沈めにいき、自分もついでに溺死しようとするが、ニーナの幻影が彼を引き戻す。蘇ったジョーはウィリアムズ議員を尾行し、ニーナが監禁されていると思しき屋敷をつきとめる。ウィリアムズをぶっ殺す気まんまんでニーナを探すジョーがみつけたのはなんと…首をかっきられたウィリアムズの死体。ニーナは自力で彼を殺害したのだった。

    逃げ延びたジョーとニーナは、ダイナーで朝食を食べている。ニーナがトイレに立つと、ジョーはおもむろにピストルで自分の頭を撃ち抜き、突っ伏す。……「起きて」と戻ってきたニーナがジョーをつつく。起き上がるジョー。ピストル自殺は彼の妄想(願望)だったのか、あるいはありえたかもしれないもうひとつの結末だったのか。どこへ行こうか二人は相談する、とくに行きたい場所はない。でもとりあえず外に出ましょうよ、こんなにいいお天気(ビューティフルデイ)なのだから、とニーナ。すべてを失った孤独な二人、死んだように生きてきた二人が再び生きはじめたラストシーンがとても良かった。

  • う〜む。思ってた感じの映画ではなかったかな…
    「レオン」みたいな感覚の作品かなぁ と期待したけど 暗く救われない 陰鬱な形ばかりが大半を占めていたし、過去の殺しの場面を思い出したり 多分 自分の幼い時に父から受けた虐待?
    悩み苦しみ 殺し屋なのに死にたい願望が、ずっと自分を覆っていて、
    自分の犯した場面の一部が何度も何度も繰り返し、瞬時に映像に現れて内容がよく入ってこなかった。

    ストーリーは
    「ザ・マスター」「ウォーク・ザ・ライン 君につづく道」などの実力派俳優ホアキン・フェニックスだからこそ期待し過ぎてしまったかも。
    「少年は残酷な弓を射る」のリン・ラムジー監督だったし…映像は淡々とした中にいい情景があったものの内容的に あまり上手い構成とは思えなかった のが、残念(・_・;
    第70回カンヌ国際映画祭で男優賞と脚本賞をダブル受賞したクライムスリラーらしいが…。
    トラウマを抱え、年老いた母と暮らす彼は、行方不明の少女たちを捜し出す報酬で政治家の娘ニーナを捜してほしいとの依頼が舞い込み実行する…しかし見つけ出したニーナは、怯える様子もなく人形のように感情を失っていた。やがてニーナはジョーの目の前で再びさらわれてしまい…その辺りも あまり内容が伝わらなかった
    ラストの2人の物語は今から始まるんじゃないのって感じで終わってしまった (T . T)

  • 死の欲動にとらわれた雇われ殺し屋。

    彼は自分を取り戻すために、殺しを繰り返す。

    しかし、救うべき相手に先を越される。

    おまけに、救いの手まで差し伸べられるはめに。

    この偶然が世界。世界がすべてロジックでできて
    いるのなら、今頃とっくに人間は滅びている。

    とはいえそのことをすごくロジカルに語ってい
    るのが本作。

  • こんな殺し屋役のホアキンって見たことないなぁ〜とても良い役者さんだからか「マスター」とも「her」とも全然違っててすごく新鮮な印象を受けますね。
    ホアキン自体も白髪がかなり混じったヒゲで恐らく50歳前後の役柄だろうに母親は80歳くらいだろうか…やっぱ米国でも介護の問題ってかなり根深い社会問題になってそうだよね。ミヒャエルハネケ監督の作品で「愛アムール」ってのが有るけど、あれは長年愛し合ってきた老夫婦の妻が痴呆症になって夫が誠心誠意彼女に尽くした結果、ついには妻を…って話だったけど、やはり日本が世界に先駆けて迎えている高齢化問題って深刻な問題なんだって考えさせられちゃいますね。
    何か生きる目的を見失ってしまったような…街にいても人に会っていてもずっとそんな感じに見えますね。それにクローゼットでのあのビニール袋被ってのあの行為にどんなトラウマが隠れているのかな…
    まだほんの12,13歳の或いはもっと若い女の子を抱こうとするその欲望って何なんだろうな〜ペドフェリアって病気扱いなのかな…それとも先天的な趣向や性向見たいなもんなの?
    米国の知事には自身の性向を隠すためにSPとか警察とか政府機関の人間を動かしたり出来るほどの権力があるんだろうか?不思議でならない…
    母親の復讐とはいえ、自分が撃って正に瀕死の男と並んで寝そべって会話をするってどんな気持ちになるんだろうな…彼の最期、手を繋ぐその行為には、何かの手向けであったりするのかな?死にゆく彼の魂に寄り添ったという事かな…こういうのはやはりキリスト教的な価値観をもとにした行動なんだろうか?解釈が難しいですね。
    母親の葬う日、明らか何か映像に違いがある。光に溢れているのだ。父親からDVを受けていた母親。その母の辛いところを見てはならじと幼心に自信に課した戒め…そのトラウマから解放されたようだった。湖で亡き母とともにこれまでの自分も一緒に死んだんだな…そして彼は再生したように感じた。少し表情が虚に見えたけど、これから自分が何をすれば良いのか、推敲しているようだった。目に力があった。

    ラストシーン、とても良かったです。
    自殺のシーンはあまりの結末に正直驚かされてしまった。すぐにこれが終わりじゃないのはわかったけどね。あの子が帰ってきて安心しました。

    自分たちがいくら哀しみをまとって追い詰められていても、
    行く先の当てもなく、これからどうすれば良いのかすら分からない状態であっても、
    一歩外に出たら、そんな彼らなんてまるで無視するかのように
    太陽がまばゆい光を燦々と照らし、そよ吹く風が気持ちいい…
    そんな何万年何億年と続いてきた様になんら変わらないありふれたの時間が流れている…
    だから、外へ出て歩き出せ!って言いたかったんじゃないかな。
    良い映画だった。ラムジー監督、流石です(笑)

  • 「21世紀の『タクシードライバー』」と評していた評論家がいたので、観てみた。

    ホアキン・フェニックス演ずる主人公の殺し屋が、あどけない少女専門の変態売春組織からヒロインの少女を救い出す話だから、骨子は『タクシードライバー』と似ていなくもない。ニューヨークが舞台な点も同じだし。

    が、本作の主人公には、『タクシードライバー』のトラヴィス(ロバート・デ・ニーロ)のような共感できる要素がない。また、『タクシードライバー』にあったペーソスやユーモアもない。ひたすら暗い、陰々滅々たる映画なのである。

    あと、殺し屋と美少女の物語ということで『レオン』を思い出す向きもあるだろうが、あれともまったく違う。あんなに甘ったるい物語ではないのだ。
    本作の殺し屋と少女の間には、『レオン』のジャン・レノとナタリー・ポートマンにあったような心のふれあいは、ほとんどない。あっても一瞬「かすった」程度。

    それに、アクション・シーンの痛快さもない。そもそも、主人公は銃をほとんど使わず、そこらへんで売っているフツーのカナヅチを武器に、なんとも無造作に敵を殺すのである。
    頻出する撲殺シーンは血なまぐさく陰惨で、カタルシス皆無。

    ……と、いろいろケチをつけてしまったが、けっして駄作ではない。映像はスタイリッシュで美しいし、カンヌ映画祭で脚本賞を取っただけあって、ストーリーはよくできていて独創的。
    それに、ヒロインの「心が死んでしまった」虚ろな目の美少女を演じたエカテリーナ・サムソノフが、まがまがしい色香を放って強烈な存在感!

    ただ、『タクシードライバー』や『レオン』のような映画を期待すると、肩透かしを食うので要注意。

  • TVにて
    リンラムジー監督は映像がはっとするほど美しい.場面場面が切り替わり過去と妄想が現実に混ざり合い,凄惨な殺しの場面が多いのにそこにも美しさがある.ホアキンフェニックスも肉体改造してるのか存在感がすごい.

  • 美しさは、幸福や尊厳に頓著しない。
    あるいは、凄惨や絶望にのみ顕れる美しさがある、と言い換えてもよい。

    この映画は、映画の、その映像の連なりとしての美しさに焦点を当てた作品だ。
    だから、美しさに値しないものは映されないし、考慮もされない。

    子どもの頃にうけた虐待のトラウマを持つ主人公と、親に売られて売春宿で扱われる少女。
    本来ならば、その関係性はあふれんばかりの人間性を込めた台詞や、幸運と奇跡、それに映画的説話によって修飾され、彩られるはずだ。
    しかし、この作品は、それらを全て剥ぎ取ってしまう。剥き出しにして、それでも生まれる、生まれてしまう、窮めて原初で、何より純粋な美しさを描いている。

    「今日はいい天気よ」

    そう、この映画の空模様は、劇内の心情を代弁しないのだ。だからこそ青空は、青空が常にそうであるように、一切の現実から超越し、唯々あおく美しく輝く。
    この一言を邦題にした訳者は、中々に粋なことをやってのけたと言えるだろう。
    (原題:YOU WERE NEVER REALLY HERE)

  • 闇社会での人探しを生業とする元軍人の男が市長から依頼を受けて、娼館に囚われていた市長の娘を助け出すのですが、そこから大いなる陰謀に巻き込まれるというストーリーです。最初は年老いた母と共に生活する主人公が少女を助け出した後から、あっという間に陰謀に巻き込まれていき、伏線もなくアッサリと物語が終わるという印象でした。

  • 評価が高い映画のようだが、私には全く理解できず。ホアキン・フェニックスの存在感は凄いが、それと映画が面白いかは別問題。

  • 途中からの中だるみ感

  • はっきりとした説明はない。過去に傷ついた男の現実と妄想が、たち現れては消えていく。それでも彼から目が離せない。痛々しくて美しい映画。ホアキン・フェニックスが素晴らしい。とても魅力的な俳優になっていて。

  • 元軍人のジョー(ホアキン・フェニックス)は、行方不明になった少女たちを捜した報酬で生計を立てる一方で、殺し屋の顔も持つ。年老いた母と一緒に暮らしている彼に、政治家の娘ニーナを見つけてほしいという依頼が舞い込む。やがて発見した彼女は感情が失われていて、連れ出そうとした矢先にさらわれてしまう。

    時折美しいシーンで惹き付けますが、アクションは事後シーン中心で臨場感がないですし、意味深なシーンをだらだらと繰り返す展開で、正直退屈。奇をてらった演出が裏目に出ている気がします。

  •  行方不明者を探す仕事をしている男に上院議員の娘を探してほしいという依頼があった。冷酷な暴力で事件を解決しかけた男だったが。。。

     静かな暴力の映画。残酷な絵はほとんどない。それがあったかさえ見過ごしてしまいそうな感じで静かに淡々と冷酷に暴力が行われていく。
     そこには男の深い絶望や虚無がありそうだが、ホアキン・フェニックス演じるこの男、いちいちやることが絵になる。自殺しようとして、スーツに着替えて湖に歩いてブクブク入ってくとかありえないレベルに絵になっていた。
     この映画と『ジョーカー』の間には公開で2年の時間があるんだけど、ホアキンすっごい痩せたなぁ。

  • 非常に業の深い作品。哲学的なスリラーといった感じ。
    フラッシュバックする過去のシーンや罪悪感無しに突然理由もよくわからずに人を殺めたりするシーンが多いのでホラー、スリラー系の話がだめな人はちょっと無理かもしれない。話の構成作りこみよりもアート色が強い。
    この作品に込められた真意を読み解けて居ないのだと思うけどPTSDと自殺願望の自傷シーンが多くてアートとしてもバランスのいい作品とは感じなかった。

  • 正直つまんなかった、寝てしまうぐらい。

  • アクションシーンを
    ばっさりカットした『レオン』。

    と、簡単に説明するとあっさりしてしまうが、
    主人公の苦悩が入ってきたり、
    殺し屋なのに、アクションシーンが無いことが
    余計に強く、残忍、恐ろしい。。。

    最終的には、主人公が格好良く思える。
    不思議で大人で、深い。

  • 主人公救われろ〜と思いながら見てたけど最後までかわいそうな感じ。

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