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感想・レビュー・書評
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東浩紀の否定神学批判は思弁的実在論の先取り。物自体(カント)にはアクセス出来ないが、その不可能なものに支えられて主体が組織化する。(否定神学システム)
その不可能なもののさらなる外部、もうひとつの外部を探求する試み。
思弁的実在論は「ままならない外部性」を扱うもの。(千葉雅也)
人文学の本質を解釈によって他者を多様にすることとするならば、それに対して思弁的実在論は、そもそも解釈しようのないものが圧倒的なレベルで存在すること。
哲学の歴史において「素朴な物質性」に直面することは、不可能なものに直面することという別な問題にすり替わることが反復されてきた。人間の主体性を規定している世俗的な物質性を、その外部性を維持したまま哲学的な言葉でどう語るのか。それが東浩紀の著作に一貫している思想。
身もふたもない物質性に問題をしぼっている。
なぜ東浩紀が聴衆の前で話すのか、それは哲学は不可能なものに直面すべきだと主張しながら、哲学をしてる限り不可能には絶対直面できないから。
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