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感想・レビュー・書評
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「自由からの逃走」で有名なエーリッヒ・フロムの著書。愛を技術であるという前提のもと、その知識や努力の仕方について考察している一冊。たいていの人は愛を、愛する能力ではなく、愛される野力として捉えている。つまり、人々にとって重要なのは「どうすれば愛されるか」「どうすれば愛される人間になるのか」ということである。しかし、著者は愛を技術と捉え「どうすれば人を愛せるようになるのか」という能動的な活動であると述べている。
まず愛の種類について議論されている。親子の愛(父性愛、母性愛)、次に異性愛(LGBTQ+の世代には違和感があるが)、そして自己愛、最後に神への愛である。それぞれにおいて、愛とはどういうものか、その根源や特徴を分類している。
次に西欧社会、資本主義社会における愛の崩壊である。西欧社会では人間関係が崩壊し、ロボットのように扱われ、お互いに孤立した状態に追い込まれている。そこでは孤独感や疎外感を紛らわすために、愛ですら交換可能な資源と捉えられ、消費されている。この愛の形は、現実の苦しさや孤独感をやわらげる麻薬のはたらきをしている。
では、愛の技術をどのように磨けばいいのだろうか。愛することは個人的な経験であり、自分で経験する以外にそれを経験す方法はない。どんな技術であれ、それに熟達したかったら、自分の全生活をそれに捧げなければならない。少なくとも生活全体を愛の習練と感れづけなければ、身につかない。
愛の技術の習練には「信じる」ことの習練が必要である。この「信じる」は、自分自身の経験や自分の思考力・観察力・判断力に対する自身に根ざしているものである。ある権威や多数の人々がそう言っているからという理由で何かを真理として受け入れることではない。自分や他人を「信じている」ものだけが愛することができる。自分は将来も現在と同じであり、自分の予想通りに感じ、行動するだろうと確信をもてるからこそ、他人に対して誠実になることができる。
そして「信じる」ことには、勇気も必要である。安全と安定こそが人生の第一条件だという人は「信じる」ことができない。防御システムをつくりあげ、そのなかに閉じこもり、他人と距離をおき、自分の所有物にしがみつく。自分で自分を囚人にしてしまう。信じることは、思い切ってジャンプし、大事なものに全てをかける勇気が必要である。
著者は結論として、次のように述べている。「愛するということは、なんの保証もないに行動を起こすことであり、こちらが愛せばきっと相手の心にも愛が生まれるだろうという希望に、全面的に自分を委ねることである。愛とは信念の行為であり、わずかな信念しか持っていない人は、わずかしか愛することができない。」と。
私は、家族はもちろん、友人、同僚と交際し、信頼を気づく行為はまさしく愛するということであると思う。個人の意思やチームワーク、多様性のある社会など人間関係の重要性がますます増している現代には、愛する技術が必要だと考える。 -
記録
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ちょうど3年前に読んだものを再読。人間がいかにして個人的な生活を超越して他者と一体化を得るか、というもっとも強い要求への答え。同著「悪について」も読み切れていないので再読したい。
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哲学的で、はじめは読みにくいなーと思っていたけど
ところどころいい言葉あった
一人でいられるようになることは
愛することに必要なことのひとつである
愛は信念の行為だ! -
エーリッヒ・フロムは、好きな哲学者の一人です。
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二度三度読むことで感じ方や得るものが変わる本だと感じた。
信頼には信頼、愛には愛でしか返せない
与えることは失うことや犠牲になることではない。人間は本来与えることで喜びを感じる生き物。
人を尊重するにはその人のことを知らなければならない。愛とは愛する者の生命と成長を積極的に気にかけることである。
あらゆるタイプの愛の根底にあるもっとも基本的な愛は兄弟愛である。つまり、あるゆる他人に対する責任、配慮、尊重、理解のことでありその人の人生をより豊かにしたいという願望
人生は自分の人間としての能力をより大きく開花できるような機会を与えてくれると言う意味においてのみ価値があり、能力の開花こそが真に重要な唯一の現実であり計画的関心の唯一の対象なのだ。
東洋では昔から人間にとって精神的に良い事は快いものでなければならないと考えられていた。 -
二十数年ぶりに再読。
フランス革命の掲げた理想である「自由、平等、博愛」。フロムは、その「理想」に、一石を投じているように思える。言ってみれば、近代社会のよって立つ基盤に対してだ。人々は、本当に「自由」を求めているのか?(自由からの逃走)。愛とは、求めて得られるものなのか?いや、自ら与え、でも、出しゃばらない、こちらの成熟が求められる技術なのではないか?(愛するということ)。
書かれた言葉の「理想」って、本当なの?神経症で悩む人々を診ていた精神分析家の立場から、そんな思いが出てきたのかもしれない。
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人と接したいと思えなくなる度に読み返す。
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「愛は技術だ」という主張から始まるこの本は、現代人の愛に対する考え方に新しい視点を吹き込む、大事なことを気づかせてくれる一冊。
心に残ったのは2点。
1点目は、人間の特性の一部は親をはじめとする周りの人とどのように関わってきたかによっての反映になっていて、幼少期に欠けたものを大人になっても追い求めると言った話に近いような話。人間が精神的に成熟するのは様々な要素があるけど、その中で父母の愛があったかどうかという観点は面白いし、確かにそうだなと思う。これは自分がどうかを知るというより、自分が子供を育てる時に思い返したい内容だなと思う。母の、献身的な見返りを求めない愛と、自分から離れていくことを受け入れて、ただ幸せを願う愛という複雑な形を担っていかなければならないってのは、本当に難しいことだと思うし、自分の母親がまさにそのような葛藤の中で苦しんでいたのを感じ取っていたから、改めて母親に対する尊敬の念が高まった。
2点目は、今の市場原理においては愛は含まれず、愛からすれば行き過ぎた市場原理は歪みになってしまう。
人間は、生産し、消費することが無意識的に目的であるように植え付けられている。これは市場原理の等価交換的なシステムと、そのシステム上で動く経済によって強力に縛られていて、それによって生み出された公平性という倫理観と共に、絶対原理だからである。人間の活動は全て経済に関わるものでないといけないように感じてしまうし、普段の関わりも交換原理をもとに考えてしまっているけど、愛は公平性とは異なり、与えるものであるということ。ここを履き違えていると、表面的な付き合いしかできずに、真の愛にたどり着くことはできないということ。
愛とか、聖書とか、非科学的な内容と思って敬遠したくなる人も多いと思うけど、内容は極めて真面目に論じていて、共感することもとても多かった。知人におすすめしたいお気に入りの一冊です。 -
自分の内にある信念や意思や決意に基づいて自分自身はもちろん他者の個性も失わず、従属でも支配でもなく統合に向かって行動することが愛なのかな
後半の習練のはなしは愛だけに限らず学ぶ姿勢として共感が持てた
理にかなった信念を持って行動していこう
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「愛するということ」。
この大層なタイトル・・・
「愛は技術である」という主張。「恋に落ちる」ように、先天的に、まっとうな対象が現れれば愛は簡単に実現する、ということが勘違いであるという主張は本当に目から鱗という気持ち。
ここ数年で読んだ本で一番刺さりました。
正直、かなり面白かったです。
この本が50年以上前に書かれているという事実・・・
文体がそれで、多分新フロイト派?ということで哲学者の話も入ってきて若干読むの大変ですが、読み飛ばしながらでもぜひ読みたい一冊です。