「死」とは何か イェール大学で23年連続の人気講義 [Kindle]

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感想・レビュー・書評

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  • 道徳、哲学、倫理の専門家の著書が大学で講義をしているような感じの内容でした。

    哲学は理解するのが難しいし、死というテーマは重かったですね。

    死ぬという事が悪いというイメージがあるが 不死は良いものだろうか?
    身体が不自由になってても いつまでも生きていたいと思えるか?
    そうではない。
    皆死ぬのだから 悪ではないが あまりにも早すぎる場合には 死は受け入れがたくなる。

  • 最近読んだ本「WHO YOU ARE」で、武士道について章があり、緻密な文化のはじまりは「死」だった、武士道はなぜ日本社会にこれほど深く浸透したのだろうか?それを一言でいえば「常に死を意識していた」ということだ、との記載があり、「死」について興味を持ち、読み進める事とした。
    哲学的に「死」について、記されており、いずれの講義も興味深く考えながら、読み進めることが出来、「死」について様々な観点から理解を深める事が出来た。

  • 哲学書というのかな。
    この手の本はあまり楽しく気持ちよく読めた記憶がない。
    テーマがおもしろいので気まぐれで読み始めてみたものの、半分程度で挫折。
    哲学書というものは私にとって、とかく分かりづらく、回りくどく、難解で。
    当たり前のことを回りくどく書いているだけに感じる一方で、
    作者の脳内の思考の癖に取り込まれて胸焼けを感じ始め、
    そのうちに自分が何を読まされているのか分からなくなり、
    気持ち悪くなって読むのをやめてしまう。
    いつもそのパターン。
    どんなにテーマが面白くても、やはり哲学本は私には向いていないようだ。

  • 誰も逃れることはできない、「死」。
    しかし、この問題に正面から向き合わないままう、長く人生を過ごしてしまったと、反省しています。
    そんな、「死」をテーマにした本が話題になっていると知って、読むことにしました。
     
    本書は、著者がイェール大学で講義している内容をまとめた書籍とのこと。
    原著では、前半が形而上学、後半が価値論というテーマに分かれており、後半のみが日本語訳として出版されたそうです。
    本書は9つの講義に分かれています。

    まず冒頭で、本書は死にまつわる実務的な内容を記したのではなく、哲学の入門書として書いたと定義しています。
    そして日本版では割愛された前半部分について、要約を紹介しています。
    その上で、おおくくりで以下のテーマについて、本書で考察しています。

    ・死というものをどう捉えるべきか
    ・死とは悪いことなのか
    ・逃れられない死を前提に、どう生きるべきなのか

    これらのテーマについて、一般的に話題に上ることの多い主張を取り上げ、その真否を著者が検討していく、というスタイルで進んでいきます。
    概念的な記述なのですが、文学作品を含め具体的な事例を挙げて解説しているので、個別の記述については、自分にも理解することができました。
    ただし、「こういう場合はどうだろう?」という提議が繰り返されていくので、正直なところ読みはじめてしばらくの間は、頭がこんがらがってきました。

    それでも、積み重ねられた考察を読み進めていくうちに、著者の「死」についての考えが、感覚的にも、論理的にも納得のいく内容だなあと、思えるようになりました。

    特に、「死はなぜ悪いのか」に対する著者の見解は、これから人生を歩んでいく上で、自分自身の指針になりそうだなと、感じました。
    死に限らず、なぜ恐れや不安を感じるのか、どう対処したら良いのかといった”感情”についても、教えてもらえました。

    読むタイミングによっても、受け取り方が変わりそうなので、人生の節目と感じた時に、読み返していきたいと思います。
     
    「死」に関係する本;
    『モリー先生との火曜日』ミッチ・アルボム
    https://booklog.jp/users/makabe38/archives/1/B009QW63C2

  • 難解で長い。

  • 2023.1.11
    ★死とはなにかという普遍的な問いに向き合った哲学らしい哲学。ただし哲学は人間の悟性を根拠として、思考実験などを使って前提を積み上げていくものであり、そもそも人の認知や知識の限界と個人間のぶれがあるなかでは個人の思い込みの寄せ集めにしかならない。

    死は一巻の終わりであり、魂は存在せず、死ぬと存在がなくなる物理主義を前提とする
    死はなぜ悪いのか。A別離があるため本人ではなく周りのものにとって悪い(ただしこれだけならば一生会えない別れと死は同等の扱いでなければならない)、B死ぬプロセスが苦痛であるから、C死が恐れを生むから、D非存在自体が悪であるから、E死が生を楽しむ機会を剥奪するからの5つが考えられる。著者はAは事実だが中心的ではないとする、Bは可能性が低く恐れるのが合理的とはいえない、Cは死が悪であると言えて初めて恐れられるので中心的とは言えない、Dは存在するかもしれなかった生命は無数に考えられそれに対する同情ができない以上は誤っているとして、Eの剥奪説を採用している。★個人の死、そして社会の消滅は生きていることの価値や意味を否定しうるから人は恐れるのだと思う。そもそも善と悪というのは人間が作った価値判断で死はそれすら意味を失わせるのであり、死に対する価値判断をしようとする試みからして不適当。
    不死は善か。不死は生き地獄と紙一重であり、不死ならば何をするかという思考実験の結果は永遠の退屈である。天国は永遠の生であると多くの宗教が語るがその詳細は描けていない。不死は福音ではなく災厄である。ただし、人生を十分に楽しめるだけの長さが人間に与えられていない、つまり早くに死にすぎるという問題がある★不老社会が来たときには死の恐れがなくなるのかというとむしろ強くなると思う。本質的に人類文明や地球、宇宙自体が滅ぶ運命であり個人の不老は諸行無常の真理を克服できるものでないから。
    人生を生きる価値はなにか。快楽と苦痛をベースとしつつも、マトリックスのような快楽装置を想定したときにそれは実績がないため個人的には利用したくないためそれ以上の何かがあるのだと著者は言う。価値についての結論は留保しつつ、少なくとも価値が高いか低いかは判断できることを主張。体験自体とは別に生きることそれ自体に価値があるのかも検討しており、ニュートラルな器説、価値ある器説(控えめな器)、価値ある器説(夢のような器)の3つの中から著者は生きているよりも死んでいる方がましであることがありうる前者2つの立場をとる。
    自殺については生きているよりも死んでいる方がましであることがありうるという立場から、場合によっては合理的でありうるという立場をとる
    道徳哲学の考え方には①功利主義、②義務主義、③同意条件を考慮した義務主義がある。①は最大多数の最大幸福こそが道徳的であるとする立場、②は罪なき個人に害を及ぼすのは絶対に許されないとする立場、③は判断力がある個人による理由のある同意がある場合を除いて罪なき個人に害を及ぼすのは許されないという立場。一人の健康な人がいてその人を殺して臓器移植することで5人の患者が救うことが①だと許されてしまい、不道徳であると言うためには②③である必要がある。戦場で他の5人を守るために自らを犠牲にする行為が道徳的であるためには③が必要。

  • ・人間は魂のない機械である
     筆者の立場は物理主義だ。物理主義者は魂という非物質的なものを認めず、人間=身体であるとみなす。心は身体が持つ能力の一つにすぎず、身体とはそのような機能を持った驚くべき機械なのである。この立場において、死とは身体機能が壊れることであるという結論になる。そして死ぬと人間は存在しなくなるのだから、死を恐れるのは合理的ではないという主張もなされる。
     本書を手に取る上で念頭に置かなければならないことがある。それは、この本の想定読者層は日本人ではなく、熱心なキリスト教徒の欧米人であるということである。そのため魂の問題を冒頭で大々的に取り上げるのだが、正直その話題は日本人にとって重要ではないのではなかろうか。かくいう私も全く関心がない。しかも「死とは身体が機能しなくなること」という結論も至って平凡で面白みに欠ける。死に関する突飛な主張を期待するのであれば本書はお勧めできない。

    ・不死は悪夢、自殺は容認、死だけが固有のものか?
     筆者は死に関する一般的な言説を取り上げ、それに詳細な批判を加えるという手法を頻繁にとっている。不死・自殺・死の固有性を例にとって説明しよう。まず不死についてだ。不死はお金持ちたちが求めてやまないものとして古今東西賛美されるが、よくよく考えてみればそれは圧倒的な退屈が襲いかかる悪夢でしかないことが判明する。次に自殺について。自殺は不道徳で異常な行動だとみなされがちだが、人生の質が低下の一途を辿る状況では容認される。最後に死の固有性について。死は当人に固有のものであるということはよく取り上げられることであり、それは事実である。しかしそれは死にのみ当てはまるものではなく、自分の行動はどれも代役が効かないものなのだ。だから死が当人に固有のものであり、そして死ぬときは孤独であるということは、死の本質的な特徴ではない。
     個人的には、この死の一般論に対する批判が本書の白眉だと思う。そして死の固有性を重要視する意見への簡潔で的を射た批判は素晴らしい。西洋哲学では死の固有性が重要視されており、特にハイデッガーは『存在と時間』において真の自己に目覚める契機としてこれを用いている。本書は原著冒頭の形而上学的な考察を省いているので推測になるが、筆者はハイデッガーに対しては批判的な立場をとっているのだろうと思う。

    ・存在可能な人間の数についての思考実験、それから仏教
     死が悪いものであるか否かという点で、筆者は剥奪説という立場をとる。この説によれば死が悪いものであるのは、生きていると得られる良いものを奪われてしまっているからである。つまり死は生と比べて相対的に悪いのである。さらにこの結論を敷衍すると、生まれていない人間も機会損失をしてしまっている事になる。そこでこの意見を検討するために、筆者は存在可能な人間の数を数える思考実験をする。結果的に三世代まで計算するとその数は全宇宙の粒子の数を上回ってしまうことになってしまう。(p.140)
     この思考実験自体はとても面白く、本書の面白さ(瑣末な問題を論理的にこねくり回すこと)を端的に表している部分である。しかしその面白さと問題の瑣末さは表裏一体なのである。さらに筆者の価値観には、キリスト教的・聖書的な世界観が深く浸透している。この世界観においては、人生は神から与えられた良いものであるという楽観的な見方が支配的になってしまう。しかし日本に浸透している仏教の無常観においては、人生は前提として苦に満ちたものであり、死はその苦しみからの救済という側面を持ち合わせている。つまりキリスト教的な見方と仏教的な見方は、その人生観において根本的に相容れないものなのである。だから無常観を受け入れている立場からすると、筆者の見解はどれも瑣末な問題にしか思えてならない。

  • 死について知見を得た

  • 面白いというか、これはこの本を読んで、自分でも考えてみるきっかけになる本。著者の結論には自分は共感している。面白いなって思ったのは、直感的に、共感しているが、それを説明しようと思うと、この本のようになるんだなって思ったこと。直感や感覚で正しいと思うことも、理由をキチンと説明しようと思うと、簡単にはできず、理屈を厳密にやろうと思うと、この本の状態になり、それでも説明しきれないということ。で、それが哲学なんだろう。

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著者プロフィール

イエール大学教授。道徳哲学・規範倫理学の専門家として知られ、着任以来二十数年間開講されている「死」をテーマにしたイエール大学での講義は、常に指折りの人気コースとなっている。本書は、その講義をまとめたものであり、すでに中国、韓国をはじめ世界各国で翻訳出版され、40万部を超えるベストセラーとなっている。

「2019年 『「死」とは何か イェール大学で23年連続の人気講義 完全翻訳版』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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