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Amazon.co.jp ・電子書籍 (212ページ)
感想・レビュー・書評
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「空気」というテーマで1冊の本が書けるというのはとても興味深かった。「空気」に対して「水を差す」という表現もまた面白い。日本人がいかに空気を醸成して、空気に支配されるのかというのを、数々のエピソードや考察で解説されているため、「空気」に対して意識的に考える良い機会になった。一方で、空気がいかに醸成されるのか、その場の人間同士の関係性や議論の運びなどという観点、もう少し考察があると、納得感がありそうだった。
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「失敗の本質」を読んだ頃に、日本軍はなぜ無謀とも言える攻撃をするに至ったのか、について書かれている本と知り、メモしてあったので思い出して読んだ。昨今のSNSでの誹謗中傷は、以前からあった日本人の心の根底にある心の持ち方によるのかもしれないと思った。
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日本人の社会の中に存在する「空気」と「水」。「その場の空気」というときの「空気」について、それがどのようにして出来上がるのか。そしてそれを霧散させる「水を差す」ときの「水」とは。本書ではあの太平洋戦争の敗北に至るまでの不思議な現象、戦艦大和の無謀な出撃に至る不思議など、普通に考えれば有り得ないことを、エリートの階級がなぜに決断したのかを、日本人にある「空気」と「水」の研究を通して明るみに出そうとされています。著者の時代である戦後になってもそれが変わらず発生することについて、それを回避するために、その正体を知ることを試みられています。
科学的なものと科学的でないもの。それは日本だけでなく西欧でもあるのですが、そのとらえ方には、日本と西欧で違いがあり、それが西欧からみて日本の不可解な行動の原因となっていることが分かってきます。自身の決断していることに自覚的でないことが悪化を招いていること。著者はそれを明るみに出すことで解決を見出そうとされています。結局戦後長い時間を経た令和に至っても何も進歩もしていない日本人組織で、反省とともに勉強しなおす必要がある問題だと思います。 -
今更ながらという感じですが、今更だから読むべきなのかもしれないという読後感。
ここで描かれていることですが、年月は流れましたが、さて、変わっているでしょうか。
多くの教訓があると思います。 -
日本で意思決定や発言をする際、何か目に見えない雰囲気のようなものがあり、それに反するようなことを言うのが難しい、時によってそれが重大な判断誤りを引き起こす。そういう「空気」と、それに反し「水」を差すということで延々と繰り返していくこの雰囲気について研究したもの。
日本人は空気を読んで行動する、SNSの炎上でもコメントによる何らかの流れがあることを考えると、この「空気」というのがあると言われればそうだろうなとは思う。また、空気による判断の失敗といえば「失敗の本質」で散々研究されている軍の例が思い浮かぶ。だがここは聖書やイスラエルといった西洋に詳しい著者ならではの着眼点で、日本の特異性について語っているのがポイント。抽象的なことが多く、また時代が少し前の連載なので時事のつもりでさらっと記述している事件について調べながら読まざるをえなかったこともあり、始めのほうで著者の言いたいことを把握するのは難しかったが、読んでいくうちに支流が集まっていく河口のように、話が繋がっていった。
一番面白かったエピソードは、日本は進化論を学校で教えているのに現人神を信じているのか!?というアメリカ人のツッコミ。確かに、神の先祖はサルと言っているようなものだぞと言われるまで気づかなかったわ、と今読んでも思うくらい、「情況の違い」を私たちは使いこなしているのかもしれない。
対象に絶対的な正義または悪といったイメージで感情移入を過度にし、対象の持つ意味を超えたものにする。それに対して異を唱えるのは排除の対象であるが、同時にそれがうまくいくとこの空気は霧散する。しかし別の対象に感情移入が移っていく。これを延々と繰り返す。何故なら、絶対的な対象への設定は、矛盾があったとしても、芝居のお決まり展開と同じでツッコミを入れないという暗黙の掟があるから。もしツッコミを入れられても、情況が違うのだという理屈付けをする。同じ行動一つでも、この情況の違いをもち出すことで、正当化されたりされなかったりする。このあたりの父と子の隠しあいの関係が、なんだか「タテ社会の人間関係」で述べられているようなオレとアイツの関係を彷彿とさせる。
この情況の違いを頭の切り替えとも表現しているが、この多次元論的考え方が、日本をラノベ・漫画・アニメコンテンツ産業国家にした感もある気がする。海外では悪役にハマりすぎた役者が嫌われることがあるが逆に日本では人気者になるという例があったことを考えると、それ(配役)はそれこれ(人物)はこれ的な区切りはうまいのかもしれない。
また、日本人が議論が苦手だというのも、この頭の切り替えをあまりにも普通に行っているため、議論に対して真っすぐに捉えることができず、きちんと意見を返すことも意図して論点ずらしを行うことも難しいのかもしれない。
こういう空気から脱却するには、こういう空気の循環にいることを把握し、指摘していくことで自由を生むということであるが、今のSNSを見るに、指摘した先にもまた別の空気が発生しているんだよなぁ。議論している対象の本来の意味は何なのか、に立ち返るというのがまず基本なんだと思うが、どうやらそれが世間的には難しいらしい。 -
佐藤優さんおすすめの書。まさに、会社として下したとある決断について、何でそうなったのかと第三者に問われた時、そんな空気だったんですよ、と答え、理論的に回答することが大変難しかった経験あり。
実証的な集団心理学ではなく、論考として真実を追求しているところが、この人の脳内を直接見ているような新鮮な気分にさせる。
つまり空気とは、何らかの絶対的な存在が、われわれを断罪し、過度な責任を求めるようなコミュニケーション。このとき、こちらも身に覚えありなので、抗えない。過分な責任を取らざるを得ない。その責任が、理論を超える。
その、絶対的な存在がいかに生まれるのか、というプロセスが、著者の思考の深さを示しており、感心する。
◯現象・背景
・口にできない空気
・そうせざるをえない空気
・我々は空気さえ盛り上げれば何かができるような錯覚を抱き続けてきた。太平洋戦争は誠に痛ましい膨大なその大実験
◯威力
・あらゆる議論は最後に空気で決められる
・最終的決定を下し、そうせざるを得なくしている力を持っているのは、唯一空気であり、それ以外にない。
・どのような論理的過程をへてその結論に達したか、探求の方法がない
・論理・データの対決に、空気が勝つ
◯仮説
・何らかの気圧のような圧力がある
・空気が、すべてを制御し統制し、強力な規範となって、各人の口を封じてしまう現象
◯結果
・戦艦大和の特攻=空気は、専門家ぞろいの海軍首脳に、「作戦として形をなさない」ことが明白な事実」であることを強行させ、後になると、その最高責任者がなぜそれを行なったかを一言も説明できない状況にする
◯絶対的なもの
・空気とは一つの宗教的絶対性をもち、我々がそらに抵抗できない何か
・一方が善、他方が悪で規定され、その規定によって、自己が拘束され、身動きが取れなくなる
◯対策
・水を差す
・命題に対して、対立概念を常にセットで考える
・慎重なルールを作る(空気で死刑が決まらないように)
・飲み屋と会議室の、2会場で多数決を取る「2空気支配方法」 飲み屋の空気が本音である可能性
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またまた日本論の古典。今でも通用するのが古典の古典たる所以か。山本七平は松岡正剛と同じ種類の人なのだろうと感じた。
自由とは,「水を差す自由」であるが,「水」とは「現実」=「通常生」であり,これが「空気」の醸成の基であるとすれば,「水を差す」だけでは足りないのではないか。集団内の状況倫理による私的信義絶対の世界において,「水を差す」こともまた,「空気」に回収されてしまうのではないか。「空気」と「水」しかない世界に,「個人」と「自由」とは生じ得るのか。これは極めて現代的な問題であると同時に,漱石や鴎外が直面した問題と同一である。誰かが,現代は,明治期のエリート層を悩ませた問題に,全ての人が無意識に取り組まざるを得ない時代であると言ったが,それはこういうことなのだろう。
著者は相対化の重要性を指摘するが,日本において相対化が「空気」となったポストモダン時代は,「空気」を相対化することにはおそらく失敗した。日本的根本主義を汎神論的神政制と措定した場合,これを変更するのではなく,そこに立ち返って「その体制は一体どんなもので,どのような欠陥をもち,それが将来どのように作用し,どうすればその欠陥を克服しうるか」がまさに引き続き我々の課題である。 -
物凄いパワーを持つ「空気」、我に返るための「水」。
「空気」は、どこにでもあるが、それに支配されなすいのが日本人。
自分は「良い空気」を作り出し、勇気を持って「水」をさせる人間になりたい。 -
日本人の特徴を言語化してくれている良質な本だった。80年代中心の例や出される用語や意味を理解することは容易ではない。しかし日本人を生み出す空気と水の関係からうまく表されていると感じる。今回は10%も理解できていないが、頭の片隅におきながら、また次読むときにはもう少し読めるようになっていたい。
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人には、集団、群として、なにかを決めなくてはならない、ということがある。
そして、その決定が、恐ろしく理不尽で、愚かであるということが頻繁に起こる。
集団、群れの中に、素晴らしい専門家や知性を持つものがいてさえも。
人は、個としては、全く強い種ではない。
集団としては、地球上で最も強い種として君臨しているが。
今、生きている人には、おそらく、集団の中で生きる、その中に埋没して生きることを快と感じる本能、習性が埋めこまれている。程度の差はあるかもしれないが。
それは、そういう習性、好みのあるもの以外は、生き残ることが困難であったから。
では、その集団としての判断は優れているいるのか。
過去を振り返ると、集団としての判断は、ときにあまりに愚か。
どうしてか。
愚かである、と考えられる数多くの決定が、どういう過程を経て、生まれてきたか。
一神教であるキリスト教が価値観の主軸となる国々と、汎神論的社会の日本の対比を見つつ、読み解く著書。
何かを知るためには、何か、の外部を知ることが必須なのかもしれない、とも感じた。 -
「現場の空気」といった表現に見られる「空気」、「水を差す」といった表現に見られる「水」に注目し、「空気」の拘束に対して「自由」であるとはどのような位置にあるのかを考えるための前提として、「空気」の実態をつかむための研究が著者の実体験や歴史から行われている。
文章は決して易しくはない。触れられている歴史的な出来事も第二次世界大戦付近のものであり、例を挙げると野中郁次郎の作品に方向性が似ている。
本書は大きく以下の3つの部分に分かれている。
・「空気」の研究
・「水=通常性」の研究
・日本的根本主義について
「空気」の研究では、公害も問題などを例に挙げて、空気とは感情移入を前提とした臨在感的な把握(背後に何かがあると感じること)であるとして、対象を絶対化することで人間が逆にその対象に支配されてしまい、対象を解決する自由を失ってしまうのだとしている。
「言必信、行必果」(これすなわち小人なり)をとりあげ、これを見事な日本人論として、以下のように書く。
> 大人とはおそらく、対象を相対的に把握することによって、大局をつかんでこうはならない人間のことであり、ものごとの解決は、対象の相対化によって、対象から自己を自由にすることだと、知っている人間のことであろう。
続く「水=通常性」の研究では、空気の支配に抵抗するための知恵である「水を差す」という方法について言及する。水とは、
> 最も具体的な目前の障害を意味し、それを口にすることによって、即座に人々を現実に引き戻すことを意味している
として、「水」の連続、一種の「雨」が現実であり、これが自己の「通常性」であるとしている。この水を指す自由を確保することが「自由」であり、空気の拘束から逃れるのに必要なものであるとしている。
あとがきにある記述が本書のテーマをよく表している。
> 何かを追究するといった根気のいる持続的・分析的な作業は、空気の醸成で推進・持続・完成できず、空気に支配されず、それから独立し得てはじめて可能なはずである。...再把握すること。それだけが、それからの脱却の道である。人は、何かを把握したとき、今まで自己を拘束していたものを自分で拘束し得て、すでに別の位置へと一歩進んでいるのである。 -
空気を変えるには”水を差す”ことが大事と書かれていて、まさにそうだなと思った。
さらにはその差した水によって空気が変わると新しい考えさえも凝り固まった空気になるリスクがあると指摘されていたのも印象深かった。 -
素晴らしい本だった。
日本においてなんとなく気持ち悪く感じていた感覚を言語化してもらえた気持ちです。
臨在感的把握、相対化ができない、父は子のため子は父のために隠す、などがもっとも印象に残りました。ある対象における善悪を判断するのではなく、対象に善性や悪性を宿らせるという認識を持ちました。
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非常に面白かった。
日本人はいつもその場の空気に支配されている
山本七平はその空気と言うものが何なのかそれを考えようとした。
この本の中で大切なのは、あとがきで書かれていた。
人は何かを把握した時、今まで自己拘束していたものを逆に自分で拘束し得て、既に別の位置へと1歩進んでいるのである。人が空気を本当に把握し得た時、その人は空気の拘束から脱却している。
と言う部分だろう。
今の時代にも彼が述べていたような空気はある。それがどんな空気であるのか、じっくりと読み取りそこに支配されないように生きていくことが大切だ。 -
日本では何事を決定するにも「空気」が重要で、それを醸成したり乗っかったりすることが必要だということを説いた一冊。
著者はそれを日本が一神教でないことを根拠にするが、たしかに一定の説得力はあった。 -
<感想>
山本七平の著書であり、古典とも呼べる有名な本。
なぜ日本は勝算のない無謀な太平洋戦争に挑んだのか。我々は当時の軍人が無知だったと考えがちだが、そのころの政府や軍部内にも客観的な視点を持ち、それを主張する人間は少なくなかったようだ。それもにかかわらず、「空気」としか呼べない同調圧力が理性に勝ったのはなぜなのか。本書は日本特有の「空気」を言語化する試みの書である。
コロナ以降の政府・自治体の行動を見ていると、本書の指摘していることが実感として理解できる。多数決社会では精神論は正論に勝るのだ。
<アンダーライン>
・われわれの世界は、ひと言でいうとアミニズムの世界
・アニマの意味は「空気」に近い
★臨在感
著者プロフィール
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